安倍晋三の安全保障法制、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくという結論そのものが間違っている

2015-05-15 09:33:01 | 政治

 安倍晋三が5月14日安全保障法制関連11法案を閣議決定し、その説明のための《記者会見》を午後6時から首相官邸で開いた。

 新しい安全保障に関わる自衛隊活動の説明に相変わらずリアリティを欠き、自身に都合のいい発言となっている。

 安倍晋三「もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます」

 安全保障法制関連11法案が成立したなら、日米同盟は緊密化し、「日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます」と断言しているが、法案成立による日米同盟の緊密化を前提とした「日本が攻撃を受ける可能性」の減少化という結論自体が間違っている。

 アメリカはイラク戦争やアフガン戦争を起こして、自国が敵国軍隊を用いた攻撃を受けたことがあるだろうか。同じくイギリスが自国の攻撃を受けたことがあるだろうか。

 勿論、テロの攻撃を受けたし、今後共その可能性は否定できない。

 だが、他国がその国の軍隊を用いてアメリカ本国やイギリス本国を攻撃した例はない。厳密には戦前の例のように国同士そのものの戦争ではないからだ。イラクやアフガニスタンの国家体制に軍事介入、その転覆を謀ったに過ぎない。

 朝鮮戦争にしても北朝鮮と韓国の戦争であって、アメリカの軍隊が関わったとしても、北朝鮮とアメリカとの戦争ではない。北朝鮮はアメリカとの戦争を目的としたわけではない。

 いくら日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなったと騒ぎ立てようとも、日本が攻撃を受ける可能性が高まっていたわけではない。中国は日本を攻撃するだろうか。

 確かに日中は尖閣の領有権問題で対立している。だが、ヒラリー・クリントンが国務長官時代に尖閣諸島を対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象範囲だと明言しているし、オバマ大統領は昨2014年4月来日時の共同記者会見で、「尖閣諸島の最終的な主権については、(特定の)立場を取らない」と言いつつも、ヒラリー・クリントンと同様のことを米大統領として初めて明言している。

 例え尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象範囲とされていなくても、あるいは日本がアメリカと軍事同盟を結んでいなくても、中国から「日本が攻撃を受ける可能性」を考えることができるだろうか。日本は自衛権の発動によって中国という国と日本という国同士の戦争をすることになるが、そういった可能性を考えることができるだろうか。

 そのような戦争が起きれば、日本にとってだけではなく、中国にとっても経済的にも人的にも大きな痛手を被ることになるばかりか、中国脅威論を実体化させることになるだろう。

 北朝鮮は果して日米同盟で守られている日本を攻撃するだろうか。北朝鮮には日米軍事同盟下の日本を攻撃するだけの軍事力も意志もない。あれば、例え韓国が米国との間に相互防衛条約を結んでいたとしても、韓国を攻撃しているだろう。

 だから、北朝鮮は遠くから吠えるだけの犬で終わっている。例え核兵器を使う能力を持つことになったとしても、独裁体制との交換となるかもしれない軍事的攻撃の賭けに出るだろうか。核兵器は吠え声に真実味を持たせる役にしか利用できないだろう。

 北朝鮮が日本を攻撃するとしたら、金正恩独裁体制が軍事クーデーターを受けて崩壊寸前となるか、あるいは経済の崩壊によって体制が瀕死の危機に陥るか、非常に可能性としては低いが、北朝鮮国民の反体制運動を受けて窮地に立たされるかして自暴自棄となって戦略もなく韓国や日本にミサイルを打ち込んだり、攻撃を仕掛けたりする特殊な可能性を想定することはできるが、これらの動きがあれば、アメリカが敵基地攻撃によって未然に予防するだろうし、実際に攻撃があったとしても、国家体制が崩壊の瀬戸際に立たされた状況下での外国に対する軍事的暴走は計画性を持たないという点で満足に機能するはずもないし、長続きもするはずもない。

 あるいは北朝鮮軍の一部隊が越境して韓国に侵入、部分的衝突が起きて支援に回った米軍の後方支援を日本が行った場合のその報復として日本を攻撃する可能性は否定できないが、北朝鮮はその攻撃を契機とした韓国と在韓米軍と日本と在日米軍との全面戦争への発展を覚悟しなければならない。

 北朝鮮には全面戦争を受けて立つ能力はないし、その能力を無視した場合の独裁体制との交換という危険性を想定していないはずはない。

 いわば国同士が戦争をするという意味で「日本が攻撃を受ける可能性」は現状でも低いのだから、安全保障法制を新しくすることによってその可能性が「一層なくなっていく」という結論を設定すること自体が矛盾することになるし、安倍晋三の安全保障法制によって日本の軍事的防衛能力が高度化したとしても、北朝鮮の暴走を仮定した軍事的攻撃の可能性は、それが暴走を性格としているゆえにどのような条件下でも否定できないことに変わりはないのだから、安全保障に関わる条件の変化はさして問題ではないことになる。

 にも関わらず、「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」という正当化の口実を何回も使って、「日本が攻撃を受ける可能性」を一層低くしていく安全保障法制だと偽りを言う。

 逆に米軍やその他の国の軍隊の後方支援等によって敵対国と見做され、アメリカが9・11テロを受けたように、北朝鮮からのテロも含めて、日本もその脅威が増す可能性は否定できない。

 安倍晋三は後方支援について次のように発言している。

 安倍晋三「我が国の平和と安全に資する活動を行う、米軍を始めとする外国の軍隊を後方支援するための法改正も行います。しかし、いずれの活動においても武力の行使は決して行いません。そのことを明確に申し上げます。

 これらは、いずれも集団的自衛権とは関係のない活動であります。あくまでも紛争予防、人道復興支援、燃料や食料の補給など、我が国が得意とする分野で国際社会と手を携えてまいります」

 この発言は敵国軍隊、あるいは敵対テロ集団に対して性善説に立っている。外国の軍隊の後方支援は「燃料や食料の補給」によってその軍隊の活動、戦闘能力を整え、活性化させることになるのだから、その軍隊と一体化と看做され、当然攻撃の対象となる。

 「武力の行使は決して行いません」と言い、最後の方で「後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で活動を行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避すべきことなど、明確な仕組みを設けています」と言っているが、その保証の限りではないことになって、言葉のリアリティをたちまち失う。

 最初は部隊の安全を確保できる場所であったとしても、補給路遮断は相手部隊撃破の必要不可欠の戦術であって、攻撃対象となり、攻撃を受けた場合は「武力の行使は決して行いません」などと済ましているわけにはいかず、当然応戦することになり、万が一相手の攻撃が自衛隊を上回っていた場合は(常に下回っているとは限らないのだから)、自衛隊の方で一方的に業務中止だ、退避だと決めることはできない。

 例え退避したとしても、追尾を受けて、徹底的に叩かれる可能性は否定できない。

 もし万が一、自衛隊員が何人か人質となった場合、湯川遥菜さんと後藤健二さんが「イスラム国」の人質となって身代金を要求されたとき、テロリストとは交渉しないとして身代金を支払わずに見殺しにしたようにすることはできず、当然、自衛隊部隊を派遣して救出作戦を試みる可能性は選択肢の中に入れなければならない。

 と言うことなら、日本が国として戦争に巻き込まれることはないにしても、自衛隊が戦争に巻き込まれる可能性は否定できないことになる。 

 安倍晋三「海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、今後とも決してない。そのことも明確にしておきたいと思います」

 後方支援に始まって敵対部隊との戦闘の深みにハマって行くことになった場合、望まなかったとしても、「かつての湾岸戦争やイラク戦争」と似た場に立たされていない保証はない。

 現在のケースで言うと、「イスラム国」と有志連合の戦いの場を例に挙げることができる。

 安倍晋三はリアリティのない自衛隊活動例と「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」という口実のみで自身の安保法制を国民に受け入れさせようとしている。

 偽りもいいとこである。

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