北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】金地院,夏空の歴史散策-金地院崇伝は徳川家康信頼厚き室町幕府名門出身僧侶

2023-10-11 20:22:20 | 写真
■お散歩は残暑のあとで
 暑いときには出歩くのも多少難渋するところなのですがあの突き抜けた様な青空は夏空と云う通り真夏だけしか見上げられない。だから多少残暑が収まる夕刻の散策へ。

 金地院。涼しさは急にやってきた、というこれは十月に入り未だ暑さが続くのかと嘆息した文字通り数日後のことでして、夜は涼しいように漸く解放されたかと思った頃合いが、そう数日というよりも数十時間で、日中も同じくらい涼しくなったのに驚く。

 京都市左京区南禅寺福地町、格好よく地名を並べてみましたが要するに金地院さんは南禅寺の塔頭で、実はこの情景へ探訪したのはまだ涼しさが日本に来る際に寄り道をしていた、まだ続く残暑、という最中に拝観へと赴きましたところでして、蒸し暑さこもる。

 弁天池という、実は庭園の方は枯山水庭園となっているのですが、有名な明智門をくぐって直ぐ先に広がります庭園には弁天池があり、記憶に情景が残っていましたから何となく涼しそうだなあ、なんて期待しつつ拝観へ臨んだのですが、現実の暑さはまだ厳しい。

 東照宮さんが置かれている寺院、金地院さんというのは不思議な情景不思議な歴史不思議な言い訳を湛える寺院で、東照宮さんがありながらご本尊は地蔵菩薩さんを奉じています。その不思議な寺院の始まりは応永年間、14世紀末まで遡るのですけれども。

 大業徳基、南禅寺六八世を勤めた僧侶が14世紀末に室町幕府第四代将軍足利義持の支援を受け開山に至った寺院で、そう四代将軍の時代といいますと北山文化華やかなりし頃の余韻がありましたので、この当地は東山ですが開山の地は鷹ヶ峯あたりであった。

 東山へ北山の寺院は遷りましたのは慶長10年、西暦では1605年という江戸時代の頃、金地院崇伝さんという、黒衣の宰相とも呼ばれていました徳川家康のお気に入り、幕府の外交政策や統治機構の設計に携わった僧侶の寺院として当地東山に遷りました。

 南光坊天海、天海さんとともに金地院崇伝さんは幕府に影響力を及ぼした訳ですがその生まれは室町幕府幕臣の一色秀勝の次男、しかし織田信長による室町幕府滅亡により出家するところとなりまして鷹峯金地院の靖叔徳林に嗣法をうけた、という歴史が。

 外交政策や統治機構設計、不思議に思われるかもしれませんが一色家は足利将軍家側近として行政機構とつながりが深く、また外交政策は鎌倉時代より僧侶、外国語能力と制度研究がどうしても仏法研究に重なる、故の能力主義、というものがあったのでしょう。

 相国寺西笑承兌の推薦を受け徳川家康が金地院崇伝さんを駿府に迎えたのが慶長13年こと1608年でして、明朝や李氏朝鮮、アユタヤ王朝や黎朝越南、果てはオランダやイギリスとの外交さえ担うことになり、外交文書起草と朱印状の取り扱いに全権を任されました。

 駿府金地院がその数年後に駿河国駿府城内、そしてその約十年後に江戸城内は北ノ丸に江戸金地院が開かれたといいますから、今では南禅寺の塔頭寺院ですが変な話江戸時代にはその松寺が行政中枢のど真ん中にあったという、それはそれは不思議な時代で。

 江戸城の金地院というのは東京都港区芝公園三丁目に現存していまして、そんなに江戸城広かったのかというとそうでもなく、金地院さんが亡くなられた寛永15年こと1638年に現在地に移転、1945年東京大空襲で焼失しましたが1956年に再建された、と。

 臨済宗系単立寺院、現在は臨済宗南禅寺派南禅寺塔頭となっているのですけれども、それは明治の頃からといい、開基の大業徳基さんが南禅寺六八世であったゆえの縁、というところでしょう。ただ、この金地院は更に不思議といえる縁が今に至る道を開くのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】仁和寺,厳しすぎたあの残暑の収まりと間もなくの紅葉の季節幕開けを前に

2023-10-11 20:01:22 | 写真
■観光と拝観と混雑と
 紅葉の季節が見えてきた今日この頃なのですがこの夏の酷暑と残暑と灼熱が木々のいろづきにさてこれからどう影響するのか。

 仁和寺、紅葉の季節になりましたら此処も素晴らしいのですが、それ程混雑しないという印象も、いやいや時間帯に世手はそうではないという話と共に、要するに凪の時間が有るのでしょうね。しかしその際に混雑はこの庭園をゆったり見る事は出来なくなる。

 紅葉の季節、西山三山、長岡京市などの紅葉名所も混雑する、といいますが、清水寺に比べますと、それほどではない。もっとも、本数が少ない路線バスが混雑して、混雑回避には例えば光明寺、阪急の長岡京駅から寺まで2kmほど歩くことをお勧めされます。

 ここを航空祭輸送、この輸送手段を応用できないものかと思ってしまうのだ。急に自衛隊のイベントの話題を出して恐縮なのですが、郊外の行楽にはもう少し周りの府県のバス会社、協力会社を集めては、とも思うのですね。紅葉輸送ばかり全国で行う訳でない。

 便利な路線は満員となる、ならば敢えて不便な路線を臨時便として運行できるようにして道路渋滞を避けるとか、徒歩距離は伸びるけれどもバスに乗る際にそこまで混雑しない選択肢を示すとか。国土交通省の路線免許も柔軟に対応してもらい対応を期待したい。

 公共交通機関のリソースが限られているのは理解したうえで、しかし協力会社として航空祭のようにほかの会社から応援を受ければ、対応できる水準とも、思います。オーバーツーリズムは問題ですが、逆にCOVID-19の時代には閑古鳥の方が問題でしたから。

 閑古鳥、京都も当てはまるところですが2020年と2021年に2022年までの3年間、感染対策により門戸を閉ざした寺院は多く、一方で文化財は降雨に酷暑に台風と降雪に虫害と市街戦、いや紫外線により痛みは積もり、その修繕費用捻出に苦慮したところが。

 COVID-19の場合は、感染対策よりも経済、という声は京都府のお隣大阪府に多く、爆発的感染拡大を重ねた一方、寺院などは高齢化も進み、当初致死率2%、感染対策を怠れば物理的な意味で廃絶が見えていた故にどうにもならない状況があったことも否めません。

 檀家の尽力で伽藍を維持するには難しい規模の寺院は多く、すると、オーバーツーリズムは困るが閑古鳥はもっと困る、という厳しい課題もあるのですね。実際、京都市バスなどは市民がのれないオーバーツーリズムとして槍玉にあがるところですが、少し前には。

 京都市バス全路線赤字、といいましてバス停時刻表の片隅に、144とか110とか223とか小さく数字が四角く囲われて明示されています。護衛艦の艦番号か、といえばそうではなく、そのバス路線が100円稼ぐための諸費用を明示し、100以上の数字は全て赤字、と。

 205系統も赤字ということに驚いたのですが、オーバーツーリズムとはいわれても乗車率を高めなければバス路線さえ維持できないという厳しい現実がそこにありました、すると京都は本来、COVID-19の閑古鳥とともにオーバーツーリズム対策をすべきであった。

 市財政も大赤字、特に観光業依存度が高く京セラや任天堂に日本電産といった例外を除けば観光業依存度が高い京都市は、稼ぐ側が突如給付金で生き延びる側に回ってしまい、予算面で観光客が少ないうちにオーバーツーリズム対策の財投などは出来ない状況だった。

 問題視されているオーバーツーリズムですけれども、観光との共存を考えなければ、政教分離の進んだ現代日本において世界遺産に登録されるほどの伽藍は維持できません、こういうことは文化財と云えども例外ではないもので、向き合ってゆくことが重要なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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イスラエル情勢-第四次中東戦争以来の奇襲攻撃は何が有ったのか?ガザ地区からの攻撃開始は現地時間0630時

2023-10-11 07:00:01 | 防衛・安全保障
■臨時情報-イスラエル情勢
 予備役動員30万とガザ地区包囲兵力10万というガザ地区情勢は、イスラエル南部に浸透したハマス戦闘員を一応鎮定できたとしていますが緊迫度を増しています。イスラエルが真珠湾と表現したこの状況、平和は一瞬にして崩れる事から学ぶ点をみてみましょう。

 ガザ地区からのイスラエルへの総攻撃、ちょうどこの2023年は1973年のヨムキプール戦争から50年、イスラエルの祝日であるヨムキプール、敢えて祝日は油断しやすいことから警戒を強化する、故にその警戒強化が何も起こらないであろうという正常性バイアスを働かせると、1973年にエジプトのサダト大統領が決断し完璧な奇襲に成功しました。

 日本の視点から考えた場合、日本にはガザ地区にあたる地域は無く政治的に安定しているのですが、今回のような奇襲攻撃は北朝鮮や中国、そしてロシアとの緊張関係が今後高まる場合には、突如数千機の長距離無人機攻撃という形で現実化する蓋然性は相応の確立で存在し、決して無視できない、安定していても油断すべきでないことを示唆しています。

 2023年10月7日はユダヤ教の安息日であり祭日、イスラエルも行楽ムードが高まっていたところですが、ガザ地区からの攻撃開始は現地時間0630時頃、ハマスによるロケット弾攻撃により火蓋が切られました。ロケット弾攻撃はしかしハマスが多用する手段であり、特にガザ地区を囲むイスラエルの防護壁完成後、自爆テロなどの頻度は劇的に下がった。

 アイアンドームミサイル防衛システム、ハマスによるロケット攻撃は1セットあたり60発を初度弾薬として同時多数の攻撃に備えているイスラエルの短距離防空システムにより通常迎撃されるのですが、0630時から三時間にわたり5000発、イスラエル国防省は攻撃が2500発であったとしているのですが、アイアンドームでさえ数が多すぎました。

 防護壁。ガザ地区はイスラエルからの自治区承認とともにイスラエル入植者の入植禁止と駐留イスラエル軍の撤収とともに防護壁、4mから6mの高さのコンクリート壁で覆いました。いや予算の関係上フェンスが設置され防護壁の無い場所もありましたが、夜陰に紛れて自爆テロ要員が浸透するという事案は劇的に低下、ここにイスラエルは油断が、と。

 ブルドーザーを集中的に使用して防護壁を破壊、防護壁の北部にあるエレズ市隣接防護壁で3カ所が破壊、キスフィム通行所とその南北を含めた3カ所にも破壊、更にガザ南部のケレムシャローム検問所も突破され、ここからハマス戦闘員が、つまり7カ所の突破口から一気に浸透を開始、併せて複数のパラグライダー空挺部隊による浸透も開始している。

 第四次中東戦争から半世紀という節目の時期であったのですが、可能性なのですがイスラエル軍でも、かなりの損耗を強いられた第四次中東戦争、奇襲を受けた経験を活かして今後も国防に努力しよう、という開戦半世紀のような談話などはあったのかもしれません、しかしその最中に警戒しているという自信の表れが、今回の状況に繋がった、とも。

 日本への教訓としては、安定しているし、イスラエルの場合はサウジアラビアとの国交正常化が近づくなど融和ムードの最中に突如侵攻されたという構図、そして既に人口一万人の一人の割合で殺害されている状況です、平和だから安全だ、として相手の能力への警戒を怠りますと、逆に奇襲攻撃により国民が大きな損耗を強いられることも、あるのです。

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