北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2023【4】岐阜基地名物!異機種編隊と異機種大編隊(2023-11-12)

2024-01-25 20:09:02 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■空往く岐阜基地名物
 名物に旨いものなしという言葉が有るようですが岐阜の場合は名物は上手いものばかりというところでしょうか。

 岐阜基地航空祭、異機種編隊の第一陣が接近して参りました。岐阜基地航空祭と云えば、この異機種大編隊が名物なのですから手堅く撮影しておきたい、しかし不思議な編隊です。昔はこの編隊をオープニングフライトで実施して午後から本番の異機種大編隊に臨んだ。

 F-15戦闘機とF-2戦闘機にT-7練習機、微妙に小さくなってゆくというような編隊と思われるかもしれないが結構重要なのはこの編隊にT-7練習機が含まれているところで、低速の初等練習機を含んでいる編隊、T-7にF-15が速度を併せなければならないので大変なのだ。

 五機編隊、異機種大編隊が輸送機を含んでいる編隊であるのに対して、最初のいい種変大破戦闘機と練習機、という編成です。いや戦闘機を運用する航空団には基本的に連絡機や練習機としてT-4練習機が配備されてはいる、けれどもT-7と戦闘機を配備する部隊は。

 T-7練習機は練習機としては静浜基地の第11飛行教育団と防府北基地の第13飛行教育団に配備されている航空機で、そう、戦闘機とともに配備されている基地はここ岐阜基地のみ、という。厳密には教材扱いで浜松基地に配備され、教材として浜松にはF-2等もいますが。

 G3Xカメラで撮影すると、一眼レフと共に並行して撮影しているのでズーム操作なんてことはできません、同じ瞬間にはEF100-400mmISⅡレンズ操作で手一杯ですから、するとこんな感じで戦闘機以外は見切れてしまう構図になってしまうのですが、それはそれで。

 F-2と見切れてしまったF-15,これはこれで。しかし惜しいなあと残念に思うのは、この航空祭本番が晴れていればなあ、と思うのだ。予行では快晴の日が在ったようなのですが、予行は晴れていても航空祭本番が曇天ということがある。もっとも雨天で無かっただけ。

 異機種大編隊、総岐阜基地航空祭というのは皆さんこの瞬間を撮影するために朝早くから岐阜基地へ向かい、岐阜基地に並び、岐阜基地で陣取り、岐阜基地でカメラを大空に向けるのです。輸送機に戦闘機と練習機、一気に編隊を組んでくれるのはここ岐阜基地だけ。

 編隊と大編隊、厳密に分ける定義はないのですが輸送機を含まないが初等練習機をふくんでいる編隊を異機種編隊、輸送機を中心に戦闘機都連手記を挟んだ編隊を機種大編隊、と分けて呼んでいます。最初は望遠レンズ越しに、しかししっかりと大編隊が接近してきて。

 大編隊、飛行開発実験団がこうした編隊飛行を行うのは、その飛行開発実験団の任務が各種装備品の開発と評価試験を行うために各種装備を搭載出来る航空機を揃えている為で、いつかはF-35戦闘機と、そしてGCAPとして開発されるF-3戦闘機も配備されましょう。

 F-35戦闘機、驚くなかれ1990年ごろまではF-15戦闘機も航空自衛隊小では実戦部隊とマザースコードロンの所要数だけで手一杯であり、飛行開発実験団は第2航空団などの機体が定期整備の際に借用する形で足りないF-15戦闘機を確保して、そして試験していた。

 F-2戦闘機、見切れているなあ。この機体だけは日本で独自に開発した、なにしろ飛行フライバイワイヤ制御装置がF-16とは別の日本独自のもので飛び方が違うのだから独自開発といえる、そんな背景がありますから初号機からここ岐阜基地で生まれ、育ったのだけれど。

 C-2輸送機、考えればこの子も岐阜基地の、というよりも川崎重工岐阜工場において開発され、初飛行もここ岐阜生まれの航空機です。すると国産機というのは、飛行開発実験団で生まれ育ったことに。F-35は先かもしれないがF-3配備はF-3は早いかもしれない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社-節分,宇迦之御魂大神は五穀豊穣司り産業振興の神さま-初詣の思い出話

2024-01-25 07:01:41 | 写真
■大寒波のさなか
 世の中何が起こるかはわからないもので暖冬で防寒着が不要だと考えていたところから数日後がいま。

 大寒波襲来。驚くなかれ、節分神事の準備が行われていました僅か数日ののちに、確かこの参拝の際には冬の割には異常な暖かさだった、と記憶していまして、何しろ防寒着ではなく普通の冬物の上着で参拝したのを覚えています。高島屋で冬物をどうするか、とね。

 高島屋云々というのは、冬物が気候変動により身に着けられる期間が短くなるのではないか、と、クリアランスセールなどでも少し考えるようにはなっているのですが夏ばかりではなく、冬は確かに寒いのだ、ということを認識するような状況、やはり冬は来ている。

 伏見稲荷大社ではもともとは農耕神でありました宇迦之御魂大神にこうべを垂れて平穏を願うのですが。雪が降らなければ雪解け水は春に潤いをもたらしませんので、農耕にとっても豊作が遠のく、結局は均衡が大事、という事になるのでしょうか。こう思いつつ。

 宇迦之御魂大神。21世紀というのは進んだ時代でして今の時代は、ちょっと前か、宇迦之御魂大神がアニメに登場する時代だというのが凄い、けれども神社からは、そう難色を示す内容では無かったという事で、コラボのパネルを展示していたりしましたけれども。

 宇迦之御魂大神は産業振興の神さまということで、そしてなによりJRと京阪電車でも直ぐということもありまして初詣には大変な混雑になるといいます、ただ、ここ、初詣に参拝しました際の話題をちょっと恥ずかしいのですが、しかし面白い出来事と云いますか。

 初詣に参拝するぞと伏見稲荷大社に向かいまして、戻るにはちょっと厳しい距離まで移動してしまたのちに、財布を忘れた事に気付く。ポケットにつり銭の紙幣がちょっとあったのだけれども財布忘れているとは思わなかったので、御賽銭は中途半端な金額となった。

 初詣にしてはポケットの奥にあった小銭を賽銭箱にお納めして作法通りの参拝をしまして、そしてちょっと中途半端な年始となってしまったなあと思った後に、紙幣あるし参道でお善哉でも頂いてね、折角だし、と思い暖かい、餅は熱かった、お善哉を一つ頂きまして。

 お善哉の支払いで紙幣を出しますと、丁度釣銭が、先程の小銭の賽銭箱にお納めした金額と足すと端数が丁度いい金額になるのですね、お善哉、値段は考えず茶店にお善哉と暖簾に書かれていたので無意識に注文したものがちょうどいい端数であった、ということ。

 初詣part2、という機会を得ました。まあ偶然なのですけれども、もう一度参拝へ内拝殿へと石階段を上りまして、すると最初に、つまり初詣part1、参拝した頃とは二十分ほどの違いなのですが、凪の時間なのでしょうか、ほぼ人が居ない時間帯であったのですね。

 宇迦之御魂大神。うか様にはかなわないや、と呟きながら賽銭箱にお賽銭を奉納したわけなのですが、するとちょっと気付かない近くに所に神職の方がいらしまして、掃除していた、その最中に聞こえたのでしょうか、深々お辞儀をしていただいたわけでした。

 初詣にお財布を忘れるというのはちょっとした失敗で、ポケットに残っていた紙幣では当初思い浮かべていました様な千本あたりで豪華な寄り道ということは出来ず、まあ神社の近場焼き鳥で一杯、と方針変更になったのですけれど、その焼き鳥が妙に美味しかった。

 こういう経験がありましたのでお財布には注意するようになり、その後一度も忘れないようになり今に至ります。これ御利益という訳ではないのでしょうけれど、なんでも高望みしすぎないような程々の中で努力と研鑽をつむ事が平穏な日常を培うのでしょうか、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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