北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

明日5月15日の千僧駐屯地第3師団創設記念行事は非公開行事

2011-05-14 22:31:24 | 北大路機関 広報

◆第3師団HPによれば一般非公開

 中部方面隊HP等では規模縮小実施となっている自衛隊行事ですが、同時に非公開となっている事も多いため、明日行かれる予定の方はご注意ください。

Img_9756  第3師団創設記念行事千僧駐屯地祭ですが、毎年盛大に実施されており北朝鮮弾道ミサイル事案のなかにおいても、また新型インフルエンザ発生の年においても装備品展示などを縮小するというような方式で開催されていたのですが、東日本大震災の関係で今年は一般公開されず規模縮小とのこと。

Img_0276  中部方面隊HPの今年度行事予定に“規模縮小で実施”との記載があったことから、実は当方の周囲でも、師団長訓示と観閲行進だけかな、と考えつつ静浜航空祭は中止ということで行こうという声があったのですけれども、第3師団HPを確認しますと、一般公開はありません、となっていました。http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/

Img_9862  東日本大震災への対応ですが、第3後方支援連隊長を指揮官とする第三師団東日本大震災災害派遣第一次派遣部隊を被災地へ展開、続いて4月26日に第3後方支援連隊副連隊長を指揮官とする第二次派遣部隊を展開させており、この関係からでしょうか、創設記念行事は一般非公開で実施されることとなったようです。

Img_0106  地震という、こういう時こそ自衛隊の観閲行進で安心したい、と思ったりもするのですがね。一方で、無理でしょうけれども、災害派遣部隊の帰隊報告等は、一般公開されないまでも部隊整列とともに新聞などでは大きく報じてほしいところ、御苦労さまの一声を掛けられる場もあればなおありがたいのですが、ね。

Img_0040  陸上自衛隊に対して、海上自衛隊の方は順次基地一般公開等が行われているところでして、呉基地は昨日の記事の通り、ただ、呉地方隊HPによれば今週末の一般公開は基地一般公開のみで艦艇一般公開についての記載はありませんね。舞鶴地方隊HPによれば北吸桟橋週末一般公開は再開されているとのこと。

HARUNA

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呉基地:海上自衛隊の一大拠点の練習艦隊出航・基地一般公開・呉湾遊覧船・史料館

2011-05-13 23:28:37 | 海上自衛隊 催事

◆ゴールデンウィーク最終日の軍港情景

呉基地と海軍の街呉、散策紀行を本日は掲載します。通常の連休最終日、一日でこれだけ回れるとは、思いませんでした、天気も良かったですし、ゴールデンウィーク最終日の一日です。

Img_9076  ゴールデンウィーク2011、護衛艦いせ&元護衛艦ひえい呉基地周辺を散策するか、東日本大震災災害派遣が一段落して北吸桟橋一般公開再開となった舞鶴基地へ新型特急287系で向かうか、GW&GWということでジョージワシントンが戻ってきた横須賀基地へ向かうか、入念に検討を重ねました。

Img_898_8 ヘリコプター搭載護衛艦いせ、の様子を眺めてみよう、ということで足を運んだのは広島県呉、毎年ゴールデンウィークには山口県の岩国基地で岩国基地日米友好祭があり、その関係で広島観光、という流れになっています。今年は岩国基地日米友好祭中止でしたが、それならば今年は呉を満喫だ、という流れになったわけです。

Img_8333 練習艦隊呉基地出航の様子、日曜日には東京港へ入港するようですが、練習艦あさぎり、がバースを離れるところです。例年の練習艦隊出航はもう少し盛大に見送り行事が行われるとのことですが、現在は東日本大震災という有事の最中、見送り行事も控えめとのことです。手前左側には練習艦かしま、が見えますがこちらも続いて出航してゆきました。

Img_8438  練習艦かしま満載排水量5400㌧、今回の練習航海は候補生とともに横須賀を経て東京港、そして北米への遠洋航海へ向かうようですね。そういえば、昨年の近海練習航海では、かしま、がトラブルにあってしまい、護衛艦ひえい、が練習艦隊司令官乗艦の旗艦を担っていた事を思い出しました。

Img_8459 呉基地をアレイからすこじまより撮影。前日夜にも撮影しているのですが、やはり晴れた青空のもとで撮影すると全然違いますね。ちなみに昨年十二月にも呉を訪れた当方ですが、あの日は雨天でした、雨に曇る詩的情景、とか書いてみましたが、やっぱり晴れていた方がいい写真に仕上がります。

Img_8489  潜水艦桟橋、手前に最新鋭の、そうりゅう型潜水艦はくりゅう、その向こうに護衛艦とね、左端に護衛艦せとゆき、背後に見える大型の艦船は、三月に自衛艦旗を返納し除籍された元ヘリコプター搭載護衛艦ひえい、の姿です。この写真、実は1000時より桟橋が一般公開されるという事で、その待ち時間に撮影。

Img_8558 呉基地係船堀艦艇一般公開、毎週日曜日に第一回が0940~1000、第二回が1240~1300、第三回が1440~1500時に受け付けが行われていて基地に立ち入ることが出来ます。入りますと、はるな型ひえい、除籍後の姿を拝見することが出来ました。手前に見える内火艇は護衛艦いせ搭載、沖留の、いせ、と結ぶ内火艇ですが、新旧DDH、思わぬ取り合わせでしたね。

Img_8618  呉基地一般公開、この日は練習艦隊が出航した事もあり、少々艦船は少なめではあったのですが、護衛艦うみぎり、護衛艦さみだれ、が並んでいました。うみぎり、は満載排水量4900㌧、さみだれ、は満載排水量6200㌧ですが、並ぶとやはり大きさの違いに驚きます。この日の見学艦は護衛艦さみだれ、ですが御天気は五月雨ではなく五月晴、良かった。

Img_8643  さみだれ乗艦、一礼して艦上へ。艦橋に海賊対処任務用の防弾板が追加されていますね。むらさめ型護衛艦九隻のうちの六番艦で、ガスタービン推進のヘリ搭載艦で対空対水上対潜水各誘導弾を搭載している汎用護衛艦の系譜にあって本型以降は様々な近代的な能力が盛り込まれています。

Img_8660  むらさめ型を含む汎用護衛艦は、イージス艦以降の護衛艦の特色として、NBC防御力強化、ステルス性強化、データリンク能力強化、自動化による省力化強化等など様々な面で海上自衛隊の近代化を推し進めたのが特色、続く五隻のが、たかなみ型、最新の、あきづき型が建造中。

Img_8689  さみだれ、ヘリコプター格納庫内部。格納庫に黒い座席のようなものが取り付けてありまして、聞いてみますと搭載するSH-60K哨戒ヘリコプター用とのこと。SH-60Kは対潜機材等を機内に搭載していますが、これは取り外しが可能となっていて、取り外してこの座席を置く事で輸送任務に使える、東日本大震災災害派遣に合わせて搭載しているとのことでした。

Img_8708  護衛艦うみぎり、特設機関銃座。艦の後部、シースパロー艦対空ミサイル八連装発射器の周囲には防弾板に囲まれた銃座、海賊対処任務に備えて搭載されたものです。ここに12.7㍉重機関銃M-2を搭載するようですが、ちょっともう少し形状はどうにかならなかったものかな、と思ってしまいました。

Img_8740  見学を終えて桟橋に戻ります。この桟橋、もう少し前の方に足を運びますと、まだ桟橋に、ひえい、という文字が残っていたりします。また、看板なども塗りつぶした後ではあっても薄らと、ひえい、の文字が見えたり、三月までは現役艦でした、そんなことを少し思い出してみたりも。

Img_8756  うみぎり、機関銃座。艦橋の真横に配置されています、ここに二門装備するようでして、この左右と先程の艦尾の銃座と併せ、六門の重機関銃を搭載するのですね。M-2は射程1000㍍、毎分600発を射撃可能、頑丈で信頼性の高い機関銃で海賊船を含む小型船舶の肉薄に有効に対処できる装備。

Img_8814  呉基地のバースは、浮桟橋となっているとのことですが、こうやってみてみると一目瞭然ですね。潮の干満差が激しい事による措置らしく、この関係で大型艦の接岸は難しいと言われてしまいました。いせ接岸に際しては世界の艦船誌をみますと反対からも曳船で押していまるようすが掲載。潜水艦桟橋は浮桟橋ではないようですけれどもね。

Img_8806  見学時間は1100時まで、とのことで見学を終えて正門へ戻りますがその途中でも一枚。掃海艇みやじま、あいしま、が停泊しているのが見えますね。両方とも、すがしま型掃海艇で満載排水量590㌧、ペルシャ湾機雷掃海任務の教訓から最新の機雷に対応するべくフランス製掃海器具を搭載したのが本型の特色、もう一つは真後ろが見えるように煙突を二本に分けて両舷に寄せたのが特色ですが、あまり見えなかったようです。

Img_8849  輸送艦くにさき、先日横須賀に行った時には吉倉桟橋に補給艦ましゅう、とならんで停泊していました、東日本大震災災害派遣から帰ってきていたのですね。満載排水量14000㌧、エアクッション揚陸艇二隻を収容する本艦含め、おおすみ型輸送艦三隻は災害派遣におけるもっとも重要な自衛艦の一つに挙げられます。

Img_8939  呉湾観光遊覧船より望見する江田島基地、海上自衛隊幹部候補生学校等がある教育の中枢。この遊覧船、運航しているのを当日現地で知りました。船は見晴らしのいい新型、毎週日曜日に運航、大和ミュージアム前に乗船券売り場があって、1110時、1225時、1340時に運行、気になるお値段大人一人1500円。運航はバンカーサプライという会社で70分に渡り海上自衛隊OBの方が解説をしてくれまして、もう見たいところが全て経路に入っています。

Img_9018  ヘリコプター搭載護衛艦いせ、沖留の護衛艦いせ、を洋上から撮影します。満載排水量19000㌧、全長197㍍、幅33㍍、ガスタービン四基の出力100000馬力により速力は30ノット、Mk41VLSに発展型シースパロー対空ミサイルとアスロック対潜誘導弾を搭載、砲は20㍉CIWSのみですがその分ヘリコプター約10機を運用可能な対潜中枢艦です。

Img_9163  いせ、遠景。この後遊覧船は速力20ノットという快速で音戸瀬戸を回り、平清盛に所縁ある場所などを巡ったのですが、なるほど来年のNHK大河ドラマが平清盛だったのですね、呉ではこの機会にと軍港の街という一点に歴史の街、という一点をより強調してみようとしているようでした。

Img_9185  はるしお型潜水艦。水中排水量3200㌧、全長77㍍の通常動力潜水艦で、複殻構造涙滴型形状を採用、長魚雷に加えて魚雷発射管からハープーン対艦ミサイルの運用が可能であるとともにTASS曳航式ソナーを搭載して索敵能力強化にも努めている。同型艦は1990年から7隻就役しているのだけれども、順次練習潜水艦へ種別変更を経て除籍中。

Img_9194  おやしお型潜水艦。1998年から2008年までに11隻が建造された海上自衛隊の主力潜水艦。水中排水量3500㌧、部分単殻構造葉巻型形状を採用している通常動力潜水艦で、平面アレイソナーの採用により索敵能力をさらに向上させているとともに船体に無音響タイルを装着して音響ステルス性能を高めているのが特色、艦橋の旗は潜水隊司令旗。

Img_9203  潜水艦救難艦ちはや、今月末に和歌山港で一般公開の予定。満載排水量6900㌧で船体内部に浮上できなくなった潜水艦を救助する深海救難艇DSRVと無人潜水装置ROVを搭載している。まずROVで潜水艦の位置と状況を把握してDSRVを投入する、という運用で任務状況は救難指揮所RICにより効率的に把握され指揮されるとのことです。病院船としての能力も高いとか。

Img_9214  そうりゅう型潜水艦はくりゅう、今年三月に就役したばかりの最新鋭艦。アナウンスで、はくりゅう、とはっきり言っていたのでつい最近まで艦番号を記載していたのかな。水中排水量4200㌧、AIP非大気依存方式の潜水艦で、従来の通常動力潜水艦ほどバッテリーを気にしなくてよくなったのが特色、最新鋭艦。

Img_9220  護衛艦とね。桟橋を一つづつ遊覧船は回ってくれるのが嬉しい。あぶくま型護衛艦六隻の最終艦で沿岸警備用小型護衛艦として最後に建造された護衛艦、この艦以降は大型護衛艦の建造に一本化されている。満載排水量2900㌧、余り小さくないのは御愛敬。先ほどまで艦長交代行事を行っていたようなのですが、この後、福島県沖へ災害派遣に向かうとのことでした。

Img_9234  護衛艦せとゆき。はつゆき型護衛艦の11番艦として1986年に就役した汎用護衛艦。満載排水量4200㌧、はつゆき型は対空対水上対潜各誘導弾とヘリコプターを搭載しガスタービン推進方式を採用した初めての汎用護衛艦で、本型12隻の建造を以て護衛艦隊の能力を大きく向上させた護衛艦。

Img_9294  元ヘリコプター搭載護衛艦ひえい、の周りも一周してくれました。まだまだ使えると思ったのですが、聞いてみますと蒸気タービン推進艦は多数の蒸気管を有していて、これが老朽化して破裂すると付近乗員の生命に危険を及ぼすほどの大事故になるそうです。はるな型最後の一隻、御苦労さまでした。できれば記念艦として陸で保存してほしかったですね。こうして永久の別れを告げます。

Img_9397  呉地方総監部第一庁舎一般公開。呉鎮守府が置かれた1906年建築、赤煉瓦の歴史的建造物です。最初の鎮守府庁舎は1886年に建設されたのですが1905年に芸予地震で倒壊、新しく建築したもので1945年には米軍機の空襲で損傷したのですが修理し戦後は占領期に英軍が使用、1954年から海上自衛隊が使用しているとのことです。

Img_9401  呉地方総監部から眺めた護衛艦とね出航の様子。福島県沖に派遣されると聞いたのですが、一緒に並んでいた護衛艦せとゆき、も間もなく災害派遣として出航を行うべく準備しているとのことでした。東日本大震災との戦い、ここは拠点であるとともに災害派遣の最前線なのだなあ、と思った瞬間。

Img_9457  海上自衛隊呉史料館、地方総監部に続いて足を運んだのはここです。通称鉄の鯨ミュージアム。潜水艦あきしお、が整備されそのまま陸上におかれている史料館、世界でも潜水艦を陸上においている博物館はそんなに多くないのでして、もちろん日本では唯一。運営は海上自衛隊なのですが、なんにしても実物の潜水艦の迫力に毎回度肝を抜かれますよ。

Img_9490  展示スペース、海上自衛隊の歴史や掃海任務について、また潜水艦における生活などを展示により知ることが出来ます。写真は掃海艇のスペース、ここではOBの方が解説をしてくれまして、なんと元自衛艦隊司令官も解説ボランティアとして分かりやすく解説してくれます。

Img_9548  潜水艦あきしお艦内。開館直後は余りにも多い来場者で、潜水艦内は狭い事もあり写真撮影は禁止だったのですが、現在は写真を撮る事が出来ます。潜望鏡を覗いてみたり、操舵装置に座ったり、気分は眼下の敵シュトルベック艦長か、はたまたレットオクトーバーのラミウス艦長か、はたまたイ57の河本艦長か、いや轟天の神宮司大佐か、一作を除きどれも古い作品なのは気のせいだ。

Img_9584  そんなこんなで、一日中呉を満喫して呉線で帰路につきました。練習艦隊出航→アレイからすこじま→呉基地一般公開→護衛艦さみだれ一般公開→呉湾観光遊覧船→呉地方総監部第一庁舎一般公開→呉史料館鉄のくじらミュージアム、一日でこれだけ回れたのですからね。

Img_9590  江田島基地も時間があれば行きたかったのですが、残念ながら一日でこれ以上は無理でした、また来よう、と思いつつ遠ざかる呉基地の艦艇を眺めていました。当日呉基地で御世話になりました皆様、ありがとうございました。呉基地のほか、舞鶴基地も週末桟橋一般公開が再開されたとのこと、皆様も興味のある方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

Img_9715  広島駅からは新幹線ひかりレールスター号、出来れば九州新幹線みずほ号か、さくら号、に乗りたかったのですが指定席の人気は凄い、そういうことで、ひかりレールスター号指定席がとれましたので、九州新幹線指定席と同じく2×2の快適な座席、こちらで山陽新幹線を帰途につきました。次回こそ江田島へ、次回こそ九州新幹線で、行きたいですね。

HARUNA

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房総半島沖イージス艦あたご衝突事故、横浜地裁は当直幹部2名に無罪判決

2011-05-12 22:22:40 | 防衛・安全保障

◆無罪判決とともに根本要因の解決を!

あたご衝突事故、当直幹部2名への無罪判決が出されました。ハワイから帰国するべく横須賀に入港する直前に発生した事故ではありましたが、無罪という判決は出されているものの、正直なところ同様の海難事故と比べ、なんとも後味の悪い事故でした。

Img_3136  イージス艦「あたご」衝突、当直士官2人に無罪・・・  千葉県房総半島沖で2008年2月に起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、業務上過失致死と業務上過失往来危険罪に問われた当直士官2人(起訴休職)の判決が11日、横浜地裁であった。 秋山敬裁判長は「清徳丸は衝突の危険を知りうる状況だったのに、一切回避行動をとらなかった」と、清徳丸側に衝突回避義務があったとして、衝突時の当直士官で元水雷長の長岩友久被告(37)(3佐)と、衝突前の当直士官で元航海長の後瀉(うしろがた)桂太郎被告(38)(同)に、いずれも無罪(求刑・禁錮2年)を言い渡した。 09年1月に出た海難審判の裁決は、事故の主因があたご側にあったと結論づけており、異なる判断を示した。清徳丸の全地球測位システム(GPS)が水没したことから、公判では、清徳丸の航跡の特定が最大の争点となった。検察側は、あたごと清徳丸がそのまま進めば衝突する恐れがある位置関係にあったとする航跡図を作成。海上衝突予防法上、清徳丸を右側に見ていたあたごに回避義務があったと主張していた。

Img_7490  しかし、秋山裁判長は、検察側の航跡図について、「恣意(しい)的に僚船乗組員の供述を用いて作成した。清徳丸が検察側の航跡図上にいたということは信用できない」と全面的に否定。長岩被告らの供述やあたごのGPSのデータをもとに独自の航跡を認定し、清徳丸について「遅くとも4時4分より前に大幅に右転した。(右転せずに)直進した場合、あたごの艦尾より200メートル以上後方を航行していただろう」と述べ、清徳丸側に回避義務があったとする弁護側の主張を認めた。 ただ、あたご側についても、「長岩被告は引き継ぎ後、不完全な情報をうのみにし、周囲の状況を十分注視していなかった」と、問題点を指摘した。(2011年5月11日14時05分  読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110511-OYT1T00299.htm

Img_8017  事故の後、かなりの期間に渡って護衛艦あたご、は母港舞鶴への帰港が許されず、何度か横須賀を散策に行きますと吉倉桟橋に停泊していたままでして、そのうちの意図度などは艦長の交代行事が行われているのを望見、こちらも深く考えさせられるものがあったのを覚えています。この事故の報道はかなりの偏向が掛かっていたものでして、例えばこの直後に海上自衛隊の護衛艦が練習航海の途上、ヴェトナムの寄港先において接岸中を曳船に衝突される事案が生じ、これをあたかも海上自衛隊が回避義務を怠ったように報じたものもありました、係留中に埠頭ごと回避しろとでもいうのでしょうか、と当時思いましたが、他にも四国で自動航行していた漁船が沖留の掃海艇に衝突した事故でも停泊地が悪いという識者の意見が出されたり、アメリカ海軍のイージス艦が横須賀港外でプレジャーボートに衝突した事案は大事故ではなかったにしろ殆ど報道されなかったりで少々違和感を感じたものです。

Img_8480 事故に際しても三隻の漁船が同時に護衛艦あたご、の進路上を横切ったもので、海上衝突防止法に基づく回避義務があったのかが大きな争点になっていました。もっとも、航行の航路図をみていますと、複数の漁船が航行していましたので、仮に回避義務があったとしても衝突により沈没した清徳丸を回避した場合別の漁船に衝突する可能性があり、海上衝突防止法の字義通りに回避行動を行った場合でも別の事故に発展していた事が航路図の検証などで判明しています、つまり衝突するのならば別の漁船に、という論調なのか、と思えば決してそうでもなく、何故漁船側が集団で護衛艦の前を、しかも浦賀水道という回避行動を取るには余りに過密している海域において実施したのかとも感じたのですが、その後の展示訓練等護衛艦に載せていただいた際、艦隊の列に突入しようとするプレジャーボートが海上自衛隊と海上保安庁に追跡されて逃げ回る様子、岸壁に停泊しつつある護衛艦の最も身動きが取れない状況において急接近する家族連れのプレジャーボート等、成程余り声明に執着していないのかな、とも思えるような危険行為を見ていますので、なんだかなあ、と思った事も。

Img_9653  ともあれ、事故であってもその後の教訓は充分活かされているように思います、衝突防止の監視強化は同艦が豊後水道において領海侵犯中の国籍不明潜水艦の潜望鏡を発見してしまうほどのレベルに達していまして、戻れない過去ではあっても、その教訓を活かすことによってのみ前に進む事が出来る、という行動を身を以て行っている事で、なるほど、と。更には書きたい事も多々あるのですけれども、こちらはこうした場所で書くには少々配慮が必要なものですので、一言にまとめますと、無罪判決であっても彼らは決して驕ることなく、謙虚に事故防止を追求してゆく事でしょう。

Img_3464  ただ、今回の事故には根本的な背景、要因がある事を忘れてはいけません、任務増大と脅威増加、対するは予算削減と人員艦艇縮小。護衛艦を見学しますと各部分に管理責任者が明記されています、一つ一つの器具にはそれぞれ対応する要因が割り当てられているのですが、護衛艦を含め自衛艦は365日24時間休むことなく機能させる必要があり三交代制が採られています、しかし、乗員が完全に充足されている艦は非常に稀です。これは希望者が少ないのではなく財務省が乗員の充足を平均して8~9割程度しか認めないためでして、そのため、臨時に他艦の乗員をやりくりするなど練度にも影響するような方策で以て任務を強いられている訳です、事故の背景にある任務増大と脅威増加に対する予算削減と人員艦艇縮小、これが安全に対する影響を及ぼしてしまったといえます。この点、政治は任務を押し付け、脅威増大を外交により制することが出来ないのでしたら、人員と艦艇と予算に関する考えを再考する必要もあるようなのですが、これは裁判ではなく防衛省による政策の問題、根本的解決に向けた防衛計画の大綱の改訂は必要とする結果からは遠いものにはなっていますが、事故を抑制する観点からは一考の余地は必要と考える次第です。

HARUNA

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東北地方太平洋沖地震・東日本大震災 3月11日から本日で二カ月

2011-05-11 23:33:49 | 北大路機関特別企画

◆東北マグニチュード9.0

 あの3月11日から本日で二カ月が経ちました。マグニチュード9.0、というのはSF作家でも避ける規模でして小松左京の日本沈没、あの東京地震の設定が8.5、SFの大御所でも9は避けたのです。

 最初に謹んで犠牲になられた方の御冥福をお祈りします。死者14700名、行方不明者10800名、被害額は大まかに見積もって20~30兆、原発事故と計画停電を含む複合的な被害額としたらばこれの倍、数倍に及ぶかもしれない訳でして、日本経済や日本という国に対する原発事故による評価低下を含めれば将来的に日本のGDPを大きく揺るがす可能性を内包しているのが今回の大震災でした。

 二カ月を経て被害の全容は辛うじて把握できるのですが、瓦礫除去だけで三年を要する、というのが政府の見積もりでして、行政機構が受けた被害を考えますと果たして地権者の確認だけで思い切った手段でも採らない限り一体何年掛かるのか、東北地方太平洋岸が再度美しい街並みを揃えるには十年単位の時間を要するのではないか、と考えます一方で、被害地域は日本全域からの面積を考えれば何とかなりそうとも言える訳でして、太平洋戦争における空襲被害地域復旧等の知識も掘り出す必要があるのでは、と。

 実のところ、福島第一原発の原子炉格納容器が爆散しなかったというのは本当に幸いだと思っています。こういう事を書きますと不快感を持たれる方がいらっしゃるのを承知で、16日に首都圏に行った際当時の日記で恐らく首都東京をみるのはこれが最後なのかも、と思ったりしていたのですが、東京放棄ということは回避されまして原発関係者、自衛隊、消防の文字通り決死の努力により現時点ではまだ漏洩は続いているものの最悪の事態は回避しつつ厳しい状況が推移しています。

 基本的に復旧は復興に大きくシフトしようとしているところなのですが、思い切って建築基準法や建築物建設における認可方式の後日承認措置等の構造開発特区指定を行い、とにかく仮設住宅を揃える、というものではなく、被災地に限り現実的な住宅復興の模索を行うべきでしょう。また、現政権が忌避する公共事業ですが、第一に防波堤復旧、第二に瓦礫撤去に関する現地雇用の拡大と継続を提示して、地場産業が復興に至るまでの期間を繋ぐ工夫が必要でしょう。

 鉄道の復旧を始め、公共設備の再建には自治体の能力を超えた投資が必要になる訳でして、現実問題として出来ることから行う必要があります。住宅街は高台に再建、というような理想論も復興検討を行う会議などで提示されているのですが、これは住民が総意に基づき決定するべきものですし、この部分では地方分権、という現在の与党が繰り返し提示していた事を有言実行に移してもらう事が重要でしょう、つまり政府は予算面での支援を行うべきで余り計画をいじらないようにする、既存の法律で難しいのならば構造改革特区による指定である程度乗り越える、そういう配慮もあって然るべき、そう考えます。

 他方で、今後わが国に被害を及ぼすであろう地震に対する防災というものも、根本的に再検討する必要があるでしょう。東海東南海南海地震はマグニチュード8以上の規模となる事が指摘されているのですが、この巨大地震への警戒は言い換えれば昭和東南海地震の前兆現象を確認できたことを以て次の東海地震も予知できるだろうとの希望的観測に基づき警戒されているのですが、このほかに巨大地震は切迫していない錯覚を持つ一方で、予知できないだけで巨大地震の危険性は常にわが国の脅威となっています。

 即ち、来るだろうという一つだけを警戒しているのが現状でして、来るか来ないかさえもわからない、という状況に対しては無防備、そこを突かれた訳です。耐震強度の厳格化、防災道路の充実、沿岸防波堤の強化、そして災害派遣に向かう組織の機動力向上と後方支援能力充実、自治体の耐災害能力の拡充、行うべきことは山ほどあります。他方で、災害に備えるという事は一種の民間防衛を強化する事でもあり、自衛隊の機動力強化と即応性向上に継戦能力充実はそのまま日本の国家的非常事態に対する危機管理能力の向上にも繋がる訳ですから、一義的な側面以外に着目した場合、確かに予算を必要とする難題ですけれども、やって無意味であることだけはないと考えます。

 次は何処に地震が襲来するのか、非常用持ち出し袋には三日分の食料を、というのが防災などでよく語られる言葉ではありましたが、地震被害が一定以上の規模に及んだ場合には三日分ではとても足りず、しかし、あまり多くのものを避難用品としてしまえば重量が過大となり避難時の脆弱性を高めてしまいます。個人ではなく社会で対応が必要、ということに。地域防災、スイスの民間防衛ほどではないにしても、地域による防災への備蓄や救急医療、通信、土木業務への準備が、消防団や水防団以上の規模で考えてゆかなければならないでしょう。

 もう一つ、喫緊の課題はエネルギー政策です。政府からの強い要請により中部電力浜岡原子力発電所の原子炉は間もなく停止されるのですが、冷温停止して燃料棒を搬出できる状態とならない限り冷却能力を維持する必要はあり、危険性は福島第一原発と比較した場合根本的に異なるものではありません、電源喪失に備えた原発密集地域100km以内での電源車とこれを空輸する大型輸送ヘリコプターの部隊整備、という必要性はあるでしょうし、原発事故に備える原子力災害特務艦の建造、従来艦船の改修でもいいのですが、急ぐべきです。

 しかしながら、原子力を脱原子力に持っていくのはどうするのか、政府は原子力を重視し二酸化炭素排出を抑制する政策を根本的に転換する構想を発表しているのですが、日本が要するエネルギーは膨大で、これを化石燃料により置き換える事となれば日本でさえも安全確保は難しいと発進することになるので他国の原子力政策へも影響が及ぶ可能性があり、資源市場は手がつけられないほどの高騰につながる可能性があります、再生可能エネルギーについては台風災害や高潮などの災害が連続する国情を鑑みた場合、現実的なのか、とも。

 また幾度か書いているのですが、第四次中東戦争とそれに伴う石油危機がエネルギー自給自足を促すべく原子力発電を後押ししたわけですから、石油に依存する政策を採った場合、果たして日本は自らエネルギーの安定供給の為に、防衛力の展開を含む地域安定を目指す、ということは、果たして可能なのでしょうか、やはり難しいように思います。いや、国民がやる、と覚悟を決めるならば別なのですが、ちょっと絵空事でしょう。太陽電池、これ普通の家屋で全て自給しようとすると経年劣化と維持費を考えて一世帯当たり太陽電池の維持に年間100万円は見ておかなければならないようなのですが、まあ、これも難しいでしょうね。

 ただし、電力が無ければ日本は工業国としての地位を完全に失ってしまいます、海外からの投資も難しいでしょう。途上国の地位に甘んじるのならばともかくとして、日本が資源を生まない国である限り工業生産はその生命線ですから、なんとかすなければならないのです、これはもう、地震に対応することが可能な原子力発電の方式を模索しつつ、火力発電という方式、そして水力発電を軸とした再生可能エネルギーの三分立を維持するほかない、と考えます。

 この一点について、浜岡原発の停止が提示されているのですが、浜岡原発は東海地震の可能性が示唆された後に規模を拡大し、全国的に津波対策は進んでいる原子力発電所、老朽化した原子炉は順次新造のものに置き換えられています。浜岡原発が破壊されれば東京が危ない、と言われる割には首都圏の東海第二原発は無防備ですし、今回の地震が東海地震を誘発するのではという声もある一方で、それよりも近い震源域が想定されている宮城県沖地震と前述の原発。

 浜岡が危険、といわれているのは理解できるのです、原発内に活断層が走っていますからね。映画でも黒澤監督の“夢”では赤富士の場面で静岡の原発が次々と原子炉連鎖爆発を起こす描写がありましたし、1984年の映画“ゴジラ”でも浜岡原発をモデルにした井浜原発が襲撃されています、ゴジラは来ないでしょうが地震は来るのですからね。映画の世界では原発事故に備えた抗核エネルギーバクテリアとか、原子炉冷却を想定したスーパーX-Ⅲなんかが出てくるのですが、現実世界には予備電源の搬送すらできなかったので、危険は感じるのでしょう、これは同感です。しかし、危険だと分かっていて準備している浜岡原発に対して、危険かどうかわからないので一応の準備しか行っていない原発はどうするのか、ということ。

 それだけではなく、日本海には大きな津波は来ないと考えられており覆されたのが1983年の日本海中部地震でしたが、日本海側には特に若狭湾沿岸に多くの原発が集中しており、中には40年以上の老朽原子炉も運行されています。近くには活断層も見つかっており地震に強い原子力、この国で原子力発電を行うのであれば、浜岡原発だけに目を取られるのではなく、特に若狭湾の原発は浜岡原発から東京までの距離180kmで円を描けば大阪京都神戸名古屋が入ってしまうのですが、新しい堅牢な原子炉の建設による老朽原子炉の廃炉を進めてゆかなければなりません。

 とにかく課題は多すぎます、聞くところでは神奈川県西部で収穫された新茶から許容量以上のセシウムが検知されたということがあり、被害は広がってはいるのですが、次の災害に備えた防災基盤の構築と自主地域防災体制の拡充を行うとともに今回の原発事案を念頭に全国の原発における対策の強化、何処に次は来るのかがわからないのですから、実施するべきでしょう。日本周辺でマグニチュード9.0が起こった、ということと日本周辺のプレートはエネルギーが解放される爆発の臨界へと今この瞬間もじりじりと動いているのですから、出来ることをすぐに行う、これまでは復旧と復興の両立が求められていましたが、これからは復興と防災の両立を考える、そう感じるのですがどうでしょうか。

北大路機関

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ソマリア沖海賊対処任務、第200回護衛任務達成(第241回護衛任務)

2011-05-10 22:55:07 | 防衛・安全保障

◆東日本大震災災害派遣の影で海上護衛戦!

本日の防衛省発表によれば4月30日より5月2日にかけて実施されたアデン湾における海賊対処任務第200回護衛任務が実施され、無事完了したとのことです。

Img_8827  東日本大震災災害派遣が大規模に展開されている中ではありますが、第200回護衛任務は日本船籍の船舶や、日本企業運行の船舶はなくタンカー6隻を含む外国船7隻を護衛するという任務でした。護衛に当たったのは護衛艦いなづま、護衛艦さざなみ。10日の発表では第201回護衛任務完了と第202回護衛任務完了についても触れられていました。

Img_8637  呉基地で見ました護衛艦さみだれ、うみぎり、を始め護衛艦は応急機関銃座や艦橋への防弾板の装着など海賊対処任務への最大限の対応が行われており、充足が少ない中苦労して乗員を他艦より引き抜き、護衛任務を継続しています。そしてこの海賊対処任務は災害派遣が行われている現在も継続中、この海上護衛戦は忘れてはならないでしょう。

Img_8706  海賊対処任務については、現時点でも終わりが見えない任務です。それはソマリアの社会構造に海賊、という生活様式が入りこみ一種の稼業になっているという現状が今なおあります。望ましいのは国連主導による国家再建なのでしょうけれども、世界にこうした動きは大きくありません。こうした中、厳しい多方面作戦の一環として海上自衛隊の任務は続くのでしょうね。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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防衛省 東日本大震災災害派遣規模を五月末目途に10万から6万へ縮小

2011-05-09 22:45:55 | 防災・災害派遣

◆実績評価とともに次への課題検証も必要

 防衛省では東日本大震災への災害派遣について五月末を目途に現在の十万人派遣体制から六万人へ規模を縮小する計画を発表しました、NHKからの引用です。

Img_6039 防衛相 自衛隊に態勢縮小指示:5月9日 15時17分   ・・・北澤防衛大臣は、自衛隊が今回の大震災で展開している10万人に上る態勢について、被災地からの要望が徐々に減りつつあることなどを踏まえ、震災から2か月となる今週から、順次、態勢を縮小していくよう自衛隊の統合幕僚監部に指示しました。

Img_5370 北澤防衛大臣は、9日に開いた省の災害対策本部の会議で、自衛隊が今回の大震災で展開している10万人に上る態勢について、「菅総理大臣や枝野官房長官に縮小することに理解をいただいたので、慎重かつ効果的に実施してもらいたい」と述べ、震災から2か月となる今週から、順次、態勢を縮小していくよう自衛隊の統合幕僚監部に正式に指示しました。

Img_9696 そして、縮小にあたって、陸上自衛隊は存在自体が被災者に安心感を与えていることなどを踏まえ、各自治体と態勢の在り方をよく協議すること、海・空自衛隊は、一部の物資の空輸などに今後の活動を限定し、日本周辺の警戒・監視活動といった本来任務の比重を速やかに高めることなどを、それぞれ指針として示しました。防衛省によりますと、今月末までに陸上自衛隊を今の70%、海・空自衛隊を今の半分に縮小する見通しです。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110509/t10015771041000.html

Img_0887  六万人でも派遣規模としては非常に大きいという印象。また五月のゴールデンウィーク明けから自衛隊の災害派遣を縮小する、という話は出ていたのですが、実際には五月末まで、なにやら五月末までと唐突に伸ばされた印象とともに思い出すのは政府の普天間問題に関する発言ですが、ともあれ自衛隊の災害派遣に関する体制の縮小の見通しが立ったわけです。その一方で昨日日曜日に呉基地を探訪しますと、ちょうと福島県沖に護衛艦とね、が艦長交代行事を終えていよいよ出航する、というところでして、4月に横須賀を探訪した際に護衛艦ひゅうが、を望見したのですがこちらも艦長交代の為の帰港とのことで終了後に災害派遣に向かった模様です。

Img_3632  当初首相命令により10万の災害派遣命令に対して現場からは負荷ヌ懧、との声がこちらのコメント欄以外にも指摘されまして、他方で行くしかないだろうという覚悟の声も聞こえる一方で、外からは同様の声とともに半分の自衛隊だけではなく全部出すべきだという、実のところ自衛隊は海外派遣されている部隊やその交代部隊の数がかなりの規模になる事も考えずに指摘される声もありましたが、史上最大の災害派遣に対して、不可能を超えた任務に当たった、とこちらは率直に評価されるべきだと思います。

Img_4493  他方で阪神大震災における自衛隊災害派遣が三カ月強を以て終息した事を考えますと、今回の災害派遣は規模縮小の目途が立っただけであり、陸上自衛隊の派遣規模は七割まで、海空自衛隊は半数に削減されるという範囲ですので、はたして完全な災害派遣の終了はいつごろになるのか、ハイチ大震災復興人道支援任務のように延々と拡大されるのではないか、という危惧は明確にありまして、それならば過剰となっている任務を前に自衛隊の本来任務の筆頭に挙げられる防衛力による国土防衛と、今回の想定外規模の地震被害に備える、つまり次の大震災へ備える必要はあるでしょうね。

Img_1481 そういうのも政府は東海地震という次の地震を明確に認識しているのでしょう、だからこそ浜岡原発に対する首相による突然の停止要請という強い姿勢をとっているのでしょうけれども、踏まえて考えますと、自衛隊の規模、というものと、展開能力機動力の確保、ということは次の大震災に耐えられるようにやはり真剣に考えられるべきでしょう。これまで継続してきた、兎に角人員と予算は減らす、少なくとも任務と脅威の増大は黙認、という政治の姿勢は改められるべきなのですが、今回突き付けられた課題については、今度こそ転換点を迎えていると認識する必要は、あるでしょう。

Img_7226  そういうのも、昨今日本の安全神話や日本であるからこその安心という観念や納期厳守不良極限というようなものが、そもそも日本の危機管理という重ねて過去から指摘されていた事だけではなく、電力不足や復興政策に関する無策により生じた日本へのリスクという観念、これは初動による被害を局限化する体制を整備するしか払しょくすることはできません、地震による被害は防ぐには難しいものがあり、他方で地震は如何に回避を望もうともやってくる、ということを考えた結果はダメージコントロールの能力を高めるほかないように考えます。

Img_0049  もちろん、リスクコントロールという意味での安全保障面での日本に対するリスクについて、これは軍事力による日本への脅威というリスクへも対応が行われるべきで、他方で地震被害に対する対応能力については民間防衛を含めて幅広く実施する必要はあるのでしょうが、例えば空中機動、例えば揚陸、例えば全自己完結能力等は民間には限界である部分も否めず、災害派遣における成果を評価しつつ、何があればもっと多くを救えたのか、何が不足していた事で展開などに問題があったのか、議論は必要でしょう。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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東北地方太平洋沖地震/東日本大震災 防衛省対応についての情報

2011-05-09 22:01:18 | 防災・災害派遣

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(08時00分現在)
平成23年5月9日
防衛省

※数値等は速報値であり、今後変わることがある。
※下線部は、前回からの変更箇所

1 災害派遣要請元及び要請日時岩手県知事 3月11日14時52分 宮城県知事 3月11日15時02分
茨城県知事 3月11日16時20分 福島県知事 3月11日16時47分
青森県知事 3月11日16時54分 北海道知事 3月11日18時50分
千葉県知事 3月12日01時00分
2 防衛省・自衛隊の対応(1) 派遣規模
人 員 : 約106,250名
(陸災部隊:約70,000名、海災部隊:約14,300名、空災部隊:約21,600名、原子力災派部隊:約350名)
航空機 : 約490機 
艦 船 : 52隻  が活動中
※3月14日、東北方面総監を指揮官とする統合任務部隊を編成

(2) 主な対応状況
ア 大規模震災災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日14時50分 防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)
 3月11日18時00分 大規模震災災害派遣命令
 3月16日11時58分 予備自衛官及び即応予備自衛官の災害等招集命令
 3月17日22時00分 大規模震災災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 航空機による情報収集、被災者の救助(19,247名)、人員及び物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、道路啓開、瓦礫除去、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受け入れ、慰問演奏

イ 原子力災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日19時30分 原子力災害派遣命令(12日09時20分廃止)
 3月12日09時20分 原子力災害派遣命令
 3月17日03時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 3月19日01時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 4月15日18時25分 原子力災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 避難支援、給水支援、人員及び物資輸送、原子炉冷却のための放水、モニタリング支援、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、上空からの撮像、集じん飛行支援

ウ 現地調査団等の輸送支援

 ・ 政府調査団(第1陣:宮城県)の現地派遣
 ・ 経済産業副大臣及び原子力安全・保安院職員等の現地派遣
 ・ 総理大臣の現地視察(福島第1原発及び宮城県被災地上空等)
 ・ 政府調査団(第2陣:岩手県及び福島県)の現地派遣
 ・ DMAT(災害派遣医療チーム)の輸送支援
 ・ 防衛大臣現地視察(統合任務部隊編成)
 ・ 防災担当大臣現地視察
 ・ 防衛大臣現地視察(原子力災害派遣部隊現地調整所)
 ・ 防衛大臣現地視察(海災任務部隊、被災地、松島航空基地)
 ・ 総理大臣の現地視察(宮城県石巻市、東北方面総監部、松島航空基地)

エ その他

 3月18日(金)東北地方太平洋沖地震による被災地域において、自衛隊の部隊が実施する救援活動等に係る予備費の使用を閣議決定(約54億円)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(5月8日)

08時05分 第50普通科連隊が石巻市において捜索活動開始

08時30分 第12施設群が気仙沼市において捜索・瓦礫撤去等開始

09時00分 第13施設隊が南三陸町、東松島市において捜索・瓦礫撤去等開始

○海自

(5月8日)

08時25分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行を実施

08時58分 第4航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行を実施

09時05分 「おおなみ」搭載回転翼機、桂島の被災者に対し、食料品を輸送

09時14分 「おおなみ」搭載回転翼機、野々島の被災者に対し、食料品を輸送

09時39分 「おおなみ」搭載回転翼機、寒風沢島の被災者に対し、食料品を輸送

10時55分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行を実施

15時15分 横須賀警備隊、宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者283名に対し、入浴・シャワー支援実施

○空自

(5月8日)

06時28分 中空派遣隊(松島)が沐浴支援開始

07時00分 中空派遣隊(松島)が捜索救助活動開始

07時03分 中空派遣隊(松島)が物流管理支援開始

07時30分 中空派遣隊(松島)が給水支援開始

07時55分 航空救難団(千歳、松島)U-125A×1機、UH-60J×1機が捜索活動開始

08時05分 北空派遣隊(山田)が復旧支援活動開始

08時20分 北空派遣隊(山田)が給食支援開始

09時00分 北空派遣隊(山田)が生活支援活動開始

13時30分 航空救難団(千歳、松島)U-125A×1機、UH-60J×1機が捜索活動開始

○原子力災害派遣による活動

(5月8日)

08時09分 中央即応集団が20km圏内で捜索活動開始

08時20分 第44普通科連隊が20km圏内で捜索活動開始

08時50分 第13旅団が20km圏内で捜索活動開始

09時05分 第6特科連隊、第6高射特科大隊が20km圏内で捜索活動開始

陸上自衛隊の活動
(5月8日)

08時05分  第50普通科連隊が石巻市において捜索活動開始

08時30分  第12施設群が気仙沼市において捜索・瓦礫撤去等開始

09時00分  第13施設隊が南三陸町、東松島市において捜索・瓦礫撤去等開始

(5月7日)

04時30分  第13特科隊が福島西部において給食支援開始

07時00分  第2施設団が女川町において捜索活動開始

08時20分  第15普通科連隊が石巻市において捜索活動開始

08時30分  第12施設群が気仙沼市において捜索・瓦礫撤去等開始

09時03分  第50普通科連隊が石巻市において捜索活動開始

(5月6日)

06時30分  第5旅団 石巻市において給食支援開始

07時00分  第14旅団 石巻市及び女川町において救護支援開始

08時00分  第2施設団 石巻市において道路啓開開始

08時30分  第13旅団 南三陸町、東松島市において捜索、瓦礫除去等作業開始

09時20分  第6師団 富岡町において捜索活動開始

09時30分  第13旅団 浪江町棚塩地区において捜索活動開始

(5月5日)

07時30分  第14旅団 女川地区において給食支援、入浴支援及び洗濯支援を開始

08時00分  第2施設団 大街道、南浜町、大原地区等において瓦礫除去作業開始

08時09分  第13旅団 木崎、中島、小川、今泉地区において捜索活動開始

08時30分  第14旅団 北上地区、河北町及び雄勝町等において捜索活動開始

(5月4日)

03時50分  第9師団 陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田、宮古地区で給食支援及び輸送支援開始

04時30分  第13旅団 相馬市で給食支援及び輸送支援開始

07時40分  第14旅団 河北地区で輸送支援及び捜索活動開始

09時08分  第6師団 宮岡町で捜索活動開始

(5月3日)

03時50分  第9師団、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市で給食支援開始

07時00分  第2施設団 石巻市で捜索活動開始

07時30分  第14旅団 塚浜地区で捜索活動開始

07時56分  第6旅団 塩釜港~名取川地区において空中捜索を開始

(5月2日)

04時00分  第9師団、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市で給食支援開始

07時00分  第9師団、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町で給水支援開始

07時00分  第2施設団、渡波地区で捜索活動開始

08時30分  第1特科団、釜石市で捜索活動開始

09時00分  第13旅団、磯部地区、原釜地区、蒲庭地区で捜索活動開始

09時00分  第14旅団、雄勝町で捜索活動開始

10時00分  第9師団、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市で入浴支援開始

(5月1日)

06時00分  第14後方支援隊 女川町で人員輸送開始

06時00分  第5後方支援隊 新山浜で巡回診療支援開始

06時11分  第13特科隊 新地町で輸送支援開始

07時00分  第14後方支援隊 女川町で衛生支援活動開始

07時00分  第5普通科連隊、第21普通科連隊、第39普通科連隊、第9特科連隊、第9高射特科大隊、第9戦車大隊、
第5高射特科大隊、生活支援活動開始

07時08分  第5普通科連隊、第21普通科連隊、第39普通科連隊、第9特科連隊、第9高射特科大隊、第9戦車大隊、
第9施設大隊、第5高射特科群、第4施設団 行方不明者の捜索活動開始

07時11分  第9後方支援隊 陸前高田市で洗濯支援開始

07時30分  第4普通科連隊 鮎川浜で行方不明者の捜索活動開始

07時30分  第8普通科連隊 相馬市で行方不明者の捜索活動開始

07時35分  第5特科隊 鹿妻地区で給食支援開始

08時00分  第10施設群 石巻市で瓦礫の除去作業開始

08時00分  第104施設器材隊 荒浜地区で行方不明者の捜索支援作業開始

08時00分  第312ダンプ車両中隊 石巻市で瓦礫の除去作業開始

08時00分  第14特科隊 北上地区で物資輸送開始

08時00分  第5戦車隊 福貴浦で行方不明者の捜索活動開始

08時05分  第15普通科連隊 女川浜で捜索活動開始

08時10分  第6特科連隊第2大隊 松島地区で給食支援開始

08時10分  第13施設隊 南三陸町、東松島市で捜索支援、瓦礫除去作業開始

08時15分  第6普通科連隊 牡鹿地区で物資輸送作業開始

08時15分  第12施設群 気仙沼市で捜索支援、瓦礫除去作業開始

08時30分  第14特科隊、第1特科団 石巻市河北町地区行方不明者の捜索活動開始

08時52分  第46普通科連隊 相馬市で捜索活動開始

09時30分  第6特殊武器防護隊 川俣町体育館で除染所運営開始

(4月30日)

05時29分  第5施設隊 明神町・川口町・大内町において道路啓開

06時30分  第5後方支援隊 支援任務開始

07時26分  第5飛行隊 物資空輸及び人員輸送開始

07時30分  第4普通科連隊 牡鹿町にて捜索活動開始

07時30分  第5戦車大隊 福貴浦にて捜索活動開始

07時50分  第5特科隊 支援任務開始

08時02分  第5偵察隊作業開始

09時00分  第1戦車群第3支援隊 釜谷地区にて捜索活動開始

(4月29日)

05時29分  第5施設隊作業開始

07時50分  第5特科隊支援任務開始

(4月28日)

07時00分  第1戦車群が釜谷地区において捜索活動開始

07時52分  第1特科団が女川町において捜索活動開始

08時15分  東北方面混成団が宮城県各地区において捜索活動開始

08時15分  第1特科群が石巻市において捜索活動開始

(4月27日)

07時07分  第2施設団が石巻市において捜索活動・瓦礫除去開始

07時40分  第12施設群が気仙沼市において捜索活動・瓦礫除去開始

07時59分  第4師団が南三陸町における捜索活動・瓦礫除去開始

08時04分  第9師団が大船渡市、陸前高田市、釜石町において捜索活動開始

08時04分  第5施設団が南相馬市、新地町において捜索活動・瓦礫除去開始

08時15分  第13施設隊が南三陸町及び東松島市における捜索活動・瓦礫除去開始

09時00分  第301坑道中隊が南三陸町における捜索活動・瓦礫除去開始

(4月26日)

06時25分  第10師団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

06時30分  第9師団 岩手県沿岸部において捜索活動開始

06時55分  第5旅団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

07時00分  第12施設群 気仙沼市において捜索活動開始

07時00分  第13施設隊 気仙沼市、南三陸町、東松島市、七ヶ浜町において捜索活動開始

07時00分  301坑道掘削中隊 南三陸町において捜索活動開始

07時00分  第2施設団 宮城県沿岸部において捜索活動及び瓦礫除去開始

07時55分  第1特科団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

08時00分  第14旅団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

08時15分  第6師団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

09時00分  第13旅団 福島県沿岸部において捜索活動開始

(4月25日)

06時00分  第14旅団 女川町において給食支援開始

07時00分  第14旅団 女川町において衛生救護支援開始

07時00分  第12施設群 気仙沼市において捜索活動開始

07時00分  第13施設群 気仙沼市、南三陸町、東松島市、七ヶ浜町において捜索活動開始

07時39分  第6師団 UH-1×1機が石巻港周辺における捜索活動開始

07時41分  第6師団 OH-6×1機が七ヶ浜から浦戸四島における捜索活動開始

08時00分  第13旅団 女川町において捜索活動開始

08時40分  第6師団 東松島市において捜索活動開始

11時14分  第6師団 OH-6×1機が七ヶ浜から浦戸四島における捜索活動開始

11時38分  第6師団 UH-1×1機が石巻から東松島における捜索活動開始

15時38分  第6師団 UH-1×1機が石巻港周辺における捜索活動開始

15時40分  第6師団 OH-6×1機が七ヶ浜から浦戸四島における捜索活動開始

(4月24日)

04時30分  第13旅団 新地町において炊事作業開始

06時13分  第13旅団 新地町において物資輸送開始

07時30分  第5旅団 石巻市において捜索活動開始

08時33分  第1地対艦ミサイル連隊 石巻市雄勝町において捜索活動開始

(4月23日)

00時54分  東北方面航空隊(霞目)UH-1(映像電送機)×1機が地震被害情報偵察のため離陸(00時59分 天候不良のため帰投)

07時50分  第12施設群 気仙沼市において捜索・瓦礫除去等作業開始

08時00分  第13施設隊 気仙沼市、南三陸町、東松島市及び七ヶ浜町において捜索活動・瓦礫除去等作業開始

(4月22日)

04時30分  第13旅団 新地町役場において給食支援活動開始

06時00分  第14旅団 女川総合運動公園において給食支援活動及び人員輸送支援活動開始、追分温泉において人員輸送活動開始

07時00分  第14旅団 女川総合運動公園及び雄勝地区において衛生救護支援活動開始

07時30分  第14旅団 石巻総合運動公園において救援物資管理等活動開始

07時30分  第13旅団 21世紀の森において給食支援活動開始

08時00分  第14旅団 女川総合運動公園において入浴支援・簡易洗濯所支援活動開始

11時06分  第10師団 山下小学校及び中央公民館へ用品12箱の物資輸送実施

13時00分  第10師団 山下小学校において入浴支援活動開始

(4月21日)

06時30分  第5旅団第5後方支援隊が牡鹿地区において作業開始、第2施設団が女川町において行動開始

07時05分  第10師団が山下小学校において救難支援活動開始

07時30分  第5旅団第4普通科連隊が牡鹿地区において作業開始、第5旅団第6普通科連隊が石巻市において作業開始

08時00分  中央即応集団中央即応連隊が広野町において作業開始

09時30分  第1戦車群が釜谷地区において捜索活動開始

(4月20日)

04時30分  第13旅団 新地町役場において給食支援開始

07時00分  第12旅団 30㎞圏内捜索開始

07時53分  第1地対艦ミサイル連隊 石巻市において捜索開始

07時57分  第2地対艦ミサイル連隊 女川町において捜索開始

08時00分  第13施設隊 気仙沼市、南三陸町、東松島市、七ヶ浜町において捜索、瓦礫除去等開始、第3地対艦ミサイル連隊が女川町で捜索開始、第101特科大隊及び第133特科大隊が石巻市で捜索開始

08時20分  第12施設群 気仙沼市において捜索、瓦礫除去等開始

08時30分  301坑道掘削中隊 南三陸町において捜索、瓦礫除去等開始

10時00分  大14旅団 入浴支援開始

15時56分  第13旅団 巡回診療開始

(4月19日)

04時45分  北部方面航空隊 UH-1映像伝達機×1機が余震の状況偵察のため八戸離陸

07時00分  第9師団各部隊 陸前高田市等において捜索活動開始

07時45分  第12施設群 気仙沼市において捜索支援、瓦礫除去等開始

07時50分  第13施設隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時15分  中央即応連隊 捜索開始

08時30分  第301坑道中隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

09時25分  第1戦車群 捜索活動開始

(4月18日)

07時00分  第9師団各部隊 陸前高田市等において捜索活動開始

07時50分  第50普通科連隊 河北町等において捜索活動開始

07時55分  第12施設群 気仙沼市において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時00分  第13施設隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時00分  第6特科連隊及び第6高射特科大隊 東松山市等において捜索活動開始

08時00分  第1特科団各部隊 石巻市等において捜索活動開始

08時00分  第8普通科連隊 捜索活動開始

08時30分  301坑道中隊 捜索支援、瓦礫除去等開始

08時33分  第14特科隊 石巻市等において捜索活動開始

08時40分  東北方面特科隊 捜索活動開始

09時10分  第46普通科連隊 捜索活動開始

09時15分  第1戦車群 捜索活動開始

09時30分  第17普通科連隊 捜索活動開始

13時09分  中央即応連隊 広野町一帯における捜索開始

(4月17日)

05時40分  第14旅団女川地区において人員輸送支援開始

06時00分  第13旅団相馬市役所において給食支援開始

07時25分  第14旅団宮城県北部において捜索開始

07時30分  第5旅団牡鹿半島地区において捜索開始

08時00分  第6師団野蒜、浜市、亀岡地区において捜索開始

08時00分  第1特科団女川町石浜地区、河北町釜谷地区において捜索開始

08時00分  第12施設群気仙沼市において捜索・瓦礫除去開始

08時00分  第13施設隊南三陸町において捜索・瓦礫除去開始

08時00分  第12旅団南相馬市において捜索開始

08時00分  第13旅団いわき市において捜索開始

08時00分  第1特科団女川地区、河北町釜谷地区において捜索開始

08時00分  北方施設隊気仙沼市、南三陸町において捜索・瓦礫除去開始

08時10分  第1特科団気仙沼市にいて瓦礫除去開始

09時10分  第5施設団新地町、相馬市、南相馬市において捜索・瓦礫除去開始

(4月16日)

06時00分  第13旅団 相馬市役所において給食支援開始

07時55分  第14旅団 宮城県北部において捜索開始

07時55分  第9師団 宮城県北部において捜索開始

08時00分  第2施設団 宮城県各地域において道路啓開等の応急復旧作業開始

08時00分  第1特科団 宮城県各地域において捜索開始

08時00分  第6師団 宮城県中部において捜索開始

08時07分  第13旅団 宮城県西部において捜索開始

08時10分  第1特科団 気仙沼市地区において瓦礫除去開始

08時04分  第12旅団 福島県東部において捜索開始

09時25分  第13旅団 福島県西部において巡回診療開始

(4月15日)

04時30分  第13旅団 新地町において給食支援開始

06時25分  第10師団 名取市、岩沼市、亘理町、山元町において捜索開始

06時40分  第13旅団 田人町において捜索開始

07時00分  第2施設団 宮城県各地域の道路啓開等の応急復旧作業開始

07時50分  第14旅団 宮城県北部において捜索開始

07時50分  第12旅団 福島県東部において捜索開始

07時55分  第9師団 岩手県南部において捜索開始

08時00分  第12旅団 南相馬市において捜索開始

08時00分  第1特科団 気仙沼市において瓦礫除去開始

08時22分  第12旅団 南相馬市において巡回在宅診療開始

09時00分  第13旅団 福島県西部において捜索開始

17時00分  第13旅団 福島県西部において巡回診療開始

(4月14日)

04時30分  第13旅団 相馬市において給食支援開始

05時03分  第12旅団 南相馬市において吸水ポンプ輸送開始

05時21分  第4師団 南三陸町、気仙沼市において捜索開始

05時21分  第5施設団 新地町、南相馬市、いわき市において捜索開始

06時00分  第14旅団 女川市において給食支援開始

06時17分  第13旅団 田人町において捜索開始

06時30分  第5旅団 石巻地区において捜索開始

06時30分  第12旅団 相馬市において医療支援開始

06時30分  第14旅団 女川市において輸送支援開始

07時00分  第10師団 亘理町、山元町において捜索開始

07時04分  第14旅団 雄勝町、長面浦、釜谷水没地域において捜索開始

07時30分  第5旅団 牡鹿地区において捜索開始

07時40分  第12旅団 南相馬市において捜索開始

07時13分  第13旅団 新地町において輸送支援開始

07時30分  北部方面施設隊 気仙沼市、南三陸町において捜索開始

08時00分  第6師団 仙台市、東松島市において捜索開始

(4月13日)

06時00分  第13旅団 相馬市において給食支援開始

06時53分  第10師団 山元町、亘理町において捜索開始

07時00分  第2施設団 女川町鮎川浜、鷲神・小乗浜地区において捜索開始

08時00分  第1特科団 気仙沼市地区において瓦礫除去開始

08時00分  北部方面施設隊 気仙沼市、南三陸町において捜索開始

08時05分  第13旅団 大戸浜、田中、天竺原において捜索開始

09時00分  第13旅団 相馬市において道路啓開作業開始

10時38分  東部方面航空隊UH-1×1機 余震の状況偵察のため立川離陸

(4月12日)

04時30分  第13旅団 新地町役場において給食支援開始

06時00分  第13旅団 相馬市役所において給食支援開始

06時30分  第13旅団 新地町内において輸送支援開始

07時00分  第2施設団 門脇地区南浜町において道路の砂利敷き均し開始

07時10分  第5旅団 石巻地区において偵察開始

07時20分  第10師団 名取市・山元町において輸送支援開始

07時20分  第14旅団 釜谷において捜索開始

07時45分  北部方面施設隊 気仙沼市において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時00分  第1特科団 女川町において捜索開始

08時00分  北部方面施設隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時00分  第6師団 野蒜、牛網、南赤崎、南余景、西余景一帯において捜索開始

08時27分  第13旅団 埒木崎・谷地小屋・中島・小川地区において捜索活動開始

08時30分  第1特科団 石巻市雄勝町地区において捜索開始

08時41分  第1飛行隊(立川)OH-6×1機 余震の状況偵察のため離陸

09時40分  第12旅団 南相馬市において巡回在宅診療開始

17時00分  第6音楽隊 多賀城文化センターにおいて激励演奏実施

(4月11日)

04時30分  第13旅団 新地町役場において給食支援開始

05時30分  第4師団 気仙沼市から南三陸町一帯で捜索、給水・給食支援、道路啓開作業開始

06時00分  第13旅団 相馬市役所において給食支援開始

06時00分  第5施設団 新地町において瓦礫除去作業開始、相馬市において捜索開始

06時15分  第14普通科連隊 山元町において活動開始

06時30分  第10施設大隊 名取市・岩沼市・亘理町・山元町において活動開始

07時30分  13旅団 給食支援開始

08時00分  13旅団 輸送支援(物資)開始・輸送支援(備品)前進開始

08時05分  13旅団 埒木崎、谷地小屋、中島、小川において捜索開始

08時06分  第2地対艦ミサイル連隊 女川町石浜地区において捜索開始

08時08分  第3地対艦ミサイル連隊 女川町石浜地区において捜索開始

08時08分  6特連 野蒜、牛網、南赤崎、南余景一帯において捜索開始

08時11分  第1特科団 気仙沼において瓦礫除去作業開始

08時30分  第1地対艦ミサイル連隊 捜索開始

09時30分  13旅団 相馬市原釜地区において捜索開始

(4月10日)

06時00分  第5後方支援連隊 石巻地区にて輸送支援活動開始

06時40分  第3旅団 新地町内及び相馬市において輸送支援活動開始

06時40分  第10音楽隊 名取市イオンモールにおける慰問演奏に出発

08時00分以降 岩手県・宮城県・福島県において集中捜索を米軍等と共同で開始

08時06分  第1特科群 気仙沼市の瓦礫撤去活動開始

08時05分  第1特科群 釜石地区で捜索活動開始

08時07分  第13旅団 埒木沢・谷地小屋・中島にて捜索活動開始

08時30分  第13旅団 原釜潮干狩場において給水支援開始

12時20分  北部方面隊ヘリ隊 久慈~宮古~平田~大船渡、山田~釜石~平田~陸前高田の各方面の集中捜索を開始

12時26分  東部方面隊ヘリ隊 石巻~女川、石巻~牡鹿半島、松島~石巻~黒崎の各方面の集中捜索を開始

12時26分  中部方面隊ヘリ隊 石巻~追波湾の集中捜索開始

13時43分  東北方面ヘリ隊 鷹来の森~松島の集中捜索開始

(4月9日)

08時30分  第10後方支援連隊 宮城県山下小学校において診療開始

09時15分  第1戦車群 長面浦において捜索開始

11時00分  第5旅団 石巻市において内海橋工事終了

19時00分  大和駐屯地に前進中の陸自第6飛行隊(神町)OH-6×1機、離陸

19時02分  東北方面航空隊(霞目)UH-1映像伝達機×1機、離陸

19時07分  大和駐屯地に前進中の陸自第6飛行隊(神町)UH-1×1機、離陸

(4月8日)

04時00分  第9師団 岩手県内各地域において給食支援開始

05時01分  東北方面特科隊 仙台市において捜索開始

07時00分  第9師団 岩手県内各地域において給水・輸送支援・瓦礫運搬開始

07時00分  第4施設団 陸前高田市及び大船渡市において道路啓開作業開始、宮古市及び山田町において瓦礫運搬・捜索開始

08時00分  第9師団 岩手県内各地域において入浴支援開始

08時00分  第4施設団 釜石市及び大槌町において道路啓開作業開始

08時15分  第13旅団 新地町において給水支援開始

08時23分  第6師団 仙台市において捜索開始

08時50分  第13旅団 いわき市において捜索開始

08時59分  第13旅団 ホテル夕鶴において給水支援開始

09時10分  第12施設群 捜索支援・瓦礫撤去作業を開始

09時15分  第13旅団 岩子地区において捜索開始

09時27分  第13旅団 磯辺地区において捜索開始

09時30分  第13旅団 原釜地区において捜索開始

(4月7日)

04時00分  9師団 陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田、宮古、野田村において給食支援活動開始

04時30分  13旅団 新地町役場において給食支援活動開始

06時05分  北部航空方面隊 UH-1×1機が山田町において情報収集活動開始

07時00分  第1ヘリ団 CH-47×3機が山田町において空中消火活動開始

07時00分  9師団 陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田、宮古において給水支援活動開始

07時30分  13旅団 給食、給水支援活動開始

08時00分  9師団 陸前高田において洗濯支援活動開始

08時00分  9師団 陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田、宮古において入浴支援活動開始

08時05分  第9飛行隊 OH-6×1機が山田町において情報収集活動開始

08時10分  13旅団 捜索支援活動開始

08時20分  13旅団 捜索支援活動開始

08時55分  13旅団 給水支援(ホテル 夕鶴)活動開始

09時35分  第7飛行隊 OH-6×1機が山田町において情報収集活動開始

13時30分  第9音楽隊 グリーンピア田老において慰問演奏を実施

17時00分  13旅団 サテライトかしまにおいて巡回診療開始

(4月6日)

04時30分  13旅団 新地町役場において給食支援活動

08時00分  14旅団 女川町清水、大原、浦宿及び出島において捜索活動開始

08時00分  14旅団 女川町において人員・物資輸送、捜索支援(瓦礫除去、道路啓開)活動開始

08時00分  14旅団 河北町長面浦、雄勝町及び女川町において捜索支援開始

08時30分  10師団 山元町への食品輸送

09時55分  北部方面航空隊 OH-1×1機が山田町において情報収集活動開始

10時20分  第6音楽隊 いわき市文化センターにおいて激励演奏を実施

10時50分  第1ヘリ団 CH-47×1機が山田町において空中消火活動開始

11時30分  第9飛行隊 OH-6×1機が山田町において情報収集活動開始

13時10分  東北方面航空隊 沿岸部航空偵察及び石巻グランドへの食品輸送

14時00分  10師団 山元町(坂元体育文化センター)への食品輸送

14時55分  第1ヘリ団 CH-47×1機が山田町において空中消火活動開始

15時50分  第9飛行隊 OH-6×1機が山田町において情報収集活動開始

(4月5日)

04時30分  13旅団 新地町役場において給食支援活動

06時20分  13旅団 新地町役場から新地小において食事運搬支援開始

07時30分  14旅団 追波川運動公園及び大須地区において給水支援開始

07時55分  14旅団 追分温泉において入浴支援開始

08時00分  12旅団 いわき市中央台北小学校において給水支援開始

08時05分  12旅団 いわき市江名中学校において給水支援開始

09時00分  13旅団 いわき市スーパーマルト、塩屋崎ホテル及び卸売市場において給水支援開始

09時00分  13旅団 尾浜地区において給水支援開始

10時00分  第10音楽隊 坂元中学校(山元町)において慰問演奏を実施

12時00分  13旅団 相馬市向陽中学校において入浴支援

14時00分  第10音楽隊 山下中学校(山元町)において慰問演奏を実施

(4月4日)

04時30分  13旅団 新地町役場において給食支援開始

06時00分  13旅団 相馬市において給食支援開始

06時30分  13旅団 熊野神社及び薬師堂において給水支援開始

07時55分  13旅団 いわき支援隊活動開始

07時57分  12旅団 中央台北中学校、江名中学校において給水支援開始

09時00分  13旅団 尾浜地区において給水支援活動開始

10時00分  第10音楽隊 山元町において慰問演奏を実施

12時00分  13旅団 相馬市向陽中学校における入浴支援開始

13時00分  第10音楽隊 山下第1小学校において慰問演奏を実施

(4月3日)

06時00分  13旅団 相馬市において給食支援開始

06時24分  5施設団 相馬市及び新地町において道路啓開開始

07時00分  13旅団 須賀川市において給食支援開始

07時52分  14旅団 北上町及び河北町へ救援物資輸送開始

08時00分  12旅団 いわき市中央北中学校において給水支援開始

08時00分  10師団 山下小学校において救護活動開始

08時00分  2施設団 門脇地区南浜町、県道41号において道路啓開開始

08時38分  13旅団 熊野神社及び薬師堂において給水支援開始

09時00時  13旅団 いわき市、尾浜地区において給水支援開始

09時00分  2施設団 三本塚地区、岡田地区、蒲生地区において道路啓開開始

09時38分  第10音楽隊 山元町において慰問演奏を実施

11時00分  13旅団 相馬市向陽中学校において巡回診療を開始

13時30分  第6音楽隊 中央台南小学校において慰問演奏を実施

15時30分  第6音楽隊 平工業高校において慰問演奏を実施

(4月2日)

06時41分  13旅団 相馬市において給食支援開始

07時00分  13旅団 いわき市において給水支援開始

09時00分  13旅団 熊野神社及び薬師堂において給水支援開始

09時50分  東北方面後方支援隊 宮城野区及び若林区において燃料巡回配布開始

16時43分  12旅団 布引において巡回診療を実施

16時45分  13旅団 新地町における物資輸送支援を実施

21時15分  東北方面音楽隊 福島大学(聴衆約100名)、会津高校(聴衆約50名)において慰問演奏を実施

(4月1日)

05時00分  13旅団 岩沼市市民会館における給食支援開始

06時00分  13旅団 相馬市役所における給食支援開始

06時30分  14旅団 女川町において物資輸送(食品・日用品)及び入浴支援を開始

08時00分以降 岩手県・宮城県・福島県の沿岸部集中捜索を米軍等と共同して開始

08時00分  13旅団 中央台南小学校において給食支援開始。中央台南中学校において給水支援開始

08時20分  10師団 救援物資(食品・日用品)を山元町へ輸送

08時25分  10師団 救援物資(食料)を横山地区へ輸送

09時00分  13旅団 尾花地区において給水支援開始

09時04分  10師団 救援物資(食料)を山元町浅生原公会堂へ輸送

09時05分  10師団 救援物資(食料)を山元町山寺生活センターへ輸送

09時06分  10師団 救援物資(食料)を山元町山下生活センターへ輸送

10時30分  10師団 救援物資(食料)を山元町真庭区民会館へ輸送

10時55分  10師団 救援物資(食料)を山元町坂元中学校へ輸送

11時49分  10音楽隊 岩沼市民会館において慰問演奏実施(11時49分~15時30分)

12時00分  2施設団 東松島市、女川町、多賀城市、仙台市岡田地区・蒲生地区にて道路啓開、瓦礫除去を実施

12時00分  13旅団 相馬市向陽中学校において入浴支援開始

14時30分  10師団 救援物資(日用品)を山元町山下中学校へ輸送

15時25分  東北方面後方支援隊 宮城野区及び若林区において燃料巡回配布終了

15時30分  13旅団 救援物資(食料)を相馬市卸売市場へ輸送

(31日)

06時00分  13旅団 相馬市役所における給食支援開始

06時15分  13旅団 新地小、尚英中において給食支援開始

08時00分  13旅団 中央台南小学校において給食準備開始、中央台南中学校において給水支援開始

08時50分  13旅団 熊野神社、薬師堂において給水支援開始

09時00分  13旅団 いわき市において給水支援開始

12時00分  13旅団 相馬市立向陽中学校において入浴支援開始

14時40分  第1ヘリ団 CH-47×1機が山田町において空中消火活動開始

15時45分  東北方面後方支援隊 宮城野区及び若林区において燃料巡回配布終了

(30日)

04時30分  13旅団 新地町において給食支援開始

06時00分  13旅団 相馬市役所において給食支援開始

06時40分  14旅団 追波河総合運動公園及び二股地区において給水支援開始

07時00分  13旅団 須賀川市役所において給食支援開始

07時00分  14旅団 雄勝町船越小学校において入浴支援開始

08時00分  9師団 陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町に物資輸送開始

08時00分  13旅団 新地町(運動公園)へ物資輸送(薬品)

08時44分  13旅団 新地町において給水支援開始

08時45分  14旅団 道路啓開開始

09時20分  13旅団 いわき市において給水支援開始

10時00分  東北方面後方支援隊 宮城野区及び若林区において燃料巡回配布支援開始

13時00分  13旅団 相馬市向陽中学校において入浴支援開始

14時00分  第10音楽隊 丸森町筆甫中学校において慰問演奏実施

17時00分  東北方面音楽隊 多賀城中学校において慰問演奏実施(聴衆者約300名)

19時00分  東北方面音楽隊 東豊中学校において慰問演奏実施(聴衆者約200名)

(29日)

04時30分  13旅団 新地町において給食支援開始

05時00分  10師団 岩沼市(市民会館)において給食支援開始

06時00分  13旅団 相馬市役所において給食支援開始

08時00分  13旅団 いわき市内において給水支援開始

08時55分  12旅団 須賀川市において給水支援開始

12時00分  13旅団 相馬市向陽高校において入浴支援開始

12時00分  13旅団 中央台南小学校において給食支援開始

16時30分  東北方面後方支援隊 宮城野区20カ所、若林区16ケ所において燃料巡回配布支援終了

18時30分  東北方面音楽隊 多賀城文化センターにおいて慰問演奏実施(18時30分~19時35分、聴衆者約500名)

(28日)

04時30分  13旅団 新地町において給食支援開始

06時00分  13旅団 相馬市役所及び須賀川市役所における給食支援開始

08時00分  13旅団 郷ヶ岡小学校及び中央台南中における給水支援開始

09時00分  13旅団 磯部小学校において給水支援開始

09時00分  13旅団 矢吹町松倉公民館において給水支援開始

09時08分  13旅団 新地町において給水支援開始

09時13分  14旅団 雄勝町大須小学校で入浴支援開始

09時50分  東北方面後方支援隊 宮城野区、若林区において燃料巡

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海上自衛隊 呉基地 海軍の街呉 その名所を満喫してきました

2011-05-08 23:17:41 | 海上自衛隊 催事

■とりあえずご報告まで

 本日、呉を散策してきました。写真などはまだ整理していませんのでまた明日。

Img_9004  呉ですが、今年は岩国が公開されない分なのでしょうか、なかなかの活況でしたし、何よりも本日は晴れてよかったです。歩いて回るには、まあ少々日差しも強かったのですが、風もなくおだやかな一日、舞鶴と比べればあまり知らない呉をいろいろと見ることができました。

Img_9270  見識も広めることができましたし、それから広島を含め美味しいものにも出会いましたし、ね。そんなこんなで、一日で回れるところは最大限回りまして、広島から新大阪まで、ひかりレールスターにて先ほど帰ってきました。呉でお世話になりました皆様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文の及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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呉基地夜の情景 ゴールデンウィーク終盤に足を運んだ海上自衛隊の一大拠点

2011-05-07 23:39:30 | 海上自衛隊 催事

■呉基地の夜景

 ゴールデンウィーク終盤ですが、今回は山陽本線でゆったりと呉基地へ足を運んでみました。本日撮影しました呉基地の情景です。

Img_8241  練習艦隊、呉基地停泊の情景。こうして並んでいる様子はなかなか壮観。練習艦隊は護衛艦の不足を背景に一部練習艦が護衛艦に区分変更となっていて、その様子も様変わりしたとのことだけれども、旗艦は練習艦かしま。上部構造物を見ますと式典の準備が整っているのが見て取れますね。

Img_8192  ヘリコプター搭載護衛艦いせ、沖に係留されています。海上自衛隊最大の護衛艦ということで、大和ミュージアムからかなり距離はあるのですが特徴ある艦橋や艦影が同艦が、ひゅうが型護衛艦であることを教えてくれます。ちょっとわかりにくいことは確かだけれどもね。

Img_8248_2 輸送艦くにさき、満載排水量14000トンの輸送艦、先日横須賀に足を運んだ際、吉倉桟橋に停泊していたのですが本日足を運んだ際には母港である呉基地へ戻っていました。今回の大震災においては、間に合った装備、といえるのだけれども、やはり大型輸送艦は二個か三個輸送隊必要でした。

Img_8263  潜水艦バースの情景。潜水艦の特徴あるシルエットはこうした夜の撮影でも浮き上がってくるのですね。後ろには潜水艦救難艦ちはや、潜水艦の能力を最大限発揮させるための安全弁、不可欠な艦です。このあたりでだんだん雨が降ってきました。

Img_8312  潜水艦、手前に停泊しているのは舵の形状から最新鋭のAIP潜水艦そうりゅう型であることがわかります。潜水艦は4隻ほど停泊していました。このあたりで雨がレンズを曇らせ始めましたので、撮影を終了して呉駅の方へ向かいました。明日は明るい時間に散策してみたいですね。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文の及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

 

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菅首相 静岡県浜岡原発の全原子炉運転停止を要請 東海地震対策

2011-05-06 23:50:25 | 国際・政治

◆火力発電所・水力発電所増設か移転か?

 本日夜のニュースで唐突に浜岡原子力発電所の全原子炉運行停止を首相が要請する会見の様子が報じられました。浜岡原発を止めろと聞いて東海地震警戒情報が出たか!、と驚きましたが、そうではなかったようで。

 根拠は30年以内に80%の確率で起きるという東海地震の震源に近い事を挙げましたが、それならば冷温停止状態の原子炉維持費は政府が負担するのか電力会社経由で利用者に負担するのか、東海地震が発生したのちに稼働開始を行うのかそれとも原子炉を将来的に撤去するのか、撤去するならば費用は何処が出すのか、電力不足となる場合には電気周波数が同じ中部電力管内か関西電力管内、北陸電力管内に原発を増勢する可能性はあるのか、静岡県の震源域から離れた地域に移転するのか、いちばん重要な部分には触れられませんでした。

 首相会見では中長期的な対策が為されるまで、という発言が口から出ているのですが、中長期的な対策、というのは耐震補強を行う、という意味で例えば一年程度で運転再開を行う事が出来るという意味なのか、それとも東海地震がやってくるまで待つのか、これを行うと東海地震が発生して安心して稼働開始した後で別の地震が発生して津波が来たらどうするのか、と思ったりもするのですが。しかし首相が充分な理解を得られるように説得、と言っているのですけれどもこれは政府が民間会社の社長を呼びつけて怒鳴り恫喝する、という意味にしか聞こえないのですよね。

 電力が無ければその地域の工業生産は“計画的縮小”、そして他の地域への“計画的避難”を強いられることになります。浜岡原発は四基の原子炉があり、一号炉と二号炉は耐震強度補強との費用対効果から廃炉という決定が為され、現在は三号炉、四号炉、五号炉が維持されており、三号炉は定期点検中、四号炉と五号炉が稼働中であるほか、廃炉となった原子炉の後継となる六号炉の建設が決定しています。三基の原子炉による発電能力は370万kwで、五号炉に関しては2005年より運行が開始された国内最高出力の原子炉です。

 五号炉の稼働開始と六号炉の建設は、現在点検中の三号炉直下に活断層の疑いがある地層が発見され、廃炉が決定した原子炉は70年代後半に稼働開始となった原子炉ですので、実のところ地層検査を強化して実施した原発でもあり、最大10000Galの揺れを想定、新潟中越地震の993Galにも対応するとされています。東海地震の直撃を受けるという大規模地震対策特別措置法と同時期に建設された原子力発電所でもあるので、地震対策は比較的進んでいる発電所でもあるようなのですが、運転停止要請が出されてしまいました。

 そもそも聞いてみますと浜岡原発は東海地震を想定した事で他の原発と比べた場合かなり入念にボーリング調査が行われた事で活断層の存在が分かった、という実態があるようでして、浜岡原発には活断層がある、ということは事実なのですけれども、同時に他の全国の原発は、あるのかないのかもわからない、というのが実情とのこと。敷地内は調査していたとしても、付近はボーリング調査を行うにも今ある建物を全て排除して行う訳にもいかず部分的な調査しかできませんし、精度の高いという爆薬による人工地震調査も人口密集地域では不可能です。

 また、廃止するならば他の電力確保と合わせて行われるべきです。実のところ例えば新名古屋火力発電所、ここはかつて東洋一の発電所といわれた規模だそうですがこの程度の火力発電所を複数建設して、浜岡原発の後継とする、というならばこれは納得できるのですが、民主党政権は水力発電に必要なダム建設を着工しているものを含め停止させ、加えて火力発電についてはCO2の25%削減を提示して必然的に原子力発電に頼らなければならない政策を強行しています。本来は、例えば今回の浜岡原発の停止要請と同時に全国にこれを補う水力発電所と火力発電所を増強するという発表はあってしかるべきでしょう。

 原子力発電に頼らざるを得ない政策を行った現政権の原発停止命令、無計画に停止すればいい、というのはあまりに無責任ではないでしょうか。元々東海地震は、昭和東南海地震の発生兆候が観測されていたため、大きなプレート型地震である東海地震についても観測できるだろうとして監視が開始された巨大地震です。しかし、東南海地震や南海地震に対する予知が行われていないのと同様に、東海地震のほかにも危険な地域がある訳です、事実東北地方太平洋沖地震が発生しました。

 脱原子力を国策として行うのならば結構、火力発電所はコンビナートに隣接している必要があり、ここが地震に揺られれば構造上長周期振動はタンクを破壊し、津波が油を後半にまき散らしてその地域は火の海です、ただちに危険な状況は生じます。水力発電所も結構ですがダムを更に増強する必要がありますし、ダムそのものも地震により破壊される可能性が考慮されるべきでしょう、巨大ダムの破壊は想定以上の被害をもたらし、こちらも直ちに危険です。地熱発電ですが、これがよく掲げられるのですけれども果たして言われているほどの電力を創出できるかが未知数、という難点があります、口で言うほど簡単ではない訳でして、それならば国策で地熱発電に関する研究予算をつけてはどうか、とも。全国一斉ボーリング調査を行えば毎年かなりの予算は必要になりますが、可能か不可能か未知数である物に頼るのは多分に投機的です。

 とにかく、話が急すぎます。夏の電力不足には対応できるとか海江田経済産業大臣が行っていましたから、少なくとも夏までに停止させるつもりなのでしょう。浜岡原発停止の要請、と聞いて東海地震警戒情報が出たのかと焦ってしまいましたのは冒頭に記載しました通り。行きなり停止させろ、というのでは、たとえば、それならば代替火力発電所を建設した上で順次停止します、という選択肢もありますし、ね。ああ、これで静岡県や愛知県の工業生産が停滞するようになるのでしょうか、それともまた福井県あたりに原発を増やす政策でも採るのでしょうか、電力確保は国の責務の一つだと思うのですがね。

北大路機関

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