今日は3.11。2011年の3.11について想いだしている。
震災当日は、地震の後に仕事に出かけたりし特別な体験もしたが、やはり今でも印象的なのは福島第一原発の事故の影響であった。福島の知人の恐怖。まだ、一歳ちょっとだった孫娘への不安感。いろいろ考え、こころの安定を図るために、こうした時の鉄則最悪の事態と最善の事態を敢えて考えたりもした(フォーカシング)。
線量計も購入し、自分たちの住まいの周辺や、親しい人たちの周りなども実際に測定した。事実知ることで、随分救われたように思う。私たちの住まいより、放射能の影響が大きかった子供夫婦も、その情報をもとに、適切な対応をとることができたようだ。
幸い、八王子は甚大な被害はなかったが、このことから政治に対する見方が随分変わったようだ。どっぷりと平和幻想につかり、安全神話につかってきた私も、決して呑気であってはならないと。以前、冷やかにみていた原発反対運動も他人事ではなくなったりした。
さて、安全神話について今日は一言。
3年前の福島原発のテレビの映像で驚愕したのは、もっとも出番があるはずのロボットが無かったことがある。さらに、私はコンピュータ業界で働いたことがあるが、危機管理の鉄則の多重化などの技術が取られていなかったのには唖然とした。実に、世界レベルの技術を持ちながらの幻想の中での事故だったかのようだ。そして、事故後も利益団体の影響もあるのだろうが、事故が収束していないにも関わらず(かなり危険な作業を継続していたり、放射性物質の流失が続いているようだ)、事故は日本人の心の中からかなり消えて行っているようだ。
今でも、現場から遠い、欧米からの情報(日本語化されているものも多い)のがよほど信用がおけるというのも奇妙だ。安全神話は今でも復活、息づいているのだ。
日本人独特の心の文化として、U先生は(1)汚れと禊(2)もののあわれ(3)甘えの構造(4)恥の文化(5)わびとさび(6)幽玄美、以上の6つを挙げている。そして、それ故にストレス曲線の脅威を見事に払しょくして逞しく生きることができるメリットもある。しかし、こうした防衛機制の特性をもつ文化は、強靭な反面、事実を観る眼を曇らせ大きな悲劇を産むのも、個人の場合と同様だ。
安全神話は、恐らく「甘えの構造」をはじめ、この6つの要因から原爆被災国の中であるにも関わらず、生まれてきたのだと思う。そして、その歴史は恐らく日本の原形ができてきた7-8世紀まで辿れると思う。
第二次世界大戦の参戦の非現実性はよく引き合いにされるが、7世紀の白村江の戦いも、当時の超大国、唐と戦かったのであり今から考えると一種の安全神話のようだ。
額田王が斉明天皇の意を受けて戦意高揚をはかったと思われる名歌も、この視点から考えると違った見方もできるようだ。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな (万葉集1-8)
船は月ではなく唐・新羅連合軍のいる白村江に向かっていたのだ。
時間と空間の旅 ⑤ 2/10
孫娘が、先週インフルエンザになったせいもあるが、どうも言うことをきかなくて娘が困っていることもあり、昨日から我が家に遊びにきている。
誰でも、健全に甘えたり甘えられたりするが、時に不健全な甘えになったりもするようだ。それは、大人でもあるし子供でもありそうだ。
こころの防衛機制に退行ということがあるが、現状が苦しいので幼少期に戻って快楽原則にひたりたい心理だという。良い退行は、人生の潤滑油のようで、夫婦や恋人の仲、親子、学校、職場などで、甘え、甘えられるという感じで(勿論バランスも大事だが)楽しめるが、不健全な退行?もある。
電車の中で、異常に泣き叫び母親も困り果てていたりするといったあかちゃん帰り現象もあれば、最近では、登校拒否や出社拒否なども不健全な退行の一つかもしれない。
防衛機制を勉強するのは、自分の生育史が極めて大事だとU先生から教えられた。生育史は良い想いでもあるが、おおかたは興味の対象にもならないばかりでなく、不機嫌になるものまであり通常は思い出すこともない。しかし、生き甲斐の心理学を学ぶ上では、自分を深く知る事、さらに臨床心理学の諸理論を血肉化することに大いに役立つ。さらに解釈を変えることで、自分の人生が輝いてくるという不思議な現象を経験すると、やみつきになったりする。
退行も実に奥が深い。
近くの大栗川には、大雪の影響も去り、鴨が目立つようになってきた。写真のように、川でイキイキと過ごす様子をみると和んでくる。つがいの鴨も甘えたり、甘えられたりしているのだろうか?
時間と空間の旅 ⑤ 1/10
「これを成し遂げたら幸せがくる。ひょっとしたら、それは大きな永遠につながるかもしれない」。私も青春時代にそんな考えを持ったことがある。海潮音のカールブッセの詩は有名で、なんとなく影響を受けたのかもしれない。
山のあなた カアル・ブッセ
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(とめ)ゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
天紙風筆画雲鶴
山機霜杼織葉錦
(以下、懐風藻 江口孝夫訳 講談社学術文庫 P59-60
大空の紙に風の筆勢で雲翔ける鶴を描き
山姿の機に霜の飛び杼で紅葉の錦を織る)
そして、大津皇子は天武天皇の後ろ盾もあり、19歳の時に政治に颯爽と登場し、八色の姓などの難しい政治的難題に力を発揮したり、私生活でも石川郎女(大名児)と激しい恋愛をしたりする。しかし、天武天皇が不治の病に陥り、後ろ盾を無くしてくると、一転して孤立化していき(大津皇子個人の問題というより政治的な構造の問題と観る説もある)、最後は日本書紀によると、皇后や草壁皇子に対する謀反で死罪となる。
次は処刑前の和歌と漢詩であるが、何とも言えない味わいの歌を残している。
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (萬葉集 3-416)
金烏臨西舎 (金鳥 西舎に臨み)
鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)
泉路無賓主 (泉路 賓主無し)
此夕誰家向 (この夕 誰が家にか向ふ)
大きな夢と挫折を味わっただろうが、何とも言えない味がある。
さて、「これを成し遂げたら幸せがくる。ひょっとしたら、それは大きな永遠につながるかもしれない」という考え方もあるが、次のような考え方もある。「もう、既に今、永遠に通じる世界の中に生きている、それゆえに、この小さな出来事を大事にしよう」。この考え方は、ちょっと変かなと思われる方も多いかもしれないが、哲学・宗教の世界では意外にも主流派。
大津皇子の歌は、どうなのだろうか。いろいろ考えさせられるが、かわいい鴨がキーワードかもしれない。大津皇子は、すでに永遠の中にいるのかいないのか。
時間と空間の旅 ④ 10/10
昨日、どうしても東京博物館で文祢麻呂の墓誌や瑠璃骨壺を観たくなり訪れた。本館のインフォメーションで、どこに展示されているのかお尋ねしたが、私の尋ね方が悪かったのか展示されていないとのことであった。本館では、ちょうど支倉常長展が本館7室で開催されていたので、400年前の肖像とか世界地図の屏風などをゆっくり味わって満足し(私はカトリック信徒でもあるので)帰宅しようかとも思ったが、文祢麻呂が頭を離れず他の展示場もしっかり回ってしまった。
法隆寺宝物館は、7-8世紀の半島からの仏像を含めて沢山の展示があり、おそらく当時の有力者(壬申の乱に出てくる、祢麻呂を含めて)のお宝も含まれているようで、なんとも言えない気持ちになった。ちょうど、見学ごろには雪がかなり激しく降り、天武天皇が壬申の乱のころに読んだと思われる萬葉集の歌を思い出したり。
みよしのの 耳我(みみが)の峯に 時なくぞ 雪はふりける 間(ま)なくぞ 雨はふりける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ來る その山道を
そして、通常催し物がある平成館によってみた。縄文時代の国宝級の遺物をはじめ見応えがある考古学が好きな人には熱狂させる展示なのだが、最後の最後に何と文祢麻呂の墓誌と瑠璃骨壺が!写真は禁じられていたので、私の所持している雑誌の写真を次に参考までに。
骨壺は瑠璃のガラス製のもので、高さが10センチを超え、何とも言えない存在感があり感動が走った。
雑誌の記載にもあるとおり、祢麻呂の墓は実に山奥、当時にあっては、都人にとっては想像を越えた山奥に、防衛関係の長官クラス(正四位上)の祢麻呂の墓が作られていた。1831年に偶然見つけられた墓だったが、この謎に挑戦して小説家や歴史愛好家はあれやこれや楽しく夢を膨らましているようだ。
壬申の乱では、特に東日本の豪族の決起が天武天皇の勝利のカギであったが、舎人の祢麻呂(百済系文氏の豪族)が吉野脱失を図るため、吉野近くの豪族を味方につけることが勝敗のカギの一つだったようだ。そして、初めは数十人くらいの天武天皇の軍隊が安全に脱失し、数万人の軍隊に膨らみ、最終的に近江京を落とす。
天武天皇を中心として、有力豪族の子弟からなる舎人との関係、絆は強かったようだ。さらに、当時は渡来系の人も多く、国際的な環境だったようだ。宗教も吉野は道教?の信仰に扱ったとされる斉明天皇が建設したとされている。祢麻呂が工作した豪族(山人)がどのような思想を持ち、どう関わったのか大変興味がある。
さて、こころの防衛機制に同一化というものがある。朱に交われば赤くなるなど、悪い面もあるが、仲間意識ゆえに様々な事業を成し遂げたりするポジティブな面も多い。壬申の乱の時の天武天皇を中心とした舎人仲間による結束も、実際に歴史を動かし律令国家、日本の原形を作ってきた原動力だったと思う。しかもリーダーの天武天皇や持統天皇は政治家としてもセンス抜群で一流だったと思う。
ただ、負の面もあることは充分認識する必要があろう。壬申の乱やその後の権力闘争を考えても、多くの人が亡くなったり、傷を負ったりしたことを忘れてはならない。
歴史の勉強は楽しいが、リーダーが同一化で眼を曇らせか否かは重要で、適切な人でないと国家規模で存亡の危機に陥る。民主主義が他と比べてましだとされているのも、この同一化の危険性に歯止めをかけているからだと思うが如何だろうか?
時間と空間の旅 ④ 9/10