小沢独裁体制批判からの副幹事長解任に見る民主党生方氏自身の功罪

2010-03-20 09:09:59 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――

 生方幸夫民主党副幹事長が3月17日付産経新聞のインタビュー記事で小沢幹事長を批判、そこから自民党鳩山邦夫離党騒動と肩を並べる生方副幹事長解任劇の民主党騒動が始まった。先ずは他人はいざ知らず、自身の後々の記憶のためにインタビュー記事を全文引用してみる。
 
 《【単刀直言】生方幸夫民主副幹事長「党の“中央集権”、首相は小沢氏を呼び注意を」》msn産経/2010.3.17 00:40)

 与党に政策部門がないのは絶対におかしい。民主党に元気がなくなったのは、自由に議論する場がなくなったからです。政策調査会と、その下の部会を再び作って、みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけません。

 衆院選マニフェスト(政権公約)の実行が思うようにできていません。それに対する十分な説明を民主党がしきれていないのは、党に政策責任者がいないからです。説明を一つ一つしていれば、民主党への信頼が今のように落ちることはなかった。

 鳩山さん(由紀夫首相)は約10年前に「1人1政策作ろう」と、仲間たちに呼びかけたはずです。政権交代で、それを実現しようと思ったら、議員立法も制限されてしまった。政治主導にはほど遠い。

 われわれは自民党政権がやってきた中央集権はダメだと言ってきた。地方分権にしようといってきたのに、民主党の運営はまさに中央集権です。今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている。下に権限と財源が与えられていない状況はおかしいでしょ。党の代表である鳩山さんは、小沢さん(一郎幹事長)を呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意してほしい。

 1年生議員は民主党に入ったときから、強度の管理体制下に置かれているから、しゃべっていいものかどうかすら分からないんじゃないでしょうか。

 民主党への信頼が低下している要因には「政治とカネ」の問題もあります。小沢さんに関して、今までの説明に納得していない人が圧倒的に多数で、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多い。小沢さんがしかるべき場所できちんと説明するのが第一。それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないです。

 国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロだとは思っていないんですよ。おそらく説明できないんでしょうね。小沢さんは前よりだいぶ権威づけられてきたというか、権力者になってきましたね。

 北海道教職員組合の問題は、これも一番上は(出身母体が日本教職員組合の)輿石さん(東・参院議員会長)ですからね…。(民主党議員は)組合からあまりお金をもらっちゃいけない。組織内候補といわれる方の献金額は常識的な額ではない。参院選への影響は、政治ですから何があるか分かりませんけど、要するに言い訳から入る選挙は勝てませんよ。

 公明党とどうするかは党の方針の問題です。議員の意見を聞かないといけません。国会運営をうまくするためにとか、味方が一人でも多けりゃいいと思って連携するなら大間違い。誰かの思いつきでやっていいことではない。選挙で公明党がイヤだから応援してくれた人だっていっぱいいたわけですから。(坂井広志)

    ◇

 うぶかた・ゆきお 衆院千葉6区選出。当選4回。横路孝弘衆院議長のグループに所属。昭和22年、東京都生まれ。47年、早大卒。読売新聞記者を経て経済評論家に。平成8年の衆院選で初当選。今年3月、民主党有志でつくる「政策調査会の設置を目指す会」世話人に就任。

 要するに言っていることは民主党は小沢独裁体制下にあって、誰も言いたい意見が言えない言論封殺状況にある。だから、「みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけ」ない。小沢独裁体制からの解放、言論封殺の解除である。

 だとしたら、鳩山首相も小沢独裁体制に縛られている一人であって、「小沢さん(一郎幹事長)を呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意」することなどとてもとてもできない芸当としか言えない。ただでさえ指導力が欠けていると言われている鳩山首相である。

 この欠けている点を見ると、小沢幹事長が陰で首相を操っているようには見えない。小沢幹事長の豪腕に反する言葉のブレ・行動のブレとなっているからだ。

 だが、そのような言論封殺の小沢独裁体制に刃向かって、生方副幹事長は新聞のインタビューを利用して敢然と批判した。首相が注意できないことを一副幹事長の身ながら、「党が中央集権になっていることをきちんと注意」した。

 「政治とカネ」の問題もある。国民に向かってきちんと説明して納得を得ることができなかったら、自ら辞任すべきだと、党独裁者に向かって新聞を通して要求した。北朝鮮労働党の幹部が金正日に向かって北朝鮮のためにならないから辞任すべきだと迫ることと比較できる大胆な挑戦とまではいかないが、日本が民主国家であるのに反して一独裁を形成していると自ら看做している組織にあってはなかなか勇気ある行動と言える。

 民主党の対応は高嶋筆頭副幹事長がその批判を取り上げ、生方氏に対して副幹事長の辞任を求めたが、生方氏は応じなかった。では解任だと、騒動は一挙に高まった。

 《生方氏 副幹事長辞任に応じず》NHK/10年3月18日17時11分)

 高嶋筆頭副幹事長の辞任要求理由は次のように書いてある。 

 「党内で自由に意見を言う場はいくらでもある。執行部の一員が、外部に対して執行部を批判するのはまちがいであり、責任を取るべきだ」

 生方副幹事長の拒否理由。

 「党をよくしようと思って発言したのであり、辞める理由にはならない」

 言ってみれば喧嘩別れだろう、生方氏は別れたあと、記者団に次のように発言している。

 「発言一つを取り上げて、よい悪いを言い出したらきりがなく、このままでは、民主党は言論の自由がない党になる。元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話であり、辞任しない」

 生方氏の「このままでは、民主党は言論の自由がない党になる」は現在のところ「言論の自由」を一応維持しているということになるが、インタビューでの、「自由に議論する場がなくなった」、「民主党の運営はまさに中央集権」、「権限と財源をどなたか一人が握っている」、「1年生議員は民主党に入ったときから、強度の管理体制下に置かれている」等々と看做している独裁状況と矛盾する、「言論の自由」の一応の維持となる。

 また、「言論の自由」の一応の維持ということなら、「みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけません」は同じく矛盾した過剰反応となる。

 両者の主張をより詳しく伝えている記事がある。《民主内紛 生方、高嶋両氏それぞれの言い分》msn産経/2010.3.19 00:45)

 18日に記者団に対して自らの正当性をそれぞれ訴えたものだという。これも自身の記憶に供するために発言部分を全文引用する。
 
 【生方幸夫副幹事長】

 党幹部は「外部に向けて執行部批判をするのはけしからん」「責任をとって辞表を出してほしい」ということだが、辞める理由はなく、辞表は出さない。党の倫理委員会に出て堂々と話をする。

 「批判があるならなぜ正副幹事長会議で発言しないんだ」とも言われた。しかし、会議は15分しかなく、議論をしたこともない。(産経新聞のインタビューで問題とされたのは)小沢一郎幹事長に対して、「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」と批判した部分だ。高嶋良充筆頭副幹事長からは「事実ではないのに外部に向かって言うのはおかしい」と指摘された。

 党議拘束に反して何かしたとしてもせいぜい厳重注意だ。役職を解くのはかなり重いので、「元秘書らが3人逮捕されている小沢氏の責任を何も問わず、外部に向かって批判したから辞めろというのはおかしくないですか」と反論した。自己責任で話をするのは政治家として当たり前で、発言一つ一つをとらえて、いい悪いを言い出したら言論の自由がなくなる。普通に話したことが執行部批判だから辞めろというのでは、筋が通らない。

 
 【高嶋良充筆頭副幹事長】

 生方幸夫氏に副幹事長の職務と責任を果たしていないとして、(副幹事長の)辞表提出を求めた。副幹事長は、党執行部の一員で意見があれば党の会議で主張し、党がよくなる方向で頑張るのが職責だ。党への批判を含めて一切会議では発言せず、党外に大々的に言うなんて職責をまっとうしていない。

 政策調査会復活の件でも会議では発言せず、改革案を役員会で決めているときにだけ反論したので、私が「それはあまりにも卑怯(ひきょう)じゃないか。なぜもっと早く言ってくれなかったのか」と迫ったこともあった。

 (17日付産経新聞に)インタビューが掲載され、党や支持団体への批判が外部に向かって出たことは大きな問題だ。(党内に言論の自由がないという批判に対しては)まったくそう思わない。小沢一郎幹事長の問題でも副幹事長なのだからいつでも話ができたはずだ。

 党内から「(生方氏の)やり方が卑怯ではないか」という意見が多数寄せられた。放置すれば党内の意欲や党の求心力もそがれると思い、私の判断で老婆心ながら辞表提出が一番いいと伝えた。

 小沢幹事長が「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」、その結果、自由な議論が抑圧されているとするなら、何と何に対して、そしてどこまでの「権限と財源」のことを言っているのだろうか。党の運営に対して、ありとあらゆることに関する「権限と財源」のことなのか、内閣の運営と政策立案に関わるすべてに広げたところにまで「権限と財源を1人が握っている」ということなのだろうか。

 だが、内閣の運営と政策立案に関しては党と内閣、あるいは首相を含めた各閣僚が相互に影響し合うことはあるだろうし、あるいは所属省庁の官僚の指示や党からの指示を丸受けしたものであっても、全部が全部そうではなく、閣僚それぞれが自らの考えに立って議論を展開し、最終的には自らの「権限と財源」に従って組織と政策を運営しているように見える。

 党の運営に関してのみの「権限と財源」を握り、その結果としてすべてに亘って他に口出しさせない言論封殺が行われているということなら、民主党執行部が代表鳩山由紀夫、代表代行空席、幹事長小沢一郎、政策調査会長直嶋正行、国会対策委員長山岡賢次、参議院議員会長輿石東によって構成されている組織としての意味を失い、まさしく小沢独裁党体制と言える。

 だが、それを事実だとするためには、何と何に対するどのような「権限と財源」を握って恣意的に行使しているのか、すべてに関して具体的な説明を尽くす責任を有するはずである。

 内閣の運営と政策立案に関してまで独裁的支配下にあると言うなら、その構造に関しても具体的な説明が必要となる。

 そういった説明もなく「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」で片付けた場合、生方発言が民主党は小沢独裁体制だとする判断の根拠とされることになる。

 勿論以前からの印象もあって、小沢独裁体制だと談じている向きもあるだろうが、それらの印象のすべてとは言わないが、多くが「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」と同じ類の言葉を根拠としている可能性も否定できないはずである。

 逆に「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」といった言葉が民主党に於ける党運営、あるいは内閣運営は小沢幹事長による独裁体制だとの誤った予断を与えている側面も同じく否定できないはずである。

 例え生方氏の言っていることが全面的事実だとしても、全面的事実であることの具体的説明を必要条件とするはずである。必要条件としないから、谷垣禎一自民党総裁の「印象に」に基づいた反応を誘うこととなった。

 《生方氏解任は強権的=自民総裁》時事ドットコム/2010/03/19-12:02)

 谷垣「かねがねあそこの党の運営は極めて強権的、独裁的だと思っていたので、その現れなのかなという印象だ」

 公明党井上義久幹事長「民主党内の問題だから評価する立場にない。一般論で言えば自由闊達(かったつ)な議論があってしかるべきだ」――

 また生方氏が、「元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話」だと言っていることに関しても具体的な証明を必要とする。なぜなら、例え秘書が何人逮捕されようが、検察の事情聴取を経ても何ら起訴材料となる疑惑を現在のところ見い出せていないのだから、検察に代って「筋の通らない話」であることを証拠立てなければ、自分の言っていることが正しいことだとすることはできないはずだ。

 高嶋筆頭副幹事長は「党や支持団体への批判が外部に向かって出たことは大きな問題だ」と、谷垣自民党総裁が舛添要一や与謝野馨、さらに鳩山邦夫が党内部ではなく外部で執行部批判したり新党問題を発言したとき同じ批判を展開している。

 鳩山邦夫の場合は谷垣批判を正論だとして、党を出て、党の外で批判しましょうと離党し、新党の立ち上げを策した。順調にはいっていないものの、民主党の高嶋筆頭幹事長も谷垣自民党総裁も同じ批判基準に則った人事管理を基本としていた。

 谷垣総裁の批判基準が正しいなら、高嶋筆頭幹事長の批判基準も正しいことになる。勿論、生方氏にとっては、「自己責任で話をするのは政治家として当たり前で、発言一つ一つをとらえて、いい悪いを言い出したら言論の自由がなくなる。普通に話したことが執行部批判だから辞めろというのでは、筋が通らない」と言っている以上、正しいとは決して言えない批判基準なのは言を俟たない。平行線を辿るしかないことになる。

 確実に言えることは、生方氏は自身の小沢批判をマスコミにに大々的に取り上げられて世間に広く知らしめることができ、一定の目的を果たしたかもしれないが、同時に民主党は小沢独裁体制だとの印象を一層のこと国民の多くに強く信じ込ませ、民主党に対する忌避感・嫌悪感を逆に強めるマイナスをつくり出した。

 ここに彼の功罪がある。

 結局のところ、夏の参議院選挙が審判を下すことになるだろう。民主党の中で誰が勝利するか、そのとき決着がつく。

 例え民主党が大敗し、民主党内の反小沢派が勝利することとなったとしても、過半数形成のために公明党と組む動きが出た場合、生方氏は「公明党とどうするかは党の方針の問題です。議員の意見を聞かないといけません。国会運営をうまくするためにとか、味方が一人でも多けりゃいいと思って連携するなら大間違い。誰かの思いつきでやっていいことではない。選挙で公明党がイヤだから応援してくれた人だっていっぱいいたわけですから」と言っているが、多くが過半数獲得・与党維持の打算で動くことは予想でき、それを見越すことができさえしたら、最終的決定は民主主義のルールに則った多数決を取ることになるに違いない。

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