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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

雨上がりに愛を想う!(古層の愛①)

2010-07-08 | 第九章「愛」
 梅雨の久しぶりの晴れ間に、昨日近くの薬師池を訪れた。大賀ハス田を久しぶりに見たが、大きな蓮の葉に朝降った雨水が溜まって不思議に輝いていた。

 大賀ハスは2000年前の縄文時代の蓮の種が生きていて、発芽したものである。2000年前の私たちの祖先が同じように見たかもしれない。

 一世代20年と仮定すると、2000年は100世代となる。100世代前は2の100乗であるので、祖先が見たとすれば、その祖先と私も含めた日本人の皆さんはかなりの確率で血が繋がっているだろう。

 100世代。私たちの祖先は100回のお産を経験し、様々な時代を生き抜いてきた。20世紀の第二次世界大戦の悲惨もあったが、15世紀の応仁の乱の悲惨もあった。7世紀の同じような大乱も、2世紀の大乱も潜り抜けてきたはずだ。

 大賀ハスはその100世代を単純に時間をワープしてきたようだ。

 ハスを見る人。人に見られるハス。何が変わったのか、何が進歩したというのだろう。

 さて、50年前くらいになるのだろうか、広島県の瀬戸内海に面した祖父母のいるT市で夏休みを過ごしていた。その時、何かのお祝いがあり、一族で宴会をした思い出がある。詩吟その他、芸を披露する中、祖母は一発芸をして笑いを誘った。

 祖母は当時の典型的な農家のおばさんだったと思うが、その生き抜く哲学は、今考えてみると決して馬鹿にできない。無学だったかもしれないが、ある意味で先を行っていたようでもある。100世代の智恵としての、生き抜く哲学。それは、私の中にも成育史の古層として、今でも残り、何かの時に力を発揮するようだ。

 これから、10回、古層の愛について考えていきたい。

古層の愛①(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 51/60)

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