田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

裏山の 梢で風が唄う 春は名のみ 風の寒さや

2012年03月15日 | 日記

3月15日(木)  晴れ  久しぶりの冷え込み 夕方は更に冷え込む

午前中はボランティア団体の一年の行事を思い起こしながら、あれこれと想いを巡らした。この時期になって、来年のことを検討するのも可笑しなことだが ・ ・ ・ 

昨日は町活センター(ボランティアセンター)の運営委員会と社協の事務局と話し合いを開いた。開いたという立場が逆だが、社協の組織であるボランティアセンターなので、社協が開くのが筋だと思うが、忙しいということでこちらから要望して実現となった。しかし、話は空鉄砲で終わったと云うか、ボランティア団体の代表で組織する運営委員会の基本的なあり方を事務局は理解するも運営までは手を出せないと云う。また、来年度の事業もノープランと云うか、あのーアイディアの状況だった。兎に角、ノーペイの町民が運営していく難しさを理解できないようなでこのまま行くと来年度で今の形は解消せざるを得ないのかも知れない。

俺が町民活動センターのことをアレコレ考えても致し方ないこと、組織として波はあるだろうが正常に運営されるをの待つしかないのだろう。

昼前に外に出て見ると、朝の霜柱は消えていたが福寿草の花は霜柱に挟まれて縦になったまま花を開いている。朝は花びらを閉じていたので霜が溶ければ太陽の方を向くのかと思っていた。

畑の隅では蕗の薹が雪解けの下から姿を見せている。今年は雪が多いので姿を見せるのが遅い。3月も半ばを過ぎたというのに風の冷たさには異常気象に近いだろう。

辺りを見廻すと一つだけ離れたところで、薄い緑色の蕗が顔をだしていた。この蕾を摘み取って春を食するという風雅なことも可能だが、今年のように雪と寒さに耐えてたえて陽の目をいたことを思うとしっかりと花を開き、子孫を残せるまでに育つのを見届けたくなる。

畑から少し下がった南の方へ行くと梅の木が数本有る。しかし、ここでも寒さの影響か三月半ばだというのに、蕾というのにはあまりにも硬く、開いて辺りに香を漂わせるのはほど遠いようだ。

「早春賦」の歌詞ではないが、“春は名のみ 風の寒さや”のとおり、まだまだ花を咲かせる暖かさに遠い。北側の屋根から降りてきた雪が樋を通り越したところで氷となって不思議な造形美を見せていた。ここを通り過ぎていく風は冷たく、薪を運ぶ手が痛いほどだ。

北側の陽の当たらないところで作業をしたが、あまりにも寒いので陽当たりの良いところへ向かったときに白樺が折れていることを思い出した。湿り気を帯びた重たい上雪のために折れたのだが、幹には無数の虫が掘った穴が開いている。これは白樺レストランを維持するには、消毒をしないので仕方がないことだろう。このように蝕まれた木は根元に近い方から新しい芽がdている。これも白樺の知恵なのだろうが、子孫を受け継ぐ準備が整ったので、雪に身を任せるようになったと理解したい。

 

午後の遅めに集落の公園整備事業の補助金申請を役場に提出した。今年度は当初の計画の3分の2程度しか達成できなかった。震災のこともあり、集落の行事も低調気味なのは致し方ないことだろう。

コメント
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