
1500頭のニホンザルが生息中の大分市営高崎山自然動物園は1984年からその年第1号の赤ちゃんザルの名前を一般から募集しているという。マスコミ報道を見ると、今年は3月下旬から名前を募集し、5月6日朝、第1号の赤ちゃんザルを確認、同じ日の5月6日に名前を発表しているから、募集開始が3月下旬と決まっているのかどうか分からないが、募集最終日は第1号確認の日までとなっているようだ。
いわば動物園は生まれる前から、前以て名前を募集している。
英王室が5月4日、ウィリアム王子と妻キャサリン妃の新しく誕生した第2子王女の名前を「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」と発表以後、「シャーロット」の応募が殺到、最多となり、動物園は5月6日、子ザルを「シャーロット」と命名すると発表。
ところが5月6日、7日の2日間で約300件の電話とメールが寄せられ、その大半が苦情や批判だったという。
《高崎山自然動物園》は5月6日の水曜日に次のような「お詫び」を出している。
〈本日、5月6日当園にて今年の第1号赤ちゃんザルが誕生しました。
毎年、第1号赤ちゃんザルには公募によって多数の票を獲得した名前を採用決定しておりました。
今年も例年同様、多数の票を獲得した「シャーロット」を採用しましたが、皆様方から様々な貴重なご意見・ご要望を頂きました。
この度の、当園の判断で第一号赤ちゃんの命名については、多くの皆様方に多大なるご迷惑をお掛けしたことを、深くお詫び申し上げます。
当園としましても、これらのご意見を真摯に受け止め、早急に関係機関とも協議を行い今回の第一号赤ちゃんザルの名前について総合的に判断し、決定したいと考え
ております。〉――
5月6日の朝に第1号の誕生を確認し、その日の内に名前を「シャーロット」に決めたことを発表、その日の内に批判や苦情が殺到、それを尊重して、その日の内に名前変更の意思を示したことになる。
相当に慌てたらしい一端を次の発言にも見て取ることができる。
動物園担当職員「苦情の多さに驚いている。指摘の通り、配慮が足りなかったのかもしれない」(大分合同新聞)
翌5月7日、日本の報道陣が英王室広報に問い合わせた。
英王室広報「どんな名前をつけようと、動物園の自由」(asahi.com)
動物園と大分市もイギリスの総領事館に問い合わせた結果、特に指摘を受けなかったという。
イギリス側の対応に高崎山自然動物園はきっと胸を撫でおろしたに違いない。
どのような批判が寄せられたのか、各マスコミ記事から見てみる。
「なぜ騒動になりそうだとわからずに付けたのか」
「英国との関係が悪くなったらどうするのか」
「人権問題ではないか」
「英国を侮辱している」
「サルに王女の名前を付けるのは非常識だ」
「生まれたてのメス猿に「佳子(カコ)」と付けたら何と言う?非常識極まりない」
「韓国の動物園が猿の名前に東宮一家と同じ名前付けたらどんな事になると思う?」
「それじゃ猿の名前を『パククネ』にしてみろ。抗議どころか脅迫や放火もありうるぞ?」
名前をつける意図が問題となる。意図は感情を伴わせている。名前をつける対象と名前を借用する人物(人物でない場合もあるが)に対する感情を一致させて命名の意図は成立する。
悪意を持っている対象に名前を付ける場合、名前を借用する人物に対しても悪意を持っていてこそ、その命名はふさわしいものとなる。
逆に好意を持っている対象に名前を付ける場合、名前を借用する人物に対しても好意を持っていてこそ、その命名はふさわしいものとなる。
勿論、不一致の例外はある。安倍晋三がもし犬を飼っていて、その犬が気にいっていながら、逆に悪意を持っている習近平の名前をつけて、習近平を自分の思い通りに動かすことを飼い犬で代用させて、そのようにできない習近平に対するストレスをそのときだけ発散することに名前を利用していたとしたら、厳密に言うと悪用であるが、自己満足という感情を得ることができる犬という対象と自己満足という感情を得ることのできない習近平という人物に対する好悪相反する感情によって逆に命名を成立させていることになる。
棒切れを犬がいる位置とは反対の遠くに投げて、「それ、習近平。取ってこい」と命令して、犬が棒切れをくわえて安倍晋三の前に戻ってくると、「よくできた」と満足する。犬にとってのご馳走を犬の前に置いて、必要以上に「待て」と命令する。「お前には簡単には食わせないぞ」と意地悪をして、密かに満足する。
但しこのよう悪用は名前を借用する人物に対してだけではなく、飼い犬までもバカにしていることになる。
もし安倍晋三が事実そのようにしていたなら、例え側近にそのことを明かして習近平を嘲笑する種にしていたとしても、それ以外は極秘事項扱いとしなければならない。世間に知れたなら、大問題となるだろう。
当然、世間が広く知ることのできる状況で子ザルに「パククネ」という名前をつけたとしても、悪意に対する悪意からの命名であるか、好意に対する好意からの命名であるか、あるいは安倍晋三のあるかも知れない例で上げたように子ザルに好意を持っていたとしても、自分の感情を満足させるための悪用からの命名であるかによって、問題が生じたり生じなかったりすることになる。
もしパク・クネ韓国大統領に日本人の絶対多数が親しみの好意を持っていて敬愛していたなら、子ザルを好意の対象として大統領の名前をつけることを欲したとしたら、何も問題はないはずだ。
当然、子ザルはパク・クネ韓国大統領に対するのと同じように敬意の対象となる。
だが、韓国大統領に対する感情が逆でありながら、子ザルにその名前をつけたとしたら、子ザルをも好意の対象としていないことになる。悪用の意図がない限り、好意の対象に悪意の対象としている名前をつけることはあり得ない。
当然、イギリス王族の名前を子ザルの名前に借用したとしても、双方共に好意の対象としているなら、問題はないはずだ。そして双方の誕生は好意を持って迎えられた。
だが、少なくない日本人がイギリス王族の名前を借用することを問題視した。その中に日本の皇室との関係で把えた批判があった。
秋篠宮と紀子の子どもを例に、「生まれたてのメス猿に『佳子(カコ)』と付けたら何と言う?非常識極まりない」と。
皇太子と雅子の子、愛子の名前をつけたとしても、批判が湧き起こるに違いない。皇室信者の多い現状から考えても、戦前の不敬罪の文脈で把えて、皇室に対して不遜だとか、皇室に対する冒涜だとかの非難や批判は当然のように起こることは間違いない。
かくこのように日本で動物の赤ちゃんにどれ程に愛らしいと好意を持っていたとしても、日本の皇族の名前をつけることは考えられないし、あり得ないだろう。
例え好意に対する好意からの命名であったとしても。
だが、英王室は「どんな名前をつけようと、動物園の自由」と、何ら問題としなかった。
勿論、動物園任せとしたのは動物園の新しく誕生した子ザルにつける名前であることを承知していたことを前提としているはずである。一般的には愛らしいという感情を持つことのできない、獰猛さだけを漂わせた大蛇につけるとしたら、誰もが「シャーロット」という名前で応募することはあり得ないが、最低でもやんわりと再考を促したはずだ。
いずれにしても子ザルにつける名前としては何ら問題としなかった。
ここにイギリスと日本の王族・皇室に対する意識に大きな違いがある。
皇室、あるいは皇族に対して例え強い敬愛の念を持っていたとしても、その敬愛が人間的存在性そのものの違い(あるいは血の尊さそのものの違い)を見ていることから成り立たせていて、戦前と同様に、あるいは戦前に近い感覚で皇室、あるいは皇族を畏れ多い存在とする、いわば自身を遥か下の地位に置いた権威主義的思考が日本人の意識の中に未だ色濃く残っていることからの、そのように畏れ多い存在である皇族の名前を動物につけることの失礼であろう。
一般国民と同列視さえすることを許さないのに、動物と同列視するのかと。
つまり、イギリスでは例え王族に敬愛の念を強く持っていたとしても、人間そのものの違いや血そのものの違いを見た敬愛とは異なるということになる。
もしそのような性質の敬愛の念であるなら、動物に王族の名前をつけることは許さないはずである。