北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】伏見稲荷大社-節分,世界のお客様は宇迦之御魂大神に何を願うか-福は内願う準備を見上げ

2024-01-24 20:23:43 | 写真
■宇迦之御魂大神へ願う
 境内は節分準備となっていましたが私は先ず参拝として一歩進みそして改めてゆったりみることとしました。

 本殿は重要文化財となっていて、応仁の乱から17年を経た 室町時代の明応3年こと西暦1494年再建されました、五間社流造となっていて檜皮葺の屋根を冠しています。そしてここに祀られるのが宇迦之御魂神を筆頭に4柱からなる稲荷大神とされています。

 詣でるのは、なにか特別な時の神頼み、というわけではなくわたしの場合は、心機一転とか、気分を転換する際にひらめきを求めてとか、日常の一環として探訪しています。日常の中の神社という特別な空間で、考え方や纏め方と方向性、思考との出会いを培う。

 うかのみたまのかみ、と呼びます祭神とともに神体として稲荷山そのものが報じられていて、ここは東山三十六峰の最南端という位置づけで標高は233m、何度か上った事があるのですが3の峰がありまして、歩きますと二時間、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、と続いてゆく。

 稲荷山に上ってみようか、ともおもったのですけれども、ちょっと人が多くなりすぎていまして、いやコロナ云々のCOVID-19とは無関係にコロナ前の時代と比較しても混雑しているのです、これでは心静かに上るのは難しいかなと思い、日を改めよう、としました。

 初午大祭、節分の準備とともに実のところ伏見稲荷大社では前後しまして初午大祭が執り行われまして祭事が続く。その中で、節分の福は内を願います柱を建てる様子を見る事が出来、そうかそういう日だったのか、調べてきたのではないのですが縁のようなものを。

 初午大祭といいますのは、稲荷大神が稲荷山に降臨した事を記念する伏見稲荷大社で最も重要な祭事となっています。稲荷大神、これは四柱の総称ということなのですが、その昔に稲荷山の三ヶ峰に鎮座した和銅4年2月の初午の日というものを偲んで行われる。

 稲荷大神の神威を仰ぐ祭礼といい、和銅4年というのは西暦711年となります。初午の日は今年は2月11日、節分からは少しあとになる。初詣の際と比べますと、情景が変っている様子を感じまして、伏見稲荷大社は稲荷祭と田植祭と、祭事は一年を通してかずおおい。

 京都新聞の記者さんが、良い場所でこの準備の様子を撮影していたのですが、なるほど祇園祭始め良い場所を知っているなあ、と感心します。他方で、リュックサック型の取材鞄をつかっていまして、肩掛け式のかばんはドラマだけなのかなあ、ともおもったりもする。

 記者さんとともに写真を撮る方は神職の方や、色々な方が居るのですけれども、世界のお客様も多いものでして、そう聞けば伏見稲荷大社の稲荷山は世界でも有名な、日本観光というカテゴリで、なのかもしれませんが、登山というかトレッキングコースなのだという。

 トリップアドバイザーの2014年調査では外国人に人気の日本の観光スポット第一位に選ばれたといい、しかし2010年代でも時機を外せばそれほど稲荷山は混雑しなかったように思えるのですが、なにかあったのでしょうかね、千本鳥居は確かに幻想的な情景ですけれど。

 家族連れでも気軽に昇れて、イノシシが出るという話ですし猫の喧嘩も多いのですが、鳥居をのぼって行けば基本的に遭難する事も無いので、外国の登山の割には家族でも安全だということで知られている。ただ、ここは山そのものご神体となっている山なのですよね。

 日本人観光客が、宗派や宗教関係なく世界の主要な神殿や教会などを観光地として散策していて物議となったのはバブル時代でしたが、まさか稲荷大神の信仰という訳でもないでしょう世界からのお客様を見ますと、結局みな同じなのだなあ、人類みな兄弟、と思った。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社-節分,大寒波強と迫る最中にも旧暦では新年祝う立春前の節分へ準備進む

2024-01-24 20:00:34 | 写真
■セッツブーン二〇二四
 日本列島を急に覆うこの大寒波とともに積雪には驚かされるのですが祭事準備など京都はこの瞬間も動いているのですね。

 セッツブーン、といますか今年も節分神事が近づいてまいりました。一年を通せばいろいろと象徴的な神事がありまして、年末年始が最たるものですが、この年末年始を例外としますと何故か節分は象徴的といいますか、印象深いといいますか、気になる神事です。

 初詣、という訳ではないのですが節分神事も近づいてまいりましたので、伏見は伏見稲荷大社へと参拝へ行って参りました。すると、これ狙ったわけではないのですが伏見稲荷大社でも節分や前後して行われます神事の準備が進んでいまして、季節を感じたのでした。

 京都市伏見区深草藪之内町、伏見稲荷大社は京都でも有数の歴史と共に多くの崇敬を集める社殿でもあります。参道から楼門が、JR稲荷駅から一直線に伸びているところをのびのびと参拝へ向かうのですが、そう、やはり人気といいますか、人の多さを感じます。

 立春と立夏と立秋と立冬、節分というのはこの季節の境界線を示す一日の前日を示しますので、実は一年にセッツブーンの一たびだけという訳ではないのですけれども、この立春の節分は、心躍るのは昔の時代、人類が冬を超えるのに難渋していた時代の名残なのか。

 旧暦、そうセッツブーンを特別な一日に感じるのは旧暦が関係しているようで、旧暦ではこの立春のあたりが旧正月にあたるところとなっていて、いわば太陽暦が日本で採用されるまでは節分の立春が新年とされ、そして冬を越せたという祭事をも意味していたのだ。

 楼門は重要文化財となっていまして、 もっとも創建以来幾度も再建と破損を繰り返してきまして、あの応仁の乱でも供養とでは定番の話題ですが焼討されて焼けています。そして今現存するものは天正17年こと西暦1589年、豊臣秀吉の寄進によって再建されたもの。

 豊臣秀吉寄進の楼門は入母屋造の三間一戸構造となっていまして檜皮葺の屋根を冠しています。安土桃山時代、一応日本の歴史はその後も幾つか戦乱の時代を挟むのですし、京都が地震被害を受ける事も台風被害も多いのですが安土桃山時代のものが現存しているのだ。

 東山三十六峰最南端稲荷山。さて、そもそもここ伏見稲荷大社が創建されたのは、実のところ正確な年度は不明となっています、けれども稲荷神社と号します神社は日本全国に三万とあるそうでして、その総本山がここ伏見稲荷大社、農耕神であり産業振興の神を祀る。

 山城国風土記には、秦氏の祖霊を祀る社殿として古くから存在し、秦氏族伊侶具が濃厚で栄えた際、餅を的に弓矢の練習を積んだところ或る日に餅が白鳥となって逃げてしまい、その出来事を機に伊侶具の家は豊かさを逃してしまい、これを悔いて白鳥を探したといい。

 白鳥の留まった場所がこの社殿の御神体である山の山頂で、稲荷山として餅を的とした事を悔いて社殿を造営した、ともいわれます。故に餅から農耕守護の、そして日本が産業などにより豊かになりますと、豊かさという視座から社殿は産業振興の社殿ともなった、と。

 外拝殿は楼門の先にある舞殿でして重要文化財、。天保11年こと西暦1840年に再建されたといい、内拝殿は賽銭箱とともに祈りをささげる場、そしてその奥に本殿が。重要文化財となっていますが、 明応3年こと1494年の再建といいまして、まさに応仁の乱の直後だ。

 応仁の乱により、ここは稲荷山の山頂まで焼き払われたということですが、本殿だけは、応仁の乱の終戦から僅か、というべきでしょうか17年後に再建された、ということになります。暖かい冬、でも直ぐ寒波が来るという。世の中の平安を祭神にこう、祈るのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-A50メインスティ早期警戒管制機アゾフ海上空で撃墜!AWACS戦闘喪失は史上初

2024-01-24 07:00:31 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 自衛隊のAWACS早期警戒管制機の運用についても参考とすべき重要な戦訓とウクライナ軍の戦果があがりました。自衛隊のE-767と同じ用途の機体がロシアにもある。

 早期警戒管制機が実戦状況で史上初めて撃墜されたとみられる、イギリス国防省1月17日付ウクライナ戦況報告がロシア軍早期警戒管制機撃墜の情報分析を発表しました。これによれば1月14日にロシア航空宇宙軍のA-50メインスティ早期警戒管制機が飛行中に爆発し、アゾフ海西方に墜落したもよう。ウクライナ空軍に撃墜されたと分析しています。

 A-50メインスティ早期警戒管制機は輸送機を改造した大型の早期警戒管制機で、ロシア軍は9機を運用しており、これを1機喪失したことは今後のウクライナ航空作戦に大きな影響を及ぼす事は必至と考えられます。おりしも2024年はウクライナ空軍がいよいよF-16戦闘機の受領と配備を開始すると見られ、A-50の1機喪失は中長期的に影響が大きい。

 Il-22MクートB戦域空中指揮機も、A-50早期警戒機が撃墜された周辺空域で攻撃を受け、こちらは地対空ミサイルによるものと考えられる損傷を受けていますが、不時着に成功したとのこと。重要な点は後方で戦闘指揮全般を担う早期警戒管制機をウクライナ軍が補足したということで、ロシア空軍ウクライナ周辺空域での運用を大きく制約し得るでしょう。
■砲弾100万発
 ウクライナ支援の一環としてアメリカや欧州各国はウクライナへ砲弾100万発の供与を発表しましたが砲弾製造能力などから実現していません。しかし。

 ロシア軍は北朝鮮から砲弾100万発を受領した、ISWアメリカ戦争研究所1月11日付ウクライナ戦況報告においてウクライナ軍事情報総局副局長スキビツキー少将の発言を紹介しています。ここでロシア軍は現在野砲として122mm砲と152mm砲を運用しているとした上で、ロシアの軍需産業は年間200万発の砲弾を製造する能力があるとしました。

 200万発の野砲弾に対して、しかし膨大な量ではあるものの2023年にはロシア軍は50万発の砲弾不足に陥っており、スキビツキー少将によれば2024年にもロシア軍は同様の状況に陥る可能性が高いとしています。1990年代まではこの種の戦闘は航空戦力が大きく左右すると予見されていましたが、現実的には砲兵火力が多くを左右しているのが実情です。

 ウクライナのゼレンスキー大統領発言によれば、ロシア軍は砲弾の供給を北朝鮮に大きく依存していて、膨大な火砲を有する北朝鮮の砲弾備蓄量も巨大であり既に100万発を受領しているとのこと。なお、ISWは踏み込んだ分析をしていませんが、北朝鮮が砲弾の見返りに例えばSu-30戦闘機など、どういった見返りを得る事となるかも大きな関心事です。

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