国家権力の愚かさが如何に国民に悲劇となるか、Nスペ「終戦なぜもっと早く決められなかったのか」から再掲

2015-05-19 10:41:31 | 政治


 安倍晋三が自身は「日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にない」と否定しているが、少なくとも自衛隊が海外で戦争に巻き込まれる危険性を想定しなければならない安全保障関連法案を国会に提出、日本の軍事的影響力を世界に広げて日本の大国としての存在感を高めようとしている。

 特に軍事面に於ける国家権力の愚かさが国民にどれ程の悲劇をもたらすか、戦前の歴史から学んだ。

 このことを忘れてはならない教訓としなければならないし、教訓とするためにNHKは2012年の日本敗戦の日8月15日にNHK総合テレビで、NHKスペシャル「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」を放送したはずだ。

 この放送を元に2012年8月17日に《(1)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」前半文字化 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と題してブログをエントリーし、翌8月18日、《(2)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」後半文字化 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と題してブログとし、引き続いて8月20日に、《12年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」に見る指導者の責任不作為》を当ブログ記事としたが、 最後のブログを忘れてはならない教訓の一つとして、なるかどうかわ分からないが、少し手直しして再掲してみることにした。

 番組全体の構成はヨーロッパ駐在の海軍武官から昭和20年5月24日を始めとして、「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」等々伝える極秘電報が日本に逐次発信されていながら、その情報に基づいた終戦処理を行わず、徒に戦争を長引かせた上にソ連参戦まで招いて多くの犠牲者を出した日本の指導者たちの“責任不作為”をクローズアップするという形を取っている。

 これら電報はロンドンオリンピックの2012年にイギリス国立公文書館で発見された、イギリス側が解読していた日本側送付の電文だという。

 改めて上記電報から列挙してみる。

 昭和20年5月24日ヨーロッパ駐在海軍武官「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」

 昭和20年6月8日リスボン駐在陸軍武官「7月以降、ソ連が侵攻する可能性は極めて高い」
 
 昭和20年6月11日ブルンの海軍武官「7月末までに日本の降伏がなければ、密約通りソ連は参戦する」

 昭和20年7月21日在チューリッヒ総領事神田穣太郎電文「私達は重大な岐路に差し掛かっている。この機を逃せば、悪しき日(昭和20年8月9日となったソ連参戦の日)として歴史に残るだろう。

 確固たる決意を持って、戦争を終結に導き、和平への交渉に乗り出して欲しいと、切に願う」

 だが、政府中枢、軍部中枢は共に戦争終結に向けた動きを見せなかった。昭和20年1月20日大本営制定の『帝國陸海軍作戦計画大網』で策定した本土決戦の方針を変えず、1942年6月5日~6月7日のミッドウェー海戦で日本側が大敗したことによって太平洋上の制海権を失い、1944年末には日本本土周辺の制海権・制空権共に失っている状況にありながら、本土決戦の準備を着々と進めていた。

 小谷防衛研究所調査官「今までは日本政府は陸海軍共、ヤルタの密約については何も分かっていなかったと。で、8月9日のソ連参戦で初めて、皆がびっくりしたというのが定説だったと思いますけれども、やはり情報はちゃんと取れていたことがですね、この資料から明らかになっていると思います。再考証が必要になってくる事態ではないかと思います」

 電報を受け取ってソ連参戦の可能性を想定していながら、電報を握りつぶす形で本土決戦の準備を進め、その時間稼ぎのために硫黄島の戦い(昭和20年2月19日~昭和20年3月26日)を防戦一方の持久戦とし、沖縄戦(昭和20年3月26日~昭和206月20日)を本土決戦の捨石としたとしたら、本土決戦の計画を一旦は決めたことの体面を優先させたことになって、権力中枢の愚かさは計り知れないものとなる。

 「Wikipedia」の「沖縄戦」の項目に、〈大本営がアメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦を志向したのに対し、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」(持久戦)を意図するという不統一な状況であった。〉と書いているが、制海権も制空権も失い、人員・兵器双方の物量に桁外れに差がある状況で「アメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦」を計画すること自体、まともな考えとは言えない。

 もし上層部が電報を受け取っていなかったとしたら、各種情報によって作戦を組み立て、準備し、戦闘を進める軍隊の頭脳に相当する情報戦の最終段階は全く機能していなかったことになって、日本は陸軍・海軍共に軍隊としての体裁を整えていなかったことになる。

 本土決戦の『帝國陸海軍作戦計画大網』を大本営の立場で策定した参謀本部作戦部長宮崎周一(最終階級は陸軍中将)の戦後にテープに残した肉声証言がある。

 宮崎周一(録音音声)「物的、客観的情勢に於いて、(本土決戦は)大体に於いてできると。あるいは相当な困難、あるいは極めて困難。

 まあ、この三つくらいに分けて、これは俺も考えた。(本土決戦は)極めて困難。はっきり言う。聞けば聞く程困難。極めて。

 それじゃあ断念するかというと、それは断念できない、俺には。作戦部長の立場に於いて、そんなこと言うなんてことは、とても言えない。(一段と声を大きくして)思っても言えない」

 本土決戦には50個師団が必要だ、何だと、当時の日本の戦争遂行能力からしたら計画倒れな拳を振り上げたそもそもの張本人である。

 本土決戦の実現可能性困難を言いながら、その情報を軍上層部に具体的根拠を添えて伝え、説得するのが作戦部長としての責任のはずだが、「作戦部長の立場に於いて、そんなこと言うなんてことは、とても言えない」と自身のメンツを後生大事にし、作戦部長としての職務上の責任不作為にはサラサラ気づかない、その程度の頭と人間性しかなかった。

 これで日本の軍隊の組織としての質が一目瞭然となる。この程度の頭と人間性しかない人物が中将まで出世できるということは、周囲の上層を含めて似た者同士でなければあり得ないからだ。上層部が優秀な人物揃いなら、無能な人物を引き立てはしない。無能な人物に高い地位を与えることはしない。似たもの同士の無能集団であることによって、お互いの無能をお互い同士の無能の中に紛れ込ませることができる。後は立派な帝国軍人であると見せかけて胸を張っていさえすればいい。

 参謀本部作戦部長宮崎周一(録音音声)「ここ(本土)へ上がってきたときに。ここで一叩き叩けばね、えー、終戦というものを、ものに持っていく、その、動機が掴める。

 それがあのー、私が、その、本土決戦というものを、あれ(計画)を一つの、動機になるんだが」

  第2総軍参謀橋下正勝(録音音声)「もう国力も底をついておるし、これが最後の戦いになると。

 それで一撃さえ加えれば、政治的に話し合いの場ができるかも分からん。できなければ、我々は、もう、ここで、えー、討ち死にするなり。

 南方の島と違う点は、島はそこで玉砕すれば終わりですがね、これはまだ本土続きですから、いくらでも援兵を送れると」

 最後の最後まで具体的根拠もない幻想でしかない本土決戦の対米一撃の可能性を信じていた。

 昭和20年7月26日 ポツダム宣言発表

 日本に無条件降伏を勧告

 日本は無視。

 外の状況が内なる日本の状況に衝撃を与える。

 昭和20年8月6日 広島に原爆投下 死者14万人

 昭和20年8月8日 ソ連対日宣戦布告

 昭和20年8月9日午前零時 ソ連参戦 満州に侵入

  死者       30万人以上
  シベリア抑留者 57万人以上

 昭和20年8月9日 長崎に原爆投下 死者7万人

 昭和20年8月14日午後11時 ポツダム宣言受諾

 昭和20年8月15日 無条件降伏

 番組の最後の場面で戦後にテープに残した肉声証言を再び取り上げている。

 内大臣木戸幸一(録音音声)「日本にとっちゃあ、もう最悪の状況がバタバタッと起こったわけですよ。遮二無二これ、終戦に持っていかなきゃいかんと。

 もうむしろ天佑だな」――

 自力で終戦に持っていくことができなかった。外部の圧力で終戦に持っていくことができたことを「天佑」だと言っているとしたら、 国民に対して機能させなければならない国家としての責任に関わる自律性の余りの欠如・責任不作為を何ら感じ取っていないことになる。

 外務省政務局曽祢益(録音音声)「ソ連の参戦という一つの悲劇。しかしそこ(終戦)に到達したということは結果的に見れば、不幸中の幸いではなかったか」

 自らが早期戦争終結を果たすことができず、国民の多くの命を奪った外部からの衝撃的出来事が与えた他力本願の戦争終結を以って、「不幸中の幸い」だと広言する責任感は見事と言うしかない。

 国民の命、国民の存在など頭になく、あるのは国家のみだから、国家の存続を以って良しとして、「天佑」だとか、「不幸中の幸い」だと言うことができる。

 外務省政務局長安東義良(録音音声)「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。

 終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。

 言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――

 この言葉は最悪であり、醜悪そのものでる。

 「降伏」を「終戦」と誤魔化したのは軍部や国民を刺激しないためだと尤もらしい口実を設けているが、降伏という事実を事実そのままに降伏と受け止めずに、あるいは敗戦という事実を事実そのままに敗戦と受け止めずにその事実を誤魔化し、軍人に対しても国民に対しても歴史検証の目を歪める作用を施し、それを得意気に誇っている。

 だからこそ、日本人自身の手で戦争を総括する作業に取り掛かることができず、日本人による日本人自身の責任不作為を放置し、今以て侵略戦争を聖戦だとか、人種平等世界の実現を目的としたとか、あるいは総括しないまま国会で自分たちだけの戦犯の赦免決議(1953年8月3日)を一国主義的に行い、戦犯の名誉は法的に回復させている。A級戦犯は最早戦争犯罪人ではない、あるいは天皇制の維持だけを願った戦争を民族自衛の戦争だったと世迷言を口にする日本人が跡を絶たないことになる。

 国民にとっての悲劇そのものとなった戦前の国家体制集団の無能と無能ゆえの戦争開始と戦争遂行過程での数々の愚かしい決定は例え戦後民主化されたとしても、国家体制集団が無能であったなら、再び繰返される。

 特に安倍晋三は経済的にも軍事的にも強い日本・大国日本を意志し、世界の中心に日本を位置させようとの衝動を働かせている。

 この衝動が強過ぎると、どこでどう暴走するか分からない。有能さから発する暴走もあるが、暴走する前後で誰もが無能に支配される。多くの場合は元々の無能が暴走の原因となる。

 戦前の歴史から学んだ教訓は再びないとすることはできない国家権力の無能の蔓延に対する警告としなければならない。

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