北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】真如堂,最澄に師事の円仁"うなずきの弥陀"は御十夜法要経て一日の御開帳

2021-11-17 20:00:19 | 写真
■秋の京彩る紅葉景色とともに
 本日は秋を彩る美しい紅葉の季節ゆえの真如堂ともう一つを巡る二部構成としましょう。

 三重塔が紅葉に浮かぶ、ここまで美しかったかと息を呑む瞬間です。ここは真正極楽寺、真如堂として親しまれる京都市左京区浄土寺真如町の御寺だ。少し小高い金戒光明寺に隣接した寺域には洛陽三十三所観音霊場第5番札所の新長谷寺が鎮座し、静けさに浮かぶ。

 真如堂。十一月となりますと紅葉の季節、ということも確かなのですが、洛中が高雄や鞍馬のあたりから徐々に冬支度の椛や楓と銀杏に桜の木々が紅く色づくそのころというのが、ここ真如堂ではちょうど一年に一度だけ、御本尊、その御開帳を迎える日でもあります。

 うなずきの弥陀。真如堂の御本尊は最澄の弟子、円仁が開山となりました際の伝承が説話的で興味深い。円仁も師事した最澄、その道程を辿り仁明天皇の命を受け承和年間の西暦838年、遣唐使に留学生として参加します、なおここでいう留学生は"るがくせい"と読む。

 円仁は中国の五台山にある寺院に臨み、ここで文殊菩薩の光臨をみたといい、浄土念仏の教えを授けられたという。真如堂の御本尊は、この際に円仁が自ら彫像しました阿弥陀仏像とされています。日本仏教は超人的な空海と努力の巨人最澄が一時代を築いたものです。

 最澄に師事した円仁が開いたお堂は、天台宗の寺院となりましたが天台宗は国家鎮護と仏教の二つの願いとともに広がる宗派であり大衆に分け入る宗派とは距離を置き、これは天台宗総本山、比叡山延暦寺が示すように荘厳重厚な本堂に象徴されている国のお寺でした。

 文殊菩薩の光臨、この際に円仁が彫像しましたいまの御本尊は、仏師ではない僧侶が自ら彫像したものでありますが、仏像は真如堂開山前の承和年間は西暦847年に日本へ帰国しますと、比叡山延暦寺の常行三昧堂、その御本尊として安置されいる仏像の胎内にある。

 天台宗は、国家鎮護という国の願いと、しかし仏教の本旨である万民の救済の中間にあります寺院です。故に国家鎮護よりも万民安寧あってこその国家だとの認識から多くの宗派が別れ、恰も東京大学が官僚養成校でありながら人材を人財として社会に供給するよう。

 円仁も、やはりこの視点に考えさせられたようで、持仏を胎内に納める阿弥陀仏像を帰国後に彫像する際、衆生を救うために比叡山を降りて衆生の中で教えを広めたい、こう閃いたその瞬間に目の前に、阿弥陀仏像がこう、頷いた、そのように見えたというのですね。

 うなずきの弥陀。御本尊はこうして一時は延暦寺の常行三昧堂に御本尊として安置されましたが、円仁は延暦寺の僧侶として、しかし参拝者を通じて、世界観を説いてゆくこととなります。そして円仁は生涯比叡山に在りましたが、百年ほど時代が過ぎることとなる。

 戒算。真如堂の開山は比叡山の僧侶戒算でした、既に百余年にわたりうなづき弥陀として崇敬された仏像を洛中へ、戒算は夢のお告げを受けたといいまして、これを受け御本尊は遂に比叡山を下りまして、一条天皇の母堂東三条離宮に納められることとなりました。

 女人救済、永観2年こと西暦984年、うなづきの弥陀はこうして新しく造営されました真如堂へ納められることとなります。ただ、応仁の乱では金戒光明寺へ疎開し、本堂再建まで更に大津は穴太に疎開、今出川に再建されたお堂も豊臣秀吉京都大改造で移転します。

 宝永年間の西暦1705年、幾多の火災と移転を経て当地に真如堂が再建されるうこととなりまして、そして十一月は御十夜法要の最後の日、11月15日に一年に一度の御開帳を迎えます。当方拝観の日は御十夜法要の最中、初冬の寒さの中に一種静謐な空気が、ありました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【防衛情報】フレキンゲ級潜水艦国産回帰と二国共同購入212CD型潜水艦,コロナと元級輸出

2021-11-16 20:08:47 | インポート
■週報:世界の防衛,最新9論点
 今週は潜水艦の話題を中心に。最新型の212CD型潜水艦は価格高騰が行き過ぎて二か国での共同購入に近い方式となった模様です。

 ノルウェー海軍およびドイツ海軍は7月7日、212CD型潜水艦6隻の建造についてノルウェーのコングスベルク社とドイツのティッセンクルップ社との間で契約を成立させました。212CD型潜水艦6隻はドイツ海軍が2隻、ノルウェー海軍が4隻を導入する内訳です。212型潜水艦は燃料電池を搭載のAIP潜水艦としてドイツが開発、輸出も行われています。

 212CD型潜水艦は212A型潜水艦の改良型としてノルウェー政府が2017年に導入を発表していますが、イタリア海軍等で既に運用されていた212A型潜水艦のノルウェー海軍仕様開発はその費用として2019年にティッセンクルップ社が2億5000万ユーロを投じており、この負担をノルウェー一国が行う事への妥当性疑義から発注が実に4年間遅れていました。

 212CD型潜水艦6隻の建造費は55億ユーロとされ、ティッセンクルップ社の開発費を6隻の潜水艦に含め、その潜水艦をドイツとノルウェーが共同購入する事で事実上開発費を折半した構図です。建造は2023年に開始される計画で、ノルウェー海軍へ一番艦の引き渡しは2029年、ドイツ海軍への一番艦の引き渡しは2032年に実施される計画とのこと。
■ブレキンゲ級潜水艦再発動
 企業買収で経営統合されたもののいった先で貴社の技術を使うつもりはないので冷や飯をと云われれば、反発もあるのは当然だ。

 スウェーデン国防省はブレキンゲ級潜水艦の増強を発表しました。これは八月におけるスウェーデンでの潜水艦関連の最大のニュースといえるでしょう。ブレキンゲ級潜水艦はA26型潜水艦とも呼ばれる潜水艦で、ゴトランド級潜水艦の後継として設計されたものですが、一旦は2014年に冷戦後に高度な潜水艦は不要として計画が中止されていました。

 フレキンゲ級潜水艦が中止された背景には、潜水艦建造が低調となりメーカーであるコックムス社がドイツのティッセンクルップ社の傘下に入った事での計画費用高騰もありましたが、ゴトランド級潜水艦のAIP方式はスターリング機関方式である為にティッセンクルップ社の燃料電池方式と相いれず、この結果、一部技術者がサーブ社に引抜かれています。

 サーブ社はこの結果、コックムス社を買収する事となり、これをもとにフレキンゲ級潜水艦計画が再稼働し、2隻を52億スウェーデンクローネで建造、2027年から2028年に掛け竣工させる計画です。今回の増強は、建造する2隻の価格が計画超過と成らなかったことを受けての増強、本型潜水艦は排水量1900t、乗員数は17名から31名となっています。
■ポーランド次世代艦
 ポーランドの水上戦闘艦も冷戦時代のアメリカ中古艦から世代交代を迎えつつあるもよう。

 ポーランド海軍は将来フリゲイト3隻の導入についてスペインのナバンティア社とドイツのティッセンクルップ社との選定を開始しました。これはナバンティア社が8月6日に発表したもので、ナバンティア社はスペイン海軍イージス艦F-100型フリゲイトの設計原型の将来水上戦闘艦をポーランド海軍に提案、同型はオーストラリア海軍も採用しました。

 イージス艦F-100型フリゲイトポーランド型の提案に対してティッセンクルップ社はA-300PL型を提案しており、これはドイツの輸出型フリゲイトとして各国が採用しているMEKOシリーズの最新型となります。MEKOシリーズの輸出は多岐に及びますが、現在運用されている国だけでも12か国あり、一例としてオーストラリア海軍も運用しています。

 将来フリゲイト3隻の導入について、ポーランド政府は2035年までに竣工を計画し、予算として1150億ユーロを計上、選定した企業の技術協力を受け、ポーランド国内のグダニスクなどでの建造を計画しています。ポーランド海軍はMEKOシリーズについては既に2019年に満載排水量2150tのシュラザックを導入していますが、将来艦はより大型のものです。
■沿海域戦闘艦ナンタケット
 フリーダム級沿海域戦闘艦の新しい一世kが誕生したとの事ですが日本の護衛艦のような在来型艦艇が求められているのが昨今の情勢です。

 アメリカ海軍のフリーダム級沿海域戦闘艦ナンタケットが8月7日に進水式を迎えました。ナンタケットはフリーダム級の14番艦で、建造はロッキードマーティン社が担当、メノーミニー河畔に在るフィンカンティエリマリネット海洋造船所にて進水式を迎えている。沿海域戦闘艦は近年、中国を意識し当初の軽武装を一転し重武装運用が恒常化している。

 フリーダム級沿海域戦闘艦を含む沿海域戦闘艦は、2000年代のテロとの戦いを念頭に海洋法執行の支援と沿岸海域における特殊作戦支援を重視し高速航行と無人機運用、そして艦隊のセンサーノードとしての役割を重視した設計ですが、ロシア脅威の再興と中国海軍海洋進出により、その運用思想が現実の脅威に適合できなくなっているとの指摘もあります。

 ナンタケットは満載排水量3292tで全長115m、ガスタービンとディーゼルエンジン4基の11万5400馬力により最高速力45ノットを発揮し、57mm艦砲とRAM簡易防空ミサイルを搭載するが、更にNSN対艦ミサイルを搭載、また艦砲に代えてAGM-114L簡易対艦ミサイル24発と30mm機関砲の搭載や、150kw級レーザー砲の搭載なども計画されている。
■米AARGM-ERミサイル
 自衛隊も将来的に電子攻撃能力を構想するならば妨害電波だけではなく対レーダーミサイルも必須と成ろう。

 アメリカ海軍は7月19日、F/A-18E戦闘攻撃機からのAGM-88G-AARGM-ER高度対レーダーミサイルの発射試験を成功させました。試験はカリフォルニア西部もポイントマグー訓練海域において実施、原型のAGM-88-HARMは1986年に開発された、スーパーシュライク対レーダーミサイルの後継です。F/A-18E,EA-18G,F-35C,F-35B等に搭載されます。

 AGM-88G-AARGM-ER高度対レーダーミサイルについて、開発を担当するノースロプグラマン社では、現行最新のAGM-88Fが射程148kmであるのに対して、射程を大幅に延伸すると共に電子妨害対処能力を大きく向上させたものとされています。対レーダーミサイルは防空システムなどのレーダー電波発信源を狙い防空網の無力化に用いられる装備です。
■タイ,潜水艦支払遅延要請
 日本の様な国産技術があれば調達時期も調整できたのか。友好国向け費用と考えられますが潜水艦はるしお型より三割小型の潜水艦で1隻当たり3億4500万ドルですか。

 タイ海軍は国防費三割減を受け中国潜水艦取得費用の分割支払いを提案しています。タイのクーデター軍事政権は昨年、中国より元級潜水艦2隻の導入を決定していますが、2020年はタイ国内におけるCOVID-19ロックダウンにより経済打撃が深刻であり、中国からの潜水艦取得には反対デモが開かれるなど、国内にて、非常に大きな反発を招いていました。

 元級潜水艦2隻の取得費用は6億8470万ドルとされますが、COVID-19による景気後退を受けタイ海軍国防費は当初の6億3100万ドルから5億0185万ドルへ大幅に減額されています、この為、タイ政府は潜水艦建造費の一括支払いを断念し、中国政府との間で7年間の分割支払いに転換する方針で交渉中、タイ議会下院においてその是非が上程されました。

 元級潜水艦は2006年から中国が建造している新鋭潜水艦で、宋級潜水艦の設計を元にロシアから導入したキロ級潜水艦の技術を盛り込んだもの、水中排水量は2400tで、スターリング機関を搭載している。中国海軍では原子力推進技術に並行して静粛性の高い通常動力潜水艦の航続距離延伸にAIP推進方式を研究、元級が中国初の実用化となっています。
■いずも一割上回る韓国型空母
 いずも、より少し大きい。韓国は海上自衛隊の護衛艦はるな型に対抗してヘリコプター2機を搭載可能なイスンシン級をDDHと区分するなど、日本への対抗意識が面白いですよね。

 韓国海軍が進める韓国型空母について現代重工がイギリスのハブコックインターナショナル社と覚書を交わしたとのこと。これは9月4日にCNNなどで報じられたものです。韓国海軍は周辺情勢の緊迫化を受け、現在建造している独島級強襲揚陸艦を中心とした水上戦闘艦部隊では将来想定される脅威へ対応できないとし、新型艦建造を模索していました。

 韓国型空母はF-35B戦闘機を運用する航空母艦とし、韓国政府はF-35B戦闘機取得へアメリカと交渉を進めています。これを搭載する韓国型空母は、現代重工が公開したイメージ図では艦橋が前後に配置された、クイーンエリザベス級空母を小型化した艦容となっていて、ヘリコプター発着スポットだけでも甲板上に5カ所が描かれる大型艦が描かれている。

 クイーンエリザベス級空母を小型化した艦容、満載排水量3万t規模で全長260mを構想しているという。この具体的数値を発表した現代重工ですが、同時にこれは建造が決定したものではなく、大宇海洋造船も独自の空母を韓国政府に提案しています。韓国の国防費はGDP比で4%に迫り、このまま成長すれば日本の防衛費を上回ると考えられています。
■シンガポールの米沿海域戦闘艦
 はつゆき型護衛艦の方が適したような厳しい状況、しかし沿海域戦闘艦の船体を構成する軽金属合金は海水腐食が問題視されていますが暖かいというよりも厚い海に配備して大丈夫なのでしょうか。

 アメリカのハリス副大統領はシンガポールを訪問し8月23日、同国に前方展開している沿海域戦闘艦タルサを視察しました。沿海域戦闘艦タルサは特徴的な三胴船体を採用する水上戦闘艦ですが、同時にその軽武装が現実の脅威に対応できていないと批判され、今回改めて沿海域戦闘艦という区分についてアメリカ海軍や外交関係での議論を呼んでいます。

 ハリス副大統領は24日にシンガポールで声明を発表し、改めて中国による南シナ海全域の管轄権主張と人工島建設による権利主張を違法である、と発言しました。また、現在シンガポールへ2隻が前方展開している沿海域戦闘艦を2021年末までに4隻に増強するとともに2022年末までに西太平洋地域での沿海域戦闘艦展開態勢を8隻とする構想を示しました。

 沿海域戦闘艦は、しかし速度は優れているものの極めて軽武装、アメリカ海軍ではビルマーツ前第七艦隊司令官が海軍協会ニュースにて沿海域戦闘艦により南シナ海南半分から中国海軍の行動を吹き飛ばしたと発言した一方、現職の第七艦隊報道官は、何も吹飛ばしていないと反論するなど、沿海域戦闘艦の有用性についての温度差が明らかとなっています。
■アルジェリア,中製056型導入
 ミサイル艇以上フリゲイト未満の警戒監視用小型艦としては案外よくできた艦だと思います。

 アルジェリア海軍は中国より056型コルベットの取得を決定した、056型コルベットは別名を江島型といい、満載排水量1500tの小艦ながら100mm艦砲とYJ-83対艦ミサイル及びHHQ-10近接防空ミサイルに短魚雷発射管、そして飛行甲板を有している沿岸防備用としては理想的な小型水上戦闘艦で、中国海軍では既に本型を60隻近くも建造している。

 アルジェリア海軍は2016年までに056型コルベット3隻を取得しており、今回新たにC28A型という改良型を輸出するとのこと。056型は短期間で建造できるとされ、また、中国の建造を担当するチャイナステートシップビルディング社は、要望が在ればさらに強力な兵装を搭載可能としている。飛行甲板を有しており、此処に兵装を追加する事も可能であろう。

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【防衛情報】インドネシア軍,カルロベルガミーニ級フリゲイト6隻導入と米欧空中給油機選定

2021-11-15 20:05:44 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 インドネシアの国防計画は二転三転する事で有名です。しかしここ最近インドネシアの国防計画は不思議な方向に向いているよう思えます。

 インドネシア海軍はイタリアのフィンカンティエリ社よりカルロベルガミーニ級フリゲイト6隻を導入します。これは6月10日にインドネシア国防省が発表したもので、カルロベルガミーニ級の導入はインドネシア海軍にとり、冷戦時代の1963年にソ連より取得したスヴェルドロフ級巡洋艦オルジョニキーゼに次ぐ規模の大型水上戦闘艦取得となります。

 スヴェルドロフ級巡洋艦オルジョニキーゼは満載排水量16340t、インドネシアではイリアンとして152mm三連装砲4基の威容は海軍の象徴的存在となりましたが1963年の導入以降手に余るものとなり1972年に除籍されました。しかし今回のカルロベルガミーニ級は建造にインドネシアのPT-PAL造船所が参画する為、実運用は充分に可能といえましょう。

 カルロベルガミーニ級フリゲイトは多用途フリゲイトFREMM計画としてフランスとイタリアが共同開発したもので、特徴的な塔型マストと徹底したステルス設計を採用、満載排水量は5950tあり、イタリア海軍では防空型と対潜型が計8隻採用、またエジプト海軍が2020年より2隻を導入、アメリカ海軍もコンステレーション級として20隻を導入します。
■マエストラーレ級フリゲイト
 カルロベルガミーニ級という名前だけで驚きですが更にもう一つ。

 インドネシア海軍はイタリアより退役したマエストラーレ級フリゲイト2隻を導入します。これは先に決定したカルロベルガミーニ級フリゲイト6隻と併せ、新造艦の就役までに先行して取得するもので、中古艦の譲渡に留まらず、イタリア国内でフィンカンティエリ社による延命改修と近代化改修を実施した上でインドネシア海軍へ引き渡されるという。

 マエストラーレ級は1982年から1985年にかけ8隻が建造されたイタリア海軍の主力艦で満載排水量は3200t、127mm艦砲やテセオ2対艦ミサイルと533mm長魚雷という強力な武装に加えAB-212哨戒ヘリコプター2機を搭載する強力な武装を誇り、速力は32ノット、マエストラーレ、グレカーレ、リベッチオ、シロッコ、季節風名を冠し4隻が現役です。

 マエストラーレ級は日本の護衛艦はつゆき型と同世代の水上戦闘艦で船体は二回りほど小型です。イタリア海軍では艦齢が35年を超えており、後継にカルロベルガミーニ級フリゲイトが充てられており、8隻のうち2021年までに4隻が退役しています。なお過去にはフィリピン海軍が中古艦の導入を希望していますが、この際には輸出は実現しませんでした。
■ラファール戦闘機36機導入か
 インドネシアは戦闘機も選定中なのですが。

 インドネシア政府は6月7日、フランス製ラファール戦闘機36機の導入について覚書を交わした、インドネシアのエアロスペースレビュー誌が報じている。インドネシアでは次期戦闘機としてアメリカ製F-35ライトニング、F-15ストライクイーグル、フランス製ラファール、ロシア製Su-35戦闘機が検討され、その決定は二転三転し公式発表さえ錯綜する。

 ラファール戦闘機36機の導入覚書は、2021年12月にも正式契約が行われるとされています。もっとも、インドネシアでは6月10日にイタリアよりカルロベルガミーニ級フリゲイト導入が報じられており、エアロスペースレビュー誌の情報源は関係者からのものとしているが、交渉の一環として情報をリークする報道のアドバルーンではないかとも考え得る。

 ラファール戦闘機は先んじて覚書が交わされるも、その後インドネシアはF-15ストライクイーグルの導入を発表し覚書を交わす直前にステルス機であるF-35を、アメリカはインドネシアへ供与の可能性を示していないにも関わらず導入希望した事例がある為だ。ラファール導入はフリゲイト導入にフランスのアキテーヌ級を安価に取得する交渉なのだろうか。
■空中給油機2機7億ドルで調達
 ボーイングKC-46AとエアバスA330MRTTが候補だという。

 インドネシア国防省は空中給油機2機を7億ドルで調達する。インドネシア国防省は6月に入りインドネシア財務省より空中給油用航空機導入に関する認可を受けたと発表した。インドネシア空軍では2018年より空軍への空中給油機導入の研究を実施しており、その候補航空機としては、ボーイングKC-46AとエアバスA330MRTTを比較検討していた。

 空中給油機の導入により、インドネシア空軍が現在運用するアメリカ製F-16C/D戦闘機とロシア製Su-27/Su-30やSu-35戦闘機の作戦行動半径が大幅に増大するとしている。一方、この二機種は給油機が燃料を流し込むフライングブーム方式と戦闘機側が吸うプローブアンドドローグ方式とに分かれており、空中給油機にも二種の給油方式両立が求められよう。

 インドネシアの国防計画は正式契約後も二転三転する事で有名だ、そして空軍は同時に次期戦闘機としてフランスのラファールとアメリカのF-15Eをほぼ同時に内定させ、恐らくどちらかをキャンセルするものと考えられている。A330MRTTとラファールKC-46AとF-15E、抱合せで有利な条件を引き出そうとしているようにさえ思えるのは、考え過ぎか。
■空中給油機整備支援企業決定
 ボーイングKC-46AとエアバスA330MRTTのどちらかを導入する本気度の表れか、それとも。

 インドネシア空軍が導入に向け機種検討を進める空中給油機について整備にガルーダインドネシア航空の担当が決定した。インドネシア軍ではボーイングKC-46AとエアバスA330MRTTを候補機として検討しているが、共に旅客機を原型とした大型航空機であり、空軍の整備補給能力の手に余るものである事は否めず、国営航空会社が支援に当るようだ。

 ガルーダインドネシア航空はインドネシア国営で、具体的にはその子会社であるPTガルーダメンテナンスファシリティエアロアジアが整備に当る。同社は親会社ガルーダ航空のボーイング737の整備を担当しているが近年に入りエアバスA320の整備も担当する。なお空中給油機候補機の原型機はボーイング767とエアバスA330であり共により大型である。

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【G3X撮影速報】舞鶴鎮守府120周年と第2師団海上機動,新日本海フェリー(2021-10-30)

2021-11-14 20:11:08 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■北へ帰る第2師団
 おお第2師団、と数多釣り人の中で一人驚いた舞鶴港フェリーターミナルのある前島埠頭、ほかにも多数の自衛隊車輛に驚いた人がいるのかお巡りさんが呼ばれていたよう。

 警察出動で佐官さんたちも集まっていますが、通報があったのでしょうか、埠頭に大量の軍用車両が並んでいる、というようなかたちで。伊丹駐屯地ではなく、舞鶴署は札幌駐屯地の北部方面総監部に電話すべきなのですけれども、今度は現場と署のほうでやり取り。

 旭川駐屯地の第2師団、と現場は署の方に報告しているのですが、舞鶴署は岡山の朝日川と聞き違えたのでしょうか、どうも噛み合わない。部隊の方は、命令にもとづき指定された通路を通行している、の一点張り、みてみると装甲車は96式装輪装甲車くらいでした。

 自衛隊も警察も大変だなあと、痛感するのですが、96式装輪装甲車までは車幅が2.5mの道路運送車両法制限内ですので一般車両と法律上の扱いは同じです、96式装輪装甲車が仮に50両てい団を組んで走行していても、現行の道路交通法では何ら問題はないのですね。

 16式機動戦闘車ですと車幅の問題が出ますし、90式戦車になりますと重量が特殊大型車両となりますので、道路管理事業者か所轄警察署のひとつに経路と走行時間帯の届け出が必要です。お役所的ですが、これさえできれば新幹線の車両陸送さえ可能という制度です。

 7両の5列ですので、ざっと35両というところでしょうか、春日井駐屯地祭の観閲行進ほどではありませんが、鯖江駐屯地祭では見られない規模でして、いやあ、夜景撮影とはいえ、出かけてみますとこういう凄いものと出会えるとは、これは幸運、久々にみたのだ。

 パトカーだけでなくワゴン車まで、とは警邏の際にちょっと見つけたと考えるには準備万端ですが、第2師団、車両のバンパーに部隊名も記されているのですから、第2師団といえば道北、というのは、これは自衛隊に関心がなければわからないものなのでしょうか。

 新日本海フェリーは舞鶴と小樽を結ぶフェリーです。敦賀と小樽を結ぶ航路と、ほかには新潟や秋田を経由して小樽に向かう航路もあるのですが、一番重要なのは京阪神地区と北海道小樽を結ぶ航路で、機械部品から乳製品に農産物魚介類まで、日本海物流中枢の一つ。

 日本海は日本列島の弧状列島、その内側を航行する航路でして、北海道まで海路では短時間で結ぶことができるという。地形から最短距離を航行できるぶん、新日本海フェリーが採用しているフェリーも日本でも最速のものが多いため、一晩で北海道まで到達します。

 太平洋フェリーですとこうは参りません、名古屋から苫小牧まで仙台を経由するのですが、仙台まで一晩、仙台から苫小牧までもう一晩、しかも入港が夕方になりますので現地に前日に入り一泊する必要があるのですね。昔、ちょっと考えたが乗るには時間が掛かりすぎ。

 フェリーの船旅は優雅で好きなのですが、阪九フェリーのような夕方に出航して翌朝早朝に到着する運行ダイヤは例外的、太平洋フェリーですと北海道で一日過ごして戻るだけでも五泊六日、いや一泊六日の強行軍となる、その点新日本海フェリーは小樽まで早いのだ。

 第2師団の車両は、一カ所ではなくもう一カ所にも並んでいまして、こちらは7両8列の60両程度が並んでいます。96式装輪装甲車もいまして、久しぶりだな、第26普通科連隊の第4中隊かとおもって見てみますと、さて第2後方支援連隊の整備大隊所属車両でした。

 はまなす。新日本海フェリーの舞鶴小樽航路に就航しているフェリーは高速が自慢で、最大速力32ノット、航海速力も30.5ノットとなっています。ハイブリッド型CRPポッド推進方式で操舵性能は高い点も特色で、総トン数は16810tでして全長は208mあります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】伊豆急2100系リゾート21と踊り子号JR東日本251系電車並んだ熱海駅

2021-11-14 18:14:47 | コラム
■踊り子号JR東日本251系
 伊豆半島は少し遠出した先ですが、この風景に溶け込んだ踊り子号のJR東日本251系が2020年に引退したというのは驚きでした。

 熱海駅と云うのは東海道本線ではJR東海とJR東日本の境界線となっています駅で、東海道新幹線の駅であるとともにJR東日本の伊東線始発駅、ここには伊豆急行2100系も乗り入れています。赤い伊豆急行2100系が入線していますと、何か新鮮さを感じるものだ。

 踊り子号、2020年3月まではスーパービュー踊り子号が運行されていましたが、こちらも過去のものとなりました。全面展望車というものはバリアフリーに反しているという反対論があるようでして、申し訳ないが、この論点は日本を息苦しくしているよう感じます。

 熱海駅。コロナ前の時代、青春18きっぷで自由気ままに東海道本線を巡るのは、日々買い溜積もる読書の重要な機会でした、新幹線ですとテーブルがあるのでどうしてもパソコンや電子機器で文字を書いてしまう、読書しかできない環境というのは、とても大事です。

 スーパービュー踊り子号、伊豆下田と東京を結ぶ特急で、この特急路線そのものは後継のサフィール踊り子号に継承されています。観光特急という名の通り、機能美と豪華さを兼ね備えた新型車両で全席グリーン車、いちどこれで伊豆の温泉にいってみたいとおもう。

 251系電車はJR東日本が1990年に運用を開始した特急電車で、実に30年間、文字通り観光特急の看板を背負い続けました。時折見かける印象でしたが、製造数は4編成のみ、この少数精鋭で観光特急の看板を背負っていたのですから、考えようによっては凄い。

 伊豆下田の観光地へ向かう特急ということもありまして、10両編成が基本なのですが、3両がダブルデッカー車両となっています、そして残る7両はハイデッカー構造、展望を第一、として設計されている。そのぶん段差があるのは確かなのですけれども、仕方は無い。

 踊り子号といえば国鉄185系電車、こちらは古くなった国鉄485系電車を置き換える特急として導入されていますが、こちらはビジネス特急という色彩が強いものですので、車内には絨毯さえ張られていません、旅というよりは移動、という色彩を感じるのですよね。

 伊豆急行2100系、リゾート21として親しまれる車両は展望車が採用されていますが普通列車としても運行されています、これは乗り得、というものです。車内が高価な特急料金不要の列車は私鉄に若干ありますが、名鉄7000系除籍後、展望車はこれくらいでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】舞鶴鎮守府120周年記念マリンフェア,夜景撮影と第2師団(2021-10-30)

2021-11-13 20:20:15 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■舞鶴港,第2師団は突然に
 撮影というものはいつ被写体と巡り合うかというのは歩む歩数の分だけ大きいのかもしれませんね。

 舞鶴基地に停泊する日米艦艇たち。舞鶴基地一般公開を撮影しましたが撮影の目的は翌日の防災訓練を撮影することが目的でしたので、土曜日の一般公開は、今日は良い日だあ、という面もちでして、おそらく終始にんまりしていたようにも思うのですが、さてさて。

 ひゅうが、チャフィー。アメリカ海軍の艦艇は大型、これは世界の認識であるのですけれどもDDGは防空駆逐艦、対して護衛艦ひゅうが区分もDDHのヘリコプター搭載護衛艦、DDを冠していますので艦隊駆逐艦となっています。日米ですと日本の方が大きいのです。

 夜景撮影。舞鶴基地一般公開を散策しましたが元々は金剛院と松尾寺を巡ってみようという気軽な趣での土曜日の舞鶴散歩のつもりでしたけれども、自衛隊撮影の機運に火がついた、とでも申しましょうか、地酒と地魚をホテルに買い込み一杯のつもりが夜の撮影へ。

 北吸岸壁の護衛艦夜景撮影をしよう、こう思い立ちました次第です。アメリカ海軍のイージス艦は横須賀基地では日常風景かもしれないが、舞鶴ではなかなか入港の機会も限られています、カメラもEOS-7Dmark2にG3XとM-3があり、撮影機材としては充実です。

 新日本海フェリー埠頭、しかし、今日はフェリーが入港するとはいえトラックが多いものなのだなあ、こう何気なく振り返りますと、トラックは民間のものよりも3-1/2tトラックが多い、驚きました、自衛隊のトラックが並んでいますよ、どこの師団だろう、気に成る。

 第2師団。旭川の第2師団の車両でした、第2後方支援連隊に第2施設大隊、そして留萌の第26普通科連隊も居て、第2師団は最北の名寄第3普通科連隊に遠軽の第25普通科連隊と留萌の第26普通科連隊、一桁台と連番の二十番台ですから連隊と駐屯地が覚えやすい。

 北方機動演習、2002年までは我が国安全保障における最大の脅威は北方ソ連、ソ連崩壊後はロシア、その北海道北部への侵攻であったことから、名古屋の第10師団、東北の第6師団、広島の第13師団、北熊本の第8師団を、有事の際に北海道へ送る想定だったのです。

 第1戦車群、既に廃止されていますが、冷戦時代の北方機動は有事の際に古い61式戦車を本州から輸送するよりは、人員だけでも緊急展開させ、恵庭の第1戦車群とともに連隊戦闘団を編成する、という目的で編成されており、北方重視の時代の象徴だといえました。

 協同転地演習。2002年より北方機動演習という名は改められました背景には、北方への脅威と同等に西方へ中国の軍事的脅威が増大しており、これに備えるには逆に強力な装備を持つ北部方面隊を南下させる訓練もまた必要である、とまさに南北が転換したのですね。

 第2師団の舞鶴港、おそらくあいばの演習場にて訓練を行ったのでしょうが、あそこは戦車射撃もスラローム射撃に対応していませんし射撃は2000mまで、北海道の演習場になれていますと市街戦訓練施設をのぞいて手狭でしょう、敢えて内地に慣れに、と意義は深い。

 京都府警のパトカーと何故かワゴン車も来ていまして、無線で舞鶴署と会話しているのですが、舞鶴署が何故か中部方面総監部と連絡しているようで、隷下師団には舞鶴港から北海道に向かう部隊はない、とやり取り、それはそうだろう、ここは第3師団管区なのです。

 機動戦闘車や戦車のような、特殊大型車両を含まない部隊ですので、道路管理者に通知の必要はなかった、これが逆に所轄の警察に、何処の自衛隊なのだろう、という混乱を出してしまったとしましたら、これはこれでお役所的といいますか、不思議な印象でした。

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台湾海峡の危機-国連平和維持活動の必要性,第五世代PKOの原点回帰と国連航空軍の構想

2021-11-13 14:41:29 | 防衛・安全保障
■いまこそPKOは原点回帰を
 台湾海峡についてこのところの国際報道を見ればロイターにAFPにCNNとBBCにABCとNHK,危機感を感じるものばかりで緊張緩和のものがありません。

 台湾海峡の情勢が緊迫の度合いを増しています。台湾防空識別圏への中国軍機侵入は“常軌を逸した”としか表現できない程の規模であり、アメリカ本土やアラスカ州へのロシア機の年間接近件数の十倍にあたる規模の防空識別圏侵入が、僅か“24時間”で発生する、こう説明しますと、常軌を逸した規模であるとの表現が過大でないと理解できるでしょう。

 中国政府の主張は台湾の独立を阻止する、という名目ですが、もともと中華民国の交戦団体であった中国共産党が独立した際に、交戦団体の国際法上の立場を入れ替えた構図ではあるのですけれども、仮に台湾が現状の維持を行ったとしても、現状では中国軍による台湾島侵攻は、現実脅威として最早机上の空論を超えた緊迫度があります。戦争は避けたい。

 戦争は避けたい。日本から考えた場合は、台湾有事とは東南アジアから日本に至る工業サプライチェーンの遮断を意味します、東南アジアからは豪州南方を経由し日本に向かう事も可能ですが、これは京都から大阪に行く際に舞鶴と福知山を経由し移動するに等しく、湖西線と北陸本線に小浜線と舞鶴線に山陰線と福知山線、これほどの遠回りは死活的です。

 第五世代型国連平和維持活動PKOの必要性というものを感じます。これは台湾海峡情勢を俯瞰してのものですが、中華人民共和国の国連加盟と同時に行われた中華民国台湾政府の国連脱退を受け、台湾という国連に加盟しない主権国家、この存続がこの数年間の中国軍事圧力増大により危機に曝されています。一日で50機以上が防空識別圏に侵入さえする。

 台湾有事を回避するには、PKO部隊による兵力引き離しを行うほかないのですが、2002年の東ティモールPKO以降のPKO任務は国連憲章七章措置という、安全保障理事会決議を通じて行う、国連軍としての性質を帯びたPKO任務となっています。しかし、もともとPKOというものは米ソ超大国の影響を受けない総会決議に基づく措置となっていました。

 冷戦構造と共に超大国の影響、圧力を受けないよう安全保障理事会の全会一致を待っていては必要な措置を執る事が出来ない、という視点から先ず中東問題において兵力引き離しを実施していました。台湾問題でPKOを組織するならば、安全保障理事会では確実に中国が拒否権を行使します、しかし、国連総会での多数決ならば、まだ、可能性が残るのです。

 中国の主張が台湾の独立阻止にあるならば、武力統一以外にも選択肢はあります。しかし、現状の様な軍事圧力が増大したままであれば、台湾としては国際社会に訴える他なく、これが逆に大陸中国の視点からは台湾独立の動きと誤解する背景となります、影法師に踊らされている構図なのかもしれませんが、踊っている巨大な軍事力だけは現実に他ならない。

 国連。現在のところ、この地域での大規模な軍事衝突を回避するには国連以外に正当性のある機関は存在しません。実際、東西冷戦時代に米ソの軍事衝突に繋がり得る危機を軟着陸させる場となったのは、一つの舞台が国連でした。そして米ソがそうであったように、米中も共に国連加盟国であり、共に安全保障理事会における常任理事国に名を連ねている。

 拒否権をアメリカも中国も有する為に安全保障理事会の国際法上拘束力を有する安保理決議により、台湾海峡有事を防ぐ事は難しいかもしれません。しかし、冷戦時代であれば、総会決議により派遣する“国連平和維持軍”による“停戦監視”であれば、機能し得るのですね。これは問題の先延べと批判する事も出来ますが、戦争回避には一つの選択肢です。

 国連航空軍。小説のような響きではありますが、第五世代PKOは改めて現在の安保理決議に基づく第四世代型PKOから国連総会決議に依拠した決議に戻すとともに、その任務は当面“台湾有事を阻止する”ことを通じての北東アジア地域の“平和維持”という視点に留める、こうした施策が考えられるでしょう。総会では“戦争は何も生まない”を強調する。

 台湾有事を阻止するには地上での兵力監視を行っても意味がありません、金門島など中国国境付近に兵力引き離し監視団を派遣する選択肢もあるかもしれませんが、金門島を所管する台湾には受け入れ余地があるでしょうけれども、厦門にPKO部隊駐留を中国政府が受け入れるとは考えられません、なにしろ報道機関さえ行動が制限される国なのですからね。

 航空部隊による警戒監視、この方法以外に選択肢はありません。一方で総会決議により実施する以上、PKOの原点である“大国排除原則”を徹底し、航空自衛隊、オーストラリア空軍、カナダ空軍、ブラジル空軍、インド空軍、スウェーデン空軍、韓国空軍、安保理常任理事国以外の空軍を台湾、若しくは沖縄県南部に展開させる選択肢が、妥当でしょう。

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令和三年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2021.11.13-2021.11.14)

2021-11-12 20:00:58 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 椛が赤く色づく頃となりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか、今週も懐かしい伊丹駐屯地の情景とともに最新の情報を見てみましょう。

 自衛隊行事は今週末もありません、ただ、日本に外国間の入港が活発となっていまして、これは周辺情勢の緊迫化も同時に意味するのですが、バイエルンと、11月6日にカナダ海軍のフリゲイトウィニペグが佐世保基地へ、同日オーストラリア海軍のフリゲイトワラマンガが呉へ。乗員が休養に追う陸出来るようになり、多少は状況が和らいだのでしょうか。

 クイーンエリザベスの横須賀寄港に際しては、九月初旬と云う感染がまだ厳しい状況である為に横須賀基地に入港しても乗員は上陸して休養できないという、なかなか大変な状況でしたが、先日のチャフィー舞鶴寄港に際しては、ハワイの真珠湾が母港なのですが、乗員の方が上陸し休養や買い物と観光を愉しむ方々が見えました、感染鎮静のようで嬉しい。

 日本国内の感染状況は微増に転じています、ただ、警戒と云うよりは下限に達したという状況のように見えまして、感染状況としては留意すべきですが警戒を継続、という水準に留まっています。言い換えれば、感染対策を強化した上で厳しい制限を伴う自粛要請、日本の場合は同調圧力、これを解除した構図ですので自然増に転じた構図、今後が肝要です。

 東京都の11日新規感染者は31名、これは先週の木曜日と比較しますと17名増加しています。二倍と表現する事も出来ますが50名以下の水準が続いています。ただ、コロナウィルスは季節性感染症、夏の第六波が激甚でしたが、ワクチン接種拡大や入国規制と広範な自粛への協力を受け秋には感染は低下、一方で空気が乾燥の冬季がコロナウィルスの季節だ。

 ドイツ新規感染者数5万000名を越える状況、ドイツ保健省が11日に過去最多となった感染状況を発表しました。日本はスロウスタートという、ワクチン接種率は高まっているが基本的感染対策を強化した上での日常再開を期すという、石橋を叩いて渡る方式となっていますが、日本と同様にワクチン接種が進んでいるドイツが憂慮すべき状況となっている。

 オランダ、ドイツの隣国でも24時間新規感染者が1万6300名となり、劇場や外食店封鎖、一部都市封鎖が再開します。ドイツの累計死者数は9万7394名、ワクチン接種により死亡率は低下していますが11日の死者数が191名となっており、ワクチン接種により死亡率が低下しても、日本の最悪期に重なる規模、ドイツ連邦議会では対策の審議を開始しました。

 岸田総理大臣は12日、冬のCOVID-19感染第六波に備え、対策の骨子を閣議決定しました。対策の主幹は、病床確保、治療薬確保、ワクチン接種増進、という。病床は夏に病床確保が混乱した反省から夏と同規模以上の感染爆発が続いた場合でも対応できるよう、三割増の3万7000床を確保し、また都道府県市町村を超えた病床稼働率の公表を行うようする。

 ワクチン接種は来月12月より三度目接種の所謂ブースト接種を本格化し、先ず医療従事者、続いて高齢者、そして全年齢の希望者全員にブースト接種を行う。その上で治療薬の確保を進め、特に在宅治療者や軽症者受け入れ施設を想定し、新しく開発された経口治療薬160回分を確保し、厚生労働省の薬事承認を待って医療機関へ速やかに配送するとしています。

 第六波、来ないと考えるのは楽観的すぎます。慎重に感染対策を続け、日常を回すのであれば感染爆発の多発は回避できるのかもしれませんが、一方で制限解除を感染終息と同義のように考える方が増えてゆきますと、厳しい結果となる事は目に見えています。紅葉の季節だけに、浮足立つといいますか気分は高揚しますが、慎重に過ごしたいものですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】清水寺,紅葉朱色に思い浮かぶ鴨川東岸東山三十六峰災厄の時代と六道参り

2021-11-11 20:20:22 | 写真
■今昔物語と参詣曼荼羅絵図
 平成の大修理の最中の写真を引き出しましたのは時勢ゆえ、清水寺は行うようですが青蓮院や南禅寺はCOVID-19により今年も夜間特別拝観を見送るもよう。

 今昔物語、平安朝の時代に記された古文でお馴染みの文学では、救いを求めての多くの参詣者が清水寺に集ったという一文が記されていますが、洛中や下町から清水寺に参詣するには、風葬地である六道と鴨川を越えてゆかなければならなかった、歩けば分かる事です。

 寺院巡りというのは、思考的休養と考えているのですがこころの平安、と寺院を拝観できるのは現代故の一つの贅沢であり、清水寺造営当時は社会保障という概念そのものが無く、貧困も一杯の麦粥に粟稗の施しを求め服は勿論布腰巻きさえ持たない方が多くいたという。

 清水寺はじめ寺院の多くはこうした際での最後の社会保障というような位置づけにもあったのですね。すると、救いを求めて多くの方が集うとともに、逆に果ててしまうということも在ったわけでして。こう考えますと説話的な地獄絵を奉じた寺院もこの界隈には多い。

 音羽山は小高い東山三十六峰の一つとなっていますが、風葬地であった山麓は火葬する木々もなく、文字通り積み重なっていた、疫病が定期的に流行していた京都には下町から続く当地は、まさに地獄絵図そのものを具現化したような風景であったのかもしれません。

 二年坂三年坂と、清水道には、ここで転ぶと二年以内に、という謂われのある地名が目立ちますが、実際、そうだったのでしょう。このあたりも鳥野辺といいまして、この清水寺の音羽山が霊気漲る聖地と称されるのは、そう考えねばやりきれなかったようにも思える。

 聖地。要するにケガレを祓う場所でなければという自己正当化のひとつ友思えるのですが、しかし平安朝から中世まで、年中疫病が流行していたわけではありません、するとお盆の季節には身分貧富問わず当地へと、六道参りという先祖供養が広く行われていたのですね。

 参詣曼荼羅絵図に残されているのですが、鴨川の先は清水寺、その道中が風葬地というなかでお堂や木戸門や辻櫓などが並びまして、ここでお賽銭や木戸銭を六道参りの際に寄進していた、これが周り回って施し、一種のセーフティネットとなった構図があるようです。

 地獄絵図。風葬地で元々鴨川沿いは下町で、そして衛生環境も悪い。更に飢饉などが有れば救いを求めて、そんなものはないという情報も無く、京都に流入した流民はどうなるのか、これが昔の当地でした訳で。しかし、日本社会はその再来を阻止したい一致があった。

 COVID-19ではアメリカの死者数が75万を越え、インドはコロナ死者数こそアメリカを下回るが超過死者数が490万に達しているという、死者60万を越えたブラジルでは衛星写真に巨大な共同墓地が映るほど。これは紛れもない千年前後遡った、この地の姿なのですね。

 ドゥームズデイシナリオ、という試算が科学者にはあるらしい。これはドゥームズデイというのが地球最後の日という、審判の日とか全面核戦争とか巨大隕石衝突なんかを示す用語なのですが、ドゥームズデイがCOPVID-19により生じる最悪のシナリオも考えている。

 ドゥームズデイ、数多ある懸念の一つに想定、ワクチンをブレイクスルーする変異株が継続的に発生するという感染抑制が成り立たず毎年数百万が死亡し致死率が上昇し続けるという文明崩壊への最悪のシナリオです。杞憂であると願いたい、祈らずにはいられません。

 清水寺の歴史、欧州にはペストの歴史もあるはずなのですが、結局日本社会ほど価値観が重ならないのでしょうか、清水寺の千年前という風景は日本の各所にも在った筈なのですが、これを再来させまいと、価値観が自粛や対策として、感染を抑えたようにも、おもうのですね。

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【京都幕間旅情】清水寺,平安遷都前に開かれた音羽山滝水際の庵は"いのち"を湛え讃える歴史

2021-11-10 20:01:17 | 写真
■千年前の京都と現代の日本
 清水寺。壮大な寺院は夜間特別拝観として艶やかともいえる朱色の紅葉を際だたせるものなのですけれども。

 清水寺は都が奈良の平城京と長岡京を右往左往していました宝亀年間の西暦778年、当地に造営されました。まもなく平安遷都となり、当地は平安京に隣接する事となりますが、足繁く首都が移ろった背景には、疫病の流行がありました、当時は天然痘の災厄でした。

 延鎮。清水寺の開祖は奈良の子島寺に修行を積んだ僧侶延鎮で、夢のお告げがあり、淀川を遡り美しい滝が朝日に輝く地にいたったという、これが音羽山であり、清水寺が今日に清水と称される背景には、音羽の滝の清冽な流れがそもそもお寺の始まりだった、という。

 COVID-19,日本は本当に巧く対応できたと考えるのですが、これは政府の努力というよりも強権を持たない戦後政治を支えた主権者の視点からは、都市封鎖や強制隔離という措置ではなく主権者としての国民が行動制限の強制を防ぐよう自粛した事が大きいのでしょう。

 夜景とともに何故COVID-19の話題か、と申しますと、そもそもこの地に清水寺が造営されました時代、当地周辺は大変なことになっていたのですが、この歴史をふまえますと、COVID-19が日本ではその再来にならなくて僥倖だった、と感じてしまう故なのですよね。

 命の大切さ。日本は人命を経済に優先しすぎている、と政府のコロナ対策に批判がありましたが、日本は太平洋戦争で人命を粗末にしすぎた歴史がありますので、その真逆があって良いと思う。経済よりも人命優先の姿勢は、幸い10月の総選挙でも国民に支持された。

 命については、この清水寺も実はその繋がりが今日に至る壮大伽藍につながっています。寺院だから当然だろう、とおもわれるかもしれませんが、そうした安易なものではなく、時は延鎮が当地に開いた頃、清水寺がまだ無名の小さな庵であった時代に遡るものです。

 坂上田村麻呂。日本最初の征夷大将軍が、まだ無名の武官であった時代に当地を訪れました、拝観というものではなく当時細君が身ごもっていまして滋養強壮に効くという子鹿の生き血を求めて狩猟に赴いていたのですね、これをみました延鎮は殺生を咎めたという。

 矢は射られたのですが、この矢から子を庇った親鹿に当たったのち、この親鹿も身ごもっていたため、絶命後に子鹿が生まれるという出来事があり、坂上田村麻呂は殺生を強く悔いるとともに延鎮に夫婦そろい延鎮へと帰依することとなった、そんな歴史がありました。

 蝦夷征伐。田村麻呂はその後に朝廷より征夷大将軍に任じられ、多賀城の北まで鎮定に成功します。これは当時としては画期的な勲功であったため、田村麻呂は朝廷から紫辰殿の建物を賜りまして、朝廷はこれを私邸にでもという計らいであったわけですが、これが。

 清水寺は当時まだ無名の寺院ではありましたが、田村麻呂がこの紫辰殿をそのまま延鎮に寄進し移築、これは紛れもなく朝廷の重要な建物が寄進された訳ですので、北観音寺と称され、今日の清水寺の本堂、その最初の本堂となってゆく、始まりは子鹿からの縁という。

 六道。清水寺界隈を散策していますと、六道の辻はじめ歴史的な風葬地が並びまして、これは芥川龍之介の羅生門が示す世界観が、実は日常であったというような時代が連綿と続き、しかも京都では平安朝の頃から定期的に疫病が流行していたという歴史もありました。

 清水寺の歴史を回顧しますと、実はこの京都と疫病の歴史に、清水寺の立地というものは不可分でもあるのですね。それは清水寺の音羽山の山麓、そして鴨川の東側が長らくどのように使われたか、という事と繋がります。COVD-19で一歩間違えれば再来した歴史です。

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