広島・長崎への各国首脳の訪問よりも、なぜ原爆を投下されるに至ったのか、その検証こそが重要

2015-05-20 08:23:26 | 政治


 「NHK NEWS WEB」記事によると、日本が国連本部での核拡散防止条約(NPT)再検討会議で世界の指導者らに被爆地訪問を促す文言を合意文書の草案に盛り込むよう提案、盛り込まれたものの、中国が「日本は戦争の被害者という立場を強調している」と抗議、削除されたという。

 被爆地訪問は核兵器の非人道性への認識を深めて貰うために日本が提案したそうだ。

 5月18日の会議では外務省が杉山外務審議官を派遣、「核兵器の非人道性を伝えるには広島・長崎への訪問は何より有益だ」と発言、文言の復活を求めた。

 複数の国が「核兵器の廃絶を目指すには広島・長崎の悲惨な体験を知ることが欠かせない」等々、日本を支持する発言もあったという。

 但し韓国は「核兵器の非人道性を伝える必要があるのは当然だが、世界の指導者に広島・長崎への訪問を呼びかけることは、この会議の目的とは直接関係がない」と述べ、文言を戻すことに消極的な姿勢を示したと伝えている。

 核兵器は使用されて初めてその非人道性を露わにする。

 尤も核兵器がこの世に存在しなければ、使用されることはないから、その非人道性は発揮されようがないという議論も成り立つが、現実には存在し、使用される可能性は否定できない。

 現に安倍晋三の大のお友達プーチンはウクライナの主権と国際法を無視、力による現状変更の荒手でクリミアをロシアに一方的に編入した際、このことに反対する北大西洋条約機構(NATO)との全面対決の可能性に備えて核兵器の使用を準備していたことを明らかにしている。

 つまり安倍晋三の大のお友達プーチンは核兵器の使用を辞さいない首脳と言うことになる。

 果して核兵器の使用を辞さいない首脳は安倍晋三の大のお友達プーチンだけだろうか。金正恩もその一人に挙げることができる。経済的にか政権運営上土壇場まで追い詰められたら、いわば北朝鮮なりの国家存立の危機に迫られたなら、これまでとばかりに逆上して核兵器使用に走らないとも限らない。

 特に最近危険視されているのはテロ組織という新たな権力集団が核を手に入れた場合、敵殲滅に手段を選ばない権力体質からその非人道性を問題としないだろうし、逆に相手国、あるいは敵対勢力に対して恐怖と大きな被害を与えて戦力的に優位に立とうとする目的でその非人道性を利用する可能性は否定できない。

 核兵器の使用を辞さいない首脳が広島・長崎を訪問して核兵器の非人道性を伝える伝道師となるだろうか。

 但し訪問だけはするかもしれない。核兵器所有国の首脳の訪問か否かで核兵器に持つ姿勢のリトマス試験紙とされることを避ける目的からである。

 つまり訪問によって核兵器は非人道的兵器であると装うことはするかもしれない。そのような首脳が存在するとしたら、訪問は儀式の一面を持つことになる。

 訪問するしないに関わらず、安倍晋三の大のお友達プーチンみたいに核兵器の使用を辞さいない首脳が存在する限り、核兵器廃絶は夢のまた夢へと遠のくことになる。

 例え広島・長崎への訪問が核兵器の非人道性を伝える役目を果たしたとしても、核兵器使用の抑止力には必ずしもならないと言うことにもなる。非人道的だと思っていても、自国の生存が脅かされかねない安全保障環境下に置かれた場合、所有への衝動が働く。衝動が実際の所有へと向かう。

 安倍晋三が国家及び国民生存の存立危機事態が生じた場合の武力行使を認めようとしているのと同じように核所有国は核を所有していることによって最悪の存立危機に迫られた場合、核を使用する確率は否応もなしに高まる。

 確かに日本は核兵器の非人道性に見舞われた唯一の被爆国として、各国首脳に広島・長崎への訪問によってその非人道性を伝えたい思いは強いものがあるだろう。

 だが、日本が唯一の被爆国であり、核兵器の非人道性を言うとき、中国は「日本は戦争の被害者という立場を強調している」と批判しているが、日本を善者と位置づけ、原爆を投下したアメリカを悪者と烙印を押すことになる。

 日米が平穏な関係にある中、B29が突然飛来してきて、いきなり原爆を投下したわけではない。日本が起こした戦争を発端として日米多くの犠牲者を出していく過程で決定された広島・長崎の原爆投下である。日本側に原爆投下を招く原因がなかったのだろうか。

 昭和20年7月26日 日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表された。

 対して日本の鈴木貫太郎首相は軍部の圧力を受けて翌々日の7月28日午後の記者会見でポツダム宣言の黙殺、断固抗戦との首相談話を発表。

 9日後の昭和20年8月6日に広島に原爆が投下され、死者14万人を出した。そして3日後の昭和20年8月9日の長崎原爆投下。死者7万人。

 ポツダム宣言無視と広島・長崎原爆投下を断絶した出来事とすることができるだろうか。連続した出来事ではなかったろうか。

 後者であるなら、鈴木貫太郎と軍部が加担した原爆投下でもあるということになって、アメリカを悪者と位置づけ、日本を善者と位置づける原爆投下とすることは正確な歴史とすることはできず、一方的な解釈となる。

 日本を唯一の被爆国とし、核兵器の非人道性を言う正当性に関してもその純粋性に疑問符がつくことになる。

 そのことを隠した唯一の被爆国ということなら、単なる被害者意識一辺倒のウリとなる。

 広島・長崎への各国首脳の訪問よりも、なぜ原爆を投下されるに至った、日本としてのその検証こそが重要で、もし日本の戦前政府と軍部の愚かさが招いた原爆投下でもあるなら、そのような愚かさをこそ、核兵器使用や所有に対する警告とすべきではないだろうか。

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