安倍晋三の女安倍昭恵が5月21日、東京・九段北の靖国神社を参拝したと複数のマスコミ記事が伝えていた。勿論、安倍昭恵を「安倍晋三の女」などといった尊称で表現はしていない。
安倍晋三の女安倍昭恵自身が自身のFacebookで伝えているというから(安倍晋三のFacebookからはブロックされているからアクセスできないが、幸いなことに安倍晋三の女安倍昭恵からはブロックはされていない)、アクセスしてみた。
〈5月21日 13:57
久しぶりに靖国神社参拝。
そして久しぶりに遊就館に入りました。
家族に宛てた手紙や遺書を読むと胸が苦しくなります。
どんな気持ちで戦火に散っていたのだろうか・・・...
多くの遺影が語りかけてきます。
今、私達が平和で豊かな日本に暮らせることを感謝し、改めて世界平和のために私にできることをやっていきたい・・・と思いました。
戦後70年。
日本の役割は大きい・・・〉――
安倍晋三の女安倍昭恵が靖国神社を通して戦前の日本の戦争に向ける視線には日本一国しか映っていないようだ。外国との戦争は対戦国が存在して初めて成り立つが、滑稽なことに対戦国はなく、日本一国の戦争であるかのように見える。
家族に宛てた手紙や遺書を書くのは日本兵のみではない。日本軍は中国やアメリカやオーストラリア、オランダ等々の多くの兵士に家族に宛てた手紙や遺書を書かせた。
将来にそれぞれが希望を持ちながら、それが打ち砕かれる無念や絶望的な思いで戦火に散っていったのは何も日本兵のみではない。兵士として若くして命を落とした息子や戦火の犠牲となった娘や子ども、あるいはその他の家族の遺影を親やその他が家に飾り、今なお戦争の遺影としてそれが代々受け継がれ、家の風景の一部として残されているのは何も日本だけに限ったことではなく、日本との戦争に関わった外国に於いても同じ経緯を辿っているはずだ。
どのような理由があれ、日本は戦争を起こした国である。そしてアジアの国々に対して悲惨な破壊と人的な犠牲をもたらした。当然、日本国民が平和で豊かな暮らしをする前に日本が戦火に巻き込んだ国々の国民が平和で豊かな暮らしができるようにする責任を順序として持っていることになる。
だが、安倍晋三の女安倍昭恵は「私達が平和で豊かな日本に暮らせることを感謝し、改めて世界平和のために私にできることをやっていきたい」と順序を逆にしているような物言いをしている。
いわば順序に対する日本の責任を一切意識していない発言となっている。
発言の全体から窺うことのできる印象は戦争に巻き込んだ国々とその国民を一切排除した、日本という国のみを頭に把えて、日本という国のみを視野に入れた日本一国主義の独善性のみである。
このことは当記事に挿入した、Facebook記事に添えた写真が証明の材料となる。
「平成27年 遊就館特別展」を「大東亜戦争七十年展 最終章」と銘打っているが、日中・太平洋戦争を「大東亜戦争」と名乗っている点で既に「硫黄島作戦」にしても、「沖縄戦」にしても、「本土防衛作戦」にしても肯定する観点からの日本の戦争に関わる歴史認識となっていることが分かる。
「Wikipedia」を参考にすると、1940年7月27日の大本営・政府連絡会議で、1940年4月から6月のドイツの電撃戦により東南アジアに植民地を持つオランダ・フランスがドイツに降伏し、イギリスも危機に瀕していたため、このことを利用して東南アジアを自己の勢力を組み込めば危機的状況から脱出できると考え、場合によれば武力を行使してでも東南アジアに進出することを決定した。
この武力南進決定直後の1940年8月1日、世界をそれぞれ「指導国家」が指導する4つのブロック構造(アメリカ、ロシア、西欧、東亜)に分けるべきとする、言ってみれば新世界秩序論を持論としていた当時の松岡洋右外相がラジオで談話を語った際、「東亜」ブロックを「大東亜共栄圏」と称したのが最初と言われているが、要するに現実の武力南進が何よりも証明していたように「共栄」とは名ばかりで、植民地化以外の何ものでもなかったように、中国やアジアを日本の支配下に置くことを目的とした「大東亜共栄圏」なるアジアに於ける新秩序であった。
『日本史広辞典』(山川出版社)の「大東亜共栄圏」の項目には次のような記述がある。
〈日本の南進が欧米帝国主義の植民地政策とは異なることをアピールするために、「八紘一宇」、「共存共栄」の名のもとに日本によるアジア解放の夢を掲げた。しかし実際には、占領地域で欧米帝国主義以上の収奪が行われ、日本の敗戦とともに消滅した。〉――
だが、遊就館は戦前の日本の戦争を今以て「大東亜戦争」と名付けていることによって、中国やアジア諸国を日本の支配下に置く「大東亜共栄圏」の構想に基づいた武力南進を肯定している。
安倍晋三の女安倍昭恵はそこを訪れて、何ら違和感も感じずに自然体で遊就館の歴史認識に馴染むことができ、遊就館の日本の戦争を肯定する特別展の宣伝文句の前で記念に写真まで撮ることができた。
いわば安倍晋三の女安倍昭恵は靖国神社と遊就館を訪れて、両施設が表現し、主張している日本という国のみを視野に入れた日本一国主義の独善性で成り立たせた歴史認識と自らの歴史認識を響き合わせた。
安倍晋三も同じ歴史認識に立っている。一心同体者の立場からの一心同体の訪問と訪問によって発信した言葉と言うことができる。安倍晋三はアメリカ訪問のために靖国神社参拝を断念している。きっと安倍晋三と連れ立った靖国神社参拝の思いであり、遊就館訪問の思いであったはずだ。
歴史認識に於けるその密接な一心同体性から、安倍晋三の夫人とか妻とかの表現よりも、安倍晋三の女安倍昭恵とした方がより濃密な一心同体性を浮き立たせることができる。