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岡山県倉敷市小学5年生女子児童誘拐報道から見た警察の対応に見るいくつかの疑問点

2014-07-21 10:14:56 | Weblog


 岡山県倉敷市で誘拐された小学5年生女子児童(11)が5日ぶりに無事保護され、容疑者は逮捕された。岡山県警が公開捜査に踏み切ってから、新聞・テレビの報道の量は生半可なものではなかったはずだ。県警の公開捜査開始以降、県警には情報が100件以上寄せられいたというから、報道で誘拐を知った倉敷市近辺の関心も高かったに違いない。

 だが、各報道からの判断だが、警察の対応にいくつかの疑問点を感じないわけにはいかない。

 先ずマスコミ報道から誘拐に至るまでの経緯と誘拐から無事保護・容疑者逮捕までの経緯を時系列で記してみる。
 
 ① 5月上旬、女子児童の母親が「自宅近くで不審なシルバーの乗用車に付きまとわれた」と地元倉敷署に電話で相談。

 「娘が下校途中に何回かこの車を見た。車には男が乗っていて娘がつきまとわれていると思った」(NHK NEWS WEB) 

 目撃した車のナンバーの一部を記憶。但し、切迫した状況ではないと思い、被害届は出さなかった。 

 ② 6月、母親が似た車を目撃。母親、防犯対策のため女子児童にGPS機能付きの携帯電話を持たせる。

 ③ 7月14日午後4時頃、自宅から約2キロ離れた小学校から1人で下校。

  下校時母親に電話「これから帰る。迎えに来てほしい」
  母親「病院に行く用事があって迎えに行けない」

 ④ 7月14日午後4時半頃、女子児童に似た子が自宅近くに止まっていた銀色っぽい車のそばで、30~40代の男と立ち話をしているところを近くの住民が目撃。

  同時間帯、同級生らが女子児童が車の前で若い男と立ち話する姿を目撃。 

 ⑤ 7月14日午後5以降、女子児童が普段の帰宅時間の午後5時頃になっても家に戻っていないことから、携帯に電話。つながらず、携帯GPS機能の位置情報を検索。自宅の北東約2キロにある中学校周辺の2カ所に集中。母親が付近を探すが、見つからず、警察に通報。記憶していた車のナンバーの4桁の数字を伝える。

  県警はこれと合わせ、失踪直前に女児と話していた不審者の目撃情報や、女児が持っていた携帯電話の全地球測位システム(GPS)が示した位置情報などを中心に捜査を展開。

 ⑥ 7月15日夜、県警は公開捜査に踏み切る。

 ⑦ 7月18日、近所の人が今年4月下旬頃に女の子の自宅付近でシルバーの不審な車と、男が車のナンバープレートのようなものを外す不審な行動を目撃。その下から見えたナンバーの4桁の数字を覚えていて、警察に通報。

  その情報によって車の絞り込みが進み、容疑者の特定に至った。

 ⑧ 7月19日夜、女子児童を岡山市内で無事保護。男を逮捕。

 ⑨ 7月20日午前0時20分、藤原容疑者の自宅から車をレッカー車で押収。

 以上だが、警察の対応に感じたいくつかの疑問点を取り上げてみる。

 母親が「娘が付きまとわれているようだ」と5月に警察に通報したときに、覚えていた車のナンバーの一部を警察に通報しなかったのだろうか。11歳の娘に対する付き纏いの疑いを持ち、身の危険を心配して警察に電話で相談している以上、念のためとしてナンバーを伝えていないということは考えにくい。

 ナンバーは伝えたものの、母親は切迫した状況ではないと思い、被害届は出さなかったと見るべきだろう。

 つまり警察は被害届が出されていないということで、言い替えるなら、事件は起きていないということで、相談で終わらせ、相談内容を放置した。何か間違いが起きてはいけないと、ナンバーを照会して、知り得た住所を巡回範囲とする交番の警察官にその人物が果して危害を及びそうな不審人物かどうかを確かめさせることもしなかった。

 あるいはパソコンをちょっと動かすだけの短時間で済む、ナンバーから人物を特定して、犯歴データベースで性犯罪の前科があるかどうかといった調査を行い、前科がなかったとしても、参考のために記録しておくこともしなかった。

 調べて記録していたなら、女子児童が行方不明となり、母親や近所の住人から聞き込み得た情報と突き合わせれば、結果はシロということはあっても、疑わしき人物を直ちに特定できたはずだ。

 実際のところはどう推移したか不明だが、マスコミ報道を見る限り、母親から相談を受けたときの警察の対応に疑問を持たないわけにはいかない。

 7月18日に近所の人が今年4月下旬頃に女の子の自宅付近でシルバーの不審な車と、男が車のナンバープレートのようなものを外す不審な行動を目撃。その下から見えたナンバーの4桁の数字を覚えていて、警察に通報し、その情報によって車の絞り込みが進み、容疑者の特定に至ったということになっているが、マスコミは母親と近所の人が目撃した数字4桁と藤原容疑者の車のナンバーが一致して、容疑者が特定されたと伝え、あるいは4桁のナンバーは女児の母親が以前見かけて記憶していたものと一致していたと伝えている。

 いわば母親が目撃したナンバーの4桁の数字はニセのナンバープレートの数字ではなく、陸運局が発行したホンモノのナンバープレートの数字だったことになる。5月に母親が電話で相談したときにナンバープレートの数字を伝えていなかったとしても、あるいは伝えていたが、警察が聞いただけで放置していたとしても、母親は女子児童が行方不明になった7月14日に警察にその番号を伝えている。

 その後容疑者がニセのナンバープレートをつけていたとしても、陸運局が記録しているナンバーはゴマカシようがなく、住所と氏名を直ちに特定できたはずだ。テレビの刑事物語では現場で捜査している刑事が携帯で本署等に照会すると、さして時間を置かずに返事の連絡があって、氏名・住所を割り出すシーンによくお目にかかる。

 なぜ4日近くも特定できなかったのだろうか。

 当然、7月18日の近所の人の通報を待たなくても済んだはずだが、マスコミはその通報によって車の絞り込みが進み、容疑者の特定に至ったかのように報道している。

 県警が7月15日夜に公開捜査に踏み切った翌日から、テレビの各時間帯のニュース、朝のワイドショー番組は一斉に取り上げ、新聞も各社共に朝刊で報じたはずで、事件の性質と報道の量に応じて人々は事態が切迫していることを感じ取って関心を高く持ったはずだ。

 事件を知った人間なら、事態が切迫していることを感じ取らなければならないはずだが、なぜ近所の人は7月15日夜の公開捜査から3日も経過した7月18日に記憶していた車のナンバーを通報したのだろう。遅過ぎはしないだろうか。

 それとも7月18日になって、事件を知ったということなのだろうか。マスコミがあれだけ報道しているのに。疑問だらけである。

 勘繰るとするなら、地元倉敷署は5月の母親の電話相談を放置した。車のナンバーの一部を伝えられていながら、何の対応も取らなかった。7月14日に行方不明の通報があってから、母親に5月の電話相談を知らされたからなのか、県警は倉敷署が何の対応も取らなかったことを知り、改めて伝えられた車のナンバーを直ちに照会して、直ちに氏名・住所を割り出したのでは、なぜ以前、同じことをしてくれなかったのだとクレームがついた場合、警察の責任となることから、その責任を回避するために照会を遅らせ、7月18日の近所の人のナンバー通報をデッチ上げて、その通報によって車の所有者が絞り込むことができたように偽装した。

 勿論、これは勘繰りに過ぎない。警察はそこまでしないだろう。

 だとしても、母親の7月14日の通報から、7月18日に所有者を割り出すまでの時間がかかり過ぎている。しかも近所の人のナンバーの通報から容疑者を割り出し、逮捕するまでに1日しか経っていない。

 勘繰らせる疑問が多過ぎる。

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サッカーワールドカップドイツ人選手に現れた消えずに血としていたドイツ民族優越意識

2014-07-20 03:55:18 | Weblog

 


      生活の党PR

       《7月19日『ウクライナ東部におけるマレーシア航空17便の墜落について』鈴木克昌代表代
      行・幹事長談話》
    

      マレーシア航空17便が7月17日、ウクライナ東部で墜落し、乗客乗員298人の尊い命が失われる
      という痛ましい悲劇が起こりました。
      犠牲者及びご家族に心からの哀悼の意を表します。

      この事故は、撃墜の可能性が指摘されています。国連安全保障理事会は7月18日、関係当事者に対
      して完全で独立した国際的な調査を求めました。

      日本政府が国際社会と連携し真相究明のためにできる限りの協力をするよう求めます。      

 サッカーワールドカップ・ブラジル大会優勝のドイツ代表チームのメンバーが祝勝イベントで決勝を争ったアルゼンチンチームを蔑視するパフォーマンスを演じてみせて、ドイツとアルゼンチンで批判の声が上がっているという。

 《独 選手のパフォーマンスに批判の声》NHK NEWS WEB/2014年7月17日 22時23分)

 どのような批判の声が上がったかと言うと、記事は、〈優勝を争ったアルゼンチンへの配慮を欠く行為だとして〉と伝えているが、自分たちドイツチームが優勝したことに対する偉大さの感情と対比させてアルゼンチンチームがドイツチームに敗れ去ったことに対する偉大さとは正反対の感情を向けていたたのだから、「配慮を欠く行為」で片付けるべきではなく、蔑視の感情を込めたあるまじき行為としなければならないはずだ。

 7月15日、首都ベルリンに凱旋帰国して、ブランデンブルク門の前で約40万人の市民を集めて祝勝イベントを開催した。

 そしてアルゼンチン戦で決勝ゴールを決めたゲッツェ選手やクローゼ選手等代表メンバー6人がステージ上で、アルゼンチン代表を南米でカウボーイを意味する「ガウチョ」に擬(なぞら)えて、「ガウチョはこう歩く」と背を丸めながら小声で歌ったあと、「ドイツ人はこう歩く」と大きく胸を張って飛び跳ねるパフォーマンスをおよそ4分に亘って披露したという。

 いわばワールドカップの優勝戦での勝敗そのままにドイツ人を評価し、アルゼンチン人を評価した。アルゼンチン人を卑小扱いし、ドイツ人を偉大だとした。

 このようなパフォーマンスに対して記事は、〈アルゼンチン国内では「気分を害する行為だ」とか「挑発的だ」として反発の声が上がっているほか、ドイツの新聞も「強烈なオウンゴール」などと伝え、配慮を欠く行為だとして批判の声が相次いでい〉ると伝えている。

 勿論ドイツが経済大国であることやノーベル賞受賞者の多さ等から判断した教育水準の高さ、国力の大きさも背景にあっただろうし、そういった自分たちドイツ人が築き上げた数々の事実からくる普段の自信や誇りにも裏付けられていたはずだが、彼らはサッカーワールドカップ決勝戦の勝ち負けの一事によって、その高揚感と共にドイツ人としての普段の自信や誇りをもそこに込めて、総合性としてのドイツ人の偉大さを表現し、そのことから比べたアルゼンチン人が劣ることを演じてみせた。

 ここに民族差別意識がなかったとしたら、ウソになるはずだ。特に民族差別意識は何らかの民族的な高揚感が働いたときにより強く作動する。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災時の日本人による朝鮮人・中国人虐殺は地震の混乱に紛れて朝鮮人が井戸に毒を撒いたというデマに踊らされて生じた朝鮮人に対する激しい敵意が日本人として懲罰を与えるという民族的な高揚感を誘発して元々あった民族差別意識を刺激、中国人をも巻き込んで数々の凄惨なリンチの形を取ることになった、民族と民族を対峙させた全体像であったはずだ。

 ドイツの場合、ヒトラーはドイツ民族を世界で最も優秀なアーリア人種に価値づけていて、第2次世界大戦で劣等視したユダヤ人の抹殺と世界支配を試みた。常に他民族に対して自民族を対峙させていた。

 その時のドイツ民族優越意識は消えずに残っていて、サッカーワールドカップ優勝で選手たちの中でその血が頭を持ち上げたようだ。
 
 スポーツに限らないが、個々のスポーツの優秀な成績や成績に貢献した個人個人のスポーツの優秀な能力を民族の血や能力に結びつけたとき、他民族を蔑視するような始末の悪い形で民族優越主義が露出されることになる。

 試合終了後健闘を讃え合った姿はそうすることとなっている単なる習慣として行ったジェスチャーに過ぎなかったようだ。

 正々堂々と全力を尽くして競技するスポーツマンの態度・精神を言うスポーツマンシップは民族優越意識には勝てなかったようだ。 

 日本人は第2次世界大戦中、海外の戦闘地域や支配地域で相手外国人に対して数々の残虐行為を行った。残虐になり得たのは元々日本人が人種や民族を、あるいは個々の人間自体さえ、上下で価値づける権威主義を行動様式としていたからで、他人種や他民族を日本民族よりも劣るとしていたから可能とすることができた。

 もし対等意識があったなら、不可能な残虐行為だったろう。

 個々の成績や個々の能力を民族の血や能力に結びつけることは日本人としても気をつけた方がいい。

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マレーシア機撃墜、プーチンを信用するな、プーチンを信用するのは安倍晋三だけにしろ

2014-07-19 07:24:37 | Weblog

 


      生活の党PR

       《7月15日(金)鈴木克昌代表代行・幹事長記者会見要旨》
   
      『滋賀県知事選挙結果、安倍政権の潮目が変わるきっかけとなりうる』

       【質疑要旨】
      ・野党連携、選挙協力について
      ・民主党との党首会談について
      ・予算委員会質問者について

 オランダのアムステルダムを出発し、マレーシアのクアラルンプールに向かっていたマレーシア航空のボーイング777型機がウクライナの東部上空を高度1万メートルで飛行中、ミサイルによって撃墜された。乗客280人、乗員15人全員が死亡したと見られると報道されている。

 ウクライナ政府は「テロリストの仕業だ」と親ロシア派の武装集団を強く非難。親ロシア派武装集団は「上空1万メートルを飛ぶ航空機を攻撃できる武器は持っていない」と否定、ウクライナ軍による撃墜だと主張しているという。

 だが、親ロシア派武装集団「ドネツク人民共和国」は先月6月29日、自らのツイッターに射程が2万5000メートルの地対空ミサイル「ブーク」をウクライナ軍防空ミサイル部隊から奪い取ったと記載、誇示していたと「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 現在、「ブーク」に関する記述は削除されているが、ウクライナ軍防空ミサイル部隊を制圧したとの記述は残っているという。

 親ロシア派武装集団が撃墜していなければ、「我々は高度1万メートルの飛行物体を撃墜できるミサイルを所持しているが、我々は撃墜していない」と発表すべきだったろう。

 オバマ米大統領が7月18日、ホワイトハウスで緊急記者会見し、「ミサイルは親ロシア派支配地域から発射された」と述べたという。

 7月18日。

 プーチン「ウクライナ東部が平和で、戦闘が再燃しなければ、事件は起きなかっただろう。この恐ろしい悲劇に対して事件の起きた国に責任がある」(NHK NEWS WEB

 マレーシア旅客機撃墜の責任はウクライナにあると言っている。だが、ウクライナ政府側に政府施設占拠を手始めとした戦闘を仕掛けたのは親ロシア派武装集団である。プーチンの旧ソ連邦回帰の領土拡張主義がそれを内心歓迎していたはずだ。

 もしアメリカや欧州諸国の対ロ経済制裁がなければ、プーチンはウクライナ領内の親ロ派武装集団を介してもっと露骨にウクライナに対する領土蚕食の動きに出ていただろう。

 アメリカは7月16日、プーチンがウクライナ国内の親ロシア派武装集団に対して事態の鎮静化に向けた影響力を何ら及ぼしていないとして金融、エネルギーを含むロシア基幹産業の主要4社などを対象に追加の経済制裁を発動している。

 にも関わらずプーチンは自身に責任はないとしている。

 プーチンを信用してはいけない。プーチンを信用するのは安倍晋三だけにしろ。

 一旦はウクライナ国境からロシア軍を撤退させてはいたが、国境を超えて兵員や武器、資金を提供し続け、再び国境地帯にロシア軍部隊を集結させているという。

 7月17日、ウクライナの保安庁が記者会見を開き、親ロシア派の武装集団の1人がロシア軍の情報将校に電話で報告している会話を傍受したと発表、傍受した音声を公表したと、「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 武装集団兵士音声「先程飛行機を撃墜した。撃った飛行機を探したり、写真を撮ったりした。煙が出ている。飛行機はウクライナの戦闘機だったかもしれないが、飛行機にはマレーシア航空と書いてあるらしい」――

 勿論、撃墜したのは親ロ派武装集団と見せかける自作自演の傍受音声と疑うこともできる。だが、撃墜したのがウクライナ側であり、それが露見した場合、親ロ派武装集団との戦闘に於ける正当性の全てを失う危険性をウクライナ側は抱えることになる。

 国際世論の大勢はウクライナ国内の戦闘の非が親ロ派武装集団とロシアにあると見ている。民主国家の中でロシアと親ロ派の非に声を上げないようにしているのは安倍晋三だけだろう。

 勿論、今回のマレーシア旅客機撃墜で声を上げているが、上げざるを得ないから上げているといったところだろう。

 ウクライナ側には正当性の全てを失いかねない危険を犯す理由はない。それに大掛かりな軍部隊としての体裁を整えた組織に所属しているミサイルなら、上空1万メートルを飛行する物体が民間機か軍用機かを識別するシステムと連絡体制に組み込まれて活動するだろうから、併せ考えた場合、ウクライナ軍のミサイルと看做すのは困難である。

 逆に親ロ派武装勢力が軍部隊としての組織立った機動性を備えた活動をしているかと言うと、軍組織を背景としてない反乱という形で発生した状況からして、部隊としての単独的な活動はできても、軍としての有機性を持たせた、その一部としての活動ができていると考えるのは無理がある。

 マレーシア旅客機を撃墜したミサイルがウクライナ軍防空ミサイル部隊から奪い取った射程が2万5000メートルの地対空ミサイル「ブーク」なのか、ロシアから提供されたそれか分からないが、人間、普段手にしたことがない武器を手に入れると、手に入れただけで力ある人間になったように錯覚し、その性能を試して、性能の力を借りて万能感に浸りたくなる。

 射程2万5000メートルの地対空ミサイルなら、射程限界までその性能を実戦で試したいと思うだろう。

 マレーシア旅客機撃墜のミサイルを発射した人物がそういった感覚にあったかどうかは証明できないが、少なくとも民間機か軍用機かを識別しないままに発射させた。軍用機だと思ったという弁解はミサイルを扱う射手として許されない。

 つまり無考えに撃墜だけを目的とした。手柄意識からの発射という可能性は捨てきれない。手柄は自身の力の証明である。但し力の正体はミサイルの性能に基づく。性能の力を借りた万能感に過ぎない。

 7月18日、欧州安保協力機構(OSCE)が真相究明のため特別調査団を派遣することを決め、先遣隊約30人がヘリコプターで現場に入ったと「日経電子版」が伝えている。

 同7月18日、国連安全保障理事会が関係当事者に国際的な独立調査の受け入れを求め、墜落現場への即時立ち入りを許可するよう要請する声明を発表したと同記事が報じている。

 いずれ真相究明がなされるだろう。

 だが、もしミサイルを発射したのが親ロシア派武装勢力であったなら、ロシアの立場が不利になること恐れてプーチンは調査に疑いを挟む発言をするかもしれないが、プーチンを信用してはいけない。政府批判の言論を制限したり、政府批判の活動を弾圧したり、同性愛者等の性的少数者の権利を抑圧したり、秘密警察時代必要としていた資質を、それがプーチンという人間の本質なのか、今なお変えずにいる。

 プーチンを信用するのは安倍晋三だけにすべきだ。

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安倍晋三の7月15日参院予算委主濱了生活の党副代表集団的自衛権質問に対する答弁に於ける詭弁の数々

2014-07-18 08:11:38 | Weblog

 
 2014年7月15日参院予算委で「集団的自衛権及び外交安全保障を巡る諸問題に関する集中審議」が行われ、主濱了(しゅはま りょう)生活の党副代表集が質問に立った。安倍晋三との質疑全文は生活の党から送られてきたメルマガがリンクしてあったPDF記事に拠った。

 《2014年7月15日参院予算委主濱了生活の党副代表『憲法の明文に反するいかなる法律、閣議決定も無効である』》 

 主濱了生活の党副代表「生活の党の主濱了であります。

 生活の党は、憲法第9条の解釈は、戦後から現在までの長年にわたる国会審議において、言わば国会と政府の共同作業によって築き上げられてきたものであります。国会審議を経ることなく一内閣の閣議決定によって軽々に変更が許されるものではないと、このように考えているのでございます。

 さて、質問通告しておりますけれども、二つ飛ばしたいと思います。実は、大塚委員の方から質問がありました。一つは明白な危険について、もう一つは閣議決定のその実力を行使することと先制攻撃についての問題であります。

 このことも踏まえまして、7月1日の総理の会見について、中心にお伺いをいたしたいと思います。これは福山委員の方からもう既にお話があったわけですが、重ねて質問をさせていただきます。

 7月1日の会見で安倍総理は、外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ないと、このように強調をされております。しかし、集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、閣議決定の文書では『我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、』とありますけれども、実力をもって阻止する権利であると、このように解されているところであります。

 とすれば、日本と密接に関係ある外国が攻撃をされれば、日本は密接な関係にある外国を攻撃した国、相手国に対して実力行使、攻撃をせざるを得なくなる、攻撃をすることができることになるわけであります。日本から攻撃を受けた相手国は、その日本の攻撃に対して、個別的自衛権に基づいて防衛のため日本に対して武力行使をすることになると、こういうことになるわけであります。この時点で日本はまさに武力による報復攻撃応酬の当事国になると考えられます。すなわち、国民は戦争に巻き込まれることになります。

 以上申し上げたとおり、安倍総理のお言葉とは全く逆に、集団的自衛権の行使は、日本が紛争の当事国になり、自衛隊はもとより国民を武力を行使する紛争に巻き込むことになると、こう考えられると、このように思います。

 このことについて、改めて安倍総理の御所見を伺いたいと思います」

 安倍晋三「今回のこの閣議決定の目的はただ一つでありまして、国民の命と幸せな生活を守るため、守り抜くためでありまして、万全の備えをつくっていく、こうした備えこそ万が一の事態の発生を防ぐ大きな力となると、このように思っております。

 今委員がおっしゃった点でございますが、我が国と密接な関係にある他国、これは条件の中に入っておりますが、三要件の中に入っておりますが、しかしこれは、国の存立が脅かされ、国民の命、生命、そして自由、幸福を追求する権利が根底から脅かされるという明白な危険がない限り、これは対応することにはならないわけでありまして、今委員がおっしゃった例は、まさにいわゆる集団的自衛権の行使、これをフルで認めたときはそうなるわけでありますが、それではないわけでありまして、他国を守るために武力を行使することはないわけであります。他国を守ることを目的に武力を行使することはないわけでありまして、海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。

 そして、自衛隊が、武力の行使を目的としてかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからもないわけでございまして、よって、外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるというのは、これは誤解であるということは申し上げておきたいと思います」

 主濱了生活の党副代表「その点については何回もお聞きしたところでありますが、いずれ、大きな違いは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、なくても行うと、ここが大きな私は分かれ目だというふうに思っております。

 ですから、これは本当に今までの流れとは全く違う流れであると、こういうふうに思っているところでございます。

 平和主義というのは日本国憲法の原則の一つであります。武力の行使、「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する。」などの明文の規定がはっきりあるわけであります。

 この憲法の明文の規定に反するいかなる法律も、もちろん閣議決定も含めてでありますけれども……」

 山崎力委員長「そろそろおまとめください」

 主濱了生活の党副代表「この憲法の明文の規定に反するいかなる法律も閣議決定も違憲であり、私は無効であると、このように考えるものであります。

 従って、たとえ数の力によって関係法律が成立したとしても、そもそも違憲でありますから、憲法81条、司法あるいは裁判所によって無効が確認されると、このように考えるものであります。

 山崎力委員長「質疑をおまとめください」

 主濱了生活の党副代表「以上申し上げて、質問を終わります。ありがとうございます」

 山崎力委員長「以上で主濱了君の質疑は終了いたしました」(拍手)

 散会――

 主濱了生活の党副代表が「その点については何回もお聞きしたところでありますが」と言っているように安倍晋三は「自衛隊が、武力の行使を目的としてかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからもない」とか、「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるというのは、これは誤解である」等、安倍式集団的自衛権行使を以てしても戦争に巻き込まれることはないことの常套句として使っている。

 念の為に改めて安倍内閣が2014年7月1日閣議決定の集団的自衛権行使の3要件を取り上げておく。 

 ①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求
  の権利が根底から覆される明白な危険がある場合。

 ②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき

 ③必要最小限度の実力行使する――

 安倍晋三は今回、集団的自衛権の行使には至らないかのような印象を与える尤もらしい言葉の操作を二度行っている。

 一度目は、「我が国と密接な関係にある他国、これは条件の中に入っておりますが、三要件の中に入っておりますが、しかしこれは、国の存立が脅かされ、国民の命、生命、そして自由、幸福を追求する権利が根底から脅かされるという明白な危険がない限り、これは対応することにはならないわけでありまして」と答弁しているが、「明白な危険がない限り、これは対応することにはならない」と言うことで「明白な危険」がさも発生しないかのような印象を与る言葉の操作をしている。

 だが、あくまでもそういった「明白な危険がない限り」の限定づきであって、その限定が絶対的なものであるなら、3要件で「明白な危険がある場合」と謳っていることと矛盾する。謳っている以上、集団的自衛権の行使もあり得ることになり、「これは対応することにはならないわけでありまして」と言っていることはまさに詭弁以外の何ものでもない。

 二度目は、「今委員がおっしゃった例は、まさにいわゆる集団的自衛権の行使、これをフルで認めたときはそうなるわけでありますが、それではないわけでありまして」と答弁していることである。 

 主濱了生活の党副代表は3要件にあるように我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合の集団的自衛権行使は日本が武力攻撃が発生した国と戦うことを意味することになって、「日本はまさに武力による報復攻撃応酬の当事国になる」と追及した。

 だが、安倍晋三は集団的自衛権の行使を「フルで認めたときはそうなるわけでありますが、それではないわけでありまして」と、どのような保証があって言っているのか、ここでも集団的自衛権行使を「フルで認め」るような事態は起きないかのような印象を与える言葉の操作を行って、「他国を守るために武力を行使することはない」と断言している。いわば集団的自衛権行使には至らないと。

 もし事実、集団的自衛権行使を「フルで認め」るような事態が起きないことが絶対保証されるなら、3要件を閣議決定したことと矛盾する。
 
 要するに詭弁を用いて主濱了副代表が言うような「報復攻撃応酬の当事国」にはならないと思わせたに過ぎない。

 安倍晋三は「他国を守るために武力を行使することはない」と言い、「他国を守ることを目的に武力を行使することはない」と同じ趣旨の言葉を繰返しているが、新3要件を厳密に解釈するなら、確かに他国を守ることを直接の目的としていないものの、他国に対する武力攻撃が我が国の存立や国民の生命、自由及び幸福追求の権利を脅かす恐れが想定される場合、国の存立と国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守ることを直接の目的として、「他に適当な手段がないとき」という条件付きながら、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を排除するために、「必要最小限度」と謳ってはいるが、実際に戦闘が行われた場合どこまで「必要最小限度」を守らせてくれるか分からないが、集団的自衛権に基づいた武力の行使を認めるということを言っているはずである。

 いわば新3要件が想定した集団的自衛権行使の場面は集団的自衛権行使に基づいた武力行使を手段として他国を守り通さなければ、我が国の存立と国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされることになり、他国を守り通すことによって我が国の存立と国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守ることができるが、逆に他国を守ることができなければ、我が国の存立と国民の生命、自由及び幸福追求の権利が深刻な状況に立たされるという、両者を切っても切れない関係に置いたことになる。

 と言うことは、他国を守ることを直接の目的としてなくても、国の存立と国民の権利を守る目的と武力行使を用いて他国を守る目的を一致させなければならない。一致させなければ、両者共に共倒れの形で破綻することになる。

 当然このような構図は安全保障上の国家危機管理から主濱了副代表が言う「報復攻撃応酬の当事国」となることをも想定しなければならない。

 いわば戦争に巻き込まれ、戦争をする国となる場合もある集団的自衛権行使を意味していることになる。

 だが、安倍晋三は「他国を守るために武力を行使することはないわけであります」と言い、「海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません」と言い、「自衛隊が、武力の行使を目的としてかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからもない」と言い、「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるというのは、これは誤解である」と言っている。

 もし安倍晋三が自身の解釈に間違いないと言うなら、新3要件がどのような構図を持たせた集団的自衛権行使となっているか、説明させるべきである。

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安倍晋三の宮城県等被災地視察は積極的平和主義外交各国訪問と同じ構造

2014-07-17 09:19:28 | Weblog

  


      生活の党PR

       《7月14日村上史好国対委員長代理衆議院予算委員会質問》

      【質問テーマ】
      『集団的自衛権の行使によるリスクを語ってこそ、議論にリアリティーが生まれる』

   
      《7月16日鈴木克昌代表代行・幹事長》

      【談話テーマ】
      『原子力規制委員会による川内原発の安全性に関する審査結果について』

 安倍晋三が7月16日、宮城県を視察した。安倍晋三の被災地入りは17回目で、うち宮城県は6回目だと「MSN産経」が伝えていた。安倍晋三は「被災地の心に寄り添う現場主義」を掲げている。であるなら、視察はその成果の程度を視察するものでなければならない。成果の確認ではない。どのくらいの成果を上げているのか、あるいは逆に上げていないのか、その程度の視察である。

 その全体によって復興の進捗状況が把握できる。

 もしその視察が自身が掲げる現場主義の自身による実践であるとしたら、単なる形式となる。あくまでも安部政権の現場主義の成果の程度を視察するものでなければならないはずだ。

 だとしても、安倍晋三の被災地視察は自身が掲げる「積極的平和主義」に則った外国訪問にそっくりの構造となっている。

 7月16日は宮城県七ケ浜町を訪れて、昨年10月に施設再建がなされ、今年9月に震災後初出荷を控えている漁業協同組合運営のノリ種苗生産施設を視察し、県特産品として今後ブランド化される焼きのりを試食したという。

 安倍晋三「香りと甘みが口の中に広がってご飯が欲しくなる。宮城の名物になる」(時事ドットコム

 記事は、〈太鼓判を押した。〉と書いているが、グルメリポーター並みの簡潔な言葉で周囲に味を伝える名ゼリフとなっている。

 そして宮城県東松島市の農業生産法人を視察して、地元産のキャベツを手に取って復興をアピールしたという。

 午後になって東松島市の災害公営住宅を視察。これらの視察の内容は次の記事、《首相 被災者の心のケア充実を指示》NHK NEWS WEB/2014年7月16日 15時41分)に拠る。

 〈津波による被害を乗り越え、コメや野菜の生産を続けている〉農業生産法人では〈土から塩を取り除くなど農地の復旧への取り組みについて説明を受け、キャベツの箱詰め作業を体験〉した。

 今年4月から入居開始の災害公営住宅では住民らと意見交換。

 住民要望「1人暮らしの人も多く、孤立を防ぐ体制作りが必要だ」

 安倍晋三「国としても新しい生活を応援したい」

 視察後記者団に対して。

 安倍晋三「1次産業が確実に復興しつつあると実感することができた。これからは被災された方々の体や心の健康のケアに力を入れていく必要を感じた。根本復興大臣に、相談員や復興支援員のより一層の充実、確保など、高齢者を含む住民の皆さんの健康管理、生活支援に向けた総合的な施策を策定するよう指示した」――

 要するに安倍晋三は災害公営住宅にしても農業生産法人にしても復興が進んでいる状況にある場所を視察している。復興が進んでいない状況にある場所がある以上、進んでいる場所を選んで視察していることになる。進んでいる場所を視察して、復興をアピールしている。

 法の支配、人権、民主主義といった価値観を同じくして、外交上の障害を何ら抱えていない外国を何カ国も訪問して、「積極的平和主義外交」だとアピールする。だが、価値観や領土問題、さらには歴史認識で対立し、険悪な関係にある外国とは絶縁状態にあり、そういった国に対しては「積極的平和主義外交」は何ら効力を上げ得ていない。

 前者・後者、同じ構造を取っている。

 災害公営住宅視察は、今年4月からの入居開始で復興が進んでいる状況にあることの象徴として選んだのだろうが、住民から問題点を指摘された。いわば物心両面の復興でなければ、真の復興ではないと指摘された。

 対して安倍晋三は、「これからは被災された方々の体や心の健康のケアに力を入れていく必要を感じた」と言って、「これから」の課題だとした。これが安倍晋三が掲げている「被災地の心に寄り添う現場主義」というわけでである。

 勿論、安部政権は「体や心の健康のケア」に一切手を打っていなかったわけではない。だから、「一層の充実、確保」と言ったのだろう。大震災3年目の2014年3月11日の前日3月10日の首相官邸記者会見でも心のケアについて触れている。

 安倍晋三「インフラや住宅の復興が幾ら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒されるわけではありません。震災から3年、長期にわたる避難生活が大きな精神的な負担ともなっています。人と人のつながりを守り、被災者が孤立することのないよう、地域の見守り体制をつくります。仮設住宅への保健師などの定期巡回を進め、被災者の心に寄り添った支援に重点を置いてまいります。

 特に子供たちへのケアは欠かせません。従来から、カウンセラーの学校への派遣を行ってきましたが、仮設住宅への巡回訪問も実施することとし、子育て世帯も含めてバックアップしてまいります。さらに、仮設住宅の空き部屋を遊び場や、学習スペースとすることで、子供たちが安心して過ごせる場所をつくってまいります。これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」――

 だが、記者会見から4カ月経過しても物質面の復興に精神面の復興が追いついていない状況を目の当たりにさせられ、安倍晋三はこれからの課題・これからの必要性とした。

 このことを裏返すと、記者会見での「ハード面の復興のみならず、心の復興」はその場限りの口先だけの言葉で、物質面の復興(安倍晋三が言う「ハード面の復興」)のみに目を奪われていたことになる。

 復興をアピールする手段として物理的に復興が進んでいる状況にある場所を選んで視察していたことは災害公営住宅工事の進捗率を見れば証明できる。

 ●宮城県の2014年6月30日現在の災害公営住宅の整備状況。

 事業着手――21市町、216地区、11947戸

 工事着工――20市町、123地区、6673戸

 工事完了――10市町、28地区、1361戸

 進捗率――11.4%

 宮城県は当初、2015年度までにすべての災害公営住宅に入居できるようにする予定でいたそうだ。

 ●岩手県の2014年4月30日現在の災害公営住宅の整備状況。

 建設予定戸数――5969戸  

 工事完成――608戸

 進捗率――10.2%

 進捗率10%~11%台の進捗率の中での今年4月入居開始の災害公営住宅を選んで視察したのである。どのような視察なのか、自ずと知ることができる。この進捗率はまた、「被災地の心に寄り添う現場主義」の成果の程度を示す一つでもあるはずである。

 安倍晋三が災害公営住宅や農業法人、あるいは復興企業を視察すると、さも全体的に復興が急ピッチで進み、被災地住民の心も明るくなっているようにみえる。首相就任以来30何カ国も訪問していることで「積極平和主義外交」が進んでいるように見え、中韓を除いた東南アジア各国での安倍外交の評価は高くなっているそうだが、一カ国との険悪な関係が全ての「積極的平和主義外交」を壊してしまわない保証がないことは歴史が教えているはずである。

 安倍晋三の場合、表面的なパフォーマンスが必ずしもそのまま実態を正直に物語りはしないことを学習しなければならない。

 精神面の復興が置き去りにされていることを示す記事がある。《被災地からのDV相談 他地域の2倍近く》NHK NEWS WEB/2014年7月4日 6時00分)

 厚生労働省等からの支援を受けている24時間電話相談「よりそいホットライン」に2013年度全国から寄せられた相談件数は延べ1421万件余り(2012年度比+333万件)。

 全体に占めるDVや性暴力の被害の相談割合。

 被災3県――全体の8.3%。
 被災3県以外――全体の4.8%

 被災3県の方が2倍近くとなっている。いわばその他の地域と比較して2倍以上の心のケアを必要としていると同時に如何に精神面の復興が遅れているかを物語ることになる。

 分析を行ったお茶の水女子大学の戒能民江名誉教授の話。

 戒能民江名誉教授「被災地では、大震災を受けて家族の一体化が強調され、女性が性暴力やDVにあってもなかなか外に言えなかったが、震災から3年余りがたち、ようやく相談できるようになったのではないか」

 それだけではあるまい。悪化した方向性の住宅環境や同じく悪化した方向性の就業環境が被災者に与える精神面でのストレスが苛立ちを誘って暴力的になる状況が背景にあるはずである。

 「被災地の心に寄り添う現場主義」がその実質性を伴っていない典型的な事例を示す記事がある。

 《原発のがれき撤去で水田汚染か》NHK NEWS WEB/2014年7月14日 17時08分
 
 「2014年7月14日」の記事でありながら、出来事は2013年8月となっている。

 東京電力福島第一原子力発電所で去年8月瓦礫の撤去作業を行った。記事からでは検査日は分からないが、コメの収穫後だから、9月か10月なのか、福島第一原発から北に20キロ余り離れた南相馬市の14個所で収穫されたコメから国の基準の1キログラム当たり100ベクレルを超える放射性セシウムが検出された。

 コメは処分された。

 〈農林水産省は、セシウムが穂の外側に付着していて外部から飛ばされてきたと考えられることや周辺のモニタリングポストのデータなどから、原因の1つとして去年8月に福島第一原発3号機で行われた瓦礫の撤去作業で放射性物質が飛び、風で運ばれた恐れがあるとして、東京電力に対策を求めた〉。

 対して東京電力は瓦礫の撤去の際、粉塵の飛散を抑える薬剤の散布や飛散状況の監視を強化すると説明したという。

 だが、農林水産省と東京電力は放射能付着の原因の可能性を南相馬市には伝えていなかった。

 南相馬市「非常に驚いている。東京電力に瓦礫の処理のしかたについて要請しているのであれば地元にもっと早い段階で説明があるべきだ」――

 南相馬市で50年余りに亘ってコメ作りを続けてきた小澤徳夫さん(76)

 「放射性物質が飛んでいるならもっと早いうちから分かっていたはずだ。こういう危ない話は、われわれ農家に伝わるのが遅いので今後は早く情報を回してもらいたい」

 同じコメ農家の南相馬市の村上靖一さん(72)。

 「こっちまで風で飛んでくるとは思わず、びっくりした。4年も水田を休んだので、来年からは作付けと考えていたが、こんなことがたびたびあればやる気もなくなる。今後は放射性物質が飛ばないよう気をつけて作業してもらいたい」――

 アスベスト(石綿)生産企業従業員や企業近辺の住民の何人かがガンの一種である悪性中皮腫に罹って死亡していたことが判明し問題になったことがある。原因は製造過程でアスベストの非常に細かい粒子が飛散、その吸引であった。

 アスベストを建築材料としている建造物の解体時の飛散も問題となった。

 農林水産省や東電のみならず、環境省にしても復興庁にしても瓦礫処理時の放射性物質の飛散を考えなかったのだろうか。

 農林水産省「ほかにも周辺の土や森林などに積もっていたものが飛ばされてきた可能性が考えられ、原因を特定したうえで説明するつもりだった」――

 「周辺の土や森林などに積もっていた」放射性物質は雨が降れば近辺に流される。例え風が吹いて、それが20キロ離れた場所にまで吹き飛ばされたとしても、どれ程の量となるだろうか。

 東電は7月14日、同瓦礫処理時に放出された放射性物質量を1時間当たり1000億~1兆ベクレル、放出推定時間計4時間の4兆ベクレルと試算していたことを明らかにしたと「毎日jp」記事が伝えている。

 但し、「かなり大づかみな計算」として公表せず、市にも伝えていなかった。

 安倍晋三が宮城県七ケ浜町を訪れて、ノリ種苗生産施設を視察、ノリを試食して、その味を褒め、復興をアピールする。ハード面の完成だけを視野に入れて災害公営住宅を訪れる。

 だが、一方で「被災地の心に寄り添う現場主義」が全く以って機能していない空虚な実態が多く存在する。

 安倍晋三の被災地視察は復興の全体的な実態を反映していないということであり、「積極的平和主義外交」を掲げて30何カ国も訪問している外交にしても、安倍外交の実態を反映していない点に於いて前者と同じ構造となっている。

 1ヶ月に約1回の被災地視察にしても、頻繁過ぎるくらいの外国訪問にしても、回数以外にどれ程に意味があるのだろうか。

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安倍晋三の能弁はウソつきが自分のウソを本当だ思わせるために自然と能弁になるのと重なる

2014-07-16 09:33:26 | Weblog

 安倍晋三は類稀な程の能弁家である。国会答弁に於いても、マスコミ記者の質問に対する返答に於いても、言葉に窮することなく滔々と述べ立てて、自己の正当性を証明する。

 なぜこれ程にも能弁なのか。7月15日の参院予算委員会NHK中継中、福山哲郎民主党議員と安倍晋三の質疑を聞いていて、その能弁の理由に気づいた。

 元々質問者の質問に直接答えずに関係のない事柄を長々と述べ立てて自分の正当性を証明するだけの答弁の多さには気づいていた。質問者が自分の質問時間がムダに費やされることに不満を抱いて、「総理、私の質問に直接お答えください。時間をムダにしないでください」といったことはよくあることで、珍しくもなかった。

 能弁であるにも関わらず、直接の答で埋めずに無関係な、既に何度でも繰返し言っている説明で埋めていく。ウソつきが自分のウソを相手に本当のことだと信じこませるために言葉を多く費やさなければならないからだろう、言葉の使い方が巧妙なまでに達者になるように安倍晋三も自身の政策を相手に正しい政策だと思わせようとするのはいいが、質問に直接関係ないことまで言葉を費やしていくうちに自然と能弁となったに違いない。

 だが、その能弁が質問に関係ないことを喋ることによって得た能弁であるなら、ウソつきの能弁さに重なる。

 その典型的例が福山哲郎議員の質問に対する安倍晋三の答弁に現れた。福山哲郎は下図にあるようなボードを示した。赤い矢印に関しては説明がないが、緊張関係にある国ということで、赤い色の矢印としたのだろう。

 その前にに「武力行使の新3要件」を掲げておく。

 ①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃
  が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合。

 ②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき

 ③必要最小限度の実力行使する
 福山哲郎はB国とC国が交戦状態になって、B国が日本に支援要請をし、日本が集団的自衛権を発動して支援に向かった場合、「戦争に巻き込まれるということではなく、戦争に参加するということではないのか」と質した。

 安倍晋三「今回の閣議決定に対してはですね、盛んに戦争に巻き込まれる、戦争をする国になる、そのように批判されているわけでわけでありますが、それはまさに日米安保条約を改定した際にもですね、えー、反対論の中心的な議論であったと、このように思うわけであります。

 えー、そこでですね、そこでですね、えー、今回の閣議決定の目的は唯一つ、であります。我が国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増す中で、国民の命を平和な暮らしを守り抜くために万全な備えを作ること。

 ま、そうした備えこそが、万が一の事態の発生を防ぐ大きな力になるわけであります。

 えー、新3要件にあります、『我が国の存立が脅かされ、国民の生命・自由及び幸福追求の権利が、えー、根底から覆される明白な危険である』とは、他国に対する武力攻撃が発生した場合に於いてそのままでは済まなく、その状況のもと、武力を用いた対処をしなければ国民に対して我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻・重大な被害が及ぶことが明らかな状況であるということをですね、いうものである、とこういうふうに考えているものであります。

 そして海外派兵については一貫して申し上げておりますが、一般に許されないという従来の原則も、これは全く変わっていない、わけであります。自衛隊が武力の行使を目的としてですね(ヤジ)、ヤジられるとですね(左手を上げて)なかなか答え――(口を閉じてヤジが収まるのを待つ。)大事なところだから、黙って聞いて頂きたいと思います。

 自衛隊が武力の行使を目的としてかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはですね、新3要件にある必要最小限度の範囲を超えるものであり、えー、これからも決してない、ということであります。

 また、他国の防衛自体を目的とする集団的自衛権の行使を認めるものではない。外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるというのは誤解であります。今回は様々な誤解があるわけでありますので、えー、明確に申し上げておきたいと思いますし、委員も冒頭、『巻き込まれる』、あるいは参加することを言われたわけでありますが、我々は集団的自衛権の一部が行使できる、つまり武力を行使できる、そういう3要件の中でのみできる、こういう考え方であります」

 福山哲郎「総理、私の質問に明確にお答えください。要は個別的自衛権の場合は日本は攻撃されたときだけ、その分に合わせて攻撃できるんです。それは国民の生命・財産、この国を守るためにという中で。

 この図を見て頂ければ、我が国に攻撃がないのにB国とC国は紛争中です。そこに対して武力攻撃するということは戦争に参加することですねと、聞いたんです。私の質問にお答を頂きたいと思います。

 それからもう一点、先程イラクや湾岸戦争されないと言うときに、総理は非常に微妙に新3要件に合致しないから行かないとおっしゃいました。こういうことは、ドイツは初めて集団的自衛権に参加をしてNATOから、議会から出ることを決めて、アフガンのときには実は戦闘に参加しておりません。治安部隊と復興支援部隊にドイツは出ました。と言うことは、新3要件に先程総理が言われたように合致すれば、戦闘行為のような状況にないなら、行かれる可能性があるということですね。

 先ず戦争に参加するかということを明確にお答えください。そうでないと国民は誤解を致します。なぜなら、総理、我が国の憲法第9条1項は国際紛争の解決の手段として武力の行使をそもそも禁止しております。

 このB国とC国は国際紛争をしています。そこに手段として我が国は武力攻撃していくことになります。限定であろうが、何であろうが、そのことに対して憲法上疑義があると思っていますし、だからこそ、我が国は今まで集団的自衛権を行使できないと、これは自民党政権がずっと決めてこられたことです。

 ですから、そのことと、いいですか、戦争に参加をすることだということについて、どうかお認めになって頂きたいと思います」

 安倍晋三「明確にお答をさせて頂きたいと思っておりますが、私が申し上げてきていることは一貫しているわけでございますよ。今回、なぜ根幹を変えていないかと言えば、自衛権の発動については憲法の前文、えー、国家としてのですね、平和の生存権、そして13条に於ける国民の命、そして自由、幸福追求の権利を守る、ためには自衛権を発動させることができるということであります。

 この論理の中に於いてですね、しかしそれは、とは言え、必要最小限度にとどまらなければならないという、これは(昭和)47年(政府)見解の根幹であります。しかしそれは、その中に於いて、えー、いわゆる集団的自衛権が行使できないという結論になっておりますが、そこをですね、当てはめに於いて、我々は状況が変わる中に於いては、集団的自衛権ついてですね、一部限定的に容認することができる、ということで、ありまして、(ヤジが起こり、声を強めて)今答えて、丁寧に答えているんですからね(笑いが起こる)、イエスかノーかで答えられるような単純な問題ではないんですよ。

 だから、少しは、少しは忍耐力を持って・・・・・・・。つまり、その中にも書いてあるように、そこで、つまり武力行使を目的として、武力行使を目的としてですね、イラク戦争や湾岸戦争のような戦争に参加することはないと、こう申し上げてきたわけでありますし、一般にですね、一般に、えー、一般にですね、えー、海外派兵はできない。

 ただ、その間、我々は、私もずっと申し上げておりますように、えー、機雷の掃海につきましてはですね、機雷の掃海につきましては、これは国際法的には武力行使として、えー、扱われていますが、しかし機雷掃海についてはですね、まさに国際海峡に対して違法に国際海峡を機雷で封鎖するものであって、その危険物を除去する上に於いて、武力行使と把えられますが、しかし、これはですね、放っておけば、日本のまさに安全に重大な影響を及ぼすという3要件の中に合致すれば、機雷掃海を行うことはあります。

 しかしこれは限定的、自動的なものであるということは言わざるを得ない、ということでございまして、自ずからですね、いわゆる、えー、海外に於ける武力行使とはですね、この武力行使と、いわゆる国際法的には整理されますが、これは差別されなければならないと、このように思います」

 午前中の時間切れがきて、午後に引き継がれるが、福山哲郎は、集団的自衛権発動からのB国支援は戦争に参加することではないのかという自身の質問に、「総理は一切お答えしませんでした。非常に残念だと思っています」で打ち切ってしまう。

 福山の質問で下線を引いいた部分は意味不明な上、余分でしかない。

 安倍晋三は「海外派兵はできない」と言っているが、「武力行使の新3要件」を全うするためには海外派兵は欠かすことのできない条件となる。

 いずれにしても安倍晋三は福山哲郎の質問には直接答えずに、お得意中のお得意である質問とは関係のない今まで繰返し言ってきたことを長々と能弁に言葉を費やしたに過ぎない。

 質問が尋ねている事実を自身の事実を以って肯定か否定かを解き明かすべきを、質問者の事実に無関係な自身がそうだとしている事実のみを並べ立てる能弁は、ウソつきが事実を語らずに自身がつくり上げたウソの事実を並べ立てる能弁さと否応もなしに重なる。

 安倍晋三が自身は的確な答弁を果していないのに、そのことに対してヤジが飛ぶと、答弁を止めてヤジを注意する遣り方はさも注意する方が正しいように見えるが、それも質疑で見せている質問とは関係ないことを長々と答弁して自己の政策を正当化する構造と同じであるはずだ。

 ウソつきが自身のウソに問題があることが気づかないように安倍晋三も自身の答弁に問題があることに気づいていない。

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7月14日衆院予算委質疑/安倍晋三は集団的自衛権行使とは日本が戦争する国になるということを隠している

2014-07-15 10:41:35 | Weblog

 

 ブログで何度も断っているが、私は日本が集団的自衛権を行使できる普通の国となることに賛成である。私自身の集団的自衛権を行使できる普通の国とは戦争をする国を意味する。常にその場のみの単なる戦闘や衝突で終わる集団的自衛権である保証はどこにもない。

 集団的自衛権行使はまた、日本国憲法第9条に象徴される平和主義に深く関わるゆえに憲法改正を手段とした集団的自衛権行使を主張している。いわば日本国民の選択に委ねるべきだと。日本国民こそが日本の進路を決める資格と権利を有する。一内閣ではない。

 そうでなければ主権在民が意味を失う。

 安倍晋三は通常国会閉会を受けた記者会見2014年年6月24日)の記者会見で集団的自衛権について述べている。

 安倍晋三(集団的自衛権行使によって)「抑止力は高まり、戦争に巻き込まれる可能性はより低くなっていくわけであります。同じような論争は、かつて、60年安保の際にも盛んに叫ばれたわけであります。安保条約を改定すると日本は戦争に巻き込まれる。果たしてどうなったのか。もう一度冷静に考え、そして、今、私たちが直面し、答えを出さなければいけない課題に誠実に向き合っていく必要があるのだろうと私は考えています」――

 安保条約改定によって日本が戦争に巻き込まれなかったのは憲法第9条があくまでも「武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っていたからだろう。

 だが、安倍晋三は憲法解釈変更で第9条を無効化することを狙っている。

 安倍晋三は機会あるごとに「抑止力は高まり、戦争に巻き込まれる可能性はより低くなっていくわけであります」と保証しているが、7月1日の集団的自衛権閣議決定後初の国会論戦である7月14日(2014年)衆院予算委質疑を聞いていると、このように言っていることがゴマカシであることが明らかになる。

 安部政権は『国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』と題した集団的自衛権行使閣議決定の中で、「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」として「武力行使の新3要件」を打ち出している。

 「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」と書いてあると、一見憲法第9条のままで集団的自衛権が許されるよう見えるが、憲法解釈変更によって「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」ということであって、ここにも微妙なゴマカシがある。国民に対する説明に正直であろうとするなら、「憲法解釈変更によって憲法第9条の下で許容される自衛の措置」と書くべきだろう。

 安部政権は憲法解釈変更による「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」(=集団的自衛権行使)の発動条件として「武力行使の新3要件」を掲げている。このことは閣議決定した文中にも書いてあるが、7月14日の衆院予算委でフリップによって掲げられた。

 「武力行使の新3要件」

 ①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追
  求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合。

 ②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき

 ③必要最小限度の実力行使する  

 従来の「3要件」は次のとおりである。

 ①我が国に対する急迫不正の侵害があるとき
 ②これを排除するために他の適当な手段がないこと
 ③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと――

 いわば自国攻撃に対する自衛に限っていた。

 だが、「武力行使の新3要件」は自国攻撃に限らず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃も集団的自衛権行使の発動条件に加えている。

 このことの安倍晋三の答弁は新聞記事を引用する。《首相 政府見解論理超える場合は憲法改正必要》NHK NEWS WEB/2014年7月14日 12時38分)

 記事題名の「政府見解論理超える場合は憲法改正必要」と書いてあることは、安倍晋三が「憲法9条に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて、武力の行使を認める解釈を今の憲法のもとで採用するのは困難で、その場合には憲法改正が必要になる」と答弁したことに因んでいる。

 憲法解釈変更による「武力行使の新3要件」自体が既に従来の「3要件」を超えているのである。「憲法改正が必要」という言葉で如何にも日本国憲法の平和主義に則っているかのように見せかけるゴマカシに過ぎない。

 海江田民主党代表(武力行使の新たな3要件について)「『日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生したこと』と『日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある』ということが、どのようにつながるのか」

 安倍晋三「日本の近隣で武力攻撃が発生し、早急に止めなければ日本にも武力攻撃が行われかねない状況が想定される一例がある。判断にあたっては、事態の個別具体的な状況に即して、主に攻撃国の意思や能力、事態の発生場所、その規模や態様、推移などの要素を総合的に考慮して、日本に戦禍が及ぶ蓋然性や、国民が被ることになる犠牲の深刻性や重大性などから判断することになる」

 「日本の近隣」、いわばアジア大陸や日本の近海で日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合を想定し、その武力攻撃を阻止しなければ、「日本にも武力攻撃が行われかねない状況が想定され」た場合は集団的自衛権を発動させる。

 だが、その武力攻撃阻止の集団的自衛権行使は明らかに戦闘行為である。短時間に阻止でき、相手国部隊を撃退できて、あとは外交交渉に委ねる等々の経緯を踏めばいいが、常にそうなるという保証はなく、戦闘が一進一退の長時間の膠着状態に陥った場合、戦闘行為であることを超えて、限りなく戦争状態に近づくことになる。

 そして一進一退がその場に限定されるならいいが、「早急に止めなければ日本にも武力攻撃が行われかねない状況」を想定した集団的自衛権行使の戦闘行為である以上、一進一退の膠着状態打破のために日本に対して直接的に武力攻撃を仕掛けない保証がないことも想定しなければならない。

 そうなった場合、もはや戦争であって、安倍晋三が言っている「抑止力は高まり、戦争に巻き込まれる可能性はより低くなっていく」という想定はゴマカシ以外の何ものでもなくなる。

 大体が、「早急に止めなければ日本にも武力攻撃が行われかねない状況」を前提とした他国に対する武力攻撃阻止の集団的自衛権行使の戦闘行為を最初から最後まで戦闘行為だと規定すること自体に無理がある。

 集団的自衛権行使が「抑止力は高まり、戦争に巻き込まれる可能性はより低くなっていく」は全体的には幻想の部分を抱えることも覚悟しなければならない。

 安倍晋三は幻想を国民に抱かせて集団的自衛権行使が憲法第9条にも日本国憲法の平和主義にも反しないと思わせようとした。不正直であるばかりか、卑怯である。

 しかも、ここでは「日本の近隣での武力攻撃の発生を言いながら、近隣だけではない安倍晋三の発言を同記事は伝えている。

 シーレーン=海上交通路で武力攻撃が発生した際の国際的な機雷の掃海活動についての答弁である。

 安倍晋三「ホルムズ海峡はわが国のエネルギー安全保障の観点から極めて重要な輸送経路となっており、仮にこの海峡の地域で紛争が発生し、機雷が敷設された場合、その段階で相当の経済危機やエネルギー危機が発生したといえる。わが国の国民生活に死活的な影響が生じ、わが国の存立が脅かされ、国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底から覆されることとなる事態が生じうる」――

 要するに機雷が敷設された段階で日本は「相当の経済危機やエネルギー危機が発生した」と看做して、「わが国の国民生活に死活的な影響が生じ、わが国の存立が脅かされ、国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底から覆されることとなる事態が生じうる」と想定、集団的自衛権行使の要件を満たすことになって機雷の掃海活動乗り出す。

 と言うことは、近隣に限ったことではない、中東まで手を伸ばす集団的自衛権の行使となる。

 但し機雷掃海の活動にとどまる保証はない。機雷敷設は敵部隊に人的損害を与えることや艦船等の軍備の消耗を目的としているが、何よりもその場所に機雷を敷設することによって敵部隊の進撃を阻止する、あるいは進撃を困難にすることを重要な戦術としているからであって、そうである以上、そのような戦術を無効化する活動を紛争発生中に見逃す保証はなく、戦術の維持のために機雷掃海活動を攻撃しない保証もない。

 集団的自衛権行使側からすると、敵部隊の攻撃を想定しながらの掃海としなければならない。その攻撃を阻止、もしくは撃退するには攻撃を上回る攻撃が必要になる。もし相互に攻撃がエスカレートした場合、遠い外国の地で展開する攻撃戦であっても、戦争の一部に巻き込まれた状態に陥るケースも否定できない。

 当然、戦闘参加の自衛隊員の生命のリスクは高まる。《クローズアップ2014:集団的自衛権、衆院審議 新3要件、歯止め曖昧》毎日jp/2014年07月15日)

 岡田克也民主党議員「自衛官の生命のリスクを高めることだと認めた上で(任務拡大の)必要性を議論すべきだ」

 安倍晋三「これまでと同様に部隊の安全を確保しつつ行う。これは憲法論議とは別だ」――

 岡田克也の質問に対して安倍晋三が「部隊の安全を確保しつつ行う」と答弁していることは自衛隊員の生命のリスクは冒さないと言っていることを意味する。

 だが、部隊の安全を優先させた紛争発生中の機雷掃海は果たして可能だろうか。敵部隊は自分たちの戦術に関係してくる機雷掃海をただ眺めていてくれるだろうか。眺めているとしたら、機雷敷設に対する矛盾行為となる。また、奇襲・夜襲は軍事行動に於ける欠かすことができない重要な戦術である。機雷を掃海していた我が自衛隊がそれを阻止する敵部隊の攻撃を回避し、撤退できる時間の猶予を与えてくれる攻撃ばかりだと誰が保証できるのだろうか。

 紛争が収まってからの機雷掃海ではない。紛争発生中の機雷掃海を想定している以上、自衛官の生命のリスクは危険域にまで想定しなければならない。安倍晋三は命の危険はありませんよと、ここでも幻想を与えているに過ぎない。

 村上史好生活の党議員「自衛隊員を戦闘状態の場所に送り出せば、専守防衛よりも危険性が高くなる」

 安倍晋三(現在もソマリア沖で実施している海賊対処活動を挙げて)「これは警察権の行使だが、安全なことをやっているわけではない。(集団的自衛権と)全く別の世界ということではない」――

 つまり集団的自衛権と同じような安全ではないことをやっているが(安倍晋三は、海賊はロケット砲まで持っていると言っていた)、自衛隊員の生命を一名たりとも危険に曝したことはないと言って、集団的自衛権行使に於ける自衛隊員の生命の保障を受け合っている。

 海賊が例えロケット砲までも持っていたとしても、部隊の展開という点でアルカイダやタリバン、あるいは新興のイスラム武装勢力ボコ・ハラム等と比較した場合、それらの武装勢力程に大掛かりだとすることはできないはずだ。

 安倍晋三は海賊たちと武装勢力の部隊の展開能力の違いを無視して、それが劣る海賊を相手とした海賊対処活動を以って自衛隊員の生命は守られる、安全だと保障した。

 いとも簡単に幻想に早変わりしないとも限らないゴマカシを見せている。

 大体が集団的自衛権行使が想定している戦闘は戦争に巻き込まれる危険性を想定する危機管理が伴わなければ、戦闘に厳しく対処できない中途半端さを漂わせることになる。逆説するなら、戦争に巻き込まれる危険性を想定した危機管理のもとで戦闘行為を行ったなら、戦争に発展させまいとする強い意志を働かせることになって、戦闘に有利な力の発揮が期待可能となる。

 だが、相手のあることである。戦争の一部に巻き込まれる状況に陥ったり、戦争そのものに発展しない保証はどこにもない。自衛隊員も国民のそのことを覚悟しなければならない。それが集団的自衛権の行使だと。

 安倍晋三は集団的自衛権を国民に認めさせるためにゴマカシたり、幻想を抱かせたりする不正直で卑怯な振舞いはやめるべきだ。あくまで決めるのは国民である。集団的自衛権行使は戦争する普通の国になることだと正直に告白すべきだ。自衛隊員の生命のリスクも高まる。

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安倍晋三と昭恵のこの亭主にしてこの女房ありの、男尊女卑の認識なき「女性の活躍」大言壮語

2014-07-14 08:58:36 | Weblog



 安倍晋三夫人昭恵女史が女性限定の学校――「UZUの学校」を東京都内に開設、7月13日に著名人を招いてシンポジウムを開催すると7月12日付「時事ドットコム」が伝えていた。《安倍首相夫人「学校」開設=女性の活躍後押し》

 「UZU」は夫人が東京・内神田で経営する居酒屋名に因んだ名前だという。記事は夫人の開校にあたっての抱負を伝えている。

 昭恵夫人「今後は女性中心の時代になる。特に若い世代が多様な生き方や考え方へのヒントを得る場をつくりたい」――

 設立趣旨は「女性自身が自らの可能性や役割を知り、社会でどう貢献できるかを学ぶ」

 7月13日の初講座のテーマは教育。パネリストは作家の林真理子氏や社会学者の古市憲寿氏等々。受講料は4000円。定員150人。応募は定員を超え、抽選による受講となった。

 記事末尾解説。〈安倍政権は「女性が輝く社会」実現を成長戦略の柱に据え、女性の積極登用に取り組んでいる。昭恵さんの試みには、首相を側面から支援する狙いもありそうだ。〉――

 女性の活躍を後押しするという趣旨は大いに結構。インターネット上には「女性の第一歩を応援するUZUの学校」という好意的な期待感を示した紹介を見受けた。

 だが、「今後は女性中心の時代になる」はこの亭主にしてこの女房ありの大言壮語以外の何ものでもない。

 一つの会社が女性のみを従業員していて、女性中心で成り立っているということはこの広い世界では大いにあり得ることだろう。あるいは一つの会社のある部門のメンバーが全て女性で構成されているということもあり得る話で、両者共にそこでは女性中心で仕事を動かしているケースも多々あるに違いない。

 あるいは一つの部門で男性従業員を交えていても、女性がトップの地位を占めていて、その女性が中心となってその部門を動かし、成果を挙げているケースも多くあるに違いない。

 だが、昭恵女史は以上のような意味で「女性中心」という言葉を用いたわけではあるまい。もし用いたとしたなら、スケールが小さ過ぎる。日本の各企業や行政や教育等のそれぞれの組織・機関全てに亘る社会全体が「女性中心」となることによって、初めて「女性中心の時代」と言うことができる。

 今までは“男性中心の時代”だった。いわば「女性中心の時代」とは“男性中心の時代”の対語を成す。あるいは対立概念を示す。

 “男性中心の時代”とは社会全体的に男性が支配的地位を占め、女性を男性に従属する存在としてきた時代を言い、女性の役割を排除、もしくは極力抑制してきた。その対語、もしくは対立概念である以上、「女性中心の時代」とは社会全体的に女性が支配的地位を占め、男性を女性に従属した存在とさせる時代の実現を言うことになる。

 いわばこれまで男性が女性の役割を排除、もしくは極力抑制してきたしてきたように、これからは女性が男性の役割を排除、もしくは極力抑制する側に回ることになる。

 そうでなければ、社会全体的にそうであることを意味する「女性中心の時代」とは言えない。

 このような時代の実現が可能となったとしても、果たして理想の女性対男性の関係と言うことができるだろうか。あるいは十全に機能する社会となり得るだろうか。

 男性と女性が対等・公正な立場で相互に影響し合い、それぞれが切磋琢磨してそれぞれを高め合っていく男性中心でもなければ女性中心でもない、それぞれの能力と努力と信頼性によって時と場合に応じて臨機応変に男女それぞれが中心を成すことができる男女機会均等の社会こそが理想的な社会であるはずである。

 そのような社会を構築するためにはこれまで“男性中心の時代”を成してきた日本人の思考様式・行動様式である権威主義の一類型として男の側がその名残りを引きずっている、男を上に置き女性を下に置く男尊女卑の意識の変革を欠かすことはできない。

 そしてこの意識変革は男共の精神に染み付いているがゆえに一朝一夕には成すことはできない難事業であるし、男中心の根本原因がここにあるという認識がなければ、より的確、より短期間の達成は困難となるだろう。

 昭恵女史が言っている「女性中心の時代」が、繰返しになるが、“男性中心の時代”が女性の役割の排除、もしくは女性の役割の抑制によって成り立っていたように男性の役割の排除、もしくは抑制によって成り立たすことを意味することになる以上、所詮不可能な大言壮語としか言い様がないし、これからの在るべき社会・時代に対する反逆をも意味することになる。

 一方、安倍晋三は昭恵女史がシンポジウムを開いた同じ7月13日、東京都内のホテルで開催された「国際女性ビジネス会議」で講演している。《首相、女性の社会進出に決意 「日本がリードしたい」》MSN産経/2014.7.13 12:46) 

 安倍晋三「日本が発信源となり、女性が輝く地球を実現していきたい。日本が世界の女性の元気をリードしたい。本当に女性の輝く社会を実践できるか、勝負はこれからだ」

 記事は、〈15年度の国家公務員採用で女性を3割以上とする目標達成についても「確実にしていく」と述べた。〉と解説している。

 安倍晋三は中央省庁の採用者に占める女性の割合を30%程度にすると共に管理職に占める女性の割合を5%程度とする目標を掲げている。だが、人事院調査で2013年度の国家公務員女性採用実績は26.8%、管理職以上に占める女性の割合は各省庁平均2.6%だそうで、先進国では最低水準となっている。

 であるにも関わらず、「日本が発信源となり、女性が輝く地球を実現していきたい」と、日本という一国のみならず、地球全体に波及させると言い、「日本が世界の女性の元気をリードしたい」と、日本で未だ可能としていないことを世界で可能とするようなことを言う。身の程知らずの大言壮語としか解釈しようがない。

 世界には日本以上に女性の役割を排除、もしくは抑制している国々が多く存在する。サウジアラビアは女性の運転を禁止しているし、ブルネイでは国王が6月30日、厳格なイスラム法を段階的に導入すると発表、未婚女性の妊娠に対して罰金や禁錮刑の適用の他、2015年から同性愛や不倫発覚の男女に対して石打ちによる死刑とすることを明らか にしている。

 スーダンでは今年5月15日、イスラム教からキリスト教に改宗した27歳の女性を背教行為の罪で死刑判決を言い渡している。

 女性は南スーダン人のキリスト教徒の男性と結婚、妊娠8カ月。異教徒の男性との関係を不貞の罪としてむち打ちの刑の有罪判決を下している。

 恋愛や妊娠は男性と同様に女性の活動の一部であり、それが例え不倫であっても、女性の活動の延長としてある。不倫の延長に女性の活動があるわけではない。個々の判断に任せるか、時には法に触れる場合、公正な法の裁きに任せるべき行為を、前以て画一的な罪を用意していて、例外なく一律的に当てはめるのは個人の活動の排除・抑制に当たる。

 個人の活動の排除・抑制はそれが女性を対象としている場合、女性の役割の排除・抑制につながっていく。

 また世界ではアフリカを中心として女性器切除が行われていることも女性の役割の排除・抑制、あるいは否定そのものに当たる。「Wikipedia」が次のように解説している。

 〈女性器切除(Female Genital Mutilation、略称FGM)

タイプ1:クリトリデクトミー(clitoridectomy)クリトリスの一部または全部の切除。

タイプ2:エクシジョン (excision)クリトリス切除と小陰唇の一部または全部の切除。地域によっては出産を楽にするためとしてさらに膣が切除されるが、実際には逆に困難にしてしまう可能性が高い。伝統的に成年に達した際の儀式として行われるが、最近では若年化が進み、もっと幼い少女に行われる。FGMを受ける少女のうち、タイプ1とこのタイプを合わせて約85%である。

タイプ3:陰部封鎖(ファラオリック割礼、infibulation)外性器(クリトリス、小陰唇、大陰唇)の一部または全部の切除および膣の入り口の縫合による膣口の狭小化または封鎖。その際尿や月経血を出すための小さな穴を残し、少女の両脚をしっかり縛って数週間傷が治るまで固定する。主に4歳から8 歳の少女に行われ、こちらも若年化が進んでおり、生後数日に行なわれた例もある。FGMを受ける少女のうち、約15%がこのタイプになる。

タイプ4:その他の施術(タイプ1-3に属さないもの)その他、治療を目的とせず、文化的理由のもとに、女性外性器の一部あるいは全部を削除し、あるいは女性の生殖器官を意図的に傷つける行為のすべて。〉――

 女性器切除反対の国際世論と国際的な根絶活動にも関わらず、未だ広く行われているという。2013年7月22日、国連児童基金(ユニセフ)が「女性性器切除」が現在29カ国で計1億2500万人以上が被害を受けているとする最新の調査報告を発表、今後10年間で新たに3千万人以上が被害を受ける恐れがあるとしていると、「asahi.com」が伝えている。

 女性の役割の排除・抑制を超えた女性の役割の否定そのものがアフリカを中心に蔓延している。

 安倍晋三はこういったことの認識があった上で、「日本が発信源となり、女性が輝く地球を実現していきたい」と言ったのだろうか。国連が手をこまねき、国際的な団体が根絶するに困難の壁にぶち当たっている権国家の各因習を承知のうえで「日本が世界の女性の元気をリードしたい」と言っているのだろうか。

 認識し、承知していたなら簡単には言うことのできない言葉であり、認識もせず、承知もせずに口にした、この女房にしてこの亭主ありのお互い様の大言壮語としか見ることができない。

 安倍晋三にしても「女性の活躍」を言う以上、日本人の思考様式・行動様式となっている権威主義が男女間の関係性を上下で規定して歴史的・文化的・伝統的に男性中心社会を作り上げてきた男尊女卑の思想が民主主義社会を築くこととなった戦後に於いてもその関係性を名残りとして引きずり、今なお色濃く残っている状況が女性の役割の排除・抑制を生み出しているのであって、このことを認識して男性側の意識変革に努めなければ、世界をリードするどころか、日本という国に於ける「女性の活躍」も、男性中心社会の中での女性の活躍で終わり、男性中心でもなければ女性中心でもない、真の意味での男女平等・男女対等の“男女中心社会”を築くことはできまい。

 このような社会を築いてこそ、女性の役割の排除・抑制という軛を免れて、両性が共に輝く社会となり得る。

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野党は集団的自衛権行使容認の方法論を国民に問う解散を政府に迫れ 時期は「今でしょう!」以外にない

2014-07-13 06:58:45 | Weblog



 「MSN産経」記事が自民党内に解散話が出ていると伝えている。《「解散風」じわり 今秋も「衆参ダブル」はかすむ 「今年10月説」…拉致問題を成果に? 「来年8月説」も》(2014.7.9 23:16)

 大方は解散話を囁くことでしか自己存在証明を果たすことができない連中のまことしやかな振舞いといったところではないのか。

 記事は、〈野党側の再編や選挙態勢は進んでおらず〉と書いている。つまり野党側は早期解散は忌避しているとしていることになる。

 自民党幹部(現在の野党状況からすると)「年内選挙なら野党を根絶やしにできる」――

 記事は、この発言紹介のあと、〈とほくそ笑む。〉と解説している。

 「根絶やし」とは豪勢な思い上がりだ。逆説すると、野党は見くびられていることになる。あるいは足元を見られていると言うべきか。

 一時浮上していた安倍晋三念頭の平成28年夏「衆参同日選」は影を潜めて、現在囁かれているのは北朝鮮から日本人拉致被害者が帰国した場合の「10月解散説」と来年8月の解散だそうだ。

 平成28年夏「衆参同日選」はアベノミクスのメッキが剥がれていないことが前提条件となるが、第3の矢の「成長戦略」に対する評価に疑いを差し挟む意見をあちこちで見受ける。安倍晋三の望み通りにいく保証はそのときになってみなければ分からないということになる。つまり、当てにはできない。なら、その前にチャンスがあるときに解散した方がいいということで、日本人拉致被害者が帰国した場合の「10月解散説」が浮上することになったということなのだろう。

 この解散は集団的自衛権行使容認の閣議決定で内閣支持率が40%台に落ちていることに対して田中真紀子外相2002年1月更迭でそれまで維持していた70~80%台から40~50%台に急落していた小泉内閣の支持率が2002年9月小泉訪朝、同10月日本拉致被害者5人帰国後、60%半ばから60%後半台にまで回復したことの二匹目のドジョウ狙いに違いない。

 支持率が上がったところで解散に打って出る。アベノミクスのメッキが剥がれるとしたら、剥がれるまでにまだまだ時間はあるということなのだろう。

 来年8月解散説は翌9月末が任期満了となる自民党党総裁選を控えていることから、8月解散、9月党総裁再選への雪崩れをシナリオとしていると記事は解説している。

 但しである、安倍晋三が例え内閣支持率が下がっていても、来年8月まで選挙の顔を維持しているかどうかにかかることになる。いわば安倍晋三に変わる適当な顔がない場合、支持率低下は顔を変える要件とはならないということである。

 勿論、支持率をそれなりに維持していたなら、自民党総裁再選は十分にあり得るが、選挙自体はアベノミクスの成果に従うことになる。

 7月8日BSフジ番組。

 石破茂自民党幹事長「消費税、エネルギーや農業の政策、安全保障で国会の議論を尽くし、賛成であれ反対であれ、(解散の)国論が醸成されたときだ。党利党略で、今やれば自民党が増えるとか、そういう話ではない」――

 記事解説。〈しかし、解散に「党利党略」はつきものだ。今秋を展望すると、首相が解散を断行しやすい環境になることが分かる。〉――

 その環境が上記「10月解散説」と来年8月の解散等々と言うことらしい。

 さらに9月上旬内閣改造、臨時国会召集直後解散というシナリオと東京電力福島第1原発事故後初となる福島県知事選10月26日に合わせた解散というシナリオも浮上しているらしい。

 ただ、この二つのシナリオには〈衆院選の「大義」が見当たらないのが難点だ〉と解説している。

 大義を見い出すことができないままに解散のシナリオを描くとは、まことしやかに解散話をして自己の政治的センスを売り込もうとする連中がよくすることであるはずだ。

 11月以降は解散は難しい政治環境となるそうだ。11月6日が軍普天間飛行場C題が争点となる沖縄県知事選投開票。年末には消費税率を27年10月に10%へ引き上げるかどうかの判断の時期。

 解散どころではないというわけである。

 連立与党の公明党は来年4月の統一地方選に力を入れていて、〈「統一選前後3カ月の解散は避けたいのが本音」(自民党幹部)〉であり、衆参同日選にも否定的だとしている。

 公明党のこの解散戦略はまさに石破茂が否定し、記事が指摘していた「党利党略」そのものとなる。
 
 首相周辺「今後は政権の成果を積み上げる。統一選の結果が芳しくなくても、その影響が消える来年8月の解散なら問題ない。圧勝すれば、その勢いで総裁選で再選し、長期政権の礎を築く」――

 これも党利党略に則った解散戦略そのものであろう。

 記事末尾の解説。〈政府は、集団的自衛権行使を容認するための関連法案を来年の通常国会で一括提出する方針で、法案の本格審議は統一地方選後になる見通しだ。自民党は安保論議を通じて野党が分断することをもくろむ。しかし、行使容認の閣議決定で内閣支持率が低落したことから、首相にとってはもろ刃の剣といえる。〉――

 野党は例え政界再編がうまくいかなくても、選挙態勢が進んでいなくても、解散を買って出て総選挙を戦うべきだ。理由は二つの好条件に恵まれていいることにある。

 集団的自衛権憲法解釈行使容認の閣議決定によって世論調査で安倍内閣が支持率を下げたことは、断るまでもなく、多くの国民が憲法解釈を方法論とした集団的自衛権の行使を認めていないということであり、このことは選挙に於ける好条件の一つとなり得る。

 国の安全保障政策を根底から変える重要な政治問題だから国民の意思を問えと、憲法解釈の方法論か、憲法改正を方法論とするか、はたまたどのような方法論であっても、集団的自衛権そのものを認めないのか、いずれかを争点にして総選挙を戦うべきであり、戦うことが国民の意思を政治によりよく反映させる最適の手段であるはずだ。

 もう一つの好条件は議席を取り過ぎた選挙は次は議席を減らす選挙になることを大方の慣例としているということである。自民党政治家の都議会や国会での女性蔑視ヤジが自民党の古い体質を炙り出し、アベノミクスが格差ミクスであることの正体を露わにしつつある。野党同士が共食いしないよう候補者乱立を防ぐことさえできれば、自民党にしても公明党にしても現有議席を維持することは至難の業だろう。自民党の議席を減らすことはできても、野党の議席を現在以上に減らすことはないはずだ。

 集団的自衛権行使容認の方法論を問うことは立派な選挙の大義となる。

 行使容認の方法論を国民に問えと野党の方から政府に解散を求めるべきで、時期は、「今でしょう!」以外にない。

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国家主義者安倍晋三の新成長戦略「女性の活躍」も格差ミクスが反映される

2014-07-12 10:12:47 | Weblog



 ――安倍晋三の新成長戦略女性就業率(25歳~44歳)2020年73%、指導的地位女性占有率30%の実態――

 安部政権は新成長戦略の中核に「女性の活躍」を高々と掲げている。耳に聞こえのいいキャッチフレーズではある。2020年までに25歳~44歳の女性就業率を73%、指導的地位を占める女性の割合を30%程度を目標値としている。

 但し2011年指導的地位を占める女性の割合は企業と公務員を含めて11.1%。先進国の中でアメリカの約4分の1、フランス、スウェーデン、イギリス、ドイツと続いて、イタリアの約2分の1。7カ国中、最下位の栄誉を担っている。女性は尊重されていない日本に於けるこの状況を果たして打破できるのだろうか。、

 総務省統計局の調査によると、2013年4月の女性の就業率は62.5%。これは過去最高の初めての62%超えだそうだ。安倍晋三にしたらアベノミクス効果で経済は拡大していくと計算しているだろうから、2020年73%は到達可能な目標といったところなのかもしれない。

 しかし安倍晋三は国家主義者である。国家主義者は国家の在り様・体裁を最重要視する。GDPの規模とか、経常収支とか、貿易額とか、外貨準備高とか、有効求人倍率とか、鉱工業生産指数とか、住宅着工率とか、個人消費支出とか、企業の設備投資額とか等々である。

 中身の国民の在り様・体裁はさして重要視していない。あくまでも国家という全体の姿を如何に偉大な高みに持っていくかに頭を痛めている。

 女性就業率で言うと、あくまでも数値の高さを問題視する。だから、企業の尻を叩いたり、省庁にそれとない圧力をかけたりして、数字のアップだけを目標とすることになる。中身はさして考えていない。考えていたなら、雇用の質をも数値で求めたはずだ。求めていないことが中身を問題していないことの証明となる。

 総務省統計局の《労働力調査ミニトピックス No.8》には次のような記述がある。  

 〈女性(15~64歳)の就業率が62%を超え,過去最高

 2013年4月の女性の就業率は62.5%と,初めて62%を超え,過去最高となりました。

 女性の就業率は,2007年5月に60.6%と60%を超えて以降,60%前後を推移し,2013年3月に61.8%と過去最高となり,4月も引き続き上昇傾向が続いた結果,過去最高を更新しました。〉

 この統計にしても、数値のみを問題としている。中身については一切記述していない。

 だが、次の総務省統計局の記事は中身を伝えている。《労働力調査の結果を見る際のポイント No.16 非正規の約7割は女性が占める》(2013年2月19日)

 〈2012年平均の雇用形態別の雇用者数は、正規が3340万人、非正規が1813万人となりました(非正規の割合(非正規/(正規+非正規))は35.2%。)。非正規の内訳をみると、パートが888万人と最も多く、次いで契約社員・嘱託が354万人、アルバイトが353万人などとなっています。他方、派遣社員は90万人となっています。〉

 〈非正規の約7割は女性が占める

 いわゆる学生などを除いた雇用者(役員を除く)に占める男女・雇用形態別の割合をみると、正規は男性が45.7%、女性が20.6%、非正規は男性が10.0%、女性が23.6%となっています(なお、10年前の2002年平均の非正規の割合は、男性が7.6%、女性が19.9%で、男性も女性もこの10年で非正規の割合は上昇しています。)。

 こうしてみると、非正規の約7割は女性が占めていることになります。また、女性では非正規と正規で約半々となる一方、男性では非正規が正規の約1/4弱に達しています。〉――

 これだけの説明では非正規の約7割が女性というのは出てこない。

 雇用者正規が3340万人+非正規が1813万人=5153万人に占める(正規男性45.7%+女性20.6%)+(非正規男性10.0%+女性23.6%)

 非正規全体5153万人×非正規女性23.6%=1216万人

 非正規女性1216万人÷非正規男女全体1813万人=67%

 記事の図では、70.2%となっている。

 別のインターネット記事では2012年の雇用者全体に占める非正規女性は1260(24.4%)となっている。

 雇用者男女全体5153万人×24.4%=1257万人

 女性非正規1257万人÷非正規男女全体1813万人=69.33%

 非正規の約7割が女性と書いてあることに対して無理に70%という数字を出そうとしているようだが、これが雇用の中身の一つの実態のである。

 勿論、非正規雇用であっても、自己都合から自発的に非正規雇用を選択しているケースがあることは重々承知している。

 労働力調査(詳細集計(平成26年(2014年)1~3月期平均(速報)》(総務省統計局)

  〈結果の要約

 2013年平均の役員を除く雇用者5201万人のうち,正規の職員・従業員は3294万人と,前年に比べ46万人減少。非正規の職員・従業員は1906万人と,93万人増加
非正規の職員・従業員について,現職の雇用形態についた主な理由を男女別にみると,男性では「正規の職員・従業員の仕事がないから」の占める割合が最も高く,女性では「家計の補助・学費等を得たいから」の占める割合が最も高い。

 男性(非正規の職員・従業員610万人)

 「正規の職員・従業員の仕事がないから」 ・・・・・・・ 169万人(30.6%)
 「自分の都合のよい時間に働きたいから」 ・・・・・・・ 118万人(21.3%)

  女性(非正規の職員・従業員1296万人)
 
 「家計の補助・学費等を得たいから」 ・・・・・・・・・・328万人(26.8%)
 「自分の都合のよい時間に働きたいから」 ・・・・・・・・311万人(25.4%)〉――

 例え自己都合による自発的非正規雇用選択であっても、被雇用者の立場・利害を意味しているだけのことであって、雇用の質という点で、あるいは給与の質という点で正規雇用以下であることに変わりはない。

 つまり安倍晋三がアベノミクスを万能の力として新成長戦略の中核に据えている「女性の活躍」のうち、25歳~44歳の女性就業率を2020年までに73%到達を可能としたとしても、アベノミクスの国家主義的傾向をなおのことを受けて正規雇用減少と非正規雇用増加が年々加速していくだろうから、非正規雇用の割合にしても非正規雇用に占める女性の割合にしても加速の反映を受けることになるということである。

 安倍格差ミクスの拡大していく反映である。

 そしてこの反映は正規雇用と比較した非正規雇用の雇用の質にしても、例え少しずつ賃上げが上がったとしても、あくまでも比較という点で賃金の質にしても常に劣る位置に立たされる格差をも伴うはずである。

 これが安倍晋三が得意になって掲げ、吹聴している「女性の活躍」の実態であり、今後とも変わらない、あるいは更に悪化していく実態であるはずだ。

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