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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文の世界にひたってしまう!(縄文からの風 ⑦ 2/10)

2015-03-22 | 第八章「魂と聖霊」

 現在、縄文時代の12号人骨の小説化に集中している。自分の文章力のなさに唖然とするが、どうしても書きたくなってしまったのである。その中で、気が付いたことが二つ三つある。この作業が何か世の為人の為にになるかははなはな疑問だが、自分なりにいくつか発見があるようだ。

 その一つは、視点が変わるということだ。普通、今ここでの自分から12号人骨の本人を考えると、それは一つの客観的な対象に過ぎない。世の中の人は、アルプスのアイスマンの時もそうだったが、警察に届けて殺人事件かどうかを確認したり、研究者は同位体元素で年代を正確にだしたり、あるいはDNA分析で、12号人骨のご本人がどういった来歴で日本に来たのかを調べたりする。普通は私もそうだが、何事も一つの対象としてクールにみるのだ。

 ところが、小説を書くとなると、これは客観的な対象ではなくなり、主観的な、つまり感情移入の対象となる。12号人骨のご本人にとっての生きていた場はどうだったのか。風土もあれば、さらに昔の歴史的背景もある。もちろん祖先もいるわけで系図上の父や母、子供なども大きな影響も大事だ。頭骨に陥没骨折のような傷などは、人生に大きな意味があったと思う。そうした場の中に飛び込み(そういう感じだ)、さらに、喜怒哀楽があり思考や行動を伴う人として、自己実現を考えたりする・・・もう刺激的そのものだ。

 そんな風に、小説の主人公に感情転移をすることで、自分を越えた視点をもつことになる。これは実に不思議な経験になる。人は何故、芸術をしたり小説を書いたりするのか。その心境がよく判る。別の人生を生きる。その中で、今度は自分の人生を客観視する。そんな感じだ。

 よく考えると、縄文時代のさまざまな属性の中の12号さん(感情転移をした)の本質と現実の自分の中の本質をいろいろ考えているのかもしれないい。人間の本質は身体か生育史か?あるいは魂といわれるような宗教的なものか。人生に意味を与えるものは何か?そんな大事なことをまじめに考えるきっかけになるようだ。

縄文からの風⑦ 2/10

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