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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

傾聴:何を聴くのか?・・・(こころの援助を考える⑧)

2010-03-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 毎日どのくらいの人に挨拶をし、お辞儀をしたりしているのだろうか。そして、どのくらい人と話をするのだろうか。そんなことを昨日から考えている。

 私もそうだが、周りの人達もしょっちゅう挨拶をし、お辞儀をし、会話をしている。今日は日曜の午後2時であるが、私は既に7-8人には挨拶をしたものだ。

 そして何故、お辞儀(時には深々と)や挨拶をしたりするのだろうかと考えると、この世に生れてから父母や祖父母たちを始め皆が当たり前のようにしているので、身に付いたのだろうと思う。

 きっと数世代前どころか、平安時代、縄文時代、現世人類がアフリカから出立するころの気の遠くなるような昔の祖先たちも、何か挨拶やお辞儀があり、会話をしていたのだと思う。

 人、ヒトという言葉は、ヒ=日・霊 ト=場所という意味に分解できると学んだことがある。どうも、私たちは身体的、メンタル的な存在だけでなく、霊的(魂、霊性)な存在として人間を扱い、社会生活をしているように思えてならない。

 日本人は、世界有数の自殺率の高い国という事実はあるが、良く調べてみると、世界で有数の他殺率の低い国であることが判る。お辞儀をし挨拶をし・・・その結果かどうか人に害を加えることの少ない国なのである。自殺率は問題であるが・・・

 傾聴という言葉は随分普及してきた。傾聴ボランティア講座も良く目につく。終末医療の中で活動されることもある。

 傾聴、聴くという漢字があてがわれているので、恐らく、単に物理的な音を聞くという意味ではなく、メンタル面や霊性面といった深い人間の層まで聴きとる意味があるのだろう。

 私が学んできた、「生き甲斐の心理学」でも傾聴は大切にされている。心理療法の必要にして十分な6つの条件は、20世紀の画期的な発見だと私は思うが、それを実際に社会生活で活かす方法(カウンセリングをしたりする)として、傾聴があると思う。

 さて、傾聴で人の何を聴くかという問題を整理してみよう。人が<身体>と生育史からなるメンタルの部分<こころ>、そして霊性あるいは<魂>からなりたっているとすると、<身体>と<こころ>と<魂>から形成される「何か」を聴くということになるのだろう。

 最後に蛇足ではあるが、内田樹氏と釈徹宗氏の共著、「現代霊性論」を読んでいたら、1998年にWHOの委員会で健康の定義に霊的という言葉が追加され可決したが、その後総会で否決され、現在本部預かりの状態になっているという顛末が掲載されていた。

 霊的なものをどう考えるかは、健康的に生きる上で大変重要なことでもあるが、それが、広範に議論されつつあるというのは良いことではないかと思う。 

(こころの援助を考える⑧(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 9/60)

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