◆海上部隊と航空部隊の集中
沖縄トラフにおける八重山地震、歴史地震として記録に残るこの巨大地震が再来した場合、どういった被害は起こるのでしょうか。
1771年4月24日の八重山地震では、マグニチュード7.4から8.0と巨大地震であったものの大きな揺れは観測されず、震源に近い石垣島で推定震度4前後、ただ沖縄本島や久米島と慶良間諸島、与那国島での推定震度は3前後で広範囲に分布しているため、長周期振動が発生していることがわかります。
しかし、当時の最大の被害は津波被害で、広範囲に及ばず被害が八重山諸島に集中したことから、隆起と沈降による津波ではなく海底地滑による大波とも考えられるのですが、それでも八重山諸島を襲った明和の大津波で石垣島を縦断し35mから最大85mとの分析、他方、沖縄本島や九州島にはそこまでの津波は無く、逆に千葉県房総半島に被害の記録はあります。
離島災害といえば、三原山噴火災害における全島民避難や奄美大島豪雨災害のような単一での離島災害は多く経験がありますが、同時に多数の離島が被災する災害は、南海トラフ地震のような巨大地震とはまた違ったものとなるでしょう。
この地震が再来した場合、どうなるのでしょうか。地震発生、すると震源に近い八重山諸島をこの地域としては突き上げるような大きな揺れが襲います。台風に備える石垣などは少なくない数が崩れ、避難路を塞ぐこととなるでしょう。そしてその数十秒から一分後、地震は長周期振動となり、まず約200km離れた那覇市と台湾台北市を襲います。
更に地震発生から数分後、長周期振動は中国上海市と南京市、鹿児島市を襲います。ゆっくりとした震度三から四の揺れは、揺れのエネルギーを貯め込みやすい超高層ビルを襲い、免震構造や長周期振動対策を行っていないビルは破壊され、構造によっては避難の間もなく倒壊することとなるでしょう。
そして、地震の揺れが収まった数十分後、海底地滑りによる第一波が最大波となる津波が、局地的に八重山諸島を押し流し、一時間数十分後に台北市と沖縄本島を数mの、二時間後には中国沿岸部を、そして沿岸最大の都市上海市を、津波が襲います。しかし、八重山諸島は八重山地震での津波被害では沿岸部の引き潮の意味が分からず海岸線にでていたことが被害を拡大させていたため、高台へ避難すれば住民の被害の割合は軽減できる。
日本では恐らく地震発生と共に内閣府に災害対策本部が設置され、那覇航空基地及び鹿屋航空基地より情報収集へP-3C哨戒機が、那覇基地及び新田原基地より戦闘機が緊急発進し、情報収集に当たります。沖縄県知事は被害状況を受け防衛省へ災害派遣要請を行い、自衛隊の派遣が開始されます。
災害派遣の主力は地震災害であれば陸上自衛隊ですが、離島連鎖災害という従来の地震対処とは異なる被害を前に、特に被害の中心となる八重山諸島では、那覇からの部隊が展開できず、仮に沿岸監視隊を置いていたとしても津波被害区域にあるため退避に用いた車両を除き使用できず、まず陸上からの情報収集が行うことが出来ません。
このため、海上からの部隊輸送と、無事であった沖縄本島の飛行場施設、那覇航空基地は海抜3mであるため、八重山地震の津波被害程度ならば冠水は免れるかもしれませんが、滑走路が被害を受ける可能性があります。このため、海抜の高い普天間基地と嘉手納基地がその拠点となるでしょう。しかし、輸送の中枢は艦艇となる。
非常に狭い水道を経た湾の奥深くに位置する佐世保基地は、海軍が港湾封鎖と艦砲射撃に備えた立地ですが、津波被害に期せずして強い立地ともなっています。この地いき最大の宮古島市は人口52000名、津波の被害が大きい石垣市は人口47000名、与那国町と竹富町で構成される八重山郡は人口5500名、被災地総人口は10万強で、ここに艦艇が割り振られます。
同時にP-3C哨戒機、那覇航空基地が使用できない場合には鹿屋航空基地の機材等が用いられ、厚木航空基地や八戸航空基地からの機体が洋上の津波漂流物と共に漂流者の捜索に当たります。漂流物が多ければ、救難飛行艇US-1AやUS-2は着水できないため、ヘリコプターとの連携が考えられるところ。
防衛省は、佐世保地方総監隷下に統合任務部隊を発足させ、指揮下に派遣可能な稼働艦艇全てを割り振ることとなるでしょう。これにより、被災者はヘリコプターとエアクッション揚陸艇により暫時洋上の避難所に収容され、物資輸送はヘリコプターを中心に行われると共に津波被害を受けた港湾と空港の復旧に着手します。
多数の航空機が同時投入されるため、東日本大震災における航空管制のように浜松基地よりE-767早期警戒管制機が沖縄本島以南に進出、ヘリ御プターの空中官制を行う事となるでしょう。恐らく被災地の航空管制施設は地上部分のものが地震と津波により被害を受けるため、これがなくてはさいがいはけん規模を拡大できない。
もしくは、イージス艦の情報処理能力が航空管制に活躍するかもしれませんが、自衛隊の空中機動能力は非常に大きく、輸送能力と部隊規模では中国人民解放軍を実は上回ります。被災地域の迅速な救出、幸い東日本大震災程海水温が低くないため低体温症までの猶予はありますが、水道施設などのインフラの支援が必要で、やはりここでも時間との戦いとなる。
併せて、港湾施設と空港施設の復旧へ、津波被害を免れた被災地域の建築会社器材とともに陸上自衛隊施設部隊が派遣されます、輸送艦の母港がある中部方面隊隷下部隊か、被災地管区の西部方面隊隷下部隊か、投入が迅速に行うことが可能な部隊が上陸することでしょう。
施設部隊は、着陸地域が無事であれば輸送機からの空挺により、基本的には陸上誘導員をヘリコプターにより展開させ、エアクッション揚陸艇により海岸線へ上陸します。こうして、港湾施設が復旧すれば、復旧は大きく前進します。輸送は民間部門の方が遙かに起きく、阪神大震災でも東日本大震災でも民輸送の復旧までを支えるのが重要でした。
ただ、併せて、中国沿岸部では、都市部の高層ビルが倒壊し、海岸線近くの住宅街などは津波被害を受けます。このため、自衛隊が南西諸島付近に大部隊を展開させると共に、人民解放軍も東シナ海を隔てた沿岸部へかなりの部隊を展開させることとなるため、無用な緊張を解く事前の情報共有体制が必要となります。
それでは、この機に乗じ中国軍が侵攻してくる可能性はどうなのでしょうか。これは、実のところ未知数ですが、艦艇基地、例えば空母遼寧の母港である青島後小口子基地などは、防波堤こそあるものの半島の外側に位置し、台風を想定した位置であっても津波を想定していません。日本の場合は基地の立地が艦砲を想定して湾の奥に位置している時代のものだったのですが、中国の現代の基地にはこうした配慮が無い。
中国東海艦隊は司令部が寧波が3m程度の津波に襲われる立地にあり、舟山基地も外洋に面しています。中国南海艦隊は楡林基地は台湾の海兵隊強襲に備え大竹島と黄平島が津波を防ぐかもしれませんが、広州基地は外洋に面し半島の陰に或るものの台風が防げるだけで津波には無防備です、湛江基地については資料がありませんが、少なくとも沿岸人口が大きく人的被害では日本以上の規模で中国沿岸部の被害が出る中で、軍事行動は出来るのでしょうか。
加えて、東日本大震災以上の規模で在沖米軍の海兵隊や第七艦隊より航空母艦や強襲揚陸艦を含めたかなりの部隊が展開する事となり、嘉手納基地へは米本土からの空輸部隊が展開するため、この地域の日米協力は非常に大きなものとなるため、軍事的に手を出すことは出来ません。
もちろん、日本側の復旧が民主党時代のような不手際により遅れに遅れた場合や、中国沿岸部の被害が中国国内の情勢に影響を長期的に及ぼした状況では、地震の数年後に重大な局面はあるかもしれません。他方、自衛隊の災害派遣による南西諸島での活動が活性化した場合、偵察機を展開させる可能性は多く、これについては検討が必要です。
しかし、何よりもこの地震は詳しい震源などの情報が少なく、ただ被害は発生したという歴史地震の中でも記録的な津波記録を有しているものであり、この為の研究を更に進め、こうした事態も起こり得るのだ、という研究は政府としても自衛隊としても、もちろん沖縄県としても、行われるべきでしょう。
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