■お盆は妙心寺お精霊迎え
京都直撃さえ想定されたこの台風7号が運ぶのは混沌か秋かと思う今日この頃です。いや西に逸れた台風は甚大被害をもたらし心痛む事にはかわりないのですが。
妙心寺へ。釈迦如来を奉じるこの寺院は開山に関山慧玄を迎え、花園法皇が暦応5年から康永元年の改元に併せ、西暦では1342年に創建した寺院で、もともとは花園上皇の花園御所として離宮萩原殿であった院の御所を落飾にあわせて寺院とした歴史をもちます。
南に台風が迫っている、そんな曇天は情景として見返してみれば酷暑にも忙中有閑という涼しそうな風情と思いきやそれは見た目だけであり、猛烈な湿気の不快感が比叡から高雄までを幅広く蓋していて滴る汗は上着に沁みて変換ミス凍みてという字さえ愛おしい。
台風は災厄なのだけれども通りから見上げる山陰線の高架行き交う列車は、ちかごろ広く悪名が轟いてしまった嵐山のオーバーツーリズムという大量の観光客が朝の大阪環状線か山手線かという混雑を少しだけ遠ざけるようで、電車の車窓は若干空きがあるもよう。
山陰線の高架が見えるという、つまりここはめっきり市街地なのだという風景の中に、ひょっこり、というべきか慄然と大きな山門が、高さこそそう大袈裟ではないけれども、袈裟の気風とともに寺院が見えてきます、ここは妙心寺、山陰線花園駅から徒歩でも直ぐ。
三門、堂宇というにふさわしい風格とともに実は先の山門は南門ということなのですけれども、朱色の三門が凛と迎えてくれまして、いや曇天という事で湿気がありますので、見上げるとくらくらするような温度とともに、大きな三門は妙心寺に来たのだと改めて。
お精霊迎え。そうこの日は年に一度のお精霊迎えという日でして、いつもは静けさとともに歩む壮大伽藍を結ぶ石道路は不思議なほどの活気に満ちている、お精霊迎えなのだから生きている人とともに、その空には御霊が、ということなのかもしれないけれども。
妙心寺、京都市右京区花園妙心寺にあります巨大寺院へお盆という事で拝観へと行ってまいりました。臨済宗妙心寺派の大本山となっていまして、ここは日本の臨済宗寺院5650か寺のうち実に3,350か寺が妙心寺派といいますから、まさに大本山の名が相応しい。
西の御所と呼ばれます妙心寺、ちょうどこの日はお精霊迎えという日でした、お精霊というのは京都のほかはこう読まないということですがしょうらいさんと親しまれていまして、9日と10日は提灯の幽玄な灯が寺域を包むという、幻想的なお盆の風景を醸す。
お盆だから。そんな理由で散策という訳なのかと問われればいやしかし気分が向いたという趣で赴いた先がここ花園町、京都花園町はひらがなにすると京都はなぞの町とも書かれることもあり、ちょっと寺院が多い割に観光客が少ないという、謎の町となっている。
お精霊迎え。妙心寺は、日常に散策していますとあの大徳寺よりも大きく、広さは、そう妙心寺そのものの広さは第3師団の千僧駐屯地や中部方面総監部の伊丹駐屯地くらいなのだけれども、考えてみれば、寺院というだけでこの広さというのは凄いことなのか。
お盆のご先祖様が戻ってこられる際のお迎えをこのお寺で檀家さんのご先祖さまお迎えを一手に迎えるというのが、妙心寺のお精霊迎え。西の御所といいますし、なにより臨済宗妙心寺派大本山ということですので、この広い寺域も多くの檀家さんで溢れてゆきます。
お塔婆へ法名が墨書されその名が読み上げられる声は拡声器から寺域に届くもので、そしてそのお精霊さんは五山送り火の日に執り行われる先祖供養法要にて還ってゆく、これが京都のお盆で京都の夏、毎年の風景、そしてお盆は夏の終わりの始まりでもあるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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京都直撃さえ想定されたこの台風7号が運ぶのは混沌か秋かと思う今日この頃です。いや西に逸れた台風は甚大被害をもたらし心痛む事にはかわりないのですが。
妙心寺へ。釈迦如来を奉じるこの寺院は開山に関山慧玄を迎え、花園法皇が暦応5年から康永元年の改元に併せ、西暦では1342年に創建した寺院で、もともとは花園上皇の花園御所として離宮萩原殿であった院の御所を落飾にあわせて寺院とした歴史をもちます。
南に台風が迫っている、そんな曇天は情景として見返してみれば酷暑にも忙中有閑という涼しそうな風情と思いきやそれは見た目だけであり、猛烈な湿気の不快感が比叡から高雄までを幅広く蓋していて滴る汗は上着に沁みて変換ミス凍みてという字さえ愛おしい。
台風は災厄なのだけれども通りから見上げる山陰線の高架行き交う列車は、ちかごろ広く悪名が轟いてしまった嵐山のオーバーツーリズムという大量の観光客が朝の大阪環状線か山手線かという混雑を少しだけ遠ざけるようで、電車の車窓は若干空きがあるもよう。
山陰線の高架が見えるという、つまりここはめっきり市街地なのだという風景の中に、ひょっこり、というべきか慄然と大きな山門が、高さこそそう大袈裟ではないけれども、袈裟の気風とともに寺院が見えてきます、ここは妙心寺、山陰線花園駅から徒歩でも直ぐ。
三門、堂宇というにふさわしい風格とともに実は先の山門は南門ということなのですけれども、朱色の三門が凛と迎えてくれまして、いや曇天という事で湿気がありますので、見上げるとくらくらするような温度とともに、大きな三門は妙心寺に来たのだと改めて。
お精霊迎え。そうこの日は年に一度のお精霊迎えという日でして、いつもは静けさとともに歩む壮大伽藍を結ぶ石道路は不思議なほどの活気に満ちている、お精霊迎えなのだから生きている人とともに、その空には御霊が、ということなのかもしれないけれども。
妙心寺、京都市右京区花園妙心寺にあります巨大寺院へお盆という事で拝観へと行ってまいりました。臨済宗妙心寺派の大本山となっていまして、ここは日本の臨済宗寺院5650か寺のうち実に3,350か寺が妙心寺派といいますから、まさに大本山の名が相応しい。
西の御所と呼ばれます妙心寺、ちょうどこの日はお精霊迎えという日でした、お精霊というのは京都のほかはこう読まないということですがしょうらいさんと親しまれていまして、9日と10日は提灯の幽玄な灯が寺域を包むという、幻想的なお盆の風景を醸す。
お盆だから。そんな理由で散策という訳なのかと問われればいやしかし気分が向いたという趣で赴いた先がここ花園町、京都花園町はひらがなにすると京都はなぞの町とも書かれることもあり、ちょっと寺院が多い割に観光客が少ないという、謎の町となっている。
お精霊迎え。妙心寺は、日常に散策していますとあの大徳寺よりも大きく、広さは、そう妙心寺そのものの広さは第3師団の千僧駐屯地や中部方面総監部の伊丹駐屯地くらいなのだけれども、考えてみれば、寺院というだけでこの広さというのは凄いことなのか。
お盆のご先祖様が戻ってこられる際のお迎えをこのお寺で檀家さんのご先祖さまお迎えを一手に迎えるというのが、妙心寺のお精霊迎え。西の御所といいますし、なにより臨済宗妙心寺派大本山ということですので、この広い寺域も多くの檀家さんで溢れてゆきます。
お塔婆へ法名が墨書されその名が読み上げられる声は拡声器から寺域に届くもので、そしてそのお精霊さんは五山送り火の日に執り行われる先祖供養法要にて還ってゆく、これが京都のお盆で京都の夏、毎年の風景、そしてお盆は夏の終わりの始まりでもあるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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