私の前に、2つの本がある。一冊は柳田国男の「遠野物語」。もう一つは、やまもと民話の会の「ー語りつぐー第三集 鎮魂・復興へ 小さな町を飲みこんだ 巨大津波」。
「遠野物語」は有名な本であるが、そのなかのー99-は、3.11の津波に良く引き合いにだされたようだ。内容は、大津波で妻と子供を失った男が、生き残った二人の子供と一年くらい小屋をつくって暮らしていたが、夏の月夜の晩に、男女を見かけた。女は彼の妻で、男は村の男で二人とも大津波でなくなっていた。妻と結婚するまえには、その男と妻は仲が良かったとのことで、死んでから夫婦になったようだ。そんな話である。
民話、「巨大津波」は山元町の「やまもと民話の会」が3.11のことを文集にしたものだ。昨年、NPOの不思議な縁でたまたま入手したものだ。素朴な方言で、心を打つ語りもあり感動した。ただ、この文章に始めて接したときは体験の概要はもちろん分かったが、何故民話か、よく判らなかった。しかし、今年の冬に現地を訪れたり(大変な中で、あたたかく迎えていただいた)、また、最近は機会にめぐまれ「遠野物語」の読書会に参加したりするうち、意味が少しづつ判ってきたようだ。
自分の生きた言葉(長い歴史を持った)で、自分の無意識・魂と真の対話をする、そんな感じだ。
例えば、大切な人を決定的に失しなうことは、この世の論理では悲劇そのもので埋め合わすことができない。それに罪悪感などが重くのしかかる。しかし、自分のありのままの言葉を紡いでいくと、何かが変わってくる。無意識・魂の世界の論理は、ちょっと普通と違ってるかもしれないが、どこからともなく来る愛が、傷を癒し不思議な空間に誘う。その貴重な記録が民話なのだろう。
この世を考える 5/10