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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの不安と身体の不安は別のもの!(私は何か?⑧)

2010-03-07 | 第五章「和解と平和」

 今の不安(暗い感情)は、どこから来るのかと考えることで、落ち着くことがある。漠然とした不安より、これは何処から不安がくるのかと推察し、分析するだけで落ち着くのだ。

 生まれてから今までの歴史・経験としてのこころ。つまり生育史からくる不安。身体から来る不安(胃がむかつく、トイレにいきたい・・・)。さらにもっと深い魂から来る不安を仮定してみると面白い。

 日々、自分に舞い落ちてくるような不安(暗い感情)が自分の生育史(こころ)からくるのか、身体からくるのか、魂からくるのかを思索するのである。

 自分は何かと考える時に、抽象的に考えるより、自分を形作ると思われる、こころ(生育史)、身体、魂を想定し、そこから来る不安を推察するのは、意外と奥が深いようだ。

 大学受験を控えた夏休み。よく友達と図書館に勉強に行った。当時は、珍しいエアコンが完備した環境で勉強ができたので、多くの受験生が長蛇の列で図書館を利用していた。

 さて、ある日、体調が思わしくなく、図書館に入場するために炎天下で並んでいて、貧血を起こしたことがあった。眼がくるくる回り、視界が暗くなった。そんな恐ろしい経験があった。

 この貧血は、横になり体調が戻ると何ということもなく終わったが、その恐怖の経験は忘れられず、精神的に参っている時など、この恐怖体験が顔をだすようなことがあった。大した身体の変調でないのに、恐怖の経験で不安が増幅してしまう(不安が錯乱までに)。ところが、大きな病気かと大病院で診察を受けると、何でもないと言われる・・・そんなこともあった。

 得体のしれない不安を感じた時、それが身体から来るのか、今までの経験のこころから来るのかを識別するのはとても大事なように思う。

 写真は綿棒。以前、身体の不安とこころの不安を取り違え、家人に笑われた変な思い出があります(その顛末はヒ・ミ・ツ・)

(感謝の領域(私は何か?⑧)48/60)

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