北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

憲法記念日 日本の電力政策が及ぼす外交政策と憲法への影響について

2011-05-03 20:55:01 | 北大路機関特別企画
◆アメリカとともに歩むか、原子力電力自給か
本日は憲法記念日です、そこで憲法と電力政策について少し考えてみましょう。福島第一原発の事故を経て、まだこういう事は書くべきじゃないのれないのでしょうけれども備忘録的な意味でちょっと。原子力から脱却するか否かの命題は、そのまま日本の外交政策に重大な影響を及ぼす、ということです。

Img_0278 福島第一原発事故はどのように終息するのかさえも未知数である中、違和感を持たれる方もいることは御承知で、原発はどうなるのか。日本のこれからの原子力政策は大きく変わってゆくという事だけは確かでしょう、果たして原子力発電所が新設されるとして自治体は受け入れるのか。地元自治体は補助金の関係で受け入れてくれる地域はあるのでしょうけれども、都道府県単位となった場合、新設を受け入れてくれる都道府県はどのくらいあるのか、これから受け入れてくれるのは、正直、補償金と抱き合わせにして他の産業が出来なくなるような事故のあった自治体くらいなのかもしれませんが、現時点ではそれも不可能でしょう、自治体は大打撃を受けていますから市町村レベルはともかく都道府県民が許しません。 選択肢としては原子力発電の方式でより安全な工法を開発する事でしょうか、地震に強い新型の原子炉は開発が進められていますし、原子炉本体を地下に構築する、と言うだけでも事故発生の被害局限化にかなり効果的である事は放射線防護学の先生が教えてくれました。
Img_0344  しかし、原子力がわが国で受けいられなくなる、という可能性もあります。そもそも日本に置いて原子力発電は1957年に日本へアメリカよりウラン燃料が輸入された際まで遡るのですが、一気に原子力発電所が普及したのは1973年の第四次中東戦争に伴う石油危機、その石油危機が行き起こした深刻な電力不足が背景にあり、安全保障上憲法に明記された平和主義を国是としたわが国にあっては電力を安全保障上の問題から遮断され得ない、自給を期したものが背景にあります。そうした状況下で原子力よりの脱却は行い得るのか、常温核融合発電は遠い将来の計画ですし、明日明後日、せめて来年再来年までの電力供給は可能なのかという難題。 そういうのも、太陽エネルギーは太陽電池の製造に莫大な電力が必要になってくる訳で、その為の原子力発電が必要になってしまうから選択肢には難しくなってきます、潮汐発電を行うにしても日本にはそこまで大きな川はありません、地熱発電は可能性はあるものの残念ながら地下熱源との関係から日本で大規模に行うというのは非常に難しいようで、風力発電は東京電力の原発を置き換えるだけで横浜にある大きな風車を最低で一万本常時稼働できるような体制が必要になるそうです。

Img_1786すると、火力でしょうか。 その為には石油の安定供給が日本の死活的利益になることを意味しています。石油が途絶すれば残念ながら火力発電は維持できなくなりますからね、石炭や液化天然ガスでも良いのですが、日本以外からの資源の導入が日本を動かす上で大きな関心事となるのですよね。 火力発電に過度に依存することは中東情勢を筆頭に化石燃料埋蔵地域の安全保障が日本の死活的利益になることを示します。 それだけではなく、石油にしろ天然ガスにしろ海上交通により日本へ到達するのでして、言い換えれば南シナ海のシーレーンが日本の国家運営を左右します。 つまり、その維持のためには非常に重要な防衛力を以てアメリカとともに世界の安定化の為に日本が関与してゆかなければ日本国の運営が不可能になってしまう訳でして、要するに世界を相手に日本の防衛力を展開させて砂漠の戦車戦や海戦を行う、必要ならば山岳地域に航空機を展開させて掃討作戦から住民保護を通じた地域安定化までやってしまう、という必要性が出てくる。ここで憲法の問題が絡んでくるのです。

Img_0414_2 なに、アメリカだけではなくEUでも行っている事です、として割り切る事は日本に出来るのでしょうか。 基本としてはアメリカが基本理念として提示しているように、抑圧からの解放と自由の普及が国際公序としてあるべきであって、決して植民地化を行ったり他国の併合を行わないということ。世界の安定こそが自国の国益と合致することを認識する。これが必要でしょう。 アメリカとともに世界を舞台に冒険を繰り広げるということ、といっては語弊がありますが世界の安定が二本の安定につながるのであり、予防外交が限界を超えて武力紛争が発生した場合に日本が介入しなければならない、という事は受け入れられるのでしょうか。 それはそれでありなのか、原子力をすくなくともじせだい動力が実用化されるまでのたとえば21世紀中は国是とする覚悟を決めるのか、それとも先日の首都圏計画停電地域でお住まいの方が、あれはあれで電車も止まり冷蔵庫も止まったが快適ではないにしてもくらしはなりたつ、と受け入れる度量があるのならば、日本全域で脱工業化を行い停電とともに物的豊かさから脱却した暮らしを営むのか。選択する必要はあるでしょう。
Img_1647 何もそこまで究極の選択を突きつけなくとも、と思われる方もいるでしょうけれども、それならば原子力を今後どうするのか、日本で原子力を増進出来ないとすれば電力は何らかの方策により確保しなければなりません。電力不足は重大な問題であることが、今回の無計画な計画停電により明らかになった訳です、そして今年の夏はガスタービン発電機の導入と工業生産の首都圏東北地方以外の地域への移転により乗り切る事が出来るかもしれませんが、原子力発電所は全国で老朽化を続けています。新しい原子力発電所を日本の国家政策としてマグニチュード9クラスの地震や津波の直撃や炉心下に万一活断層が生じていた場合でも対応できるような原子力発電方式を開発するのか、もしくは火力発電方式に甘んじるべく安全保障政策や外交政策の第二次世界大戦以来の大きな転換を行うのか、電気が無い生活を耐えしのぐのか、考えなければなりません。

HARUNA

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コメント (6)
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