■例祭-大祭は茅の輪くぐり
京都を散策していますと、やはり人間の願うものは千年単位で同じものなのだなあとなんだか安心するというか感心します。
八坂神社、八坂さんで親しまれる社殿は京都府京都市東山区祇園町北側に鎮座します神社です。この地に社殿が造営されたのは平安遷都よりも遥かに遡る斉明天皇2年の西暦656年に創建は遡り、渡来系の信仰を集めていたとされますが牛頭天王の社殿として今に至る。
興福寺の末社、この創建当初の歴史をみてみますと、神社というよりは寺院となっていまして、永く法然の墓所が鎮座していました。いわば神社と寺院の共存といえる。もっとも、嘉禄年間の1227年に法然墓所は延暦寺により破却、興福寺との繋がりは消えていますが。
牛頭天王を祀る社殿は歴史を紐解けば貞観11年の西暦869年に京都での疫病流行を受け、疾病祓いへ播磨国は広峰神社より牛頭天王を勧請して鎮疫祭を行った事に在ります。牛頭天王は素戔嗚尊といい、海神であるとともに嵐神であり農耕神として崇敬を集めている。
素戔嗚尊を祭神とする神社は日本全国に2300社にも上るとの事ですが、八坂神社はその総本山とされています。そしてその鎮疫祭というものが、今日も続きます祇園祭なのですね。茅の輪くぐり、無病息災へ祇園祭に先んじ六月に執り行われます八坂神社の年中行事です。
例祭、大祭にて行われますこの神事は6月15日に執り行われまして、これとはまた別に3月17日にも祈年祭が執り行われ、そして祇園祭は7月1日から31日までが祇園祭となっています。大晦日には白朮祭としまして無病息災を願う祭事が在り、疾病は恐怖でした。
天然痘や黒死病、医療という概念が確立する前においては疫病がどのように発生するかが未知数であった、ということにおいて世界は共通でした。祈るほか無かったのですが、欧州とアジアと日本、もうひとつ不思議な共通があって、瘴気が原因、という概念でした。
瘴気とは。瘴気、汚れた空気といいますか伝染病といいますか空気に悪意が混じったという概念でして、これは必ずしも正しくはないのですが対処療法としては、悪い空気を吸わないようするというもの、要するに今でいうところのマスクの着用で防ごうとしたのですね。
インフルエンザ。実のところ中学生がインフルーエンスという英単語を覚える前に小学校で知る、予防接種で知るので怖いものですが、このインフルエンザというものも、もともとはラテン語の影響という意味でありまして、冬場に増える瘴気が影響、という認識ゆえ。
日本や中国では紙のマスクが、欧州ではペストマスクに代表される木製や金属製で表面を加工したマスクが着用されていました。結果的にコレラは飛沫感染を防ぐ構造ともなっていましたので、瘴気が何かとは別として飛沫を吸い込まない効果、あったといえるのです。
煮沸する。不思議なものでして殺菌や消毒という概念は確立する前であっても、瘴気は熱に弱いのだ、という認識が経験論があったのでしょうか。民間医療といえるもので根拠を問われれば科学的に示す事はできなかったでしょうが、結果的に正しい施策が醸成された。
科学的根拠が無くとも、そもそも科学という概念が神秘という概念に置き換わる前でしたので、瘴気を払うのだ、ということだけで十分説得力を有していたのかもしれません。そしてこの認識は今日でもげん担ぎという形で続きます、科学の非科学の共存といえるもの。
感神院祇園社と呼ばれていました時代が長かったのですが、明治元年に神仏分離により八坂神社として改称されています。このあたりから敢えて日本では曖昧であった科学と非科学の分水嶺が明確に分かれてゆきまして、これが近代化と解釈されつつ今日に至るもよう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
京都を散策していますと、やはり人間の願うものは千年単位で同じものなのだなあとなんだか安心するというか感心します。
八坂神社、八坂さんで親しまれる社殿は京都府京都市東山区祇園町北側に鎮座します神社です。この地に社殿が造営されたのは平安遷都よりも遥かに遡る斉明天皇2年の西暦656年に創建は遡り、渡来系の信仰を集めていたとされますが牛頭天王の社殿として今に至る。
興福寺の末社、この創建当初の歴史をみてみますと、神社というよりは寺院となっていまして、永く法然の墓所が鎮座していました。いわば神社と寺院の共存といえる。もっとも、嘉禄年間の1227年に法然墓所は延暦寺により破却、興福寺との繋がりは消えていますが。
牛頭天王を祀る社殿は歴史を紐解けば貞観11年の西暦869年に京都での疫病流行を受け、疾病祓いへ播磨国は広峰神社より牛頭天王を勧請して鎮疫祭を行った事に在ります。牛頭天王は素戔嗚尊といい、海神であるとともに嵐神であり農耕神として崇敬を集めている。
素戔嗚尊を祭神とする神社は日本全国に2300社にも上るとの事ですが、八坂神社はその総本山とされています。そしてその鎮疫祭というものが、今日も続きます祇園祭なのですね。茅の輪くぐり、無病息災へ祇園祭に先んじ六月に執り行われます八坂神社の年中行事です。
例祭、大祭にて行われますこの神事は6月15日に執り行われまして、これとはまた別に3月17日にも祈年祭が執り行われ、そして祇園祭は7月1日から31日までが祇園祭となっています。大晦日には白朮祭としまして無病息災を願う祭事が在り、疾病は恐怖でした。
天然痘や黒死病、医療という概念が確立する前においては疫病がどのように発生するかが未知数であった、ということにおいて世界は共通でした。祈るほか無かったのですが、欧州とアジアと日本、もうひとつ不思議な共通があって、瘴気が原因、という概念でした。
瘴気とは。瘴気、汚れた空気といいますか伝染病といいますか空気に悪意が混じったという概念でして、これは必ずしも正しくはないのですが対処療法としては、悪い空気を吸わないようするというもの、要するに今でいうところのマスクの着用で防ごうとしたのですね。
インフルエンザ。実のところ中学生がインフルーエンスという英単語を覚える前に小学校で知る、予防接種で知るので怖いものですが、このインフルエンザというものも、もともとはラテン語の影響という意味でありまして、冬場に増える瘴気が影響、という認識ゆえ。
日本や中国では紙のマスクが、欧州ではペストマスクに代表される木製や金属製で表面を加工したマスクが着用されていました。結果的にコレラは飛沫感染を防ぐ構造ともなっていましたので、瘴気が何かとは別として飛沫を吸い込まない効果、あったといえるのです。
煮沸する。不思議なものでして殺菌や消毒という概念は確立する前であっても、瘴気は熱に弱いのだ、という認識が経験論があったのでしょうか。民間医療といえるもので根拠を問われれば科学的に示す事はできなかったでしょうが、結果的に正しい施策が醸成された。
科学的根拠が無くとも、そもそも科学という概念が神秘という概念に置き換わる前でしたので、瘴気を払うのだ、ということだけで十分説得力を有していたのかもしれません。そしてこの認識は今日でもげん担ぎという形で続きます、科学の非科学の共存といえるもの。
感神院祇園社と呼ばれていました時代が長かったのですが、明治元年に神仏分離により八坂神社として改称されています。このあたりから敢えて日本では曖昧であった科学と非科学の分水嶺が明確に分かれてゆきまして、これが近代化と解釈されつつ今日に至るもよう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)