昨晩は、アマゾンに住むピダハンのドキュメンタリーを見た。キリスト教の宣教師だった、ダニエル・L・エヴェレットさんが少数民族のピダハンと暮らす中で、宣教師をやめ言語学者になり、ピダハン語を研究しつつ様々な形で問題を投げかけていた。
奇妙なピダハン語は、言語だけでなく口笛でも表現できるということで驚き。さらに、数詞がなかったり色の表現がなかったり、過去形、未来形がないなどびっくりした。言語学者の間では再帰的な表現がないとのことで大論争をもたらしているようだ。そして、現在形のみ存在することが原因か、ピダハンの人は、宣教師の概念での悩みがないようで福音の意味が逆に問われ、ダニエルさんは宣教師をやめたそうだ。
ストレス曲線(不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)の暗い感情は、日々刻々やってくる。
そのストレス曲線を、過去の不安、現在の不安、未来の不安といったように時制でわけてみるとどうだろうか?自分のストレス曲線のスペクタクルは過去に重きがあるか、現在に重きがあるか、未来に重きがあるか。それを、精神的にまいっていたころ、快調だった頃・・・そうな風に思いめぐらす。
私の経験では、現在に重きがあるときは健全で生き生きしているようだ。反対に、未来に重きを置いて、それこそ杞憂ばかりしているのは良くない兆候。
私は、かつてマーケティングとか企画の仕事をしたことがあるが、その時にKさんから聞いた言葉が忘れられない。「企画の仕事といっても、長期的なことなどはほんのちょっと考えれば良い。せいぜい10%くらい・・・」。「生き甲斐の心理学」を学んで、その言葉を反芻してみても、そうだと思う。感情生活もそうだが、現実的な仕事の世界も同じだ。イキイキと生きるには「今を生きる」ことがピダハンの人々と同じように大事なのだ。
この世を考える 3/10