◆最終回:沖縄慰霊の日とともに
本日は1945年のこの日、沖縄に於ける我が軍の組織的抵抗が不可能となり沖縄戦に敗北した沖縄慰霊の日です。
次の沖縄戦を回避するにはどうすればよいのか。沖縄戦では、本島中央部の嘉手納海岸に上陸した米軍部隊を、第32軍2個師団1個旅団が敵の出血強要と陣地固守の下、抵抗を続けたものの遂に守り切れず、敗北したものでした。その後我が国は敗戦、平和憲法を制定し日米同盟を唯一の出島として軍事的な鎖国を続けてきましたが、冷戦期に在っては北方、今日では南方からの軍事的脅威に曝されているところ。
我が国の防衛戦略は過去の戦争の敗因に依拠し、日米協同で紛争を抑止し万一に備える事。によりあの沖縄戦の敗因は、先んじて米軍と戦火を交えたフィリピン決戦にて、それ以前のマリアナ沖海戦で海軍航空戦力が、フィリピンでの陸軍総力戦に協同したレイテ沖海戦で水上戦闘艦部隊主力を喪失し、制海権の維持が不可能となったところで、フィリピン増派により手薄となった台湾へ沖縄第32軍より金沢第9師団を抽出し、手薄となったのが大きい。
無防備であれば、逆に戦争を誘発する、戦時であれば優先目標が列挙されたうえでその中で最も防備が薄い地域から逐次攻撃を受けるため、離島という特性を活かした機動運用部隊を適宜配置し、防備を固める事こそ、必要であり、これが戦争を抑止、次の沖縄戦を回避する数少ない手段でしょう。
蛮勇をふるって、例えば離島の幾つかを放棄して逃げれば平和を得られるのだ、という誤解を仮に強行すれば、元々この海域の離島を何故強大な防衛力を有し、今なお世界最大級の経済力と国際金融力を有する日本を相手に考えているのか、考えた場合、妥当な策とは到底言えず、次の戦争を誘発してしまう視点を忘れてはなりません。
中国は、太平洋地域での米軍の影響力排除を念頭に置き、併せて台湾の武力併合による中華民国の消滅を公言しており、南西諸島の一部を占領されれば極東米軍の台湾有事抑止の均衡が崩れ、そのまま我が国シーレーンを巻き込んだ台湾有事へと発展、南西諸島有事の局地戦を遙かに上回る戦火に曝されてしまいます。
それならば、絶対平和主義を念頭に中国に我が国そのものを委ねれば、という無抵抗主義を提示したならば、今度は我が国土を拠点として米中衝突の舞台を提供することとなり、日本の曖昧な行為が結果的に第三次世界大戦の引き金を引くことにもなりかねない。国家には領域を保全する義務があり、そうした意味では日本の防衛は通じて世界の平和につながっている、ということ。
以上の視点に基づき、沖縄本島の恒久拠点化やヘリコプター搭載護衛艦への固定翼機搭載とその増強、南西諸島南部のミサイル配備による防御強化、沖縄配備旅団の自己完結分散戦闘能力の配備、南九州管区師団の両用作戦部隊化、沿岸監視隊の配置、空港防備体制の構築、いろいろと提示してきました。
他方、現時点では沖縄を守れるのか、という視点にのみ立つならば佐世保を中心に我が国は有力な水上及び潜水部隊と航空部隊を有し、防空能力も迅速に増援する態勢を構築しているため、有事の際には数で劣っていたとしても我が方が非常に有利となっています。
これは量的優位では質的優位に対処する限界について、例えば1991年の湾岸戦争が大兵力の質的優位への対処限界を示したような、情報優位の獲得と迅速化による戦域優位の獲得を丹念に防衛力へ反映させた成果と言え、他方情報優位への費用負担の重要性を組織として理解している程度差から、この優位は当面不変であるといえるもの。
ただ、これは実戦で優位に立つ、という側面を示しているだけであり、軍隊の抑止力として一流は戦争に展開させない事、戦闘に展開する以前に相手に侵攻を断念させるだけの抑止力を発揮出来なければ、使ってわかる防衛力、というものでは二流と言わざるを得ません。
この視点に立つならば、国際協調を如何に確立するかが重要であり、アジア諸国が一致して安全保障に相応の責任を持つという立場での連携を確認する、軍事同盟というような踏み込んだものではなくとも、相互の訓練等に基づく信頼醸成措置などを構築しておくだけでも大きく効果は換わるでしょう。
こういうのも、我が国へ軍事的圧力をかける中国は、かの国が批判する大戦前の我が国の政策をかの国は特に軍事的膨張という面においては我が国の、彼らが誤りとする手法を踏襲し、周辺国に戦争を仕掛け、侵略行為を自己正当化している結果、ほぼ全周の諸国へ攻撃を仕掛けたことで完全に軍事的に孤立し、後に引けなくなってしまった、ということ。
実際に、過去に中国より侵略をうけた国は、すでに占領されたチベットや、撃退したインドにヴェトナムやソ連と台湾、一部を占領されているフィリピンなどと、ある程度協調する必要があるのではないでしょうか。もっとも台湾との軍事的協同は、実のところ外交的に少なくないリスクを有するため、慎重に距離を置きつつ模索しなければなりませんが。
特に理想としては、我が国が先の大戦が周辺地域に及ぼした被害に鑑みた軍事的自制と同程度のものを中国が自覚することです。しかし、それを願うにも、こればかりは限界があるため、軍事的な鎖国を我が国が行い、アジアを含めた世界からの軍事的孤立を歩んだ戦後のわが国外交防衛戦略から、大きな転換を考える必要があるのではないか。
かの国が、我が国へアジアからの孤立を招く、と警鐘を鳴らす実態は、アジア諸国を北東アジア地域大きく狭めたもとでの中傷であり、実際にはかの国こそが孤立している、もしくはかの国から世界が孤立する、分かりやすい表現では世界からかの国が孤立している、という事に他なりません。
こうしたうえで、我が国の防衛力を以て、かの国から近年不当な軍事的圧力、正確には力を背景に画定されている国境線を侵蝕されている諸国への圧力を、これは国際法的な分野で、経済的な分野で、もしくは防衛協力というような分野を含めて、日本国として国際協調の針路をとる、国際公共財としての防衛力を考える手段とならないものでしょうか。
これは一見、我が南西諸島に対し軍事的圧力をかけている新しい大国に対し敵対的な方策となっているのではないか、という批判があるやもしれません。しかし、必ずしもそうではなく、かの国が軍事的膨張を領土的膨張へ転化する国策を維持し続けた場合、必ず他の地域大国や超大国との軍事的衝突に発展することは自明であり、これを回避し世界の責任ある一員へと誘う上で、必要なものと考えるわけです、かつてそうする国に恵まれなかった我が国の歴史をたどることとならないように。
南西諸島の防衛を考えることは、南西諸島が台湾有事への強烈な安全弁となっている現状に鑑み非常に重要であり、実戦を以て勝つことではなく、戦争を抑止する体系を構築し、不幸な衝突を回避すると共に隣国の世界での地位への昇華を支える、次の沖縄戦を防ぐことは、世界の安定にもつながっているという視点から物事を考える必要があるでしょう。尖閣諸島防衛への一視点、このように考えた次第です。
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