イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

夏の空はなるようになっていく!(古層の愛⑨)

2010-07-16 | 第九章「愛」
 局地的な豪雨のニュースは恐ろしいが、時折見る空に夏を感じる。微妙な風や空の色に、そう感じるのだ。昔は、何気なく見ていた風景だったが、最近は、全く同じではないが、同じような風景を、祖父母や祖先たちが見ていたと思うと、不思議な気持ちになる。

 そして、見方を変えれば、日本の自然は祖先も祖父母も私も同じように見続けて来たのだろう。自然は自然体である。

 昨日は、慌ただしい一日であった。朝、左足の親指の最終になるはずの治療にA病院に行く。着いて間もなく、娘から連絡があり、調子が悪いので近くのB病院に駆けつけるとのこと。妻にも連絡をして、急遽B病院に。その後、娘も落ち着き、私はB病院から仕事場に。

 こういう、一日は様々な自分や他人の感情が渦巻く。ただ、昨日は「トイレの神様」?で安定していたのか、結構クールに感情の流れをウオッチングできたようである。これも、古層の愛のお陰である。

 もう一つは、この2-3日自分で行ってきた自問自答の成果がある。ちょっと過剰な自責の念などを、生き甲斐の心理学の理論を使い、自分の持っている理想と現実を自問自答するのだ。現実はこの場合、あまり変わらないので、理想をチェックする。青春時代の思い込み的な自己概念の残骸。それを再解釈することで、よりスマートで穏やかな状態に。

 亡くなった人達への自責の念も、自分の何処かに存在していた。これも、自分の解釈が変化し、ちょっと楽になった。もう会えない、覆水盆にかえらずと解釈するのか。自分も将来、身体は死に魂は天国に行きが、そこで再会できるじゃないかと解釈するのか。今ここに、身体は亡くなった人達の魂と共に居ることができじゃないかと解釈するかは、実は解釈の問題だけなのである。

 夏の青空は、自然体である。成るように成っていく。

古層の愛⑨(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 59/60)

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