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安倍晋三のドイツの過去に決別と大違いの過去との継続性を願う過去への親和的態度

2015-05-12 08:09:42 | 政治


 ドイツは第2次世界大戦でナチス・ドイツが降伏し、終戦を迎えてから5月8日で70年となる。5月2日、メルケル首相とドイツの歴史家との対話の動画をインターネット上で公開し、メルケル首相はドイツ国内の一部でユダヤ人に対する反感が高まり、暴力行為への懸念が強まっていることを非難、そして過去の歴史に触れたという。

 メルケル首相「(ユダヤ人への反感について)思想や外見が異なる人間が、人種差別や過激派の危険にさらされるのは正常ではない。

 我々ドイツ人はナチスの時代に引き起こしたこと(ホロコーストや侵略)に対し、注意深く、敏感に対処するという大きな責任を負っている。歴史に終止符はない」(NHK NEWS WEB

 過去の歴史に「敏感に対処するという大きな責任を負い」、その「歴史に終止符はない」と、過去の歴史を背負い続ける覚悟と責任を示している。

 メルケル首相は今年2015年3月9日来日、安倍晋三との午後の首脳会談に先立って都内で午前中講演、その質疑でも、「悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたのはドイツが過去ときちんと向き合ったからだ」(47NEWS)と発言している。

 過去と向き合うということは一度向き合えば全てを終わりにすることができるということではなく、向き合うことを自らの姿勢とし、その上に新しい自らの姿勢を築いていくということであって、継続性を内側に抱えることによって、新しい自らの姿勢を築く上に於いても過去への向き合いが生きてくることになる。

 メルケル首相は過去と向き合うことをドイツという国の姿として、その上に新しいドイツを常に築いていくことを誓ったことが、「歴史に終止符はない」という言葉になったはずだ。

 日本の保守政治家、その他は「日本はナチス・ドイツのような組織的な特定人種に対する虐殺は行っていない」、あるいは「慰安婦問題はユダヤ人大虐殺とは全く違う」として、日本の過去とドイツの過去を比較して日本の過去の罪の軽さを言い立てているが、戦前日本の植民地主義と侵略戦争がアジアに引き起こした数々の権行為と、その残虐性を消すことができるわけではなく、歴史の事実として跡を残している以上、日本は日本の問題としてドイツの過去とは別に日本の過去の権行為とその残虐性に向き合わなければならないはずだが、特に安倍政権は向き合おうとはせず、過去(=戦前日本)に親和的態度さえ示している。

 過去(=戦前日本)に親和的とは過去を否定するのではなく、過去を肯定していることを意味している。当然、向き合う対象に対する意味の把え方・歴史認識をドイツとは異にしていることになる。安倍晋三の歴史認識には戦前日本の植民地主義も侵略戦争もなく、口では「反省」を口にしたとしても、ホンネのところではそれらが引き起こした日本の過去の非人道行為とその残虐性も存在しないということである。

 改めてその証明となる例を挙げてみる。

 安倍晋三は2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に占領時代に占領軍が日本を改造し、日本人の精神に影響を与えたとするビデオメッセージを寄せて、占領時代と占領軍の政策を否定している。

 占領時代と占領軍政策の否定は肯定する対象との比較によって成り立つ。安倍晋三は上記ビデオメッセージで最後に、「戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を取り戻すことであります」と訴えていたのだから、肯定する対象とは戦前日本国家と戦前日本人精神を措いて他にはないことになる。

 いわば安倍晋三は戦前日本国家と戦前日本人の精神を真の日本的なるも、優れた価値を備えた日本的なるものと見做していて、その日本的なるものを占領時代と占領政策が断絶させてしまったと歴史認識している。

 日本的な価値を戦前日本国家と戦前日本人に置いているからこそ、その継続性を願望して止まない思いがビデオメッセージに現れた。

 2013年4月5日衆院予算委員会の答弁では事もあろうに、「(マッカーサーによって日本国憲法は)25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」とこじつけることまでして占領時代と占領軍政策を忌避している。

 過去に決別どころか、過去に親和的態度を持ち、それゆえに過去との継続性を頑迷なまでに願っている。

 過去への親和的態度の例をもう一つ挙げてみる。

 4月29日、高野山真言宗の奥の院(和歌山県高野町)で一般戦没兵士を除いたA級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要が「昭和殉難者法務死追悼碑」の前で行われた。

 「法務」とは仏法や法会に関する事務だそうだが、「法務死」とは第2次世界大戦後の東京裁判を始めとした戦犯裁判による日本人刑死者に対して用いられる言葉だという。

 要するに戦犯として刑死した者を仏扱いするということなのだろう。

 安倍晋三は今年の4月29日には、アメリカ訪問で問題視されることを避ける意味からだろう、書面でのメッセージを寄せなかったが、昨年は寄せている。

 安倍晋三哀悼メッセージ「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げる。

 恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」(TOKYO Web)――

 刑死者が植民地主義と侵略戦争によって自国民のみならず、多くのアジアの国々の国民に多大な被害や苦痛を与えた戦争指導者の一群であるという認識はどこにもない。

 「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となった」と、その功績の戦前日本から戦後日本への継続性を謳い上げて、その精神を尊び、崇めている。

 かくこのように戦前日本と戦前日本人に親和的態度を示し、戦前日本と戦前日本人の戦後日本と戦後日本人への継続性を願っている。

 2012年12月26日の産経新聞インタビューで、「自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」と発言したことも、2012年9月12日の自民党総裁選挙立候補表明演説で、「河野洋平長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人浚いのように連れていって慰安婦にしたとという不名誉を日本は背負っている。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」と発言したことも、戦前の戦後への継続性を願望しているからこそ、その断絶を示す「村山談話」と「河野談話」に対する侮蔑を含んだ忌避感であろう。

 ドイツは向き合う過去を否定の対象とし、それとの断絶を決意して、否定を参考にして肯定できる姿を戦後ドイツに打ち立て、それを継続させるべく努力をしているのに対して安倍晋三は向き合う過去を肯定の対象とし、肯定しているその姿を戦後日本に継続させようと願望しているのだから、前者が過去との決別を常に自身に突きつけ、後者がそれを無縁としているのはごく自然なことと見なければならない。

 ドイツと日本の違いに現れている以上のような歴史認識で安倍晋三は自身の「戦後70年談話」を成り立たせることは間違いない。

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