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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころとこころが通じる!(こころの援助を考える③)

2010-03-23 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 先日、仕事場に行くために、駅で電車を待っていると、ベンチに座っていた男性が、大きな声で携帯電話で話しておられた。やがて、電車が来て、早速乗り込むと、先ほどの男性は、殆ど怒鳴るように電話をしている。

 周りの人も、皆怯えた表情で下を向いている(係わりはもちたくないのだろう)。

 こういうとき、電話で大きな声で話をしていても、こころとこころは通じていない。心理学的には「心理的接触」はないという。恐らく、電話の相手は恐怖の中で、防戦しているだけで、ロジカルなやりとりは出来ても、深い人と人との関わりは拒否しているだろう。

 さて、先日からの7歳の時のアラスカの続きをしよう。

 1958年。調べてみれば、当時のアメリカは公民権運動の最中であり、現在のオバマ大統領の出現など想像もできない社会であった。私の暮らしたシトカは平和な町であったが、ネイティブ・アメリカンの方もいる土地柄であった。また、当時はアラスカは準州であり、ロシアから移管され正式にアメリカの州になる前だったと思う。

 そんな中、私はネイティブの多い、分校のような小学校に父に連れて行かれた。父が帰り、私は一人教室に残された。全く英語ができない私は、担任の女性の先生の前に机を挟んで座り、幾つか質問をされた。

 何も判らない。私は、ただ途方に暮れていたが、その先生は、やがて、色紙を持ち出し、色について質問をし始めたようであった。言葉は判らないが、先生の優しい眼差しや、声色は理解できる。言葉はダメでも、コミュニケーションの努力をしようとしていた。

 やがて、色紙を何度もしめす(どういう目的でされたのか今でも良く判らないが)・・・その時、自分は日本語で、指し示す色を答え始めた。「アカ」・・・・

 自分の日本語の発声に、場違いな違和感を覚えつつ、低い声で答えたが、先生は、パッと明るい表情をされた。そして、周りの小学校1年の生徒に向かい、私を色を日本語で言うよう促した。私は違和感を感じつつも、先生に励まされ、色を日本語で答えると、周りの生徒たちも喜んでくれた。

 私は、その女性の先生に援助されつつ、教室にデビューできたのであった。

 今、振り返って考えると、その時の一連のこころの動きのプロセスは、言葉は全く通じないまでも、先生の優しいまなざしで、こころとこころが通じ、そして、日本語で回答しても受け入れられ(無条件の愛と呼ぼうか)、回答しようという努力に共感していただき、歓迎されるという、心理療法の6つのプロセスを経ていたのだった。

 そして、こころを通じさせる優しいまなざしのようなもの。50年以上経過しても、その時の有難さは忘れられない。皆さんの通じる体験はどうでしょうか?

(こころの援助を考える③(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 4/60)

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