安倍晋三の米議会演説、靖国参拝議員と硫黄島元米兵を握手させ、歴史の奇跡と日米和解の象徴とする歴史修正

2015-05-03 10:27:05 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

     《憲法記念日にあたって(談話) 小沢一郎代表談話》    

     ~「憲法改正」を超えて復古的体制をめざす安倍政権~

     5月3日、小沢一郎代表は憲法記念日にあたって談話を発表しました。談話全文は党ホームペー
     ジ、日本最大級の提言型ニュースサイト「BLOGOS」 に掲載されています。ぜひご一読くださ
     い。

 安倍晋三のアメリカでは評価が高かった2015年4月29日米議会名演説の言葉ではキラキラと輝かせたウソだらけを当ブログで指摘してきたが、次のウソを見てみる。

 安倍晋三「先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。

 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。

 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。

 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。

 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。

 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。

 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。

 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。

 『硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ』。

 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。

 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。
 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」・・・・・・・

 安倍晋三は「先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました」と言って、南北戦争以来の戦死者を祀っているアーリントン国立墓地を訪れ、献花したことを告げているが、安倍晋三はこの行為を靖国神社を訪れて戦死者を祀ることと同列に置いて、靖国神社参拝の正当化の口実に使っているに過ぎない。靖国神社を訪れることとアーリントン墓地を訪れることとどこに違いがあるんだとばかりに。

 だが、違いを安倍晋三は気づかずに示唆している。

 フリーダム・ウォールに埋め込まれた一つ一つが斃れた兵士100人分の命を表す「金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません」と言っているところに靖国とアーリントン墓地の違いを自ずと示している。

 アメリカ人が国(=アメリカ)を守ると言うとき、その国は1776年の独立宣言に既に表されていたように、奴隷制度という矛盾があったものの、自由と平等と民主主義を精神とした国を意味するが、戦前の日本人が国を守ると言うとき、その国は天皇制を国家体制とした国家そのもの、国体を意味していた。

 だから、「天皇陛下のために、お国のために」と戦った。玉砕するとき、「天皇陛下バンザイ」と言って、死に飛び込んでいった。決して「自由バンザイ」と叫びはしなかった。

 アメリカの場合は国家というものをそのように把えていたから、国立墓地に自由のために戦ったことを象徴する「フリーダム・ウォール」を設けることになったのだろう。

 つまりアメリカ国民にとってアメリカ国家は自由と平等と民主主義といった精神で把える対象であるのに対して戦前の日本人は国家を上に置き、自らを国家の下に置く上下関係で把える対象としていた。

 それゆえに玉砕、あるいは特攻という自己犠牲をいとも簡単に自らに課することを可能とした。

 アメリカと日本の国家の把え方が違う以上、それぞれの戦死者を同列に置いて、アーリントン国立墓地の参拝を以って靖国神社参拝の正当化に用いるのはそれこそ歴史修正そのものに当たる。

 安倍晋三はフリーダム・ウォールに埋め込まれた金色の星について戦死することがなかったら、「幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も」と思い遣り深く込め、「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました」と、名ゼリフと言ってもいいキラキラとした美しい言葉で痛惜の念を深く深く示しているが、この痛惜の念は、日米戦う精神に違いはあっても、戦死することがなかったら、幸福な人生を送っただろう日本の若者の「失われた夢、未来」を思い遣る言及・視点を一切欠いている。

 この欠如は引き続いての言葉にも現れている。「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました」と悔悟を戦死したアメリカの若者のみに向けている。

 安倍晋三はアメリカでの演説だから、自ずとアメリカの若者向けとなったと弁解するだろうが、いくらアメリカでの演説ではあっても、個々の戦いは兵士同士の戦い(実質は殺し合い)であるものの、戦争そのものは戦前の日本国家が国策で起こし、双方に戦死者を生み出している責任上、後世の政府の立場にある者としてアメリカの若者に対するのと同等の深い悔悟を日本の若者にも示さなければならないはずである。

 また、上記弁解が効かないことは靖国神社を参拝して、「日本の若者の、失われた夢、未来を思いました」とも、「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」とも言った試しがないことが証明することにもなる。

 靖国神社参拝で言っていなかったことをアーリントン国立墓地を訪れたときの感慨をアメリカ議会で言う。ウソを美しい言葉で装ったと見ることはできても、心に思った通りを言葉にしたと見ることはできない。

 そして安倍晋三はここで極めつけの歴史修正を試みる。

 靖国神社参拝の常連である新藤義孝と硫黄島で日本軍と戦ったローレンス・スノーデン海兵隊中将を握手させて、「歴史の奇跡」と呼び、日米和解の象徴としたインチキそのものの歴史修正である。

 新藤は硫黄島で戦ったわけではない。安倍晋三が言っているように硫黄島守備隊司令官栗林忠道大将の孫に当たるに過ぎない。戦わなかった者と戦った者を握手させて、「熾烈に戦い合った敵」同士に祭り上げて、その胡散臭さに気づかずに平然と「歴史の奇跡」とし、日米和解の象徴とする鉄面皮には呆れる。

 大体が新藤義孝は靖国神社参拝の常連である。靖国参拝とは「国のために尊い命を捧げた」と戦死者を顕彰することを通して、「尊い命を捧げた」対象の「国」をも顕彰する行為であって、安倍晋三と同様に戦前日本国家を肯定している新藤義孝を日米和解の役者として登場させた。

 ローレンス・スノーデン海兵隊中将が硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加するのは、「勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称える」ためだとしているのは事実であろう。

 だが、このことのみを以って日米和解の米側の象徴とするのは、戦前の戦争の検証・総括の意志のない日本の歴代政府にとっては好都合ではあっても、硫黄島の戦いのありのままの実態ばかりか、日本の戦争のありのままの実態を隠蔽する役目、いわば歴史修正の罪をさらに犯すことになる。

 1945年2月19日から1945年3月26日までの硫黄島の戦いでは、日本本土への進攻を1日でも遅らせる目的で1994年5月以降、飲料水の乏しい孤島に陸海軍合わせて2万人もの兵士を送り込み、全島に地下壕を掘り巡らせて、そこに潜み、まともに戦わずに相手の隙を突く反撃のみの徹底防戦一方の作戦立てたという。

 日本側兵士の2万人の多くは急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵。中には銃の持ち方を知らない者もいた雑多集団だったと言うが、そうであるにも関わらず、最高指揮官栗林忠道陸軍中将の優れた徹底防戦一方の作戦が偉大なる功を奏して、アメリカ側が当初精鋭の海兵隊6万人も擁して5日間で占領できると踏んでいた計算に反して、兵士の戦闘能力ばかりか、物量の点でも劣る雑多集団の日本軍に激しく抵抗され、戦いを1カ月以上引き伸ばされることとなった。

 NHKの特集で放送されたことだが、海兵隊の戦死者は戦闘半ばで4千人(4189人)を超え、それまでの太平洋戦線に於ける戦死者の半数に相当する犠牲だったと伝えていた。

 日本側は本土決戦まで決めていた。当然、アメリカは硫黄島の戦いを学習し、その学習を本土決戦に当てはめていたはずだ。一方的に地の利がある日本が日本本土に地下壕を掘り巡らせた場合、爆撃機による爆弾投下も効かなくなり、戦闘機の機銃掃射も姿の見えない日本兵に浴びせることもできず、米軍が上陸して地上戦を挑んだとしても、地下壕に潜んでまともに戦わず、硫黄島と同様に奇襲で米軍が撹乱されて戦闘が長引いた場合の犠牲は硫黄島の比ではないと計算させる学習であったはずだ。

 この学習が沖縄戦での学習と併せて米軍の犠牲を少なくするために硫黄島の戦いから約半年後、3カ月の戦いとなった沖縄戦から約1カ月半後の1945年8月6日の広島原爆投下、その3日後の長崎原爆投下を思い立たせたと仮定したとしても、全面的には否定できないはずだ。

 痛みの伴った学習はその痛みが大きければ大きい程、その学習を参考にして次の対策を講じなければならない必要が生じた場合、過剰反応しがちとなる。過剰反応とまで至らなくても、同じ痛みはゴメンだとばかりに同じ学習を徹底的に回避する厳しい対峙を意志させることになる。

 こういった戦争の詳細(ディテール)を安倍晋三は議会演説で、既に日本の戦争のありのままの実態という言葉で説明したが、隠蔽する歴史修正を施したに過ぎない。

 例えアメリカ議員の多くを熱狂させ、感動させたとしても、散りばめたウソの数程にも歴史修正を施した米議会演説となっている。

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