3月1日(木) 晴れ 快晴 四月半ばの気候 雪は溶ける
27日に沙汰があった集落の弔い 今朝7時30分に出棺とのことで全戸から見送りに集まる。屋敷の前庭の雪はキレイに除雪され喪服の短靴でも濡れることはない。また、今朝の異常とも言える4月半ばの暖かさは故人の人柄に影響されたことだろう。
信州、イヤ ここの町では葬儀の前に火葬場に行くのが常となっている。出棺の後は親族が同行して火葬場へ、そのあと葬儀は家でやることはすくなく、葬祭場へ行くことになる。その間、集落の同じ班の男衆は“墓堀”と云うのだが、今ではこの言葉を使う人はごく希で、箱掃除と称して、墓に行き冬は雪かき、夏ならば草刈りなどをした後に、墓のカロートの入口を軽く開けられるように点検をするなど、都会なら墓守がしてくれることをする。
墓の掃除が整うと喪服に着替えて迎えのバスで葬祭場へ向かう。今回は葬儀のあと納骨をしないと云うことで墓掃除はなかったが、葬祭場に集まってからは葬儀委員長、受付、坊様も案内など全てが集落の仲間に振り分けられた。
葬儀も案内の30分前には会葬者がいなくなった時点で坊様が祭場に入り読経が始められる。東京では ・ ・ ・ と言うか俺の経験では、僧侶の声が響く中焼香をしたのだが、ここでは勝手が違うのだが、それにもすっかり慣れてしまい、葬儀に行くときには案内された時間の30分前に行くことにしている。
今日の話しに戻るが、香典も『生活改善 ・ ・ 』がしっかりと身についていて、多くは香典1000円でお返しナシとと云うのがよい。葬儀が終わったのが午後1時過ぎ、1時30分からは“灰寄”と呼ぶ、故人を偲ぶことと葬儀に携わった人の慰労を兼ねた宴会がある。これには参加者は会費を香典としてだすのだが、ここの集落では申し合わせで一人なら1万円、夫婦など二人で出席する場合は1.5万円と決められている。
会で楽しみなのは坊様の講話にある。光徳寺の住職が式を執り行い、灰寄での話は生活に密着した故人との関係、家族と故人のエピソードなどを織りまぜた中に宗教観のあるものだった。派手なことはしない寺だが、書道教室など昔ながらの「寺」の良さが見える。
全てが終わり、葬祭場のマクロバスで家に戻ったのは5時近かっただろうか。亡くなられたT翁とは行き交えば声をかけることが多かった。声帯を切開手術した彼は人工音声で昔の話をしてくれたのは俺がこの集落に来て直ぐのころだった。
ドップリと一日がかりの大行事、家に戻ると疲れた。宴会ではビールやアルコールを口にすることはなかったが、0%ビールモドキで少々酔っ払ったようだ。
なれない所作で寝入ってしまった。
深夜に目が覚めたが、AlgoはSalaの膝枕で寝入っている姿に癒やされる。