イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

死の教育!

2010-01-05 | 第三章「無意識の世界」

 加賀乙彦氏の「悪魔のささやき」(集英社新書:面白い本でいっきに読みました)を読んでいたら、死生学で有名なデーケン神父様(先日講演会で随分ユーモアの勉強もさせていただいた)から、ドイツの初等教育の教科書を見せてもらった話が出ていた。死ぬと肉体がどういう状態になるかが記述されているという。

 その話を読みながら、以前に見たテレビで、ある写真家が動物の死体がどのように、自然の中で変化していくか継続的に撮った映像を思い出した。土に帰るということをその映像から学んだ気がする。残念ながら、私は人の死体の変化を目にしたことはない(土葬は欧米であっても日本では知っている限りないようだ)。勿論父の死等で、肉体の死はどんなものかはある程度知っている。しかし、ちょっと実感が伴わない。戦中派の諸先輩と全然違うのだろう。

 昨年、日本神話がU先生の勉強会で取り上げられたこともあり、古事記や日本書紀の勉強をした。恥ずかしい話であるが、今まで何回も神社を参拝したが、きちっと神話を勉強したことはなかった(今でもまだまだ知らないことばかりであるが)。

 神話の中で、イザナミ、イザナギの有名な黄泉の国の話がある。イザナミが死に黄泉の国にいき、そして妻を想い焦がれるイザナギが追う。そこでイザナミのおぞましい死体を見たりするが、その一連の話は何回読んでも印象的であり、考えさせられる。昔は日本でも、きっと、神話で死の教育を祖先が熱心にやったのだろう。

 死を直視することで、生の大切な意味が焙りだされる。生きがいを考える上で、辛いことだが、死のテーマは大切だ。死で何が終わり、死者のまわりで何がおこるか。残されるものは何か・・・欧米では死を想えという言葉がある。(ラテン語でメメントモリ)

(生き甲斐の創造 2/15)

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