生命とは何か?高校生1年の時の生物の時間は貴重な時であった。その時、二重らせんのDNAの話や、ダーウィンの進化論など貴重なことを学んだ。そして衝撃的だったことに、生命を実験室で作り始めているという話を聴いたりした。1967年のころであった。カトリックで幼児洗礼を受けた私にとっては、特に意識はしなかったが、無意識に宗教から遠ざける知識だったかもしれない。
一番前の席で必死にノートを記し、K先生の書いたニンジンの黒板の絵までノートにそのまま写し、先生から授業中に名指しで馬鹿にされたことを覚えている。その時馬鹿にしたK先生の論理と馬鹿にされた私の論理がかけ離れていることを妙に覚えている。自分の中で無意識に感情転移や置き換えがあって、K先生からみると私が奇異に見えたのかもしれない。そんなことをふと考えたりした。K先生はご健在だろうか。
さて、そのころから40年が経過し、当時はメジャーな学問という感じでなかった生物が今では極めてメジャーになっている。その象徴はヒトゲノムの解析完了発表が2000年に当時のクリントン大統領とブレア首相によってなされたことではないかと思う。
その時のヒトゲノム計画のリーダであった、フランシス・コリンズの「ゲノムと聖書」(NTT出版 中村昇・中村佐知訳)を今年になって読んだ。極めて面白かった。進化論を宗教界や唯物論者がどう解釈しているか、インテリジェント・デザイン論の本質が何なのか、信仰とは何か・・・考えさせられた。
私は、カトリックで神を信じているが、著者の意見に多く共感した。因みに、カトリック教会も唯神論的進化論を真面目に研究しているようである。宗教を信じている科学者は沢山いるが、意外なことに寡黙で語らず、無神論の科学者の著作が結構出回っているのが丁度気になっていたこともある。
真理という面で、宗教も科学も補完的で矛盾しないものだと私は思う。
科学は唯物論者だけのものではないし、原理主義は特定の宗教家だけのものでもない(偏る議論は唯物論者の中にもある)。批判するだけでなく、お互いの主張をよく聞くと世界は違って見えてくるのではないだろうか。
それにしても、高校生のころの知的な不安は今かなり解決されてきている。本当に感謝。生きててよかった。
(感謝の領域<生まれる前の歴史>5/60)
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