3月14日(水) 晴れ 春の光と冬を想わせる冷たい風
洗面所から見る景色、晴れていても浅間山は見えない。久しぶりに冷え込んだ朝だが、それでも田の雪は溶けて定規で曳いたようなトラクターの畝が崩れることなく表れている。
太陽が昇につれて春霞か、ぼんやりした空気が辺りに広がりだした。ラジオでは冬に戻った寒さだと盛んに云っているが、陽の光は確実に春になっている。其れの証拠には赤い小さな実を啄みに来ているヒヨドリ、尾羽の下、腹が色づいて見える。鳥たちも春になって餌が捕らえやすくなるころには、子孫を残そうという本能からか、婚姻色を色濃く見せるようになる。信州の春はまだ浅いが、既にその兆しが伺えた。
昨日につづき、集落の補助金申請の書類を明日には提出したい。役員からの電話を聴きながら、送られて来た領収書を確認する。しかし、「昨日の飯が何だったか忘れる身、去年の夏のことなど覚えてる訳がない」と電話口で無責任なことを言う。俺のように毎日ブログを書いていても記憶がないことが多い。ブログのカテゴリーは日記としていながら、全く意味がない。しかし、全世界に公開されているブログに俺の身の内を書くとなると日々“懺悔か告白"をすることになる。
領収書の裏にメモが為されているものが多く有ったことで救われ、なんとか夕方までにはケリがついた。西に傾いた太陽の陽射しは弱く浅間を照らす。このウスボンヤリな景色が春を想わせるのが好きだ。
一段落して外を眺めていると、集落を囲む落葉松にスポットライトのように西日が射し始めた。ヤケに落葉松が赤く見える。紅の西日というわけではなく、落葉松も芽吹きの準備をして、枝先の新芽を大きく膨らませ赤みを帯びているのだろう。
木々の芽吹きを見ると卒業と云う音が響く。六三三2四と児童6、生徒3+3、そして2と云うのは学生と呼ばれ、進路変更出直しで4と学生と呼ばれて6年を過ごした。また、その後の2年間は学生と同じように、4月が起点となる仕事に就いた。次は33年間も、4月から始まる「年度」を基本とする職場だった。正月が一年の締め括りと思えるが、其れより、3月に締めて4月に始まる人生が身についている。話が遠回りになったが、春の景色は自らのケジメを付ける時としてきたので、落葉松の芽吹きをみてもナゼかきっちりしたくなるのだろうか。
雪映えに 落葉松萌ゆる 浅き春 (哉)