田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

草刈・道普請 集落の賦役 これまた 愉し

2008年06月15日 | 山裾集落のこと
6月15日(日) 晴 快晴に近い 風は涼しいかが 日照は熱い

8時に公民館集合、草刈と道普請の日になっている。
草刈機のエンジンもイッパツで掛かり順調に作業に入った。
今日の草刈場は今までとはちがい、神社裏から西北に登る農道、相手は若手のY君になっている。

道の右側を俺が左半分をY君が刈って行く。
かなり上まで昇ってきた、どの位時間がったたのかは判らない・・・
いい加減疲れたところに区長さんがバイクでお茶を持ってきてくれた。
ここで少しだけ休憩して更に上まで行く。
帰りは刈り残しを確認し刈り取りながらおりてきた。
途中にコンクリで囲んだ所で作業をしている人がいたので話を聞く。
湧き水を利用して隣の集落で使う水を引いているとのこと。
昔からこの水を炊事や洗濯、風呂に利用してきたのだという。
このところは水量が多いため溢れる水を循環させる装置を作ったという。
こういう作業は代々集落の人でやってきたが、今はやる人が少なくなったそうだ。


草刈を終えて公民館へ戻ったのは9時45分・・・
10時からは宇山堰架台の道普請をやる。
総員17名で重機の運転2名、軽トラの運転手3名、砂利の積み込みから現地での降ろし役12名となる。
軽トラに積んできた砕石を道のくぼみに降ろして平に均す作業をする。
これが意外にきつい・・・・軽トラに積み込むのは重機がやるが降ろすのは人手、
午前中は二手に分かれて作業をしたから、軽トラが来るまで多少は休めた。
作業も順調に進みアッと云う間に昼飯となった。
焼肉弁当とビールが支給・・・・
昼飯を済ませた後は1時まで暫しの休憩、仰向けに寝ころぶと腰、背中が悲鳴をあげている。


午後は大内道の登り切ったところから500mに砕石を引く。
ここは竹藪のトンネルのため道が乾かないため轍が深い。
1時間半で作業を終えて中央のところへ軽トラに乗り集まる。
途中の十字路から登る道の脇に大きな石が2コあるので公園に運ぶと言いだした。
重機を持ってきてワイヤーでつり上げるが重すぎのか重機が小さいのか・・・
小さい石でこの始末、大きい方は次回大型重機を持って来るという。
なんとかバランスを採りながら軽トラに乗せたが重量オーバーは目で判る。
無事に公園について荷台を上げて(ダンプ仕様)一気に落とした。


公園で今日の作業は終了と相成ったが、この巨石はドウヤッテ池の反対側へ移すのだろう?
集落の面々、誰かが言い出せば直ぐに行動に移る、この勢いもいつまで身体が云うことを効くのだろう!!
家に戻ったのは4時近かった・・・・
今日の予定は道普請のあとは薪作りとしていたが、予定は未定決定に非ずと云うこと。
少々 イヤ 多いに疲れた。
疲れたところで甘いもの・・・・
洋風か和風なのか? どちらとも云えないが 疲れた身体には緑茶と甘味が一番!!


さてはて、今日の大仕事は終了・・・・
Mは飲み会だとか云いそそくさとでかけた!!
車? 飲酒運転禁止と云う言葉に、今日は帰らないとのこと、安心?心配?
何れにしても飲酒運転だけは避けられそうだ。。。
コメント (3)
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仲間よし、里ヨシ 歩き良し

2008年06月15日 | 日記
6月14日(土)快晴 空気が乾燥している  涼しい 

昨日は少し蒸し暑かったが、今日は最高に過ごしやすい。

午前中は岩手と宮城県での地震の情報をTVにかじりついた。
しかし、流れる情報が遅いように感じたのは俺だけではないだろう。
もし、これが東京や名古屋、大阪ならマスコミも直ぐに現場に行けるだろうし・・・
これも地域格差なのだろうか?

午後は一時半に近くの津金寺に集合・・・
ウーキング仲間「ふるさとプロジェクト」で散策をすることになっている。
津金寺:http://www2.ocn.ne.jp/~sekichan/tuganeji.htm
定刻に境内に着くと既に仲間が学問杉の近くに集まっていた。
歩き出す前にリーダーが今日のコースは山部、平林集落の里歩きをするという。
津金寺の境内には水辺があり水車や湧水の池には大きなニジマスやヤマメが泳いでいる。


車の通る道を避けて里道を行くと、明治7年に立てられたという山辺学校がある。
津金寺の寺子屋を地区の学校として独立させたところで、屋根の頂には対のシャチホコ、瓦には「学」の字が入れられているのが、当時の学問に強い関心があったことが伺える。

http://www.town.tateshina.nagano.jp/b03_gyousei/12_kyouiku/mybunka/29/29.html

この近くには明治期の教育者『五無斎・保科百助先生』の生家がある。
明治の時代に人権教育を実践した偉大な教育者として今でも町民のなかで語り継がれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E7%A7%91%E7%99%BE%E5%8A%A9
集落の中を通る道から外れ山沿いに作られた農道を歩くと、そこには今でも使われている炭焼き窯がある。


急な坂を下ると滝不動と天満社が鬱蒼とした森の中にある。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b03_gyousei/12_kyouiku/mybunka/14/14.html
周囲はきれいに草が刈られていて集落の手入れが行き届いているのが見える。
ここからは車道を少しだけ歩きやがて北に向けてたんぼ道をあるく。
いつもよりもペースが落ちるが、色々な昔の話や植物の話を聞けて楽しい。
林檎畑をとおり平林集落にはいるが、ここは古くから栄えたしゅうらくなのだろう。
家々の造作が必要なところは修繕しているが昔のままの姿をのこしている。
最近、土壁の良さが見直されてきているが、ここでは昔のままの美しさを見せている。
納屋にでも使っているのだろうが・・・・


この集落を抜けるとあとは田圃伝いの道を津金寺に向けて戻った。
爽やかな風になびく早苗越しにみにる大きな農家とおぼしき家、
嘗ては養蚕が盛んだったころに屋根の形を見せている。
津金寺についたのは4時半、約3時間里歩きをしたことになるが、楽しい一日だった。

昼飯を軽く摂ったためか少々腹が減ってきていた。
6時頃におやつと云うわけでもないが、留守中にMの友人がきて都会の香りのするケーキがあるという。
このケーキに反応したのは俺だけではなく、愛息SalaもMにピッタリ寄り添っている。
おこぼれでもよいから俺にくれと云わんばかりだ。
コメント (5)
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