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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

古層の愛を感じるための想像力訓練!(古層の愛⑩)

2010-07-17 | 第九章「愛」
 U先生から学んでいる「生き甲斐の心理学」はオックスフォード大学仕込みで比較文化、比較宗教学をとても大切にされている。その影響か、私も遅れ馳せながら、関係する本を教えていただき読み、そして今回のシリーズにも未熟ながら書かせていただいている。

 この約一ヶ月の思索の中で、古層の愛をいろいろ考えてきたが、つくづく、人生で大切なはずの古層の愛を、なおざりにしてきたなと反省を深めている。そして、古層の愛をしみじみと実感するためには、ある種の想像力と訓練が必要だと思うように至った。今日で、一応「古層の愛」が終了するが、そのポイントをまとめてみたい。U先生の思想もこの中に沢山入っている。

1.自分の父母は2名、祖父母は4名、3代先は8名、4代先は16名と遡るほど祖先の数は増えてくる。20代(500年くらいだろうか)遡ると100万人となり、32世代だと現在の世界人口を越えてしまう。このことを考えると、地域性があるとは言え、日本の中世以前はかなりの確率で私の祖先(血が繋がった)たちの歴史となる。歴史を見るときに、この観点はとても大切。真剣になり、歴史の世界を想像できるようになってくるようだ。

2.現在、毎日自分の身体は身体の中の遺伝子によって再生されている。3日もすれば、自分の大半は再生される。その遺伝子は両親から引き継がれるが、その引き継ぎは時間の中で、途切れることもなく古代から今まで連なっている。この実感もとても大事。さらに、現世人類、その祖先、地球の40億年の生命の歴史、太陽系の歴史、137億年の宇宙の歴史に思いを馳せる。

3.私たち日本人の祖先や現世人類の歴史も、遺伝子の爆発的な研究成果で、ものすごい勢いで解明されている。日本人は、5-6万年前に東アフリカからアラビア半島を経て脱出した祖先を起源にしていることは定説と言ってよいだろう。アフリカから、ヨーロッパ、アジア、アメリカへと現世人類は広がり、当初は数100人とする説もあるように少人数の集団が現在の67億人になってきた。こうした、サイエンスの研究などに関心を持つのも重要だと思う。

4.宗教、さまざまな思想も、こうした人類の歴史の中で、様々な地域、様々な時に生まれる。私はカトリック信徒であるが、様々な伝統宗教や思想も、こうした文脈で考えると、決して異なものとは思えない。それどころか、例えば身近な道端の祠や石仏の中にも神聖なものを感じることは自然だと思うようになる。宗教や思想にも興味をもつことも重要だと思う(既に長い歴史を持つ伝統宗教などが、初心者には良いようである)。

5.トイレの神様ではないが、自分の身近な経験を、古くからの伝承、伝説、神話と繋げると、意外な発見があるものである。「人をどう成長させていくか」そういう祖先達がずっと考えてきたことが、意外な形で伝承されているようだ。また、その本来の意味は、伝言ゲームではないが、歴史の中で誤って脚色されている可能性もあり、一蹴するのではなく、熟慮すると意外な発見があるようである。

6.系図研究などのルーツ探しは、これから生きるための智恵や勇気を与えてくれる。遺伝子を分析して、自分のミトコンドリア母などを調べるのも良いかもしれない(ただ、究極の個人情報なので、信頼できるところに分析依頼が必要)。私はまだ調べてもらっていない。

7.人間が身体、成育史からなるこころ。そして魂(死んで身体から離れる知的生命体)からなるという考えを身につける。この視点は日々の生活の中でも大切だと思う。人の身体は神の神殿。こうした人間観を深めることも大切。

8.信じて見える世界、見えなくなる世界があることを身につける。祖先が見ていたものは何か?見えなくなったものは何か?そんなことを考え続けると、理解が深まる。その他、身近な人達との人間関係にも活かせる効果があるようだ。

以上8つのポイントが浮かんだ。これは、私のこれからの学習のポイントだろうと思う。大切にしていきたい。皆さまも、参考にしていただき、できれば一緒に古層の愛を楽しみたいと思う。

 これで、今年の3月20日からスタートした「今さら訊けない、1億2千万人のための心理学の60回、そして5月19日からの「見えないものを見る、聞こえないものを聴く」60回を終了する。U先生の「生き甲斐の心理学」をベースに自己事例を中心に思索した初の試みであった。U先生に深く感謝をするとともに、様々な方のアイデアや思索に感謝する。私のオリジナルは自己事例だけかもしれない。いや、それも自分の力というわけでは無いようだ。

 今思いついたのだが、「古層の愛を感じるための想像力訓練」の要は、自分の中を空っぽにすることなのだろう。空っぽにすることで、豊富な古層の愛が流れてくると思う。オリジナルを求めて、心が忙しく動く文章になってしまってはならない(反省)。ルカ福音書に、師のそばで忙しく働くマルタと、師の声にまず耳を傾けるマリアの挿話がある。今までのこの120回は、マルタのようであったかもしれない。反省しつつ、気分を新たにして、次回以降ブログを書き連ねたい。

古層の愛⑩(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 60/60)

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