イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日々の感情転移を思索してみよう!(時間と空間の旅 ⑥ 3/10)

2014-03-26 | 第二章「五感と体感」

 この二~三年カルタ収集に凝っている。始めは石川啄木カルタを入手したところから始まった。そして、旅に出たとき眼についたカルタを思わず買ってしまうようになった。孫娘とカルタをしてみたいということもあるが、ライフワークの「生き甲斐の心理学」とのつながりも実はある。U先生に教えていただいた俳句療法などへの関心もあるし、将来「生き甲斐の心理学」かるたを作りたいとの夢もある。ただ、それは屁理屈っぽくもあり、本音は幼いころからのかるた遊びの不思議な魅力からかもしれない。

 先日も、芭蕉の縁が深い義仲寺で「俳聖かるた」を衝動買いしたが、それも先日、ピクニック・勉強会で使用した。子供のおもちゃというより大人の楽しみになってしまった。そして、そのカルタも先日自慢げにある方に見せたところ、Aさんに略奪されてしまった(笑)。そのうち買い直したいと思っているが、かるたには何か訳のわからない魅力が宿っているようだ。

 さて、今朝は孫娘が久しぶりに家に来ていて、自慢のカルタで遊ぼうということになった。いろいろカルタを出したが、その中で選んだのは「遠野物語かるた」であった。このかるた遠野物語研究所の出されているカルタで、実に格調の高いかるたなのであるが、結構難しいので子供が?と思ったのだが、怖いお化け?風の絵が孫娘に気に入ったようで、今まで時間をかけて楽しんでしまった。

 感情転移は、フロイトの防衛機制の中のひとつであり、U先生によれば特に心理療法を研究する人にとっては大事な研究対象ということだが、カルタも、時に感情転移のスイッチが入ってしまうところがあるようだ。それはポジティブな面もあるがネガティブな点もあったりする。好きな芭蕉の一句で時間と空間をワープし芭蕉になりきってしまったり・・・

 かるたばかりでなく、感情転移の勉強をしていると、映画なども、そういう眼で観てしまう。たまたま「風と共に去りぬ」を時間をかけて観たが、この話も実に感情転移の悲劇をはじめ、防衛機制の教科書のような話で印象深かった。最後のスカーレットのレットへの愛に気付いたにもかかわらず、それを失う悲劇に「生き甲斐の心理学」を思わず教えたくなったり(笑)。本来はAに向ける感情を、Bに向けてしまう。こういう人間のこころの仕組みは美しく、時にポジティブで生きる力となるものの、こうしたネガティブな問題も引き起こす。アシュレーに恋していると感情転移で錯覚したが、本当はレットを愛していたからだ。自分の真実を防衛機制により盲目にされた悲劇なのだろう。ただ、最後のシーンにもあるが悲劇と解釈するか否かは、これからの問題であり、そこが人生の奥深いところである。

 孫娘は、まだ子供であるが、少しは「生き甲斐の心理学」を知っていてもらいたい。老婆心?ながら思うのである。まじめに「生き甲斐の心理学」かるたでも作ってみようか?

時間と空間の旅⑥ 3/10

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自分の生き甲斐を見つける旅!(時間と空間の旅 ⑥ 2/10)

2014-03-25 | 第二章「五感と体感」

 家の近くの大栗川には水どりが、琵琶湖ほどではないが、群がっている。水どりにとっては、餌を食べ子供をなし、集団で移動をしたりすることは誰が教えたか判らないが当たり前で、特に深く考えているようでもない。

  

 恐らく地球上で人間だけが、「何の為に生きているのか?」、「生き甲斐は何か?」などを考えるのだろう。しかし、こうした自問自答は自分のことを振り返っても、意外にしていないようだ。日々の忙しさの中で忘れられがちな、重要だが身近に感じられない問いかけなのだろう。

 「今日の昼飯は何にしようか?」、「この失敗をAさんに言うべきか否か?」など、恐らく、自分の生活の中での思索の大半は水どりレベルかもしれないのだ。

 しかし、時に人生の深淵を見てしまった時など、「自分は何なんだろう?」とか「生き甲斐は何だろう?」と考えることがあるものだ。こうした問いは人類が生まれてからずっと問い続けられたもので、数多の書籍や芸術などの中に様々な試行錯誤が刻まれている。しかし、この問いへの回答は一人ひとり違うようであり、また他者は支援することができても身代わりになることはできないものだ。

 さて、今日は「生き甲斐は何か?」という問いを考えている。

 自分の仕事、自分の家庭、自分の所属するコミュニティ、自分の趣味・・・「生き甲斐」の糸口というか幸福感はある程度見えているが、どんどん時間と共に状況は変わるものであり、自分の「生き甲斐」探しは尽きることがない。そして、自分のアイデンティティの問題、「自分は何のために生きているか?」という問題にも関わりがあり、この問いも尽きることもない。

 最近はよく自分の仕事のことを考えている。還暦を過ぎた私にとっては、死の問題もより身近になり、それゆえ仕事も大事に考えなければならなくなっている。そんな中、自分の「生き甲斐」は何か、自分の心のどこかには回答があるはずだが、十分見えていないことに気付く。

 それは、心理学から考えれば、こころの防衛機制(フロイトの14の防衛機制)ゆえに、見えていないと考えるべきなのだろう。心の安定を得るために(防衛機制をすること)、人には不思議な死角ができる。本来、考えなければならないことを一次的に忘れてしまう傾向だ。それ故にポジティブになれることもあるが、例えば、ネガティブな防衛機制3兄弟(逃避、抑圧、感情転移)で八つ当たりすると、益々負のスパイラルに落ち込む。

 そんな時に、ちょっとした旅をしたのだが、日常の中での自分のストレス曲線を、何か俯瞰する瞬間があったようだ。大津皇子の墓の可能性が高い鳥谷口古墳で一人感じたストレスは、ひょっとすると、自分の生き甲斐を考える上で大切なストレス曲線だったかなと思う。

 大津皇子は謀略だったのか、自滅だったかよく判らないが若くして処刑された。政権トップに近い位置に居ながら状況が激変し死を賜るのだ。次のような辞世の歌を残している。

ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (萬葉集 3-416)

 大津皇子に感情転移をする中で、私は何か自分の死をどこかで想いつつ、生き甲斐探しをしていたようだ。そして、今は身近な日常でのあり方に直結するパワーとなったようだ。旅でのストレス曲線は貴重な宝だ。

時間と空間の旅⑥ 2/10

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職業選択をどう考えるか!(時間と空間の旅 ⑥ 1/10)

2014-03-24 | 第二章「五感と体感」

 もう一ヶ月経ってしまったが、先月に10年前に辞めた会社のOB会があった。昔と違い、最近は定年退職で辞めるという方が大半というご時世でないので、老若男女が楽しく集い、とても楽しかった。その中には、私と一緒の時期に辞めた方もいらっしゃって、旧交をあたためつつ、この10年くらいを語ったりし感動したりした。

 外資系のコンピュータ会社に勤めて、その後、どのような職業を選ぶかは、ご本人の意志によると思うが、私のように福祉とか心理学の世界に入ったりする、所謂キャリア・パスを度外視して新しい道に入る人も確実にいらっしゃる。昔と比べ格段に厳しい就職環境であるにも関わらず、選んだ方向性を粛々と進む姿は美しい(自分もかな?)。

 現在、世界的な雇用環境の激変で、職を得ることで悩んでいる若者も多い。また、定年退職した後の生活で悩んでいらっしゃる方も多い。そんな話を、いろいろなところで最近聴く。

 さて、一般論、他人は他人としても、自分でも同じような切実な問題がある。今はとにかく将来は今の仕事を続けられる保障もないし、自分のしたい(できる)仕事分野も変化してくるだろう。どんな仕事をするかは、恐らく人生の悩みとして付きまとうのだと思う。

 そんな中、「生き甲斐の心理学」を思い出しつつ、職業についてあれやこれやと今日は哲学してみた。

 事例は自分のことでしか話せないが、私は、父母や祖父の影響から建築家を目指したものの、大学は創造工学とか心理学という別の分野に興味を持った。しかし、不思議な偶然とそれまでの習慣(生育史)の賜物で、某外資系企業に入社し全く考えてもみなかった営業の仕事やマーケティングの仕事を30年近くやってきた。

 そして、中年の悩み多き波乱万丈の中で、「生き甲斐の心理学」に出会い、会社を辞めることを決心。その後、福祉の仕事を経てお蔭様で社会教育の世界に入っていく。この中で、良かったことは、好きな「生き甲斐の心理学」の学びと普及の仕事が続けられていることで、そんな私の背中を見つつ家族も自然体でそれぞれの道を生きているようだ。勿論、別の道を選んだわけでないので、それが良かったかどうかは永久に判らないが、自分では満足している。

 こんな拙い経験の中、先日、図書館で見つけたパスカルの次の言葉にハッとした。

 「人間は、屋根屋だろうが何だろうが、生まれつき、あらゆる職業に自然に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ」。パンセ138(中央公論社 世界の名著 パスカル)

 会社を辞めた時、心理学を学ぶ中で興味があったので、ハローワークで職業選択支援のコンピュータソフトを試したことがあった。その時、自分がやろうとしていた仕事は、かなり不向きとの答えがでた。まあ、キャリアパスから職業を考えたわけでないので、長年の仕事・習慣(生育史)の中から、新しい仕事分野は無謀・不向きと出たのだろう。しかし、実際にやってみると2-3年で何とか心地よくできるように。

 適性というものや特別な才能なども関係することもあるのだろうが、今思うのは、パスカルが述べているように、生まれつきはどんな職業でも向いているという至言だ。そして、それなら、自分の好きな仕事(自分の傾向に関係があり、自分を自然にモチベートする)を択ぶのが大切だと思うし、「生き甲斐の心理学」の理論にもかなっているように見える。

 さて、幼いころから若いころ、両親や祖父母が何となく建築の仕事を薦め、自分でもそう思ったことあったが、それはどうだったのだろうか。

 やはり、父母や祖父母の影響は意識・無意識の世界を左右する強烈なものだと思う。会社を辞めて福祉の仕事をするにあたっても、自分の実現しなかった建築の夢が何となく現れ、福祉住環境の資格をとったり、グループリビングの建物に興味をもったりしたことも、今考えるとその影響かなと思う。孫悟空がお釈迦様の手のひらから抜け出せなかったようなところがあるのだろう。しかし、そうだからと言って、真実はパスカルの言葉のほう、さらに自分の傾向と渇望なのだろう。

 

時間と空間の旅⑥ 1/10

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春の良き日に素人吟行してみよう!(時間と空間の旅 ⑤ 10/10)

2014-03-23 | 第二章「五感と体感」

 昨日は、「生き甲斐の心理学」を一緒に、もう十年近く学ぶ仲間と、立川の昭和記念公園でピクニック・勉強会を楽しんだ。

 ただ花を楽しむのも良いが、今回はちょっと違う切り口もいれて、恐らく2-3倍は楽しんだように感じる。これも長年つちかった仲間どうしの絆と「生き甲斐の心理学」の学びのお蔭だと思う。

 朝は、久しぶりの大快晴。モノレールで立川に向かう中、特に万願寺付近では真っ白い富士山が実に美しかった。そんな中、西立川のゲートから、ビルの谷間に時々見える富士山を背に、公園に入場する。そして、ボランティアの方に見ごろの梅などの場所をお聴きし、のんびり寝ている鴨(寝ているのかどうか、議論あり)が浮かぶ池を周り、梅林方面に。

   

 そこで、花の写真をとったり、写真は撮れずじまいだったが、メジロを愛でたり?した。昔は大水で氾濫したという川も、不思議に渇水し、どうしたものかと心配したりした。

    

   

  

そして、風をさけて人影が少ない原っぱでシートを引いて、勉強会兼昼食会(お酒あり)兼かるた会!

  

今回は、昭和記念公園に因んで、昭和天皇の勉強。歴史のお勉強は古代が多いが(私など高校紛争世代は、日本史の授業などは中世あたりで中断してしまったことも)、今日は近代。「生き甲斐の心理学」の仲間から、生育史を語るときは年譜と系譜(時間軸で出来事を追った生育史と系図)が大切と教えていただいたこともあり、昭和天皇の系図と年譜を持ち寄り語り合った。

昭和天皇については、戦後生まれの私は、その時代だけの、かつまた天皇のお堀の外の活動(ニュース等)しか知らないで来たのですが、昭和天皇の外戚が今の世にあっても藤原北家の血筋が入っているとか、大正以降の一夫一婦制への移行とか、水戸学の影響を受けた明治以降の祭祀とか、昭和史に影響を及ぼした女官制(松本清張の神々の乱心の舞台)などワクワクしつつ楽しく語り合った。

そして、この昭和記念公園も、天皇が生物学を何故愛し、植物を愛するようになったかを思索することで深みを増したようです。

次に、私が先日琵琶湖近くの義仲寺で購入した「俳聖かるた」を。芭蕉の「唐崎の松は花より朧にて」とか蕪村の「菜の花に月は東に日は西に」など、こころに染みわる名句でシミジミ度をあげた。

そんな、こんなで時間も経ち、気が付くと、閉園時間もまじか。最後にお茶しつつ、吟行みたいに、俳句か川柳かを皆で披露しあい楽しい一日が終了。

名句の数々を次に、誰の名句迷句かは当ててくださいね。

      ボートこぎ他人(ひと)の楽しさカモの群れ

      生きがいを感じて遠く梅の花

      梅の花すかして見える青い空

      福寿草生きる力をひっそりと

      福寿草岩を枕に咲きほこる

      悲し川今は水なしあはれなり

      悲しみの心をいやす名無し草

      俳聖のカルタ取りつつ酔いまわる

      俳聖の季節を感じるカルタ取り

      閑古鳥昭和は遠くなりにけり

      梅かほり春分の日も過ぎにけり

時間と空間の旅⑤ 10/10

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アースフィーリングを外に出て楽しもう!(時間と空間の旅 ⑤ 9/10)

2014-03-22 | 第二章「五感と体感」

 U先生に教えていただいた、アースフィーリングという言葉を使わせていただきました。先日も関西から琵琶湖の旅をし、U先生やKさんの勉強会に参加させていただき、名所旧跡を訪れましたが、その時、その場所で湧き起こる感情をアースフィーリングと呼び大切にすることを学びました。

 旅に行き、様々な名所旧跡や五感を楽しませる料理や景色、イベントを楽しむのも良いですが、「生き甲斐の心理学」を学ぶ学徒は、アースフィーリングをさらに楽しみます。湧き起こる感情の意味を思索するのも楽しみになります。

 今回も、「あべのハルカス」、「当麻寺金堂」、「当麻寺本堂」、「鳥谷口古墳」、「二上山登山途中の湧水」、「二上山山頂」、「天智天皇山科陵」、「弘文天皇陵」、「新羅善神堂」、「近江大津京遺跡」、「近江神社」、「瀬戸唐橋」、「義仲寺」、「東本願寺」、「唐崎神社」、「ノートルダム教育修道女会修道院」、「浮御堂」、「石山寺」・・・と、特別な感情を体感したようです。

 それぞれ、何か新しい自分発見というような意味もありますが、今回は自分の感情の波が、丁度ゆったり訪問した琵琶湖の水面のように、非日常の体験を積む中でゆったりしてきたように感じました。全体の印象というものです。

 日常の中では、怒りなど様々な感情が現れ、防衛機制の働きで様々な形で発散され消えたりしています。しかし、旅もしないで日々を送っていると、何か自分のパターンにはまって行きがちかなと思います。今日、たまたまU先生の昔のブログを読んでいたのですが、その中に逃避、抑圧、感情転移の3兄弟?の悪い連携プレイのお話がありました。

 男性など、仕事でやり場のないストレスを感じ、それから逃避するまでは良いですが、さらに無力感とかの感情を抑圧し、それが感情転移で弱い立場の部下に八つ当たりしたりする。そんな流れがあったりします。これは余り薦められない感情処理の例ですが、誰でも、何か癖のようなパターンがあるようです。

 そして、生育史の中でいつのまにかできてくる、自分の感情処理、防衛機制の癖を、日常から離れてのんびりアースフィーリングに触れる中、何となく自分を俯瞰するようなところがあるのです。

 さて、今日は楽しい府中の仲間と、立川の昭和記念公園でピクニック・勉強会をします。今回は昭和天皇が愛した植物(今は梅や菜の花・・・?)を愛でつつ、昭和天皇を偲んでみたいと思っています。どうなることかとても楽しみです。

 写真は石山寺

時間と空間の旅⑤ 9/10

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