2015年5月3日のNHK「日曜討論 憲法記念日特集!安全保障法制を問う」
危機管理とは一般的には最悪の有事を想定して、そのことの予防に備え、発生した場合の被害の最小限化、あるいは有事の沈静化を可能な限り迅速に図ることを言う。
有事とは、「Wikipedia」に、〈戦争や事変、武力衝突、大規模な自然災害などの国家にとって非常事態が起こることであり、軍事的危機だけでなく、経済危機、人為的大事故、自然災害、社会的大事件などの総合的な言い方であり、その中でも主に犠牲者数百人以上の大惨事を伴う事件事故やNBC兵器(規制が議論されている兵器)等によって数十人以上死亡するような緊急の事態を総じて「有事」と呼ぶ。〉と解説されている。
安倍政権が考えている集団的自衛権行使は軍事的な国家安全保障上の危機管理の方法論の一つである。
それが安倍政権の国家の軍事的危機に備えた「武力行使の新3要件」ということであろう。
(1)我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまること
小沢一郎「生活の党と山本太郎となかまたち」代表が集団的自衛権の行使容認の是非について次のように発言している。
小沢一郎代表「戦争、紛争というのはどういう形でどういう事態になるかちゅうことは事前には分からないわけですね。
ですから、勿論最終的には政府の判断ですけれども、色々な3要件云々とかという抽象的な言葉で議論しててもですね、国民皆さん益々分かんなくなっちゃうんじゃないかと思います。
ですから、この安保の問題についてはやっぱり各党とも、憲法9条 この理念、検証、この解釈をしっかりすることが大事だと思います。
ですから、政府・与党もですね、こうしたいと思うならば、やっぱりそこは明確にですね、きちんと主張した上に、こういうことを進めるべきだと思ってますし、最初に申し上げたとおりに、憲法9条というのは私共は守るべきだと思ってますし、その理念と原則、それをきちっと憲法解釈をお互いに闘わせた上でやっていくべきだと思います」――
繰返しになるが、危機管理とは最悪の有事を想定して、そのことの予防に備え、発生した場合の被害の最小限化、あるいは有事の沈静化を可能な限り迅速に図ることを言うと一般的に指摘されていることを書いたが、例え危機管理が優れていたとしても、常に被害の最小限化が保障されるとは限らないし、有事の沈静化にしても、想定した危機管理の範囲内に常に収まる保障はない。
結果可能性は想定を裏切らない保障はないと言い替えることができる。
このことはアメリカの2001年9月11日の米国同時多発テロ事件の首謀者として指定されたアルカイダの引き渡しに応じなかったタリバン政権に対して起こしたアフガニスタン戦争や大量破壊兵器保有が世界の安全保障に危険を与えている等の理由でアメリカ主導で引き起こした2003年3月20日からのイラク戦争の長期間に亘る治安悪化の膠着化・泥沼化が証明している。
イラク戦争はサダム・フセイン政権が倒され、2003年12月13日、独裁者サダム・フセインが逮捕されたことを受けて、全てがイラクの民主化に向けて良好な状態で進むと多くが考えていいたはずだ。だが、イラク戦争は宗派争いからのテロが絶えず、過激派集団「イスラム国」という悪魔の子までこの世に生み出し、悪魔の触手を世界各国にまで伸ばつつある途上にあり、世界の軍事的安全保障を脅かし始めている。
アフガニスタン、イラク、更にはシリアを含めて、世界の重大な軍事的安全保障に関して結果可能性が常に裏切られ続けたと言うことができるはずだ。まさかアフガニスタンやイラク、シリアに於ける現状を結果可能性の範囲内だと言う者はいまい。
こういった世界の軍事安全保障上の結果可能性から鑑みて、安倍政権が武力行使の新3要件に当てはまる事例をどう掲げようとも、どういう名目を掲げて武力行使容認に持って行こうとも、集団的自衛権行使に向かった場合、常に“必要最小限度の実力行使”で終わる保障はないことになって、この一事を以ってリアリティを失い、欠陥を露わにすることになる。
小沢一郎「生活の党と山本太郎となかまたち」代表が「戦争、紛争というのはどういう形でどういう事態になるかちゅうことは事前には分からないわけですね」と言っていることは、法律で規定した3要件に当てはまる行使事例の適合する有事であるからと集団的自衛権を行使したとしても、結果可能性を事前に想定することは難しいし、想定通りの結果可能性で終わる保障はないということの危険性を指摘しはずだ。
一方、自民党副総裁の高村正彦は危機管理上の結果可能性に関してはそのことに一言も触れないリアリティのなさを露呈した議論となっていた。
維新の党江田代表が、我が国と密接な関係のある米国への攻撃であっても、その攻撃が直接日本にも戦火が及ぶと想定されて自国を守る必要が生じた場合の、より限定した集団的自衛権の行使を言い、経済的事由からのみのホルムズ海峡が封鎖された場合の機雷掃海といったことは行使要件に当てはまらないといった趣旨の主張をした。
高村正彦「ホルムズ海峡の単に経済的な理由でと言いましたがね、単に経済的な理由じゃダメなんですよ。それで石油が3割上がる、4割上がる、5割上がる。その程度じゃダメなんですよ。
国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という、かなりしっかりとした規程ですよ。かなりしっかりした規程ですよ」
島田アナ「これ、ちょっと分かりにくいんですが、そうするとホルムズ海峡の機雷封鎖が長期に亘って全くオイルが入ってこないと、それぐらいの段階にならなければ――」
高村正彦「あまりね、一つ一つね、これはどうだ、これはどうだということになってしまうから、難しいんですけどね、一つ言うと、ホルムズ海峡から石油が全く来なくなって、そしてその結果、国内で灯油もなくなって、寒冷地で凍死者が続出するなんていう国民の権利が根底から覆されるじゃないですか」
十分に行使要件に当てはまるのではないかといった具合に顔を上げて全員を見、胸を張る具合にした。
島田アナが後で再びホルムズ海峡の議論をすると言って、全体として3要件の歯止めが効いているのかへと質問を変えた。
高村の口からホルムズ海峡について何度聞いても同じである。
安倍晋三も同じことを言っている。
安倍晋三「ホルムズ海峡が完全に封鎖をされているという状況になれば、これはもう大変なことになって、油価は相当暴騰するということを考えなければいけないわけでありますし、経済的なパニックが起こる危険性というのは世界的にあるわけでありまして、そこでこの三要件とどう当てはまるかということを判断していくことになります。3要件に当てはまる可能性は私はあるとは思います」
2014年12月14日投開票の衆議院選挙前の12月1日日本記者クラブ主催の「8党党首討論会」での発言だが、高村が同じ趣旨の発言をしているのだから、安倍晋三の他での発言にしても基本的に変わらないはずだ。
いくら長期間に亘って石油がストップしたとしても、石油の高騰はあり得ても、中東以外の国からの石油輸出まで止まるわけでもないし、タンクローリーで機雷封鎖に関係しない港までピストン輸送するという手もあるのだから、寒冷地で凍死者を出す程に政府の危機管理に欠陥があるとは思えないが、寒冷地での凍死者続出は国民の権利が根底から覆される事例だからと機雷掃海を武力行使3要件に当てはまると正当化している。
但し高村の議論も安倍晋三の議論も、機雷掃海の集団的自衛権行使で短期間に掃海に成功して、短期間に国民の権利が回復されるであろうという結果可能性を前提として成り立たせている。
安全保障上の危機管理として想定しなければならない、決してゼロとは言えない敵国、あるいは敵対的過激派集団の反撃を受けて、反撃に対する反撃の戦闘の長期化、あるいは一進一退の膠着化、泥沼化の結果可能性には一切触れていないからだ。
当然、自衛隊員の中から死者を出すこともある。寒冷地の凍死者どころの騒ぎではなくなるだろう。自衛隊員の中から死者というのも結果可能性としなければならない。
戦争をする国になるという批判、あるいは安保法制を戦争法案であるとする批判もあながち見当外れだと言うことはできなくなる。
但し安倍晋三は4月28日(日本時間29日未明)、ワシントンでの日米首脳会談後の共同記者会見でそうではないと述べている。
安倍晋三(集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制整備で)「(日本が)戦争に巻き込まれると、レッテル貼りのような議論が行われるのは、大変残念だ。
(厳しい世論にさらされた祖父の岸信介元首相による1960年の旧日米安保条約改定を引き合いに出して)55年が経過し、批判が間違っていたことは歴史が証明している。(安保条約により)戦後日本の繁栄があり、アジア太平洋地域の平和と安定が守られてきた」(NHK NEWS WEB)
だが、このような諸々の結果可能性を抜きにした安倍集団的自衛権行使となっていることの事実は変わらない。
結果可能性を無視しない安全保障――国家危機管理であっても、アフガニスタンやイラクやシリアの泥沼化や「イスラム国」誕生といった危機的事態は起こり得る。にも関わらず、安倍政権の集団的自衛権は結果可能性を想定しない議論となっている。
これ程の欠陥はあるまい。