◆訓練展示状況終了後の駐屯地祭
普通科部隊の突撃とともに戦車部隊の前進、これをもって仮設敵は陣地を放棄、我が方が奪還し訓練展示模擬戦の状況は前回、終了しました。
状況終了の号令と共に式典の完了が放送され、招待者は祝賀会食会場への誘導が開始、初夏の快晴の下で他の来場者も飲み物売り場や自販機へ、装備品展示会場や或いは装備品展示会場へ、と歩み始める最中、AH-1S対戦車ヘリコプターのローター音が聞こえてきます。
そして先ほどの訓練展示仮設敵陣地の奥からは82式指揮通信車が、さては先ほどの訓練展示の結果に不満がある仮設敵増援部隊が逆襲してきたのでしょうか、状況再開ッ!、と、まあ、そんなわけはなく、こちらは装甲車体験乗車の様子で、車上には見学者の姿も見える。
AH-1Sは、地上展示へ、福岡駐屯地へ着陸してきたのでした。目達原駐屯地の機体ですが、福岡駐屯地の式典会場であれば、ヘリコプターは充分着陸できるため、この式典会場、本来のグラウンドとして使える訓練展示終了後に装備品展示へと着陸してきたわけです。
この日は五月なのですが、流石というべきか、九州は暑かった、しかし、式典終了後でしたので、来賓用のテントと座席が開放されたので、テントの下で椅子に座りながらの撮影です。小型の折畳椅子は飛行機で持ってきているのですが、座ってみると来賓席、やはり椅子は大きい方がいい。
ヘリコプターの着陸と前後して、太鼓演奏、式典前にも行われていましたが、行われました。腕力と統率については折り紙つきで、各駐屯地の太鼓保存会から参加がありました。この種の太鼓では年間を通じて練習ができ、継続的に全員集まっての演奏、自衛隊は日本最大の太鼓保存機関なのでは、と毎回太鼓の演奏の水準の高さに感心します。
対馬元寇太鼓も、対馬元寇太鼓は、韓国最強の王という世宗大王が18000名の大軍で対馬を攻めた1419年の応永外冦にて、対馬領主宗貞盛が手勢600名を以て果敢に反撃、戦力差30倍をものともせず、朝鮮の和議の申し出も去らねば元寇と同じく皆殺し、と突っぱね、対馬を守り切ったことで有名ですが、その宗家の館跡が今の対馬駐屯地、太鼓も直接かは不明ですが当時からの伝統があるものです。
UH-1J多用途ヘリコプターも着陸してきました。地上で誘導している隊員の姿が見えます。対馬への侵攻があった際には第四師団隷下の対馬警備隊が対処すると共にこのUH-1が、第四飛行隊と西部方面航空隊より増援を以て対馬に駆けつけるのでしょう。ただ、対馬警備隊はレンジャーが多い自衛隊の最精鋭部隊の一つ、応永外冦を考えると、さっさと増援に展開しなければ対馬警備隊だけで片付けてしまうかも。
この写真もテントの下の座席から撮影したのですが、日差しは凄いものの敷けが少ないので日陰に入るだけで気持ちいい、そして先ほど買った冷えたお茶が美味い。ただ、幾列にも並ぶテントの下の座席、快適かもしれないけれども、後ろの方に座った人は何も見えないような気もしますね。
続いてOH-6D観測ヘリコプターが、この機体を貼ると誰とは言いませんが、BK-117で置き換えるべきでエンジンはどれこれが良い、とかUH-1の写真を貼るとOH-1のエンジンをUH-1に移植させろ、と勝手に持論を押し付けてくる方がいますが、正直凄く迷惑です、BK-117なら他に該当記事があるのだからそこに書き込めばいいのだし、変に無関係なことを書き込まれると他のコメント投稿者を萎縮させてしまうので迷惑、自覚してくれないと困る。
と、まあ、この写真を撮影した時にはそんなことは考えずパチパチとっていたのですが、お隣のご老人、ご家族でお見えの方のようですが世間話に意気投合しまして、このあたりや宿泊した久留米のあたりの名物や名所旧跡など、いろいろ教えてもらいました、今度はしっかり観光もしたいぞ。
着陸した航空機はエンジンを停止すると、地上展示の準備を開始します。ちなみに車両や火砲の装備品展示会場は別の場所、正確には正門からこの式典会場までの途中に用意されています。なかなか見ない装備やここだけの部隊マーキングもあり、しかし撮影位置確保の方が重要だ、と示威店前には見るのを断念したところです。
さて、ご老人と弾んだお話も余り長く引き留めては、とお開きにして、ご縁があればまたお会いしましょう、と挨拶し、こちらも展示の装備品を撮影するべく移動を開始します。先ほどの太鼓演奏の部隊が撤収しているところに出合いました。
AH-1S,地上展示の準備が完了しましたので、グラウンドへ立入が出来るようになりました、背景の空には旅客機が飛んでいますが、これは福岡空港が近いから、空港ビルまでは6kmほど、空港敷地滑走路の端までは3kmくらい、ちなみに新幹線の博多駅までは空港までと同じ約6kmです。
駐屯地最寄駅はJRだと南福岡駅、西鉄だと雑餉隈駅、駐屯地すぐ隣には、航空自衛隊西部航空方面隊司令部の展開する春日基地があります。福岡駐屯地の災害派遣初動車両、装備品展示会場へ向かう途中に並んでいるのが見えました。
この写真は東日本大震災の翌年、ここ福岡駐屯地からも東日本大震災へは災害派遣部隊が出動し、様々な任務に就いた、という話を装備品展示にて隊員さんから聞くことができました。これについては、書きだすと長くなりますので、次回紹介することとしましょう。
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