昨日から、心理的接触、あるいはラポールのことを考えたり、心理療法の必要にして充分な6つの条件について考えを巡らしていた。
U先生からは、自己事例を深く勉強することこそ、心理学の実力養成のポイントと教えら、いつも考えるのだ(皆さんも、そうすると良い。自己事例を考えて初めて勉強になると思う)。
そして、愛の原型にも繋がるような、昔の記憶を辿っていると、ふと7歳に両親と暮らしたアラスカの思い出がでてきた。随分昔の記憶であるが、それでも自分の中に刻み込まれている記憶である。それを、ベースに今回は進めて行きたい。
尚、本シリーズはU先生の著書である、「生き甲斐の心理学」と「人の身体は神の神殿」(どちらもアマゾンで入手可)を終始参考にさせていただく予定である。ブログの左上に、U先生の「生き甲斐の心理学」の本の写真があるがクリックされ是非購入してください。
さて、ぼちぼちお話をすすめたい。
私は昔、噛みつき少年であった。
幼いころの断片的な記憶の一つは、母の乳房に赤チンでかかれたお化けである。歯が生え始めたころ、母の乳首をよく噛んだそうで、乳離れを促すための母の苦労のお化けであった。
幼稚園に通いはじめてからも、迎えにきてくれた叔母さんの手を噛んだ。鼻をつままれて息が苦しくなるまで噛むという、ひつこい子供でもあった。身体が小さいこともあり、そんなコンプレックスがあったかもしれない。
小学校1年に入学したてのころ、原因は全く覚えていないが、担任のA先生の手を噛みついた。当時は一クラスが60人くらいであったが、60人が見守る中で噛んだのだ(A先生はこのこともあり、卒業するまで私のことを特別視していた。A先生ごめんなさい。)。
そんな、少年であったが、その年の夏ごろ、突然父が、これからアラスカにパルプ工場の建設の仕事でいきたい、きっと、お前の人生にも役立つと言われ一家で行くことになった。
両親も英語は片言状態。そんな中で南東アラスカのシトカに行った。そして、私は現地の小学校に入学することになった。アラスカでも噛み続けるのだろうか?(つづく)
(こころの援助を考える②(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 3/60)
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