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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの貧しさと、受け容れること! 3/3(受容③)

2010-07-20 | 第十章「今ここでの恩寵」
 昨晩は、山田洋次監督の「学校Ⅱ」のDVDを鑑賞した。北海道の養護学校のお話で、私も一時重複障がい者の方などの移送サービスや介助の仕事をしていたこともあり、いろいろ思い出した。最後の卒業式での場面で、若い先生が辛いことがあったら、戻っておいでとの言葉に感動した。

 さて、受容されることについて、昨日は触れたが、受容されない経験というのも、受容される経験と同様に大切なものだと、最近思い始めている。受容されない経験は、豊かな受容される経験を準備するのではないだろうか。

 受容されない経験は、だれでも山ほど経験されていると思う。私も、沢山あるが、7歳の時にアラスカに約1年暮らした時、偏見をもった子供から、のけものにされたことがある。家への帰り道に、日本語で大声で怒鳴った(何故怒鳴ったの理由は忘却の彼方であるが)。受容されない経験は、受容しないこころ(こころの貧しさ)も産むのだ。

 思春期から青年期になると純粋であったので(変に)、そうした自分の嫌な一面を深く恥じいったものだ。それは、大人になり忘れていたが、最近、今でも意識の底に流れているような気がしてきた。しかし、人は理想的とは言えない中で、育てられる。努力は必要ではあるものの、偏見や歪んだ考え(深層心理も含め)は当然持つものだ(生き甲斐の心理学で学ぶ)。重要なことは、そうした成育史から生まれる心とは別に、愛そのもの(魂でも生命でも霊性でもいいが)が人には宿っていると信じることではないか(A=B(X+Y)の愛の方程式)。

 改めて愛の方程式を書いてみたが、いろいろ新しい発見があった。今日は四谷で勉強会。こころの貧しさと受容の関係について、この式を元に考えてみよう。

受容③(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 3/30)

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