北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影速報】岐阜基地航空祭2024,青空の各務原上空は曇天小雨予報のはずれ(2024-11-17)

2024-11-23 20:08:30 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■岐阜基地航空祭2024
 先週の岐阜基地航空祭本番の速報です。

 C-1FTB離陸、真正面というわけでは無いけれども滑走路脇の最前列に陣取って撮影することが出来たので、いつもの木曽川堤防や航空宇宙博物館から撮影するよりも遙かに真正面に近い角度、そしてなにより背景の青空が印象的です、なにしろ曇天予報だ。

 C-2輸送機とC-1FTBが岐阜基地滑走路を編隊を組むように離陸します、この日は岐阜基地航空祭本番、そう、かなり厳しい天気予報は午前中に小雨の予報さえ出ていたのですが、こんな感じで晴れると謂うこともあるのか、予報の外れが僥倖となったのです。

 EOS-M5に新装備の18-150mmSTMレンズを装着しての撮影、そしてこの場所は南側会場という、岐阜基地航空祭に二つある会場の片方、背景の管制塔とかみえる区域がメイン会場で地上展示機がエプロン地区に並ぶのだけれども、晴天の日は逆光となってしまう。

 岐阜城とF-15記念塗装、こういう晴天の日には南側会場で撮影したい、なによりも混雑しないし、35分ほど歩けば、もしくはシャトルバス数分でメイン会場まで移動できる、もっともシャトルバスの場合は乗車するまで30分以上行列に並ぶこともあるが。

 イーグル記念塗装、EOS-7DMark2をメインカメラとして撮影しているのでどうしてもこのM-5の写真は適当になるのだけれども、偶然適当に撮った一枚がある程度使える構図になっていたのは驚きだ、この際角度とか傾きとかいう難しい話は今度にしてほしい。

 70周年大編隊、これ、けっこうな無理をして時間を捻出して予行を撮影しました、なにしろこの本番は悪天候が予報されていましたからね、しかし青空を背景に70周年として"70"の文字を大空に描いてくれたこの写真はほぼほぼ晴天というのが、現実なのだ。

 プログラム変更、実はこの大編隊は午後に予定されていたのですが、午前中が晴天と謂うことで中編隊の予定が、中編隊を午前中から午後に切り替えて、一番の目玉である大編隊を午前中にやってくれた。これ、南側で撮るか北側で撮るか迷ったものでして。

 F-2機動飛行へ。実はこの大編隊が午後に予定されていたので、しかしメイン会場の地上展示航空機は撮りたい、だから中編隊の合間にいったんメイン会場へ移動して午後の大編隊までの時間でなんとかメイン会場の地上展示を撮ろう、と計画していたのだが。

 ベイパー引くほどの湿気の中、これは午後の天候急変を思わせるものだけれども、地上に展示されたC-2輸送機が動き出したのでプログラム変更かな、と思っていたのが、実際に会場アナウンスでも変更を放送されたので急遽メイン会場移動を中止した。

 T-7練習機、F-2初号機、F-15特別塗装機、C-2初号機、すべて白地に真紅の飛行開発実験団試験機塗装の編隊がやってきました、まだ基地から見て東側、犬山市方面は青空だけれども天気は西から悪化してきまして、このあたりは何か天気予報のとおり。

 飛行開発実験団んはらではの編隊飛行は頭上にやってくるところになりますと、曇天、という言葉がぴったりくる。晴天の時は南側会場で順光の、曇天になれば北側会場でもいいよね、というこの日急遽変更した撮影計画、これはこれで合っていたのだなあ。

 頭上をゆく編隊飛行、今年の岐阜基地航空祭はブルーインパルスが来ませんでしたので、混雑はそれほどでもなく、実際来場者は昨年の半分以下だったようだけれども、その分ここまで工夫した飛行展示を見上げられたとともに、晴天にあわせられたのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-四条高倉,マルゲリータピザとアイスティーと遅い紅葉

2024-11-23 14:11:23 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 寒さは急にやってきたものですが果たして秋が来るのかと数週間前までは訝しんでいたものなのですよね。

 今年は紅葉の季節がおそかった、というよりは夏が長すぎて、これ秋という季節はどうなったのだろうかと訝しむほどでしたが、漸く秋の、というよりも紅葉の季節を迎えまして、さあ冬はどんな気象となるのだろうかと若干危惧しつつ。

 ダニエルズソーレ、京都河原町駅前の、というには少しだけ歩いた先のイタリアンなお店なのですが、このお店のうれしいところはCOVID-19がもの凄い時代に、店内にテラス席が用意されていまして、気軽に外で食べれた、もっとも冷房無いけれども。

 パテとキッシュとボロニアハムのサラダと。ランチタイム、このお店はこんな感じの前菜とともにメインメニューが愉しめるところでして、さてそろそろCOVID-19も下火に、厚労省の数字を見ると驚くが、なんとか店内で飲食を愉しめる頃合いではある。

 じゃがいものスープとともに、ここのお冷やはしゅわっとくる炭酸水で供せられていまして、一口含むと泡の由来の二酸化炭素の独特の味があるような無いような風味が爽快感のかけらのようなものを醸して、その合間に滋味あふれるスープを啜り、さて。

 マルゲリータピザがやってきました。お肉のプレートという、もうこれ肉食時代到来、というようなランチメニューが、なぜかこの日は見当たらなかったのでピザをいただいたのですが、シンプルなトマトベースのソースとともに分厚く焼き上げられていて。

 ピザっていうのはシンプルなだけに個性が出てくるのだよなあ、と思いつつさてワインでも頼むべきだったか、思いつつもまず熱々を頂いて、難しいことはその後で考えよう、となる。なにしろ分厚いピザ、ナポリ風だったか、冷めると猛烈に固くなるゆえ。

 ミラノ風が薄くて、ナポリ風が分厚いのだったか、ガンスリンガーガールというイタリアの文化紹介漫画で昔知りました、1980年代なのに駆逐艦がカルロベルガミーニ級だったり1990年代なのに戦闘機がユーロファイターという不思議な世界観の。

 アイスティーを食後に。いやなんかね、こゆいエスプレッソを苦みとか感じないほど大量のお砂糖を入れて飲むことも考えたのだけれども、そのあとに注ぐグラッパを考えた結果、これは無難に紅茶を頂こう、となったわけですよ、ここは京都なのだし。

 パンナコッタがデザートのドルチェとしてついてきまして、乳成分の濃厚な甘みにジャムのブルーベリーの酸味が不思議な調和を醸す、こういうところまで計算に入れれば珈琲の苦みがあっても良かったのかな、とこの日の選択肢の妥当性を振り返ったりする。

 ダニエルズソーレさん、初めて探訪した際はちょうど小松左京の"見知らぬ明日"を書架から見つけて読んでいて重要な場面に原潜ダニエルブーンが登場、その関係で入ってみたお店なのだけれども、気軽なイタリアンを愉しめる、隠れ家的なお薦めのお店だ。

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【京都幕間旅情】京阪8000系特急電車,昭和最後の年に完成した京阪特急の顔は平たい

2024-11-23 07:00:03 | コラム
■京阪8000系
 1989年と云えば昭和64年で平成元年だ。

 京阪8000系電車、エレガントサルーンという京阪電鉄の看板特急です、京阪神地区は地下区間がありますので、京阪電鉄はもちろん阪急電鉄も、そして近鉄電車も地下鉄乗り入れの車両は貫通扉を非常用に非常口として使用できるよう、標準化されている。

 貫通扉、というものを採用するからにはどうしても先頭車は、こう、ひらぺったい、顔が平たい、というテルマエロマエのルシウスさんのような表現では無いのだけれども、先頭車というのはこう、貫通扉を繋ぎやすい形状しかないものだ、とおもっていて。

 しかし、東急2020系電車や特に東急6000系、あとは京成のスカイライナーAE系なんかも、あんなに凄い流線型なのに貫通扉を配置できていたり、ロマンスカーにも貫通扉を車両デザインを配置したものが出ているようになると、なんとかなるものなのかなあ。

 流線型というのは、鉄道車両の車体規模であればほとんど空気抵抗というものは影響しないといいます、もちろんトンネルに入るときなどの衝撃波などの影響はあるものだけれども。すると結局優先されるのは、車両デザイン、ということになるのかもしれない。

 京阪8000系電車が導入されたのは1989年となります、そして京阪は特急車両、というものを8000系以降設計していません、3000系電車はもともと中之島線の快速急行用でしたからね、それもライトなどの設計は別として、車体はやはり、平らだったのですが。

 特急車両が次世代として導入される頃には京阪電鉄も流線型設計を取り入れるときがくるのだろうか、例えば阪急2300系とか1300系は特急以外に普通電車として運行されることもあるのだけれども、京阪の場合は塗装が特急だからなあ、と思ったりするのだ。

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