長野県南木曽町土石流の町長その他の対応・危機管理に見るいくつかの疑問点

2014-07-11 10:55:12 | Weblog

 

 今回の台風8号の影響で停滞していた梅雨前線が活発化して各地に大雨を降らし、長野県南木曽町では7月9日夕方5時40分頃土石流が発生、中学1年12歳男子の当たり前に生活し、当たり前に成長していかなければならない、そう在るべき生命(いのち)を奪った。

 各報道を見てみると、短時間の急激な大雨と急激に発生した大型の土石流に対して前以ての避難勧告や避難指示等の警戒が難しかったようにも見えるが、いくつかの疑問が残った。

 先ず7月10日夜9時からのNHK「ニュース9」から土石流発生前からの経緯を南木曽町住民の証言等から見てみる。

 南木曽町は過去にも繰返し土石流が発生していて、付近は土砂災害警戒区域に指定されていた。いわば土砂災害に敏感でなければならない地域であった。

 土石流が発生する前、水しぶきで辺りが白っぽく見える程の猛烈な雨が降ったという。街に古くから住んでいる7~80代の男性。

 7~80代の男性「白い雨が、勿論、真っ白だ。抜けるぞ、それはーって」

 「白い雨」とは、番組が後で防災の専門家だと紹介した山村武彦防災システム研究所所長が解説している。

 山村武彦所長「時間雨量50ミリから大体80ミリを超えるとですね、殆ど雨粒同士がぶっつかったり、その雨粒のしぶきがですね、周りが全く見えない程の真っ白になってしまう」

 男性が言っていた「抜けるぞ」とは付近で土石流を意味する「蛇抜け」のことで、宮川正光南木曽町町長が解説している。

 宮川町長「ヘビが山を這って落ちてくる、そういう形に見えて、昔から『蛇抜け』と言われていて、石と石がぶつかる音と火花と、それから立ったままの木が流れてくる」――

 普通、「昔から」と言うとき、その「昔」はその人が生まれる前のことを指す。中高生の頃聞いた話であっても、話す方は大人だろうから、その大人はやはり生まれる前の人間となる。

 宮川町長は64歳だそうだ。64年以上も前から言い伝えられてきた要警戒出来事であった。

 だからだろう、街では「蛇抜け」の碑を建て、後世の教えとした。

 インターネットで調べたところ、この碑は昭和28年7月20日早朝に襲った「蛇ぬけ」(土石流)の犠牲者3名を偲び、同時に警告としたということである。

 別のインターネット記事、NHK放送用語委員会専門委員・元気象庁天気相談所長の《消防防災博物館:調べる-宮澤清治の防災歳時記》には次のような記述がある。 

 〈明治以来、人々の脳裏に残っている災害はおよそ19回。中で最も大きかったのは明治37年7月(死者39人、流失家屋78戸)、次いで昭和28年7月(死者3人、流失家屋8戸)など。近年は昭和40年7月、昭和41年6月(重軽傷者10人、家屋全壊流失38棟など)の災害がひどかった。〉――

 宮川町長が言っていた「昔から」とは明治37年にまで遡ることになる。但し、それ以前から、あるいは大昔から土石流は発生していたかもしれない。大雨が降ると崩落しやすいという土地の地質自体に問題があるからで、時代によって地質が変わるわけではないからだ。

 これもインターネットで調べたところ、南木曽町の山々は黒雲母花崗岩が分布し、浅層崩壊や土石流が発生しやすい環境にあるとのこと。岩自体は頑丈であっても、岩が多過ぎると、降って土中に染み込んだ雨が岩の表面に水道(みずみち)をつくって岩の表面全体に回り、岩を押さえている土と岩を分離して、山の斜面近くの岩からその重力に従って雨水で柔らかくなった土を崩して、あるいは突き抜けて落下していくことになり、それが山の斜面のより奥の岩を剥き出しにして、順次ドミノ倒しのように落下が続いて、斜面が広範囲に崩落することになる。

 上記インターネット記事が「蛇抜け」の碑文を紹介している。

 白い雨が降るとぬける
 尾先 谷口 宮の前
 雨に風が加わると危い
 長雨後、谷の水が急に
 止まったらぬける
 蛇ぬけの水は黒い
 蛇ぬけの前にはきな臭い匂いがする

 「きな臭い臭い」について前出の山村武彦所長が解説している。

 山村武彦所長「きな臭い匂いとか、そうですね、腐った臭いとか、そういうような臭いを強調される方が多いですけども、それが殆どの場合ですが、その古い、積み重なった土砂が根こそぎ、その、流されるときに発するものや、きな臭い匂いというのは岩石と岩石がぶつかり合って起こしたような臭いを言っているときもあるんですね」

 以上を総合すると、長野県南木曽町では土石流は少なくとも明治時代の後半から地域の要警戒出来事としてきた。当然、台風情報とか停滞した梅雨前線の活発化とかの大雨情報に接した場合、結果はどうであれ、町当局は蛇抜けに対する敏感な心の準備を前以ての用心(=危機管理)として発動させていなければならなかった。

 だが、余りにも短時間の大雨で、警戒準備する時間がなかったとしている。

 ここに町当局に過失は一切ない正当性があるのか、NHK「ニュース9」が伝えている国土交通省の現地調査で明らかになった各情報から見てみる。

 ・山の崩落地点は被害が出た地域から約2.5キロ上流の2個所。
 ・下流までの標高差は500メートル前後。
 ・20度近い斜面。
 ・土石流は場所によって時速36キロ以上のスピードを出したと計測。
 ・1時間余りの雨で発生。

 確かに短時間の激しい雨で急激で大規模な土石流が発生したことが分かる。避難所の40代程度の女性も、「普通の大きい雨が降ったと思った程度」だと証言しているから、急激に大雨となったのだろう。

 しかし台風情報やその他の天気情報で大雨が予想された時点で少なくとも万が一という状況のもと、土石流の発生を想定する危機管理を頭に思い描いていなければならなかった。

 また、町中の雨が「普通の大きい雨」だったからと言って、住民を避難させるまでの危機管理に持って行くことができなかったという理由にはならない。平野部よりも山中の方が雨が降りやすく、雨量もより多いのが常識だからだ。

 ・午後3時頃から発達した雨雲が南木曽町にかかる。
 ・国土交通省の雨量計が午後5時40分までの1時間雨量97ミリの猛烈な雨を観測。
 ・5時41分27秒、国土交通省の監視カメラが土石流発生の瞬間を撮影。

 監視カメラは木曽川との合流地点から800メートル程上流の梨子沢に設置。インターネットで調べたところ、梨子沢の川幅は10メートル程度。

 問題は雨量計が観測した雨量である。午後4時40分から午後5時40分までの1時間雨量97ミリを観測。その前の1時間雨量の観測値は紹介していない。番組は午後3時頃から発達した雨雲が南木曽町にかかっていると伝えているのである。

 これもインターネットで調べたことだが、国交省の雨量計は自動計測システムとなっているテレメータ設備(テレ=遠方の」と「メータ=測定機」を組み合わせた造語だそうだ)を備えていて、オンライン化され、河川管理部門たるそれぞれの河川の河川事務所が記録を処理できるようになっていると言うし、気象庁のアメダス合成レーダと合成した観測も可能で、その観測値を一般に提供しているという。

 だとしたら、木曽川を管理する河川事務所は刻々と増えていく雨量を観測している過程で、そのことを南木曽町に伝えたのだろうか。大雨情報が出ている中で、それが自動計測装置だからと言って、計測を機械に任せていたなら、河川管理の意味を失う。普段は機械に任せていたとしても、水位の状況を随時把握し、洪水が起きないかどうか監視していなければならないだろうから、雨量の推移を把握していたはずだ。

 また町当局も土石流が頻繁に起きている手前、国交省の雨量計が記録していく雨量の情報を河川事務所との間でリアルタイムに把握できる体制を整えて置かなければならなかったはずだ。2013年10月16日未明の台風26号が襲った伊豆大島で土石流が発生、死者36名、安否不明3名(平成26年3月1日時点)の例もある。

 番組は長野県地方気象台の担当者の発言を伝えている。

 地方気象台担当者「大体昨日は南部では40から50ミリぐらいの短時間の大雨を見込んでました。えー、ただ、さすがに90ミリという予想ができなかったというのは、正直なところございます。

 できれば、当然、早め早めに土砂災害警報情報を出せたと思っておりますが、あー、残念ながら、そうすることができなかったと――」

 「早め早めに土砂災害警報情報を出せたと思って」いるが、そうしなかった。あとから気づく寝小便である。その時その時気づかなければ、危機管理とはならない。

 予想は「40から50ミリぐらい」であったとしても、気象庁にしてもレーダ雨量計で雨量を観測しているし、地上雨量計で観測した雨量をオンラインデータとして随時記録しているという。

 実際の雨量は予想で終わるわけではなく、雨が降っている間の雨量増減の経過こそが重要な必要情報であって、それが把握できる以上、各自治体に報告ができるシステムとして置かなければならないはずだ。

 宮川町長「今までだったら、長雨が続いて、もうそろそろ(地盤が)緩んで危ないぞと、それがこの辺の災害の特徴だったんですけど、今回の場合はそういうことがないと言うか、初めての経験でしたので、精一杯やったんですけど、安全を守ってきたつもりでありましたけども、このような災害になってしまったと、大変残念に思っております」――

 「このような災害になってしまったと」いう言い方は他人事のような物言いである。

 果して風雨共に大型とされた台風の進路情報と停滞した梅雨前線と重なることになる予想雨量、さらに各地域に出された大雨注意情報等から、万が一の「蛇抜け」を頭に思い描く危機管理を機能させていたのだろうか。

 だが、「長雨が続いて、もうそろそろ(地盤が)緩んで危ないぞと、それがこの辺の災害の特徴」を常識とし、固定観念としていた。つまり、まだ大丈夫だと見ていた。

 避難所に避難していた7~80代の女性の証言。

 女性「降り出したら、強い雨なの。1時間降っていて、ちょっと、もう、あの、小降りになればいいけど、1時間経ってもやまないじゃない?いつでも1時間以上強い雨が降ったら、逃げる用意だね、ここは」――

 雨に対する観察・危機管理が宮川町長と明らかに異なるが、この女性の方がより適切な危機管理意識を働かせていた。

 「NHK NEWS WEB」記事が伝えている宮川町長の言葉。

 宮川町長「12歳の子どもが被害にあってしまい悲しい。災害は致し方ないが人の命は大変重い。住民が安全に安心して暮らせるようにしっかりと対策をとっていかないといけない」――

 「災害は致し方ない」という言い方は意識の上では災害を不可抗力とし、許容していることになる言葉である。

 だが、災害を不可抗力としても、人命の犠牲は不可抗力としてはならないはずだ。

 もし事実心の底から「人の命は大変重い」と思っているなら、いわば人命の犠牲は不可抗力としてはならないと思っているなら、「災害は致し方ない」と不可抗力一辺倒で片付けるのではなく、やはりどこかに危機管理の間違いはなかったか振り返って見る検証が必要となるはずだ。

 だが、「災害は致し方ないが」と、検証もせずに最初から不可抗力で片付けている。災害を不可抗力とすることで人命の犠牲をも不可抗力としたい衝動を感じ取ってしまう。ここに町民の命を預かる町長としての責任から逃れようとする意識がないだろうか。
 
 イジメ自殺した生徒が通う学校の校長や教師が最初にイジメと自殺の関連性の否定を持ってきたり、自分たちには責任がないという情報隠蔽や情報操作を持ってきて、最初に発動すべき検証する意識を発動しない例を多く見るが、宮川町長にしても自身や町の対応の検証を省いて、「災害は致し方ない」と最初から不可抗力として許容しているところにどうしても胡散臭さを感じてしまう。

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拉致調査機関に如何なる権限が付与されようと金正恩の影武者に過ぎず、金正恩が描いたシナリオ通りに動く

2014-07-10 08:50:09 | Weblog

 

 ――調査のシナリオを書くのは金正恩であり、実効性は金正恩が握っているということである―― 

 安部政権は北朝鮮が「特別調査委員会」の設置を決め、日本側がその態勢を了承してから、後追いの形で実効性を問題とし、あるなしで揺れた。7月1日、改めて北京で日朝局長級協議を開催して、実効性を確認できたとして安倍晋三は独自制裁の部分解除を決めた。

 北朝鮮にしたら、いくらでも実効性を装うことができる。実効性は独裁国家である以上、独裁者である金正恩が握っている。「特別調査委員会」が握っているわけではない。

 そして例え独裁者であっても、権力の父子3代継承に権力の正統性と自身の正義を置いている以上、その正統性と正義は祖父金日成から父親金正日を経て受け継いだものとして棄損してはならない制約を受ける。

 棄損した場合、金正恩は自身の権力の正統性とその正義を損なうことになる。最悪の場合、失う。

 当然、金正恩が拉致問題の解決のシナリオをどう描くかは、自身の権力の正統性とその正義を守ることになる祖父や父親の権力の正統性とそれぞれの正義を損なわない範囲内に制限される。

 金日成主席死去から20年を迎えた7月8日、平壌体育館で金正恩第1書記出席で追悼大会が開催された。

 金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長「革命偉業の継承問題を輝かしく解決したことは金日成同志が祖国と民族の将来のため成し遂げた業績中の業績だ」(聯合ニュース

 いわば金正恩体制は金日成による革命偉業の輝かしい継承だと、独裁権力の親子3代継承の正統性を謳っている。

 要するに「特別調査委員会」で誰がどのような権限を持つとされたとしても、金正恩の影武者に過ぎない。実際の権限は金正恩自身が握っている。

 7月1日の北京での日朝局長級協議の報告を受けて、安倍晋三は7月3日、北朝鮮に対する日本独自の制裁の部分的解除を決めた。《北朝鮮に「本気度」、首相賭け=日米韓連携きしみも-制裁解除》時事ドットコム/2014/07/03-20:20)
 
 記事冒頭解説。〈安倍晋三首相が日本人拉致問題の進展を目指し、対北朝鮮制裁緩和を決断した。「圧力」に軸足を置いた従来対応からの転換は、北朝鮮側が示した再調査の態勢に一定の「本気度」を感じ取ったためだ。ただ、北朝鮮はいつ態度を豹変(ひょうへん)させるか分からず、首相の判断に「賭け」の側面があることは否めない。強硬姿勢を貫く米韓両国との連携にきしみが生じる懸念もある。〉――

 記事題名の「本気度」はマスコミ解釈の安倍晋三の感じ取りということになる。だとしても、この「本気度」は金正恩の本気度と解釈したものでなければならない。「特別調査委員会」は金正恩の本気度に対応するからである。

 安倍晋三(独自制裁の部分解除について)「国家的な決断、意思決定をできる組織が前面に出る、かつてない態勢ができたと判断した。行動対行動の原則に従った」――

 「国家的な決断、意思決定」は例え側近の助言や指示を受けることがあっても、最終的には金正恩自身のみが握っている決定権である。組織の態勢が握ることができる決定権ではない。安倍晋三にはその認識がないようだ。

 「特別調査委員会」は金正恩第1書記直属の最高指導機関「国防委員会」の幹部が委員長に就任。秘密警察として絶大な力を持つ「国家安全保衛部」が主導する態勢となっていて、7月1日の局長級協議で日本側に〈「国防委員会から全機関を調査できる権限を与えられたことは、各機関が不服従を許されず、無条件に全てを執行できることを意味する」と説明、調査の実効性に「太鼓判」を押して見せた。〉と記事は解説しているが、あくまでも北朝鮮側の説明であって、その説明が説明通りの実態を備えているかどうかは金正恩の意思を忠実に反映させた態勢であるかどうかにかかっている。

 勿論、調査の結果を見てみないと、金正恩の意思がどこにあるのかは、その正体は掴めないが、一つだけ占うことのできる事実がある。

 「特別調査委員会」は調査対象ごとに4つの分科会で成り立っている。

 (1)拉致被害者
 (2)拉致された可能性を排除できない行方不明者
 (3)日本人遺骨問題
 (4)残留日本人・日本人配偶者

 だが、日本側と北朝鮮側の記載順が異なっているという。日本側は拉致被害者の調査を最優先に挙げているの対して北朝鮮側は3番目となっていて、日本側が3番目に置いた「日本人遺骨問題」を第1番に挙げているという。

 そして日本側が4番目に置いた「残留日本人・日本人配偶者」を北朝鮮は2番目に置いている。

 但しこの順位も金正恩の意思を反映させた重要順=熱意度であるはずだ。だとすると、それぞれの順位の違いに現れている熱意の相違、あるいは温度差からも金正恩の意思を読み取らなければならない。

 安倍晋三が言うように「特別調査委員会」が「国家的な決断、意思決定をできる組織」だとしても、北朝鮮側が言うように「国防委員会から全機関を調査できる権限」を与えられ、「各機関が不服従を許されず、無条件に全てを執行」可能な組織だとしても、日本側と異なる北朝鮮側の調査の熱意度から「特別調査委員会」の万全性の程度をある程度推し量ることができるはずだ。

 金正恩の意思がこの万全な態勢を相殺させることもあり得るということである。

 金正恩自らの権力正統性と自身の正義の直近の付与者である父親金正日が指示・命令した日本人拉致である。無条件な拉致解決は父親と自身の権力の正統性と正義を既存する爆弾とならない保証はない。

 北朝鮮側の説明通りの「特別調査委員会」の態勢を鵜呑みにするだけで、強力な権限を与えられているとしている者たちが金正恩の影武者に過ぎないという認識を持たななかったなら、あるいは拉致解決のシナリオを書くのは金正恩自身だという認識を持たなかったなら、金正恩が目論んでいる解決の一歩も二歩も先を行く成果は期待できないだろう。

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安倍晋三はオーストラリア議会演説で日本人の侵略戦争を「歴史の暴戻」だと言って歴史に責任転嫁した

2014-07-09 07:32:31 | Weblog




      生活の党PR

       《7月4日(金) 鈴木克昌代表代行・幹事長 記者会見要旨》

      『内閣の支持率低下、国民の怒り・心配の表れである』

      【質疑要旨】
      ・民主党との二党幹事長・国対委員長会談報告
      ・北朝鮮への制裁一部解除決定について
      ・民主党との党首会談について
      ・セクハラ野次問題について

 安倍晋三が7月8日午前(日本時間同)、オーストラリア議会で演説した。安倍晋三の人間性を露わにする発言となっている。いわば美しい言葉でウソ八百を並べ立てたに過ぎない。

 発言は《豪州国会両院総会 安倍晋三演説》(首相官邸/2014年〈平成26年〉7月8日)に拠った。 

 安倍晋三「皆様、戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただひたぶるに願って、今日まで歩んできました。20世紀の惨禍を、二度と繰り返させまい。日本が立てた戦後の誓いは今に生き、今後も変わるところがなく、かつその点に、一切疑問の余地はありません。
 
 このことを、私は豪州の立法府において威儀を正し、高らかに宣言するものです」――

 「戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人」と言っている。だが、安倍晋三はそのような日本人の中に入っていない。国会答弁で、「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて違う」と言い、日本の戦前の戦争を侵略戦争とは認めてはいないからだ。侵略戦争とは認めてはいないことに対して「痛切な反省」は矛盾する。言葉の力を借りて、「痛切な反省」の振りをしているに過ぎない。

 安倍晋三「私たちの父や、祖父の時代に、ココダがあり、サンダカンがありました。

 何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。

 歴史の暴戻を前に、私は語るべき言葉をもちません。亡くなった、多くの御霊に対し、私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」

 「Wikipedia」によると、「ココダ」は、〈ポートモレスビー作戦(ポートモレスビーさくせん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線において、日本軍と連合国軍とがポートモレスビーの支配を巡って行った戦闘。当時はスタンレー作戦と呼ばれ、連合軍側の名称を和訳して、前半をココダ道の戦い (Kokoda Track campaign) 、後半をブナとゴナの戦い (Battle of Buna-Gona)とも呼ぶ。〉と説明している。

 「サンダカン」は、〈マレーシア・サバ州にある都市。

 第二次世界大戦中は、日本軍の占領下にあったが、連合国軍の激しい空爆を受け、歴史的建造物などはほとんど破壊されてしまった。また、空港建設に使役させていたオーストラリア・イギリス兵捕虜を収容したサンダカン捕虜収容所があり、2500人の捕虜を虐待・死に追いやったサンダカン死の行進が起きた。戦後、宗主国がイギリスに代わり、1946年にジェセルトン(Jesselton)(現在のコタキナバル)へ首都が移されるまで、イギリス領北ボルネオの中心地として、その後も南洋材の積み出し港として栄えた。〉――

 旧日本軍はオーストラリアに97回とか、空襲も行っている。「Wikipedia」には〈最初でかつ最も大規模だったのは1942年2月19日朝の空襲で、ダーウィンは242機の艦載機に攻撃され、少なくとも243人が死亡し、甚大な被害が生じ、数百人の人々が住宅を失った。ポート・ダーウィンはこのために海軍の主要基地としての機能を喪失した。〉という記述もある。

 安倍晋三は日本人の戦前の戦争が与えた凶々(まがまが)しい惨禍を「歴史の暴戻」だと言っている。

 【暴戻】(ぼうれい)「荒々しく道理にそむいていること。」(『大辞林』三省堂)

 以前ブログに「歴史とは人間営為がつくり出す社会的・国家的、あるいは世界的諸相の記録であって、全て元は人間の相互的な個人的もしくは集団的営為から発している」と書いた。

 日中戦争と太平洋戦争は日本人が日本人同士で紡ぎ出した侵略の営為である。その結果の「ココダ」であり、「サンダカン」であり、オーストラリア空襲であって、その他数えきれない程の諸々によって一つの歴史を成した。

 いわば日本人が侵略戦争の主役を務めて与えた凶々しい惨禍の数々であって、それらが歴史として形作られたということであり、あくまでも歴史の主役は人間であり、その営為が歴史として記録される。

 だが、「歴史の暴戻」と言うとき、この「の」は行為の主格を示すことになる。

 例えば、「偉人の業績」と言うときの「の」は、偉人が成した業績、あるいは偉人が作り上げた業績という意味であって、行為の主格を示しているようにである。

 歴史は人間営為の記録である以上、歴史の主格は人間であって、歴史自体が主格を成すわけではない。安倍晋三は日本人の侵略戦争を「日本人の暴戻」と言うべきところを、「歴史の暴戻」だと言って、歴史がつくり出した「暴戻」であるかのように偽ったのである。

 「戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人」と反省を言いつつ、その責任を歴史に転嫁した。 

 日本の侵略戦争によって「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか」と表現した美しい思い遣りの言葉もを空虚にしてしまう歴史への責任転嫁となっている。

 いや、どのような立派な言葉・美しい言葉を並べ立てようとも、歴史に責任転嫁している以上、白々しい言葉を正体としていることになる。

 この白々しさは次の言葉に象徴的に表れている。

 安倍晋三「Hostility to Japan must go. It is better to hope than always to remember.(日本に対する敵意は、去るべきだ。常に記憶を呼び覚ますより、未来を期待するほうがよい)。

 戦後、日本との関係を始める際、R.G.メンジーズ首相が語った言葉です。

 再び日本国と日本国民を代表し、申し上げます。皆さんが日本に対して差し伸べた寛容の精神と、友情に、心からなる、感謝の意を表します。

 私たちは、皆さんの寛容と、過去の歴史を、決して忘れることはありません」――

 R.G.メンジーズ元首相の言葉を借りて、中国や韓国、その他の国に対して過去への拘りを捨てて、未来に目標を定めた新しい関係を築くべきだ、もっと寛容であるべきだと間接的に訴えた発言であろう。

 いくら他人の言葉を借りてワンクッション置いた言葉であっても、そこに自身の思いを込めて伝えた言葉であることに変わりはない。

 だが、加害側が言うべき言葉だろうか。同じ戦争でも、国によって受けた傷や被害の質と量、戦死者の人数等、それぞれに異なる。オーストラリアの被害と比べたなら、韓国や中国が受けた被害は比べ物にならないだろう。

 こういった諸々のものを考えずにオーストラリアの過去と中韓の過去を同列に扱って、日本への敵意を捨てよ、未来志向で行こうというメッセージを発した。これ程の不遜、これ程の頭の悪さはない。

 歴史に責任を転嫁するような精神が言わせた不遜な言葉であるはずだ。

 安倍晋三は最後に次のように述べている。

 安倍晋三「2020年、東京はもう一度、オリンピックとパラリンピックを開きます。

 私は1964年の東京五輪を見て、ドーン・フレーザー選手の強さに目を奪われた一人でした。ギャラリーにいるフレーザーさん、あなたです、私にとって、オーストラリアとはまさしくあなたでした。おいでくださって有難うございます。

 6年先、お国はどんな強い選手を送ってくれるでしょう。いまから楽しみです。

 そしてドーンさん、あなたもぜひお元気で、2020年の東京に、もう一度お越しください。日本に新しい夜明け(ドーン)を、豪州と日本の未来にも、新しい夜明けを、どうぞもたらしてほしいと思います。
 
 御清聴ありがとうございました」――

 温かなユーモアを込めた思い遣りある誠実な言葉で締め括っている。自身も笑みを浮かべていたに違いないが、議場から笑いが起こっただろう。安倍晋三の人柄が如実に現れた言葉と見てもいい。

 かつて競泳選手として栄光の歴史を担った、現在では76歳になるドーン・フレーザー選手が2020年の東京オリンピックに訪れたからといって、マスコミはカメラのフラッシュをたくかもしれないが、日本とオーストラリアに「新しい夜明け(ドーン)」をもたらす個人的存在足り得るわけではない。当然、実質的な意味を備えた言葉だと指摘することはできない。

 実質的な意味を備えていない誠実な言葉という関係は逆説的に過ぎる。

 もし安倍晋三が言葉に誠実さを装わせる才覚ではなく、真に人間的な誠実さを少しでも持ち合わせていたなら、誠実さと共に実質的な意味を備えた言葉とすることができたはずだ。例を挙げるとするなら、「2020年の東京にもう一度お越しください。その訪問は日本とオーストラリアの友好を象徴する歴史の引き継ぎともなり、そしてその訪問は未来へと向かって広がり育っていく歴史の引き継ぎの象徴ともなるでしょう」といった言葉である。

 だが、日本人が日本人の営為として起こした侵略戦争を、「歴史の暴戻」だと歴史に責任転嫁する精神の持ち主である。歴史に責任を転嫁する政治家が「積極的平和主義」を常套句にしている関係も、そこに白々しいばかりの逆説性を見なければならない。

 
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NHK「日曜討論」石破が言う安全保障環境の時間と距離の短縮を和らげる外交努力を安倍晋三はしていのか

2014-07-08 08:48:05 | Weblog



 7月6日(2014年)のNHK「日曜討論」は「“行使容認”閣議決定 集団的自衛権を問う」と題した議論を各党幹事長クラスが出席して放送していた。

 集団的自衛権憲法解釈行使容認の閣議決定が先で、国会での議論が後回しになったことの批判を受けると、石破茂自民党幹事長は次のように答えている。閉じた口元にたっぷりと浮かべた笑みを細めた目にまで漂わせて質問者を見つめ、さも誠実そうに聞く様子は自民党政調会長の高市早苗そっくりだ。誠実そうな表情の裏に隠しようもなく陰険さを露わにしている。

 石破「閣議決定は法律を掛ける状態になった。ただそれだけです。そこに於いて議会に掛け、賛成なのか、反対なのかというご議論をきちんと頂く、ということです。

 それが民主主義というものですね。

 さっきから戦争に巻き込まれるという話がありますが、戦争は国連憲章で違法化されています。例外的な武力行使が自衛権。そこに個別と集団の区別はない。それは国連憲章のイロハです」――

 体裁のいいことを言っている。公明党の合意を得て、閣議決定してしまえば破綻なく維持できることとなった与党圧倒多数を前提としているのだから、議会に掛けさえすれば、あとは時間の問題で、成立を既成事実とすることができる。もうこっちのものだという思いを持っているはずで、そのうえで、民主主義を口にする。陰険・狡猾そのものである。

 戦争が国連憲章でいくら違法化されていても、如何なる国も国連憲章に則って行動するわけではない。自衛の戦争を認めていること自体が違法の戦争の存在を前提としている。

 そして何よりも厄介なことは、それが違法の戦争であっても、戦争を起こした当事国は正義の戦争とするということである。ロシアのクリミア併合にしても、それを自国の正義としているからであって、西欧諸国が国際法違反だ、国連憲章違反だと言うだけで制裁も加えずに眺めているだけだったら、クリミア併合でとどまらず自国の正義を推し進めるためにロシア軍は越境してウクライナに侵攻していただろう。

 海外で武力行使するということは戦闘行為をするということであって、相手はそれを正義の戦闘行為としているだろうから、なかなか引くことはせず、そうであることから戦闘行為というものが常に拡大しないという保証はなく、戦闘の拡大によって戦争に発展しない保証もないわけで、そうである以上、正直に戦争に巻き込まれることをあり得ると言うべきだろう。

 だが、「武力の行使」と言うだけで、戦闘行為であることを隠している。戦闘行為は間近に戦争を想起させるが、「武力の行使」は戦争を想起させにくい。戦争を遥か彼方の遠方に置くことになる。当然、戦闘行為と言わずに「武力の行使」と言うのはゴマカシを含んでいることになる。

 
 途中、大畑民主党幹事長が石破茂に対して次のような質問をした。

 大畠民主党幹事長「国民がなぜ迷っているのか。安倍さんのお友達が集まって報告書を出して、急遽与党内で協議が始まって、それも1ヶ月半ぐらい、13時間、それで合意したから、閣議決定した。その過程というものがよく分からない。

 国民が戸惑うのは当たり前。私は昭和47年(1972年)の閣議決定では集団的自衛権の行使は憲法上許されないとある。今回も、それを置いておいて武力行使の3条件というものを乗っけた。ここに無理がある。国民が戸惑うのは当たり前。ここまで無理の上に無理を重ねてきた」――

 「安倍さんのお友達が集まって報告書を出して」と言っていることは、安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が5月15日提出した報告書のことを言う。

 この私的諮問機関について機関の北岡伸一座長代理が懇談会の正統性について5月19 日の自民党会合で発言している。《安保法制懇「正統性あるわけない」 北岡座長代理》asahi.com/2014 年5月20日00時38分)

 北岡伸一「安保法制懇に正統性がないと(新聞に)書かれるが、首相の私的懇談会だから、正統性なんてそもそもあるわけがない。

 (メンバーに集団的自衛権行使反対派がいないとの報道についても)「自分と意見の違う人を入れてどうするのか。日本の悪しき平等主義だ。NHKだって必ず番組に10党で出すから、議論が深まらない。鋭い論法でやっていても、あとで視聴者から反発が起きる。安全保障の専門家は集団的自衛権に反対の人は殆どいない」――

 要するに「正統性なんてそもそもあるわけがない」報告書に基づいて自公が「1ヶ月半ぐらい、13時間」という短時間の協議に入り、「正統性なんてそもそもあるわけがない」報告書に基づいた協議の末に自公が合意し、閣議決定したということになる。

 NHKの「日曜討論」が10党それぞれの代表者の出演で、例え10党それぞれが自党の主張を譲らなくても、あるいはある党が別のある党の主張に共感を示したとしても、いずれの場合であっても視聴者にしたらどの政党がどのような立場でいるのかの理解に役立つ。理解は知識となり、情報となる。視聴者はそれらの知識・情報に基づいてそれぞれの主張に対して共鳴できるかどうかを決めていく。決して「悪しき平等主義」のみで片付けることはできない。

 北岡伸一は「安全保障の専門家は集団的自衛権に反対の人は殆どいない」と言っているが、それが事実だとしても、憲法解釈変更によるのか、憲法改正によるのか、行使容認の方法論は大きく分かれている。

 北岡伸一が言っていることは「安保法制懇」の報告書を正当化させるための強弁に過ぎない。

 大畠民主党幹事長の質問に対して司会者が補足した後、石破茂が答えている。

 島田司会者「昭和47年の閣議決定を踏襲して今回の閣議決定を積み上げたと言っているのだけど、あの政府見解には集団的自衛権は行使できないと明記してる。それを使うのは無理じゃないかという、その指摘は如何ですか」

 石破「あれをよく読むとですね、『そうだとすれば』という接続詞が入っているんだけど、あそこでボーンと論理が飛ぶわけなんですよ。

 『そうだとすれば』って、その前のところだけで使えないというところに、じゃあ、何で、何で、集団的自衛権行使すると、突然憲法に触れるの?必要最小限度超えるという説明がないんですね。

 ですから、そこんところはそこのところとして、やはり、安全保障環境が変わった、言うことなんです。時間が物凄く短くなった。何日単位が何時間単位になってきた。距離も物凄く短くなってきた。

 じゃあ、いよいよ自国が攻撃される状況になってから、個別で対応していたのでは、国家の存立が危うくなる。他国に対する攻撃であったとしても、それが自国の存立を危うくするということが認められれば、自衛権として行使をするのであって、決して戦争しにいくのではない。

 ましてや自衛権と何の関係もないのにアメリカと一緒になって外国で戦争するなどというのは、もうそれはタメにする議論です」

 大畠民主党幹事長「それはね、石破さん、ちょっと違うと思う。昭和47年の頃は、戦争を経験した自民党の代議士がたくさんいたんです。そういう歴史上から、そう言うことにしようということを決めたんですから、単に石破さんがおっしゃるような形ではないと思う。

 歴史から学んだものをここに乗っけたんですよ。安部政権は歴史から何を学んでるんですか、と私は思います」

 石破「突然言ったようなことをおっしゃらないでください。我が党は十数年、この議論をしてきたし、安倍さんのお友達だけを集めて突然と言いますけども、第1次安倍内閣から安全保障に関する懇談会があったんです。リポートも出ています。

 ここ何年にも亘って繰返された議論であって、突如として出てきた議論ではありません」

 何十年議論したからといって、それが国民に受け入れられる議論とは限らない。年数が問題ではなく、国民が受け入れるかどうかが基準となる。こんなことも分からない石破茂と来ている。

 石破茂は「じゃあ、いよいよ自国が攻撃される状況になってから」と言っているが、戦争を想定した言葉である。この想定は「戦争に巻き込まれることはない」という想定をウソにすることになる。

 石破茂の前半の「1972年の自衛権に関する政府見解」についての説明がよく理解できない。

 1972年の「自衛権に関する政府見解」の趣旨は自国への武力攻撃に対しては自衛の措置(いわゆる個別的自衛権と言っているところのもの)まで憲法が認めていないわけではなく、許されるが、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利としての集団的自衛権は憲法9条の関係から行使できないとしているに過ぎない。

 政府見解の最後の部分を引用してみる。

 〈平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。〉――

 要するに「そうだとすれば」という接続詞で前後を対置させたのである。前者の場合はこれこれの理由で憲法上許されるが、そのことを前提とするならばという意味で、「そうだとすれば」という接続詞を使って、後者は許されないとしたまでである。

 更に要約すると、前者は憲法は許していると解釈したのであり、後者の集団的自衛権まで認めていないと憲法を解釈したのである。

 そしてこの政府見解が安倍晋三が閣議決定するまで踏襲されてきた。

 1972年から各歴代内閣を通して踏襲されてきたなら、当然、一内閣が覆していいわけがなく、憲法改正を基本とすべきだろう。

 石破茂は「安全保障環境が変わった、言うことなんです。時間が物凄く短くなった。何日単位が何時間単位になってきた。距離も物凄く短くなってきた」と言っていることは、戦争や紛争、武力衝突がアフリカや中東だけの問題ではなく、その危険性がアジアにまで広がっていることが“距離の短縮”を意味し、国家間の軍事的緊張関係が所有している大量破壊兵器や弾道ミサイルを使用させた場合の不測の危険性が“時間の短縮”を意味しているのだろうが、では安倍晋三は軍事的な危険性を孕むこととなっている安全保障環境に於ける距離と時間の短縮に対して軍事的危険性を少しでも和らげる外交努力をしているのだろうか。

 安全保障環境の激変の対象としている外国とは関係のない外国を回って、前者の軍事的危険性を喧伝するだけでは、距離と時間の短縮を和らげる外交努力を心がけているとは決して言えないし、却って軍事的緊張を一層煽る事態となっている。

 安倍晋三が標榜し、各国を回って宣伝に努めている「積極的平和主義外交」は距離と時間の短縮を和らげる外交にこそ使われるべきであって、使わずに手付かずとしているのは積極的平和主義外交」は口先だけを正体とすることになる。

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中央省庁女性幹部相次ぐ登用は菅官房長官が言うように「戦略的な人事配置の実現」によるものなのか

2014-07-07 09:31:20 | Weblog



 ――安倍内閣人気取り目玉政策の要請を受けた外発的人事と見るべきだろう――

 4月成立の公務員制度改革関連法に基づいて府省庁事務次官・局長等約600人の幹部人事一元管理の内閣人事局5月30日発足となり、安部政権は7月4日、中央省庁の幹部人事を決定した。 

 〈法務省と経済産業省で初めての女性局長が誕生するなど、幹部に女性職員が相次いで登用され、「女性の活躍」を成長戦略の中核に据える安倍政権の方針が反映された人事〉となったと、《中央省庁で女性の幹部登用が相次ぐ》NHK NEWS WEB/2014年7月4日 18時04分)が伝えている。

 初めてではないが、外務省と厚労省にも新たに局長が誕生している。

 このことについて菅官房長官が7月4日の閣議後記者会見で発言している。

 菅官房長官「戦略的な人事配置の実現や女性の幹部職への積極的登用、府省間の人事交流のより一層の推進といった点に力を入れて取り組んだ。今回の人事以外でも、多くの女性職員の要職への起用や府省間交流人事を決定していく」――

 果して「戦略的な人事配置の実現」に力を入れた結果の中央省庁に於ける女性局長の誕生なのだろうか。 

 安倍晋三は[女性の活躍」だ、「女性が輝く社会」だを標榜し、標榜通りの女性の時代実現に向けて積極的な姿勢を示している。

 2015年度末までに中央省庁の採用者に占める女性の割合を30%程度にすると共に管理職に占める女性の割合を5%程度とする目標を掲げているばかりか、上記記事が伝えていることだが、6月24日、経済3団体のトップらと会談して、各企業が女性登用の目標を盛り込んだ行動計画の策定や有価証券報告書に女性役員の割合を記載するなど積極的な情報開示を要請している。

 アメリカの強い要請で何らかの政策を決めると、外圧に屈したとか、外圧を利用したとか言われるが、まさに安部政権の中央省庁や企業に対する外圧であり、中央省庁や企業側からしたら、外発的女性登用の形式を取ることになる。

 外圧にも等しい外発的形式を取らざるを得ないことは日本では女性の活用が余りにも少ないことが理由となっていることは断るまでもない。 

 リンク先のページで情報提供主体の記載がないから正確には不明で、情報元は厚労省辺りだと思うが、《資料「女性が輝く日本」の実現に向けて》が各国と比較した日本の女性登用率の低さを紹介している。

                
 「管理的職業従事者に占める女性割合の国際比較」

 アメリカ(2011年)43.1%
 フランス(2011年)39.4%
 スウェーデン(2011年)34.6%
 イギリス(2011年)34.5%
 ドイツ(2011年)30.3%
 イタリア(2011年)25.1%
 日本(2012年)11.1%
 韓国(2011年)10.1%

 〈ここで言う「管理職」は、管理的職業従事者(会社役員や企業の課長相当職以上や管理的公務員等)を言う。
 日本は、岩手県、宮城県及び福島県を除く。〉との注意書きがある。

 いわば中央省庁の管理職をも含めた数値であり、例え岩手県、宮城県、福島県を除いていたとしても、少な過ぎる。そしてこの女性占有割合(=女性活躍度)の少なさが、年々僅かながらずつ増えていても、日本の伝統であり、文化だということである。

 このことは上記同じpdf 記事の次の記述が証明することになる。

 《女性管理職が少ないあるいは全くいない企業の理由》(平成23年(2011年))

 「現時点では、必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない」54.2%
 「将来管理職に就く可能性のある女性はいるが、現在、管理職に就くための在職年数等を満たしている者はいない」22.2%
 「勤続年数が短く、管理職になるまでに退職する」19.6%――

 上位3位を上げたが、54.2%と圧倒的多数を占めている1位の「現時点では、必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない」という理由は、必要な知識や経験、判断力等を有する男性は大勢いるが、そのことに対して女性はゼロか、少数であるとしていることになる。

 もし女性の能力が事実このとおりであるなら、安部政権が目標としている[女性の活躍」、あるいは「女性が輝く社会」の実現は無理な望みということになる。

 もし事実ではなく、単に男性よりも女性の能力を低く見ているということなら、日本の男性の日本の女性の能力に対する圧倒的な見方となっていることを示すことになる。

 確実に言うことができることは、男共がこの女性の能力の見方を伝統とし、文化としてきたということである。女性の側も男たちの伝統と文化に影響されて、女性は能力の点で男に劣ると見做して、能力発揮の点で控え目であることを伝統と文化としてこなかっただろうか。

 その結果としての女性の管理職に占める割合の少なさを相互対応の伝統とし文化としてきたということではないだろうか。

 いずれなのか答えを出すとしたら、日本人の行動様式・思考様式となっている権威主義に於ける長年続いた男尊女卑の伝統と文化と、現在もなおその名残として存在している伝統と文化から考えると、男たちは女性の能力を低く見る見方に立って女性が能力を満足に発揮できない場所に置き、女性の側もそのことに慣らされてきた結果の女性の社会進出の低さであり、管理職にしめる割合の少なさとしなければならない。

 だとするなら、日本の男共が伝統とし、文化とし、その意識と精神に染みついている女性の能力を一段下に見る見方は一朝一夕に変えることができるのだろうか。変えることができる程にヤワな伝統と文化ではないはずだ。
 
 当然、菅官房長官が言うように、これまた伝統と文化としなければなかなか身につかないゆえに「戦略的な人事配置の実現」といった高度で創造的な人事などであるはずははなく、安倍内閣の数値目標を受けた外発的な人事に過ぎないといったところが正直な答であるはずだ。

 日本に於ける女性の社会進出の低さ、官庁や企業に於ける管理職に占める女性の割合の低さの本質的な原因を理解していなければ、男たちの女性の能力を一段下に見る伝統と文化を打ち破ることでできないことになって、外発的な女性登用からそう簡単には抜け出ることはできないことになる。

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ヤジ議員等、男女差別意識を持った政治家が少子化政策を担う逆説性は何を意味するのか

2014-07-06 10:11:12 | Weblog



 ――「子どもを産めよ」と発言することと少子化・出産政策を思索・検討することとは次全く以って元が異なる――

 都議会で妊娠や出産等に関する子育て支援策についての都の取り組みを質問中の未婚女性都議に対する鈴木章浩自民党都議の「早く結婚した方がいいんじゃないか」のヤジが女性蔑視ヤジ、あるいはセクハラヤジとして一騒動を起こしたが、今度は国会に舞台を変えて、今年4月の衆院総務委員会でも同じようなヤジが飛んでいたことが判明した。

 ヤジを受けたのは日本維新の会の上西小百合衆院議員、31歳。未婚であるのはヤジの言葉から分かる。国の人口減少対策に関する質問中のことで、ヤジを飛ばしたのは、都議会でも自民党だったから、ご多分に洩れず自民党と言ってもいいのか、大西英男自民党衆院議員、いい歳をした67歳。

 ヤジは人口減少に関わる質問に絡めたのだろう、「早く結婚して子どもを産まないとだめだ」――

 国民の選良大西議員は当初朝日新聞の取材に対し「記憶がない」と述べていたと「Wikipedia」に記述があるが、多分、都議会のヤジ犯人探しの顛末を学習するだけの頭はあったのだろう、下手にシラを切り続けたら、却って立場を悪くし、評判を落とすことになると悟ったに違いない、7月4日午前中に上西小百合に電話を入れて、ヤジを謝罪したという。

 その午後、被害女性議員が記者団に発言している。

 上西小百合議員「今回の件は、本当に残念で情けない。発言者を特定しても問題は解決しない。やじを発言したり、周辺で笑い声を上げて盛り上がったりした議員は、国民の代表という自覚を持ち、反省してほしいし、与党議員として襟を正してもらいたい」(NHK NEWS WEB)――

 どの程度の人数か分からないが、ヤジが意味するところを肯定する同調のヤジが起きた。肯定にしても同調にしても、同じ意識か、似たような意識にあったことを示す。

 国民の選良大西議員が自身の公式サイトに謝罪文を載せているとマスコミが報じていたので、覗いてみた。 

ヒデちゃんの携帯日記(2014/07/04(金) 17:12)

昨夜から総務委員会の4月17日における不規則発言について様々な問い合わせがある。
これを受けて、当時の映像等を精査した結果、私の発言があったことを確認した。

質疑者の上西小百合議員とは党派は違っても同期生のよしみで日頃から親しく意見交換している。
つい、そうした親しみから不用意な発言をし、上西議員に対してご迷惑をおかけしたことを反省している。
今日午前中に上西議員に対して謝罪の電話をおかけしたところ、快く受け入れていただいた。

私は、今後、自らの発言について十分に注意をしていかなくてはならないと肝に銘じている。

そして、私のライフワークである少子化問題にさらに一層の努力を続けていきたいと思う。

総務委員会における不規則発言により、日頃からご指導、ご支援をいただいている皆様や今回の発言でご不快な思いをなさった方々に対して、多大なるご心配やご迷惑をおかけしたことを、心からお詫び申し上げます。

衆議院議員 大西英男

 様々な問い合わせを受けて、「当時の映像等を精査した結果、私の発言があったことを確認した」とはどういうことを意味するのだろうか。自身がヤジを飛ばしたことをすっかり忘却の彼方に捨て去っていて、映像等を精査して初めて自分のヤジだったと気づいたということなのだろうか。

 人間は自分がした行動を忘れていたとしても、それが何十年も前のことでなければ、その行動について取り沙汰されたなら、いやでも記憶を蘇らせる生きものに出来上がっている。何十年も前の自分のした忘れていた行動であったとしても、何かの出来事によって思い出させられて、冷や汗をかいたり、苦い気持にさせられたり、あるいは自責の念に駆られたりもする。それを2カ月前のことでありながら、映像等を精査しなければ覚い出さなかったとしている。

 映像で確認したとするのはヤジ発信者は自分ではないと一度はついたウソを帳消しにする意図を持たせた責任回避以外の何ものでもない。国民の選良大西議員は二重のウソをついたということである。

 何度でもこの名称を繰返さなければならないが、国民の選良大西議員は少子化問題が「私のライフワークである」としている。

 ライフワークにするということは一生をその仕事に賭けることを言う。当然それ相応の覚悟と勉強を必要とする。

 国会の場で質問中の未婚女性議員個人に対して、あるいは一般人の未婚女性を探し出して一人ひとりに「早く結婚して子どもを産まないとだめだ」と結婚と出産のススメを説いて片付く問題ではない。結婚できる経済的環境や子育てできる経済的・社会的環境の構築こそが最優先されるべき政策でありながら、いずれの政権の主要政策となっているにも関わらず、あるいは国民の選良ヤジ議員を含めて、少子化対策を自身の主要政策に掲げている政治家が相当にいるはずだが、これらの状況に反して政策成果をなかなか見い出すことができない状態にある以上、そういった環境の構築をそれぞれが勉強し、提案していくことがライフワークに添う政治行為のはずだが、それだけで片付かない問題を、それもヤジという形でアピールした。

 いわば国民の選良大西議員はその資格もないのに既婚・子持ち女性に対しては干渉しないことを未婚女性であることを以って極めて個人的事情に干渉することで、既婚・子持ち女性を社会的に受け入れ、未婚女性は社会的に受け入れないことになる僭越的な差別を犯した。

 結婚適齢期に結婚し、結婚したら子どもを設け、育児を担う当たり前のコースを辿ることを以って社会人として一人前の女性と価値づけ、そうでない女性を社会人として一人前と認めることはできないということである。

 男女対等意識があったらできない干渉であり、僭越的な差別であって、言い替えるなら、女性一般を男よりも下に見ていることが可能としている干渉であり、僭越的な差別ということであるはずだ。

 男女対等意識とは男女それぞれの存在性のみならず、女性それぞれの存在性をも対等に尊重する意識のことを言う。既婚・子持ち女性であっても、未婚女性であっても、それぞれの存在性をそれぞれに尊重するということである。

 だが、国民の選良大西議員は男女差別意識を血としていた。

 男性のみ鳴らす、より深く女性に関係する少子化問題を男女差別意識を血としている国民の選良大西議員がライフワークとしていた。

 この逆説性を解くには、国民の選良大西議員にとって少子化問題が政治家として見栄えをよく見せる単なる衣装に過ぎないとしか解釈しようがない。

 自身の公式サイトに立派な政策を並べ立てる必要上、あるいは選挙運動や街頭活動上、立派な政策を述べ立てなければならない必要上、少子化問題が流行りの政策となっていることから、体裁上真似て掲げているだけのことで、実際には覚悟もなく、勉強もしていないから、自身独自の政策らしい政策とすることもできず、あるいはどのような環境の構築が政策上必要としているのか理解する能力もなく、「早く結婚して子どもを産まないとだめだ」といったヤジでしか自身の政策を主張できないといったところなのだろう。

 当選国会議員を国民の選良と一括りするが、選良にもただの石コロがたくさん混じっていることを常に認識していなければならない。

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では、安倍晋三の歴史発言は地域の平和に役立っているのか

2014-07-05 08:43:21 | Weblog

 


      生活の党PR

       要必読!――《7月1日(火) 小沢一郎代表 記者会見「集団的自衛権行使を容認する閣議決定を受けて」》

      『閣議決定で集団的自衛権行使を容認するなら、日本は法治国家・民主主義国家ではない』
 
      【質疑要旨 】
      ・公明党の対応について
      ・集団的自衛権行使容認を選挙で問うべきか、国会は憲法に代わる歯止めとなり得るのか
      ・今後の対応について
      ・衆・参予算委員会集中審議での対応について
      ・集団的自衛権問題に対する野党共闘について
      ・解釈改憲に対する見解について
   
      《7月6日(日) 鈴木克昌代表代行・幹事長『日曜討論スペシャル』出演》

      番組名:NHK『日曜討論スペシャル』

      ・日 時:平成26年7月6日(日)9:00~10:20(生放送)※時間拡大     
      ・出演者:鈴木 克昌 代表代行・幹事長
     
      内 容

      ○「集団的自衛権」をめぐる閣議決定について
      ○“限定的な”行使容認について
      ○今後の国会審議について等

 7月3日から韓国訪問の習近平国家主席が翌7月4日、ソウル大学で講演、戦時中の歴史問題を取り上げたという。《習主席 講演で歴史問題取り上げる》NHK NEWS WEB/2014年7月4日 12時33分)

 記事は取り上げたことを次のように解説している。〈韓国と足並みをそろえて日本への圧力をかけていきたい思惑をうかがわせ〉たと。

 習主席「私たちは韓国と北朝鮮の関係を改善し、対話を通じて朝鮮半島問題を解決することを望む。

 日本の軍国主義は中韓両国に対して野蛮な侵略戦争を発動し、朝鮮半島を併合し、中国の国土を占領した。中韓両国の人々は塗炭の苦しみをなめ、国土を破壊され、抗日戦争のなかで生死を共にした」――

 中国と韓国は日本軍国主義の侵略戦争を共に戦った仲間であり、共通の被害者であると、精神的同盟関係にあることを訴えている。断るまでもなく、この発言は是非は別にして日本を中韓共通の対立関係に置こうとの意図に支配されている。

 1970年代初頭に日中が国交正常化した頃、日中双方共に「一衣帯水の仲」と言っていたのとは雲泥の差、隔世の感がある。

 記事は習主席の講演に対する我が日本の菅官房長官の閣議後対記者発言を伝えている。

 菅官房長官「第三国間の会談内容に関わる評価は控えるが、韓国と中国が連携して、過去の歴史をいたずらに取り上げ、国際問題化しようという試みは、この地域の平和と協力の構築に全く役に立たない」――

 では、安倍晋三の歴史認識発言や自身の歴史観に基づいた靖国参拝は「この地域の平和と協力の構築」に役立っていると言うのか。

 役立っているなら、批判は正当化され得る。韓国を中国に接近させている原因の主たる一つは安倍歴史認識発言や靖国参拝にあるはずであり、その結果としての中韓対日共闘でもあり、どちらに正当性を置くかは別にしても、現在に於ける日中相互の関係は少なくともそこに作用と反作用の関係を見なければならないはずだ。

 だが、どのような作用も反作用も見ない批判となっている。
 
 安倍晋三の歴史に関わる言動が「この地域の平和と協力の構築」に役立っているわけではない以上、菅官房長官の発言は自らを省みる謙虚さを欠いた傲慢さを見ないわけにはいかない。
 
 アメリカからも日本は歴史問題で再三再四注意を促されている。

 5月14日(2014年)記者会見。

 サキ米国務省報道官われわれは日本に対し、隣国との対話を通した友好的なやり方で歴史問題の解決に取り組むよう促す。(アジア)地域の平和と安定を促進する国々の強力で建設的な関係が、地域のみならず米国の利益にも資する」(時事ドットコム)――

 日本訪問に引き続いて韓国を4月25日(2014年)に訪問したオバマ大統領はパク・クネ韓国大統領との共同記者会見で次の言葉を世界に発信した。

 オバマ大統領「(従軍慰安婦の問題は)甚だしい人権侵害で衝撃的なものだ。安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う。日韓両国はアメリカの重要な同盟国だ。過去のわだかまりを解決すると同時に未来に目を向けてほしいというのが私の願いだ」(NHK NEWS WEB)――

 少なくともオバマ大統領は安倍晋三の歴史観を「誠実、公正に認識」していないと解釈している。

 また未来志向とは過去あっての現在であり、現在あっての未来である以上、現在という時相のみによって成り立つわけではなく、過去を断絶した未来はあり得ない

 あるいは過去を正しく学習したり、間違って学習したりして、それらが合わさって現在が成り立つ以上、こちらのみの現在が常に正しいとは決して言えない。

 だが、安倍晋三が首相になって以来、戦前日本を正しい過去と認識する歴史修正主義が罷り通ることとなっている。

 6月24日、ワシントン訪問中のシンガポールのリー・シェンロン首相がシンクタンクで講演して、日本の歴史修正主義に警告を発している。

 《日本や近隣諸国、第2次世界大戦を克服すべき=シンガポー ル首相》ロイター/2014年 06月 25日 09:54)

 リー・シェンロン首相「中国とだけではなく、韓国との関係に日本が苦慮する理由の1つは、第2次世界大戦当時やその前に戻るような問題が再度浮上していることにある。欧州が戦後たどったような道を進むことができていない。

 日本側の選択次第だが、慎重かつ熟慮を重ねて行動し、近隣諸国との関係発展に取り組むよう、米国が日本を促すと確信している。

 (韓国や中国にしても)第2次世界大戦を克服できない限り、また問題を追及する姿勢を改めて、従軍慰安婦問題や侵略の歴史をこれ以上取り上げないようにしない限り、引き続き(関係を)損なうことになる」――

 歴史修正主義を正すに米国による他力本願を願うしかないのは安倍歴史修正主義の頑迷さに気づいているからこそであろう。

 中韓に対しても歴史の克服を訴えているが、加害者である日本が克服の作用を示さずに正しい、間違っていないとするだけでは、克服の反作用を促すことにはならない。

 日本は過去の過ちを過ちとするに足る認識を構築もせずに謝罪で凌いできた。認識の構築とは総括を意味する。

 過ちの認識が伴わない謝罪は表面的な謝罪で終わる。だから、いつまでも謝罪を続けなければならなくなって、いつまで謝罪すればいいのかという不満が高じることになる。総括が過ちの構造を取ることがこそ、真の謝罪と反省となる。

 尤も頑迷な歴史修正主義者・日本を絶対とする国家主義者安倍晋三は日本が敗戦後の短い間に日本の戦争を総括したとしても、「戦後レジームからの脱却」を口実にそれさえも修正しようとするに違いないだろうから、近隣諸国関係の火種となる危険性は捨てきれない。

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自公集団的自衛権閣議決定案合意は最初から決まっていたサル芝居と見られても仕方のない結末

2014-07-04 09:19:44 | Weblog



 今年2014年4月3日、高村自民党副総裁と山口公明党代表が都内で会談、憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認を巡る協議を事実上開始している。会談には井上義久公明党幹事長と石破茂自民党幹事長が同席した。

 この会談は前日の4月2日、安倍晋三が行使容認に慎重な公明党との調整を急ぐよう指示したのを受けた対応だという。

 正式の協議である「安全保障法制整備に関する与党協議会」の初会合は5月20日であって、安部晋三センセイ、逸る気を抑えることができなかったのか、1ヶ月半以上も前に山口公明党代表に対して説得にかかった。

 但し会談は双方が基本的な立場を主張し合い、平行線に終わったとマスコミは伝えている。

 この会談の3日後の4月6日午前、安倍晋三が北側一雄公明党副代表や佐藤勉自民党国対委員長らとゴルフを楽しんだと「MSN産経」が伝えている。

 記者「自民、公明両党の距離は縮まったか」

 安部晋三「もともと縮まっ ているから」

 記者集団的自衛権についてはどうか」(解説文を会話体に直す)

 安部晋三「ゴルフの話しかしていない」――

 北側公明党副代表は井上義久公明党幹事長と共に「安全保障法制整備に関する与党協議会」の公明党側の主たるメンバーであるが、ゴルフを共にプレーしたこの時点で北側公明党副代表が「与党協議会」の公明党側代表と決まっていなくても、いやしくも公明党副代表である。安倍晋三が言うとおりに「ゴルフの話しかしていない」が事実であったとしても、マスコミ記者としては憲法解釈変更容認の合意を得るためのお近づきの“おもてなし”(=接待)ではないかと探りを入れざるを得なかった場面であり、公明党側としたら、そのような“おもてなし”(=接待)ではないかと誤解を受けやすい立場にあった。

 当然安倍晋三の側にしても、ゴルフを誘うについてはそのような“おもてなし”(=接待)ではないかと誤解を受けかねない状況にあたっし、あったことを認識していなければならなかったはずた。

 だが、ゴルフに誘った。マスコミ、あるいは世間の誤解、勘繰りを問題視しなかったということなのか、問題視している余裕はなかったということか。あるいはよく使う手で、誤解を受けようが、与党協議という事実を積み重ねて、その事実によって誤解を払拭できると踏んでいたのか。

 公明党側も予想されるマスコミや世間の誤解・勘繰りに対して李下の冠、瓜田の履とばかりに姿勢を正していなければならない時期にあった。にも関わらず、ゴルフを断らずにプレーする方を選択したのだから、安倍晋三のゴルフ接待を北側副代表の側はそのような“おもてなし”(=接待)であることを阿吽の呼吸で迎え入れたといったところではないだろうか。

 いわばゴルフ接待を受け入れることで合意するという姿勢を示した。勿論、自民党側の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認と行使事例の主張をそのまま全面的に受け入れたなら、公明党の立場をなくす。お互いが顔を立てる遣り取りの末に公明党の党としての存在理由――メンツを失わない範囲で最終合意に至るという筋書きを経ることは他の例でもよくあることで、そのことを双方共に条件としていたはずだ。

 その筋書きを巧妙に仕上げることができればできる程、最初の誤解・勘繰りなど、問題外とすることができる。

 太田昭宏国土交通相が安倍晋三と会食したことも誤解を受けやすい時期の出来事とすることができる。「安全保障法制整備に関する与党協議会」の初会合5月20日から20日後の6月10日夜、安倍晋三は公明党議員でもある太田昭宏国交相や同党若手議員9人と都内のフランス料理店で会食したと「MSN産経」が伝えている。安倍接待にかかる会食であるはずだ。

 記事解説。〈集団的自衛権行使容認に向けた閣議決定の時期が焦点となる中で、慎重姿勢を崩さない公明党 側への“懐柔”との臆測も飛び交った。〉

 「憶測」と言えば体裁はいいが、当然の勘繰りであって、安倍晋三がこの勘繰りを予想していなかったとしたら、頭の程度を曝すことになる。

 この会食接待には双方にとってどのような意味があったのだろうか。 

 集団的自衛権閣議決定には閣僚の証明が必要となり、その署名は一人として欠かすことはできない。太田国交相が署名を拒否したなら、安倍晋三は太田国交相を罷免して、自身が代理となるか、別の人間を任命して、署名にこぎつけなければならない。このような経緯は公明党の与党からの離脱を伴う。憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認に反対、あるいは方法論に関わらず集団的自衛権行使そのものに反対の世論が高い中で行使容認に反対、もしくは慎重な公明党の与党離脱は安部政権に一定程度の打撃となる。

 このことは公明党与党離脱を経ずとも、与党合意案閣議決定後の共同通信社の7月1日・2日世論調査で安倍内閣の支持率が6月調査マイナス4.3%の47.8%と下落したことが証明することになる。公明党が反対を貫いて与党を離脱したら、内閣支持率はもっと下がることになったろう。

 会食接待には前段がある。マスコミの報道で知ったことだが、この会食を遡ること4カ月前の2014年2月12日の衆院予算委員会で次のような答弁を行っている。

 大串博民主党議員「総理がおっしゃった、2月5日の、『集団的自衛権の行使に関して、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は必ずしも当たらないと我々は考えている』、この考えに同意されるか、如何か。国会で答弁された総理の言葉でありますので、これに対して同意されるかどうかということをお尋ねしているわけでございます。是非、この点に関してお答えください」

 太田国交相「私としては、今お答えをしているつもりでありまして、総理は繰り返し、安保法制懇の中でそうしたことも含めて、私が申し上げたのは、そこの文言ということにもさらに膨らみとかさまざまな背景があって、総理はいろいろな機会にこの国会の場でお話をしているところでありますので、その総理がお話をしているということについては、私は認めている立場にございます」

 大串博民主党議員「いま一度確認させていただきます。

 いろいろなところで発言されていることを認められたというふうにおっしゃっていました。

 では、この言葉、集団的自衛権の行使に関して、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによってこれは可能であり、憲法改正は必要ではないという立場、これに対しては同意されるんでしょうか。この点に関して明確にお答えください」

 太田国交相「その件は、まさに私が今申し上げております、必要ないとかそういうことを総理自身がおっしゃっているのではない、私はそのように解釈をし、それはまさに総理にお聞きになったらいかがでしょうかということを申し上げたいと思います」

 大串博民主党議員「総理は、集団的自衛権の行使に関しては、政府が適切な形で解釈を明らかにすれば憲法改正は必要ではないと明らかにおっしゃっているので、私は、公明党の皆様の議論が本当に大事だと思うから、ありがたい議論だと思うから、この憲法改正が必要だという指摘は必ずしも当たらないという点について、これを同意されるかということをぜひ太田大臣に明確にお答えいただきたい、そういうことです」

 太田国交相「この国会でも累次総理が発言をしてきているということを全て含めまして、私は総理がお答えになっているということに同意をしているということでございます」――

 最初は明確に答弁することができなかったからだろう、意味不明なことを発言していたが、大串議員に再々度の追及を受けて、集団的自衛権行使に関わる安倍発言の全てを同意していると認めた。

 以上のことから、安倍晋三の会食接待の考え得る意味はこういった太田国交相の姿勢に対する功労の意味なのか、接待を承知させることで逃げ場をなくそうとしたのか、あるいは接待に念を押す意味を込めたのか、そのいずれかであったとしても、太田国交相は会食接待を受けるについてはその全てを予想し、どのような意味であったとしても受け入れる姿勢で承知したはずだ。

 何の意図も意味もない、単なる会食に過ぎないと解釈していたとしたら、時には海千山千の権謀術数を必要とする政治家の才能に程遠いということになる。

 いずれにしても北側公明党副代表にしても、公明党からただ一人安倍内閣に参加している太田国交相にしても、勘繰られても仕方のない時期の接待に勘繰りを物ともせずに応じた。

 もし公明党が最初から徹頭徹尾反対の姿勢を貫く姿勢でいたなら、例え最終的に妥協することはあっても、勘繰りを受けるどのような接待も受けなかったはずだ。自民党側が接待受諾を合意の意思表示と解釈しない保証はないからだ。

 しかし結果的には最初の反対の姿勢とは正反対の公明党の妥協で成り立たせた合意となった。いわば接待に対するマスコミや世間の勘繰りが象徴していたとおりの結末となった。誤解・勘繰りを受けやすい時期の接待であることを承知して受けたはずだから、単なる偶然という言い訳は許されない。

 だとしたら、サル芝居と見られても仕方のない集団的自衛権憲法解釈容認の合意劇であるはずだ。

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北朝鮮が弾道ミサイル発射しても、安倍政権が日朝政府間協議を中断しなかったことで学習したこと

2014-07-03 09:20:54 | Weblog




      生活の党PR

      《『生活の党 機関紙15号』》

      1P
      ◆小沢一郎代表 巻頭提言
      野党再編の最大の目的は政権交代。その実現に向け、野党は非自民で連携し各選挙区で統一候補を出すことが重要
      ◆声明:集団的自衛権行使を容認する閣議決定を受けて 小沢一郎代表

      2-3P
      ◆第186回国会活動報告
      「改正国民投票法」成立、「歳入庁設置法案」、「死因究明等推進基本法案」、「公認心理師法案」他の国会提出

      4P
      ◆OPINION :法政大学法学部教授 山口二郎
      一強多弱を打破するために

      ◆訪米活動報告:市民の声を米国各層へ 玉城デニー幹事長代理

 5月26~28日にスウェーデン・ストックホルムで開催した日朝政府間協議を「特別調査委員会」の組織実効性を問うために7月1日にも再度開催を予定していた中で、北朝鮮は6月29日午前5時頃、弾道ミサイル2発を日本海に向けて発射した。

 同じ6月29日の昼前に岸田外相がカンボジア訪問のために羽田空港を出発している。待ち構えていたのだろう、記者たちが早速北朝鮮の弾道ミサイル発射を質問した。

 岸田外相「今回のミサイルの発射は日朝ピョンヤン宣言や国連の安全保障理事会の決議などに違反しており、日本として大使館ルートで北朝鮮側に厳重に抗議した。アメリカや韓国など関係国と情報収集などで連携し、しっかり対応していかなければならないと考えている。

 7月1日の日本と北朝鮮の政府間協議の開催に変更はない。政府間協議でも、この問題をしっかり取り上げたい。協議は拉致問題を扱う場所だが、今回はミサイルや核の問題を取り上げる大切な機会であるとも考えている。北朝鮮に対し、国連安全保障理事会の決議などの順守を求めていかなければならないと考えている」(NHK NEWS WEB

 下線部分は解説文を会話体に直した。

 北朝鮮が6月29日午前5時頃、日朝ピョンヤン宣言や国連の安全保障理事会の決議等に違反する弾道ミサイル2発を発射したにも関わらず、岸田外相は同日昼前に羽田空港で、「7月1日の日本と北朝鮮の政府間協議の開催に変更はない」と口にした。

 岸田外相が自宅から羽田空港に向かったのか、首相官邸に立ち寄ってから羽田空港に向かったのか分からないが、安倍内閣は北朝鮮弾道ミサイル発射の6月29日午前5時頃から昼前近くの6時間前後の間に北朝鮮の弾道ミサイル発射が日朝ピョンヤン宣言と国連安保決議に違反する行為であるにも関わらず、7月1日の日朝政府間協議の開催に変更はないことを決めていたことになる。

 いわば拉致解決に向けて進むことを優先させた。政府間協議で弾道ミサイル発射問題を取り上げるとは言っているが、北朝鮮は制裁によって経済的損失は伴っても、国連決議さえ無視しているのだから、日本の言葉での抗議や国連安保理決議遵守要求など、痛くも痒くもなく、北朝鮮の違反に目をつぶったことになる。

 既知の事実となっているが、2012年11月15~16日に野田政権下で日朝政府間協議が行われたものの、12月1日北朝鮮がテポドン発射を予告、12月5日予定の2度目の協議を野田政権が延期を決めたのと正反対である。

 いわば野田政権は拉致問題協議よりもテポドン発射が安保理決議違反となることへの抗議を優先させた。

 この前例からすると、北朝鮮にとっては弾道ミサイル発射は、マスコミは習近平中国国家主席の訪韓を前にした中韓連携に対する牽制との見方を示しているものの、どの国にとっても重大な国連決議違反であることに変わりはないのだから、7月1日の日朝政府間協議に向けた賭けでもあったはずだ。

 もし安倍政権が日朝協議を中止したり、延期したりしたなら、北朝鮮が望んでいる制裁解除をフイにすることになる。

 だが、安倍政権はミサイル発射が日朝ピョンヤン宣言と国連安保決議に違反することよりも日朝協議を優先させた

 もしこのミサイル発射が中韓連携への牽制ではなく、あるいは中韓連携への牽制を含めた安倍政権の国連決議違反を取るか、拉致解決を取るかの対北朝鮮姿勢を試すリトマス試験紙の役割も担わせていたとしたら、どうなるだろうか。

 尤も担わせていなくても、明快な答を得た。もし担わせていたとしたら、賭けは自身にとっての肯定的な答を得るある程度の読みがなければ、その読みに裏切られることがあったとしても、できないために安倍政権が出す答をある程度読んでいたことになる。

 読みの根拠は安倍晋三が拉致問題に関して機会あるごとに発言している「必ず安倍内閣で解決する」と期限を区切った言葉にあるはずだ。例え長期政権を築くことができたとしても、永遠に続くわけではない。区切った期限内に解決できなければ、政治能力を疑われ、言葉のメッキを剥がすことになる。時間があっと言う間に進んでしまうのに対して期限内の解決という制約を自らに課したのである。

 拉致解決優先姿勢と弾道ミサイル発射に対する抗議が言葉だけのもので終わったことは7月1日の日朝協議での日本側代表である伊原外務省アジア大洋州局長と北朝鮮側代表である宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使の対応から見ることができる。

 《日朝政府間協議 「特別調査委」を説明》NHK NEWS WEB/2014年7月1日 14時08分)

 記事題名にあるように、記事は北朝鮮側が北朝鮮設置の拉致問題等調査のための「特別調査委員会」の組織や構成、権限を説明したとしている。

 伊原アジア大洋州局長「(北朝鮮の弾道ミサイル発射は)国連安全保障理事会の決議や日朝ピョンヤン宣言の趣旨に相いれず、極めて遺憾だ。厳重に抗議するとともに発射を繰り返さないよう強く求めたい」

 ソン・イルホ日朝国交正常化担当大使「前回の合意を誠実に履行するため、それぞれが、自らの役割を責任を持って行うことが重要だ。我々が準備したことを午前中の協議で説明したい。

 (弾道ミサイルの発射については)我々は国連の決議を認めていない」――

 北朝鮮は国連決議であろうと、日朝ピョンヤン宣言であろうと、違反することを無視して発射を繰り返しているのであり、日本側もそのことを承知していなければならない事実なのだから、伊原アジア大洋州局長の言葉だけの抗議は儀式に過ぎなかった。

 伊原局長のこの発言は協議が始まる前の報道陣がいるところで行ったと、次の記事、《【日朝局長級協議】北、ミサイル発射抗議にも過剰な反応せず 制裁解除に照準》MSN産経/2014.7.1 22:20)が書いている。

 伊原局長「本当に重要なのはこれからだ。日朝合意を着実に履行して実効性のあるものにしていく必要がある。(弾道ミサイル発射は)国連安全保障理事会の決議、日朝平壌宣言の趣旨と相いれない。二度と繰り返さないように強く求める」――

 記事解説。〈報道陣の前で抗議したのは、日本が拉致問題の解決を優先し、核やミサイル問題を後回しにするのではないかという国際社会の懸念を払拭する狙いがあった。〉――

 この記事は日本側抗議に対する宋大使の発言を伝えていない。伊原発言に対する宋大使の対応についてのみ伝えている。〈日本側の抗議に対し、宋氏は過剰な反応は示さず、すぐに北朝鮮が拉致被害者らを含む全ての日本人の再調査実施のために設置する「特別調査委員会」の話題に切り替えた。

 北朝鮮の最大の関心は、再調査と引き換えの制裁解除だ。午後の会談の冒頭、宋氏がわざわざ、制裁解除に向けた日本側の準備状況について説明を求めたのもそのためだ。〉――

 要するに拉致問題協議最優先であって、その最優先の前に弾道ミサイル発射をさしたる問題としなかったために単なる儀式で終わる言葉の抗議を行ったに過ぎなかった。

 安部政権が北朝鮮の日朝平壌宣言違反は兎も角、国連安保理決議違反となる弾道ミサイル発射に対するそれ相応の対応を排除して拉致問題を優先させたことはそのまま北朝鮮の学習事実となったはずだ。

 安部政権に対しては拉致問題が何よりも最有力の外交カードとなるという学習事実である。

 もしこのような事実を学習したとすると、有効期限を長持ちさせるために拉致カードの全部を一度に吐き出すことはしないはずだ。

 拉致カードの中でも、最も強力なカードを最後の最後まで残しておくかもしれない。

 これも安倍晋三がミエを切ったからなのか、「必ず安倍内閣で解決する」と期限を区切ったことから始まった、その足元を見た拉致カードであるはずだ。

 安部政権は7月1日の日朝政府間協議を受けて、北朝鮮設置の「特別調査委員会」を実効性ある組織と見做して一部制裁解除の方針だと今朝のテレビのニュースが伝えていたが、北朝鮮側が調査を開始しないうちからのエサよりも、成功報酬としなかったことは果たして正しかったことだったろうか。

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国民の命と平和な暮らしを守るための集団的自衛権行使だと言うなら、行使容認の条件を直接国民に問え

2014-07-02 09:04:37 | Weblog




      生活の党PR

       《7月3日(木)小沢一郎代表と堀茂樹教授のちょっと硬派な対談Part5(FINAL)生中継》

       [テーマ]「21世紀 日本のグランドデザイン」
       [日 時]7月3日(木)16:00~18:00
       [Ustream]
  
      《7月1日(火) 集団的自衛権行使を容認する閣議決定を受けて 小沢代表声明発表》

      本日、安倍内閣は集団的自衛権行使を容認することを閣議決定しました。
      これを受けて小沢一郎代表が声明を発表しました。
      生活の党HPからご覧ください。

 自民・公明両党が7月1日、集団的自衛権などを巡る与党協議を開催、従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定案で合意、これを受けて同夕方、臨時閣議を開催、閣議決定を行い、同6時から安倍晋三が記者会見を行った。

 発言は、首相官邸HP《安倍首相記者会見》(2014年7月1日)に拠った。 

 集団的自衛権行使の目的を、「国民の命と平和な暮らしを守るため」だと、6回言っている。そのうちの1回は「国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく」、もう1回は「国民の命と平和な暮らしを守ることを目的としたものであります」と表現は少し違っているが、言っていることは同じである。

 「国民の命と平和な暮らしを守るため」の集団的自衛権行使だと言うなら、国民自身に行使容認の条件を直接問うべきだろう。問う方法は衆院を解散して、国民の選択に委ねるもいいし、国民投票法を活用してもいいはずだ。

 安倍晋三は冒頭発言早々、「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく。内閣総理大臣である私にはその大きな責任があります」と言っているが、首相としての安倍晋三に永遠性があるわけではない。「守り抜いていく」という永遠性を担うことができるのは総合性としての国家であって、「国家にはにはその大きな責任があります」とその永遠性を総合性としての国家に担わせるべきを、それをさも安倍晋三個人のみが担っている永遠性であるかのように言うのは、いくら自分を売ることに長けているとしても、不遜の至りとしか言い様がない。

 安倍晋三は海外の紛争からの脱出日本人を米軍が保護・救出し、安全地帯への海上輸送中に攻撃された場合に自衛隊がその米艦船を守ることを集団的自衛権行使の例として挙げて、いわば集団的自衛権行使とはその程度のことなのだからという意味を持たせて、そのことを根拠に、「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれる」というのは「誤解」であって、「外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません」と断言している。

 そして「仮にそうした行動をとる場合であっても、それは他に手段がないときに限られ、かつ必要最小限度」の軍事的行動でなければならないと制約を設けるかのように言っている。

 中東やアフリカ等の海外の紛争地からの脱出日本人を米軍が海上輸送中に攻撃された場合は日米が協力した敵攻撃の撃退で済むこともあるかもしれないが、敵側部隊の影響下にある紛争地帯で日本人を救助・保護下に置いた米軍を敵部隊が襲った場合の自衛隊の集団的自衛権行使からの共同自衛行為が戦闘の拡大を招かない保証があるわけではあるまい。

 要するに救出日本人を輸送中の米軍艦船に対する敵側攻撃と自衛隊の防護参加は全般的な例とはなり得ないということである。

 と言うことは、軍事力行使に関しても武器使用に関しても常に「必要最小限度」であるという保証もないことになる。

 既に触れたように安倍晋三は集団的自衛権行使とはその程度のことなのだからと思わせる情報操作を行ったに過ぎない。あるいは虚偽情報を流した。

 この情報操作・虚偽情報は次の発言からも見ることができる。

 安倍晋三「日本国憲法が許すのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民を守るための自衛の措置だけです。外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。むしろ、万全の備えをすること自体が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく大きな力を持っている。これが抑止力です」

 「外国の防衛それ自体」を初期的目的とする武力行使は考えていないとしても、如何なる国に於いても外敵に対する一つ一つの軍事力行使(=戦闘行為)が国の防衛と国民を守る「自衛の措置」を出発点としているのであって、自衛隊が集団的自衛権のもとそこに参加した場合、結果として「外国の防衛それ自体」の協力ということになる。

 もしこの論理が否定されるとしたら、外国に派遣された自衛隊の道路建設や学校建設等のPKO活動は武器を持って外敵と戦い、その勢力を駆逐して平和を確立することの一翼を担ったわけではないからという理由で、その国の平和に貢献したとする論理は成り立たないことになる。

 例え軍事力を以って平和の確立に参加しなくても、自衛隊のPKO活動は平和に備えた活動、あるいは平和を目的とした活動なのだから、そのようなことを出発点とすることによって平和に貢献したとすることができるはずである。

 当然、それが単発的な戦闘であったとしても、自衛隊が集団的自衛権を行使して防衛行動に参加した場合、軍事力行使(=戦闘行為)が広範囲に拡大し、あるいは全国土的に波及しない保証はない以上、途中で降りることは許されないだろうから、自衛隊が結果的に戦争に巻き込まれない保証もない。

 この無保証は「万全の備えをすること自体が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく大きな力を持っている。これが抑止力です」と言っていることの無保証に波及しない保証もない。

 安倍晋三は紛争地からの保護・救助の日本人を海上輸送中の、攻撃を受けた場合の米艦船を守るために自衛隊が集団的自衛権行使する理由として、「人々の幸せを願って作られた日本国憲法がこうしたときに国民の命を守る責任を放棄せよといっているとは私にはどうしても思えません。この思いを与党の皆さんと共有し、決定いたしました」と言って、日本国憲法を「人々の幸せを願って作られた」と最大限に持ち上げているが、安倍晋三は日本国憲法を占領軍が作った占領憲法だからと言って、日本人自身の手で改正し直すを持論としている。

 集団的自衛権行使の国民の理解を得るために「人々の幸せを願って作られた日本国憲法」といった持ち上げに過ぎないはずだ。

 「人々の幸せ」とは、「国民の命と平和な暮らし」の保障であるはずである。その保障が「人々の幸せ」を約束し、日本国憲法がその約束を謳っているという意味の安倍発言となる。

 だとすると、集団的自衛権行使の目的を「国民の命と平和な暮らしを守るため」だとすることは日本国憲法が既に保障している集団的自衛権行使ということになって、憲法解釈変更は矛盾することになる。

 実際には日本国憲法は集団的自衛権行使を保障していない。安倍晋三が言っている「人々の幸せを願って作られた日本国憲法がこうしたときに国民の命を守る責任を放棄せよといっているとは私にはどうしても思えません」は日本国憲法の平和主義にかこつけた憲法解釈変更のための詭弁に過ぎない。

 安倍晋三は冒頭発言最後に次のように言っている。

 安倍晋三「私は、今後とも丁寧に説明を行いながら、国民の皆様の理解を得る努力を続けてまいります。そして、国民の皆様とともに前に進んでいきたいと考えています」――

 国民の理解を得る努力は努力すればいいというものではなく、国民の理解を確かな方法で確かめなければならない。安倍晋三は記者との質疑で、集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更は「憲法の規範性を何ら変更するものではない」と断言しているが、それは安倍晋三とその一派の解釈であって、逆の解釈をする憲法学者やその他の識者も大勢いる。

 確かめもせずに「国民の皆様とともに前に進んでいきたい」は矛盾そのもののご都合主義に過ぎる。

 確かな方法による国民の理解の確認は国民がどちらの解釈に与(くみ)するのかの確かな方法による確認でもある。衆院を解散して、国民の信を問うなり、国民投票法を活用して決着をつけるなりすれば、その結果に国民にしても、直接集団的自衛権行使によって戦闘に参加する自衛隊にしても納得するはずである。

 安倍晋三みたいな国家優先の国家主義者に国民の命と平和な暮らしを守る責任を一人で担っているような気負いを持たせることは、そこの国家優先の力学が働くこととなって、危険きわまりない。

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