イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの癒され方・・・(暮らしの中のカウンセラー⑲)

2010-07-06 | 第九章「愛」
 4日は「鬼太郎 幸せ探しの旅~100年後の遠野物語~」を教育テレビで観て感激し、昨日の5日は映画「阿弥陀堂だより」で感激した。

 遠野物語は、オシラサマを信仰するおばあさんが、最近お嫁さんが神を信じるようになってきたといって喜ぶ場面がり、あるいは、水木しげるさんの信仰に対するコメントが素晴らしかった。
 
 「阿弥陀堂だより」は、信州の無医村に来られた女医さんの話だが、これまた良かった。映像も綺麗で、感動した。

 遠野物語の厳しい現実は私たちの今住んでいる社会と余り変わらない。否、経済的には、もっと厳しいかもしれない。食べられない。育てられない。老人を養えない。そんな世界だ。ただ、その中にあって、何か暖かい。暖かく包むものが感じられる。

 お嫁さんは、なぜ遠野に伝わる信仰をもつようになったのか?なぜ女医さんは、こころの病が癒えたのか。その条件は何だったのか?何か育む土壌のようなものがある。

 自分を安心してさらけ出せるような、大きなふところのようなもの。西洋から得た心理療法の理論を知らなくても、その中で癒されたり、気づいたりできる。今の社会より健全な空間。

 それを、人情というのか、信仰というのか、愛というのか、好きな言葉で表現すればいいのだろう。ただ、そういう基盤が世界にあって、われわれの祖先が厳しさの中で生き延び、そして私たちが存在しているという事実を知る必要があるのだろう。

 日本は、今祖先から見れば、物質的には恵まれた社会かもしれない。でも、充分な愛が感じられる社会なのだろうか。

 話が大きくなってしまったが、クライアントと暮らしの中のカウンセラーの関係の中で、カウンセラーはこの必要条件を充分理解し、実践できるようにならなければならないのだろう。単なる知識ではない、身に付いた知識。

(このシリーズは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。U先生、ありがとうございます!)

暮らしの中のカウンセラー⑲(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 49/60)

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