縄文中期 今週の金曜日には、新宿歴史博物館で生き甲斐の心理学の勉強会を開催する予定があり、縄文人の一生について、いろいろ思索をしている。もちろん先史時代なので、分からないことが山ほどあるが、その中で祖先たちには、何のためにいきているのかを思索し、自己実現の道を歩んだ人も確実にいたのだと考えている。
ちょうど、昨日は宮澤賢治の読書会があり、「虔十(けんじゅう)公園林」という短編の童話を学んだ。その中で一番感動したのは、人の良い虔十が一生で一度、人に逆らって杉の木を「伐らない」と自己主張をする場面であった。
やはり、自分の個性というか魂というか、それを発現する道は簡単ではない。自分の中の魂の声というか、本音というか、それを自分自身で聴き取ることも大事だし、それを上手く表現することも、主張することも大事なのだ。縄文中期に生きた縄文人、富士山の噴火をはじめ自然災害のなかを生き抜いたりした祖先。今では当たり前に存在するものも、当たり前の文化も意外にも先人が苦難の中で発現してきたことも多いのだと思う。
今、興味を持っているのは①「和をもって尊しとなす」という精神文化はどのように生まれたのか。②富士山の大爆発のとき、どのような災害計画をたてていたのか。③中里の水産加工所はどのようなシステムだったのか。森と海・川の縄文時代祖先のことを考えると、自分の自己実現の道が透けてみえてくるようだ。
それにしても、現代の遺伝子人類学を始め、縄文時代に関する知見を集めてみると観えてくる世界が確実にあるようだ。
縄文からの風⑥ 8/10