イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

琵琶湖の辺りで自分の中の野性が芽生える!(時間と空間の旅⑤ 3/10)

2014-03-16 | 第二章「五感と体感」

私の四人の祖父母のうち、最も幼年時代に愛をもって関わってくれたにも拘らず、最も早く天国に行ってしまた母方の祖母。その故郷が京都にある。そして、今は比叡山を挟んだ琵琶湖の西側、唐崎に泊まっているが、今回の旅では、この祖母のことを良く考えた。

三つ子の魂、百までもと言われるが、実に7~8歳まで、いろいろと影響を受けた。そして自分の感情生活も、この祖母との関わりが随分影響しているなと思う。

祖母は学校の先生の曽祖父の家に育てられた。恐らく厳格な家風だったのだと想像する。また、プライドの高い人だったようにも思う。そういう祖母の影響を沢山受けて育つとどうなるのだろう。

私の場合二歳から四歳の頃の感情生活の影響が、今でも大きく影響しているようだ。ネガティブな感情としては疑惑感、恥ずかしがり屋で小心者かも知れない。そんな私は防衛機制だと知性化が良いにしろ悪いにせよ発達したのだと思う。

さて、今回の旅の後半線は、楽しい勉強仲間との、特に感受性に関する勉強会で小旅行を取り入れた思い出深い勉強だった。それ故、普段の知性化の防衛機制がほぐれ何か自分でない自分が現れてきたように思う。

今朝、朝早く琵琶湖の向こうから太陽が美しく登った。その美しさは格別だった。カメラでしっかりと写真も撮らせて頂いたので次に掲載します。よかった!

   

写真は、堅田の浮御堂。堅田の湖衆のような野性が何か芽生えたかもしれない。

時間と空間の旅⑤ 3/10

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旅と感受性!(2014.3関西の旅 5)

2014-03-15 | 旅・雑記帳

生き甲斐の心理学を学んでいる私にとって、旅は一つの感受性の訓練の場所のようだ。昨日から、唐崎の某所で素晴らしい景色を堪能しつつ学んでいる。

今回は旅の前半は一人旅だったが、周りの景色を味わうだけでなく、自分の感情を味わっても来たようだ。例えば、ハルカスから眺めた四天王寺や二上山。原初感情はどうだっただろう。好きであるが、どこかに怖いという感情があったように感じる。

そして、それから近鉄で訪れた當麻寺と二上山。概して好きであり怖いと怖くないが入り混じった感じであった。これは、何を意味していたろう。

二日目の雨の中の琵琶湖周辺の旅。充実していたが、雨の中であり、濡れはしないかなど身体からくる不安感が大きかったようだ。しかし,近江大津京に立ったときに味わった深い感情は何だったのだろうか。この地に立つまでの紆余曲折もあるが、魂から来るようなサムシングもあったかもしれない。

しかし、今回の旅は二重の経験の旅。

後半は、楽しい仲間との旅。これまた充実しそうである。

  

2014.3関西の旅 5

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琵琶湖の旅!(2014.3関西の旅 4)

2014-03-14 | 旅・雑記帳

昨日は、朝から一転して本格的な雨。京都博物館でもと思ったが、ネットで調べると休館中。しかし、琵琶湖までは予想外に近く、天智天皇、大友皇子の御陵を見学し、近江大津京跡を尋ね、瀬戸唐橋まで足を伸ばすことに。

京都から山科の御陵までは市営地下鉄で簡単に行けた。そして駅から約二十分で天智天皇陵。激しい雨で折り畳み傘ではしのげず大きめのビニール傘をコンビニで購入。御陵は、近くに他の陵もなく、何故ここに天智天皇の御陵がと、むかしから疑問に思う人も多かったようで、天智天皇暗殺説もまことしやかに囁かれているようだ。

 

しかし、壬申の乱の後、天武天皇が崩御されて、持統天皇の時代に建設されたので、かなり辻褄が合う。持統天皇は道教にも明るく、天智天皇の実子である。藤原京の真南には天武−持統天皇陵があり、そこから正確に北の方角に天智天皇陵がある。天智天皇は冷徹な政治家で、持統天皇の祖父を謀殺した悲劇があったが、持統天皇は立派な稜を造ったようだ。雨で私以外に参拝者も皆無であったが、馬酔木が咲き、大きな昔からの岩などもあり、良い時を過ごさせて頂いた。

 御陵の入り口には天智天皇のゆかりの時計に因んだモニュメント

 天の中、馬酔木も綺麗でした。

 

  

 立派な岩があり、創設時(持統天皇のころ)由来の岩かなと想像しました。

 

その後、大津市役所の裏の大友皇子、弘文天皇陵を訪れ、大津市役所にも寄って七階から眺めたりした。残念ながら琵琶湖は望めなかった。大津京の時代は恐らく湖はずっと大きく、岸も京阪電車の線路あたりまできていたようだ。

 

近江大津京遺跡は、京阪の近江神宮前で降りるとすぐそばにあった。遺跡は点在していたが、天智天皇が執務をしていたと思われる中枢の建造物跡に立った時は、胸がいっぱいになった。唐の侵攻を恐れ防衛優先で遷都した大津京は、五年ちょっとで、壬申の乱で廃墟となる。しかし、天智天皇を始め、当時の有名人が愛した地であることは確かで、いろいろ妄想した。

 遺跡は第1から第8地点まで住宅地の中に点在

 天智天皇が執務をしたあたりかと・・・胸がジーンとなります。

そして、京阪で唐橋前に移動。壬申の乱では近江軍が西側に陣をはった防衛線で大海人皇子側の大分稚臣(おおきだわかみ)が鎧を二重に着て、飛んでくる矢でハリネズミのようになりながら橋を突破したのは有名だ。

  

河原に降りて今はコンクリート造りの唐橋をしたから撮ったのが写真である。壬申の乱の記録は近江側の記録が抹殺されたようであるが、実際はどうだったか、いろいろ妄想した。そして、京都に帰る前に、源義仲と芭蕉のお墓がある義仲寺に寄った。芭蕉が何故、この琵琶湖の地にお墓を作ったか。これまた時代は変わるが楽しい思索をさせていただいた。

  雨の義仲寺

 源義仲の墓、そのそばに巴御前も

 芭蕉のお墓が!

2014.3関西の旅 4

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當麻寺と二上山の旅!(2014.3関西の旅 3)

2014-03-14 | 旅・雑記帳

 大阪阿倍野橋から近鉄で約四十分で当麻寺駅に。ハルカスと違い、殆んど観光客もいない長閑な駅であった。そして、駅から二十分くらい二上山方面に向かって歩くと當麻寺となる。初めて訪れたお寺であったが、余りの素晴らしさに慄いてしまった。

 

ゆっくりと本堂で中将姫の當麻曼荼羅を拝観。仏教でも現世浄土の深い感情があることをしみじみと体感した。そして、次は金堂。本尊の阿弥陀如来には本当に魅せられた。さらに東大寺の戒壇院の次に古いと言われる四天王像。これらは681年に創立時からの像とのこと、鳥肌が立つようであった。調べると681年は壬申の乱が終わって約十年、草壁皇子や大津皇子が政治に本格的に参加したころである。

壬申の乱といえば、この當麻寺周辺は近江軍と大海人皇子が騎馬部隊で戦い、失地回復をした激戦地。このお寺が創設されたのも、壬申の乱の時代の影響もあるのだろう。そして、御朱印を頂きながら、お寺の方に二上山へ行く道を教えていただく。ちょっと、わかりにくい道で、親切に教えていただいた道をたどっていくと、池を中心に見晴らしの良い二上山の山麓に。そして、あこがれの鳥谷口古墳の案内板も!

  

鳥谷口古墳は、最近の考古学者の学説で、大津皇子の墓として有力候補となっている。折口信夫の死者の書のような、ちょっと不気味な感じもあるものの、好天にも恵まれ、心地よい環境で、なにか大津皇子の素晴らしい人格に触れたようであった。

そして、まもなく二上山登山口。ちょっとした沢伝いに、急な登り道に。約一時間くらいで二上山の馬の背?に、そして雄岳山頂。海抜五百メートルちょっとであるが、高尾山より大変だった。そして、大津皇子に関係ありそうな神社に参拝し、もときた道をくだった。

  

麓で當麻寺のそばに近づくと、感動した像を思い出し、再び當麻寺の金堂で阿弥陀如来と四天王像を拝観してしまった。沢山の写真や動画は、後日アップしますね。

明日は、琵琶湖周辺の旅を報告します、雨で大変でしたが、いろいろ経験しました。s

2014.3関西の旅 3

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天空から眺める大阪!(2014.3関西の旅 2)

2014-03-13 | 旅・雑記帳

  深夜バスで強行スケジュールだったが、関西に早朝に到着して、梅田から天王寺に向かい、そして「あべのハルカス」の地上300メートルの天空に行ったのは正解であった。まだ八時台だったので、観光客も少なく落ち着いて景色を堪能した。

まず、あべのハルカスの位置であるが関西のどまんなかなのである。北の方向には、まず四天王寺。そして上町台地の北にはカメラの望遠レンズで大阪城がくっきり。それからさきは淀川が流れ千里の方向。一昔前は難波京が大阪港と河内湖に挟まれて海辺に屹立していたのかなと妄想すると、胸が躍った。孝徳天皇の頃に建設され天武天皇のあるの時代まで焼失せず威容を誇った難波京。持統天皇や大津皇子も、きっとその地にいたのだと想像すると実に楽しい。

    

なお、当日は靄があったので気が付かなかったが、京都タワーも東北に見えるらしい。そして、東に移って行くと生駒山、高安山と城壁のような山々がつならり、なだらかに下降していく先に二上山が美しく見え、再び葛城、金剛山が。二上山周辺が地政学上も重要なのがわかる。南には堺市役所の高層ビルが見えたが百舌鳥古墳群からの東西の線が大切なことも見えてくる。

そして、もちろん、そのさきには和歌山、四国、神戸、六甲山と続いていく。この景色、私も関西の方が親戚に多いのだが、もうなくなった祖先たちが見たらどんなふうに感じるか妄想してしまう。

至福のあべのハルカスの景色を堪能してから、二上山のある當麻寺に向かった。あべのハルカスのある大阪阿倍野橋駅から、近鉄で四十分くらいで当麻寺駅につく。

 

つづく

2014.3関西の旅 2

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