田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

浅間山の美しさが際立っている

2007年01月16日 | 日記
1月16日(火)高い雲が薄く空を覆っている 陽射しあり 暖かい
  午前中に隣の集落のYさんのところへ行く。年が明けてまだ合っていないのでご機嫌伺いに行ってみようと思っていたのが今日になってしまった。家を10時半に出て車が通る道を歩くのも面白くないので、山を越えていくことにした。この道は春から晩秋までのウオーキングコースなので雪景色の中を歩くのもよいし、雪も降ってから大分経つので浅くなっていることを願って長靴ではなくウオーキングシューズで向かった。途中の山道は相変わらずの獣の足跡が多く、土手を掘り返して雪面に泥や草を散らかしてあるがその仕業は日本カモシカだと足跡で直ぐわかる。また、山の陰で陽が射さないところでは降ったときからぜんぜん溶けてなくまだ30cm位の雪がある。雪景色の浅間山も美しく噴煙を上げてない姿は本当におとなしい山だ。浅間山から西北に連なる連山とその奥の山が綺麗に見える。遠回りになるが山の頂上の呑龍尊を拝み来た道を戻りつつ、下り坂の「立の字集落」へ向かった。
  Yさんの家に着き玄関を開けて大声で「こんにちは~」ニコニコした顔で出迎えてくれた。彼は昨年高崎の病院で大きな手術をしているので心配だったが、元気な様子で安心した。寄ってけヨッテケと言って進められたが、昼時でもあり上がらずに玄関で少しだけ話をした。家の前の道が凍っていたので午前中を掛けて氷を割る作業をしたと話してくれた。道は綺麗になっていて「歩く人が多いから凍ったままにしておくと危ない」と病み上がりなのに重労働をしたようだ。家に着いたら9千歩近くになっていた。山道は雪があっても楽しい。
  午後はこのところ日課になっている薪割をした。今日でチェンソーを使うのは終わりになり、全て40cmくらいの長さに切った。太い樹が残っているので割る作業をあと一日だけ残すことになった。日課の薪割作業がなくなると次は何をするのだろう。
  浅間山の美しさが際立っている。
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今日も好い日 愛息Salaは寛いでいる 

2007年01月15日 | 日記
1月15日(月)快晴 午後 雲が出てくる 風もなく暖かな一日だ
  このところ毎日穏やかで温かな日が続いている。今朝も6時には東の空が明るくなり橙色から朝陽に変化するグラデーションが見事だった。
  午前10時に町の中央公民館で「たてしな歴史研究会」の役員会が開かれる。この会議は来月、2月17日に会が主催する公開講座の打ち合わせをするのだ。今年で第二回の公開講座になるが、この歴史研究はの発足は二年前になる。町の歴史や文化財のあり方を前向きに考えようとすることで当初は、公民館として会員の募集を始めた。実際に会の運営などえお話し合う中で、会員が自ら運営し計画していくことで「自立型」の会とすることが決定され、その後、隔月の例会と不定期のフィールドワークを行ってきた。公開講座は第一回が昨年二月に催され「偽官軍事件」を演題として長野県歴史館より講師を招いた。当日は氷雨の中大勢の方々が遠方から来ていただき、歴史に関しての注目度が大きいのに驚いた。
  今日の打ち合わせでは、住民による自立型の研究会であるが、公開講座に関しては立科町教育委員会の後援を受けているので、担当のY氏により印刷業務、広報など等について後援していただける内容がはっきりとした。また、講師は佐久市学芸員S先生に依頼しており、講演原稿を詳しく伺うために明日、S会長が尋ねることとなった。打ち合わせ会は順調に終わり、十二時に公民館をでた。
  
  午後は、まだ残っている薪作りの作業だが、先ずはチェンソーの目立てをやった。試し切りをしながら納得がいくまで仕上げるのに、時間を掛けてしまった。それでも大分よく切れる感覚がわかるようになり我ながら感心した。刃が切れるとチェンソーのエンジンを駆けて樹の上に刃を載せるだけで切れ込んでいく。直径20cmくらいの樹だとあっという間に切れてしまう。明日から天気が崩れるといわれているので4本をまとめて台の上に載せて一揆切りをしたが気持ちよいほどよく切れる。
  作業を終えて家に入ると愛息Salaはお気入りのベッドの中。今日も好い日だ
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小正月の行事、旧知の友の来宅 良き日だ

2007年01月14日 | 日記
1月14日(日)快晴 無風 一日中暖かな陽気が続いた
  此処大深山集落のどんど焼きが今日行われる。
  午前十時に集合なので五分前に家を出て大深山公園へ向かうと、既に全員が集まり火が着けられたところだった。櫓は青竹の先だけ枝を残したものを十数本上で束ね、円錐形の中に正月の注連飾りやお札、昨年の神棚へ祭ったものなどを中に入れる。中央には昔ながらの門松で使った竹が斜めに尖っているのが目立つ。だんだんと炎の勢いが増して円錐形の上の竹の葉が黒くこげて中に舞い始めると、下のほうでは青竹が爆竹のようにボンッボンッとなり始める。太い竹は熱せられてくると表面に油がにじみ出てから大きな音で爆発するが、このときは周りに在る焦げた物までが一緒に飛び散り、火を囲んでいる人を驚かせ思わず後ずさりをしているのが面白い。火を扱うのは大人の役で、彼らは公園の除雪、竹の切り出し、櫓の組み立てなど全てのことを引き受けてくれる若者衆で、呑龍会として集落の諸所を維持しているのだ。櫓が炎で崩され焚き火状態になると青竹も爆発するものはなくなり、子供たちの出番になる。其々が餅粉で作った繭玉を柳の枝先に着けてあぶりだす。初めは赤、黄、緑と綺麗な色に染め上げた繭玉も火に翳されると、焦げすぎて真っ黒になったり柳の枝が焦げ落ちてしまったりと、大人も混ざっての楽しいひと時だ。焼きあがった繭玉をもって集会所へ向かうと、其処では汁粉や蕎麦が並べられていて、お神酒で乾杯して一年の健康と安全を祈願することとなる。十五世帯の小さな集落も、小正月の行事として昔から引き継がれ継続していることはありがたいことだ。十二時過ぎには散会となり、其々がどんど焼きの燃えさしをこの先一年の家内安全を祈って、家に持ち帰えった。
  午後は天気もよく庭に来るジョウビタキ、ヤマガラ等の野鳥が忙しそうに飛び交っているのをリビングから眺めて過ごしていた。
  四時頃に突然、古川町(現高山市)のペンション・オープンハートのオーナーH夫妻が訪ねてきてくれた。数年振りかもしれないが、旧知の友親しく歓談して楽しいときを過ごせた。彼らは軽井沢のEペンションへ行く途中で寄ってくれたこと、此処はわかりにくい場所なのにナビで近くまで来て途中の車屋さんで場所を尋ねたとのこと。友達が立ち寄ってくれるのは嬉しい、今日もよい日だ。
  
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ダブルの新年会 楽しい一日だった

2007年01月13日 | 日記
1月13日(土)曇り 暖かな朝  午後 雲が厚くなり一時風が強い
  印友会の新年会が町の花見月と云うレストランで開かれ出かけた。集落内の道にはまだ雪が残っているので妻・Mの車で出かけた。自分の車軽トラはスノータイヤを履いていないのだ。これにはいろいろ訳が在るが、雪道は事故が多いボンネットのない車は危険という短絡的なことだけで冬タイヤが着けられない状況なのだ。
この辺はまだ信州人になりきれていないところが見える。
  11時5分前に新年会の会場に着くと既にほとんどの方が来られていていて、H先生やO会長など会員の方々が暖かく迎えてくれた。まだ一回しか会に参加していないのに親しみを持って話しかけてくれるのが嬉しかった。会場の花見月は立科町へ土地を購入するために訪れ、紹介された土木会社の方と来たのが初めてで、それ以来の来店となる。覚えていた間取りとはぜんぜん違い広い板の野間の宴会場あり、清潔感があってよかった。新年会の話題も篆刻の心がけについてなどためになる会話が多く交わされたので良かった。特に先生の「人と比べてはいけない。基本に忠実に何回も失敗することが上手になることだ」が印象的だった。また、四角の印の中に何を収めるかを見つめることだ大切で文字の下書きを大切にすることがよい篆刻と評価されるそうだ。料理も沢山出て食べきれないほどだったがH先生が各自に取り分けていただいたので完食してしまった。時間の経過も忘れ気がつくと午後二時を廻っていたので、先に会を辞した。
  帰りに友人H氏宅へNHKのブログテキストを届けた。
  家に帰り今日は夕方から新年会がある。一日二回の新年会・・・・・
我が家での新年会のメンバーは五年前に我が家が立科町へ引っ越したときにお世話になった方々で今でも親しくしているメンバーが集まる。町の職員もいれば陶芸家、リンゴ生産者、オーガニック野菜生産者等、其々が夫妻で集まった。中には4年前に中校生だったお嬢さんがこの春、大学の入学試験に受かったと言ってティラミスを作ってきてくれて、ピアノを演奏してくれた。3年前のピアノとは違い立派に上手くなっている。ショパンを弾いてくれてのだが、曲の特徴を良くつかんで勘定が入り上手くなっている。
  大学に入り、また違う面でも活躍を見せてほしいものだ
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冬場の薪割りもあと僅かになった

2007年01月12日 | 日記
1月12日(金)霧 薄日射すが寒い 午後 霧が晴れ高い雲が一面に広がる
  今朝は寒い、朝陽の眩しさを感じて起きたが直ぐに霧が流れてきて日差しをさえぎった。午前10時で外気温-3℃だった。
  午前中は篆刻に使う印刀について何も知らないで使うのも可笑しなものと思い調べることにした。一般的な価格、その作り方、使用方法など等、全く知らない世界だが先ずはネットで調べてみた。其処には作り手が販売もして実際に印を彫ることもしているHPが見つかったのだ。
  「栄登志鑿製作所」http://www.ash.ne.jp/~eitosi-nと云う会社でHPの作り方も会社の成り立ちも愉快だ、また、印刀を手がけるまでに、刻書界の大斗故小林石寿氏との出会いのことが「鍛冶屋奮闘記」として載っているのだが、この小林石寿氏は篆刻の字体の辞書やその他多くの著書があり著名な方なのだ。その出会いは芸術家と鍛冶屋の職人の意地がぶつかり合うくだりが愉快なのだ。このHPを見ると印刀といってもピン~キリまであり、安いのは600円高いのは2万円以上のものがある、ちなみに長さ太さは鉛筆と同じで先の細さが1mの物だ。勿論先の太いものは値段も上がってくる。是非、一度このホームページを見ていただくと篆刻とは関係なしに職人の拘りが見えてくる。また、「鍛冶屋適性検査」「なんでも展示室」などは見ていると時間のたつのを忘れてしまう。
  妻・Mがコーラスの日なので公民館へ出かけているが、既に帰ってくる時間が迫っていた、今日の午前中はストーブの灰の始末をしなければならなかった。簡単に済ませたこととMが帰ってくるのが遅かったので無事に事が済んだのだ。
  午後は相変わらずの薪割りの作業だ。今日は寒いのど薪割りは斧を使い身体を動かせばよいのだが、腰を痛めることもあり機械を持ち出してやった。予定の時間よりも早く終わったので、一昨日切れが悪くなったままで置いておいたチェンソーの刃の目立てと掃除をやった。掃除は細かな部分にまで鋸屑が入っていてオイルと混ざって固まっているのを竹箆でこすり落とした。組み立てて試し切りに林檎の樹を切ってみたが気持ちよいほどに軽く切れるようになった。
  冬場の薪割りもあと僅かになった 
 
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篆刻 ことはじめ

2007年01月11日 | 日記
1月11日(木)晴れ 午後 雲が多くなり 寒く冷たい風
  午前七時、東の窓から観る浅間山の中腹から下まですっぽりと雲に覆われている。ここから見ると雲海の上部が朝陽に照らされて美しいが、その下の軽井沢の町は寒いのだろう。
  ここは佐久平らの西のはずれ、丘陵地の一番高いところだ。標高は830mで冬場は100m下の町役場近辺の気温よりも-2℃程低いのが常だ。
  薪割りの作業が残っているが、今日は篆刻をすることにする。
  今年は「予定を決めたら実行すること」を“年頭の目標”としたのだが、篆刻は暮れに、町の印友会に入会したのに今年になって全く道具を開いていない。
篆刻も薪割りも刃物を使うので、斧を印刀に変えて午前中から午後1時半まで3時間半もの間、根を詰めてしまったのだ。
  手先の細かな作業は嫌いではない、やりだすと夢中になってハマッテしまう。しかし、印刀を持つのは今回が初めてなので文字を浮き彫りにするには細かなところが難しく、益してや、刃先が広い印刀しか持っていないのでできない。また、最大のピンチに出くわしたのが眼鏡だ!!今使っている眼鏡では刃先がボケルので思わず顔を近づけてしまう。使っている眼鏡は遠近両用のためか、印石の近さが遠近の中間に当たるために焦点がボケルのだが、焦点を合わせようと目と顎を上下に動かすのは自分でも夢中で作業をしているので、その動作を意識したのはだいぶ時間がたってからのことだった。左肘を固めて印石を持ち右手は肩の力を入れたまま、肘も外に張り出してひたすら、印刀を鉛筆を持つようにして指先だけの力で削っているのに気がついた。
  左手の指は印石の形で固まり、右肘と肩は石膏で固められたギブスをはめられたような状態になっている。次には目が乾いて動かないのだ、と云うよりも動かすとバサバサゴロゴロして完全にドライアイになっていた。夢中になりすぎていた。
  今日は何もしないで遠くを見ているだけにしたい。
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一日の生業を浅間山の夕映えが癒す

2007年01月10日 | 日記
1月10日(水)快晴 風もなく穏やか
  年が明けて既に10日も経ってしまったが、それが早いのか遅いかを問うと微妙だ。非日常的な思いが強い出来事や行動をしている時点では日が経つのは早い、しかし、其れを振り返ってみるといろいろ在ったのだから、過去の積み重ねのように思う。職業を持っているときには時が経つのは早いとしか思わなかったが、今のような生活だと期限が限られていることが少ないからなのか、時が経つのは遅く感じている。
  午前中は愛息Salaの入浴日なので仕度を始めるが、何となく判るのか目を合わせるのを避けるのだ。何とかごまかしながら風呂場に連れて行き、初めにシャワーをたっぷりと掛ける。この季節は湯を掛けられると温かく気持ちがよいのか逃げたりはしない。掛ける方はサンスケさながらの格好で上はシャツ、下はトランクス姿で犬の背中にシャンプーをつけて初めはブラシで、次には素手の掌でマッサージをするように洗うのだが、毛の短いイタリアン・グレーハウンド種のために足は細く華奢なものなので折れそうで怖い。洗い終わると次にシャワーで流すのだが頭に直にかけると嫌がり風呂場を逃げ回る。流し終わるとサット水気を取り、後は風呂場の外で乾かすのだがそれは妻・Mの仕事となっている。小さな身体の犬だが洗い終わるまで1時間くらい掛かってしまう。
  昼飯の後は庭に積んだままにしている林檎の樹を薪の長さに切る作業をする。雪の降る前に積み上げたままのため、樹が重なり合っているところに雪が溶けて凍り付いているのを剥がしながらチェンソーで切った。直径30cm前後の幹にあたる部分の樹を切るのでチェンソーの刃をヤスリで研ぎながらの作業だ。ヤスリで研ぐのも治具があれば簡単だと思うがフリーハンドの作業では角度が定まらず難しい。樹の太い部分を切るときにチェーンが廻らなくなり、回転を上げて切ると煙が出る始末だ。途中、混合燃料を二回入れ、チェーンオイルも継ぎ足しながら作業をした。3時間掛けて井桁に組んだ一山の樹を全て薪のサイズにできた。
  道具を片付け辺りの掃き掃除をしていると、空一面が夕焼けで赤味をおび、東の浅間山も何時もより濃く夕焼けに映えている。
 
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集落に向かう足跡は 猪?鹿?狐?それとも

2007年01月09日 | 日記
1月9日(火)晴れ 薄い雲が高く広がっている 風が無く穏やか
  昨日に続いて穏やかな一日になりそうだ。
  朝一の仕事として燃えるゴミの収集日なので集積所へ持っていく。正月開け初めてのゴミの日なので沢山あるのかと思っていたが中くらいの袋一つだけだった。我が家では妻・Mが家の中のゴミを集め袋に詰める、それを私が集積所へ持っていく。今日はゴミ一つを手に提げて集落の中央にある集積所まで雪道を下っていく。道は昨日エンカルを撒いたので雪が溶けていて歩くには楽だ。下り勾配の急な道なので両手に荷物を持ったときの雪道は危険だ。此処へ来てから雪の坂道を降りるときは膝を曲げて靴底の全体を雪の面に下ろすのがコツなのだ、これは自分で会得して内心自慢していたが、今日の信濃毎日新聞に北海道の記事として出ていた。少し残念だが・・・・・ 更に滑らない極意は雪が溶けていないところを歩くのがよい、一度溶けた雪は下で凍っているので危険なのだ。
  朝食の後に運動不足の解消にと向かいの山に入ってみた。暖冬とは言え二日間の雪は、辺りの景色をすっかり変えている。我が家の畑にも獣の足跡を見ることが出来るが、山の雪の上には数種類の足跡があり、鹿や猪の二つに分かれている蹄のあるものと、狸や狐は丸い穴が開いている。狸は体重が重く足が短いのか穴が直角になっているが、狐は足を運ぶときに穴の角をすって歩いているようだ。しかし、獣は獣道だけを歩くのではなく、人間が使う車の通れる道を利用しているのがわかる。雪道でなくても車で走っていると、直前を尻尾をなびかせて道なりに走る狐に出会うときがあるのだ。このような時には騙されて道に迷っていない心配になるが・・・・・
  山を一回して約一時間くらいの雪中散歩だった。
  午後は先日切り出してきた林檎の樹を薪割機で割ったが一気に休みなしで3時間半もかかり夕方になってしまった。一週間前までは根を張っていた樹なので割ったときには瑞々しい香りがする。薪は三年先迄焚けるものをストックしておくのが理想といわれているが、今日割たのは次の冬の分でしかない。
  三年先と云うと毎日薪の確保を考えなくてはならない。
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雪どけの仕業 お洒落なカーテンのようだ

2007年01月08日 | 日記
1月8日(月)晴れ 朝陽が眩しい 昼過ぎから雲が多くなった
  ツララがどのくらい長く伸びているかが気になり日の出前に目が覚めた。予想していたとおり眩しい陽が登ってきたが、ツララに当たる陽にはあてがはずれ神秘的とは行かなかった。たぶん、ツララが細かく沢山下がっているので面白みが無いと勝手な解釈としておこう。
  今日は成人式の日で祝日となり全国的に休みなのだ。ここの集落では毎日が日曜日に感じるくらいに静かだ。勿論20歳代の若者から40代の働き盛りまでいるが皆さんの活動時間が早く、朝6時~7時には出かけてしまう生活なのだ。また、高齢者は10人くらいいるがその半分は病気か身体の具合悪く、家に閉じこもりっきりなのだ。また、元気な高齢者は畑仕事に勤しむのは2人、マレットゴルフや町の老人会などの行事に参加するものが2~3人で彼らは早朝から出かけることが多い。我々のように都会から移住してきたものは我が家のほかに一世帯2名いるが、お一方が入院生活を送っているのでこれまた静かだ。このような小さな集落では成人式とは言っても特別な行事をするわけではなく、町の成人式も8月に行うので正月の成人式と云う感覚は皆さん持っていないのではなかろうか?しかし、大人は未だに1月15日が成人式であって、何故第二月曜日にしたのかが理解できないでいる。他にも伝統行事は意味のある日にしたほうが良いと思うが。
  昼過ぎから外へ出て道路の日陰になる場所にエンカル(塩化カルシュウム)「塩」を撒きに出かけた。スコップを持って行き集会所の入り口の除雪をした後に倉庫にある袋に入ったエンカルをアルミのボールにとり、路面に溜まっている雪に撒いた、ボールが小さいので何回も撒き路肩に溜まっている雪にも撒いた。エンカルは単なる塩で雪に塩をまくと氷点温度が下がるため平常の温度で路面の氷が溶け出すというわけだ。沢山撒くことで塩分が水に溶けて水路に入るため農産物には余り良くないのではないだろうか?町では各集落に大量に無償で配っているが・・・・
  午後には屋根の雪が溶けて全体に下がってきて、ツララの上の部分の雪が軒の下までさがり、おしゃれなカーテンのように見える。
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除雪機が前照灯を灯し存在を誇示している

2007年01月07日 | 日記
1月7日(日) 雪 粉雪が舞う 昼頃 吹雪  夕方 青空が広がる
  昨晩の星と月は何処へ行ってしまったのか、早朝に起きて雪かきをしようと張り切っていたが、なんとまた、雪が降っている。しかも、今日の雪は信州らしく粉雪でいろいろな方向から舞って降りてくる軽い雪で見ているだけでも楽しい。
  軒のツララも昨日の湿った雪のためか全体がずり落ちて、その先に短いツララが下がっている。それでも、薄日が射してぃくるとツララに光が入り電飾の鎖が軒につけてあるように見える。今日の粉雪が沢山降ればこの電飾も豪華になることだろう。
  東側の窓からの景色は山から吹き降ろす風に、雪が舞い吹雪のように見える。神社の先の田んぼでは、樹の枝先についた雪が風に巻き上げられててブリザードのようになっているので地面やその向こうの集落は見えない。天気予報で今日は風が強いと言っていたのでその影響だろうか?此処は北側に山があり、西側にも畑を挟んで山が下りてきてるので強い風が吹いても家には影響がないのでありがたい。
  昼過ぎに外へ出てみると軽トラが置いてある下屋には西からの風で荷台のシートに雪が積もっている。やはり風が強いのだ天気予報のとおり西風が強く日本海側の酒田市や北海道でも大分被害が大きくなっているそうだ。此処は台風や寒冷前線の通過で起こる風による災害は少ないが、山の湧水による災害は町全体で多くあり我が家でも気をつけなければならないのだ。
  夕方4時半頃からは西から青空が見えてきたので除雪をすることにした。15cmは降ったのだろうか?除雪機のエンジンは直ぐにかっかった。周りが白いか気温が低いと直ぐに掛かるのか???暮れに試運転でエンジンが掛からなかったのが嘘のようだ。我が家から町の除雪車が来る道まで150m位を4往復すると2m半の道幅に積もっている雪が綺麗になる。今日は軽い雪なので手間が掛からない。
  除雪作業は1時間半で終了し、玄関前の4段の階段はスコップと箒で雪を取り除いた。薪用に運んできた林檎の樹を積み上げておいたのが、すっかり雪で覆われている。これも早く長さを切りそろえて薪割りをしなくてはならない。
  辺りが暗くなり心なしか、除雪機が前照灯を灯し存在を誇示している。
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神社の木立ちから舞上る雪煙が・・・・・

2007年01月06日 | 日記
1月6日(土)雪 湿り気のある牡丹雪 夕方 晴れ 星空となった
  昨夜の二時頃に雪が降っていて景色が白く変わっていた。除雪をするために何時もより早めに起きたが、雪が重く我が家の除雪機のように吹飛ばし式では使えない。天気予報を見ると寒気が入ってくるので気温が下がるので除雪は午後に廻すこととした。また、午前中は林檎の樹を割る予定にしていたが、下屋にも吹き込んでいるため止めた。玄関から東を見るといつもなら、群馬の荒船山から南相木、上野村方面の山々が望める。お諏訪様の左には浅間山と続く山々が烏帽子岳まで見えるが、神社の木立に積もった雪が風に吹かれて舞い上がると幻想的な景色になるのだが。明朝の冷え具合によっては見事なツララが出来るかもしれない。
  此処立科町へ越してから雪がこんなに湿っているのは初めてだ。東京雪は牡丹雪で重くボタボタと降り積もるが降っているそばから溶け出すのだ。まれに、寒波が襲来して夕方から降りだした雪は都会でも積もり、道路は大渋滞となる。
  午前中は新聞を読んでから、ストーブの灰の掃除をした。薪の樹種や焚き方によって灰が多く出るときと少ないときがある。灰はストーブから出して火鉢に入れる。火鉢は普段の生活には使っていないが何かのときの手あぶりで風情と小道具のようなものだ。次回に灰の掃除をするときには火鉢の灰を外の小さなドラム缶に移すので、火鉢の灰は常に新しい灰が入っていることとなる。春に蕨を採って来たらこの灰をまぶし熱湯を掛けて一中や浸けておくと緑の色が綺麗な下拵えが出来るのだ。その他、灰は畑の土に混ぜたり水に溶かして上澄みを葉物野菜の肥やしにすることもあり大切なものなのだ。
  夕方になり新聞配達や郵便屋さんなど歩いて我が家に来てくれる人のために雪かきをしようと外へ出ると、集会所から我が家の入り口まで100mの登坂を除雪車が入ってきている。ありがたいことだ。ここに引っ越してはじめてのことだ。
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安息日は浅間山にも上昇気流

2007年01月05日 | 日記
1月5日(金)快晴 風が冷たい一日だ
  昨夜は右足大腿筋の痛みで目が覚めた。意識して動かしてみると痛い、更に連動して膝関節の内側に痛みを感じる。なぜ痛いのか?同じ動きを繰り返すと膝の皿の周りがずきずきと痛い・・・・背中を反るようにすると腰の周りの筋肉が締め付ける。両手を組んで頭の上に持ってくると肩の後ろ側から二の腕、肘から掌に痺れと痛みを感じる。身体全体が悲鳴を上げている。
  朝、七時に目が覚めると首が廻らないし肩に錘を乗せられたように感じる。寝ててのことなのだから立ち上がれば相当な痛みだろう。起き上がったのは八時半になっていた、妻・Mが昨日のブログは何故同じ写真と文が二つも載っているのか?の言葉で我に返り、昨夜のことを思い出した。
  ブログを書き終わって写真を決めたときに下書きが全て消えたのだ??何故!!と不思議に思いながらも元に戻してみると下書きがあったので投稿ボタンを押した。あの時に記事一覧を見えれば既に投稿されているのがわかったが、睡魔の忍び寄りから逃げるために慌てたのだ。当ブログのコメンテターの夢酔氏は「コメントを書いていると原稿が飛んでしまう」と再三、続きを投稿していただいている。どなたかその原因をご存知の方はいないだろうか???ご教示願いたい。
  朝食を済ませてからも、身体の節々の痛みが昨日の林檎の樹の切り出しが原因と理解できたのは昼近くなってからだ。林檎の樹が山済みになっているのを視ると来年よ寒波来いといいたくなるが、俺の身体も軟弱になったものだ!!『高々軽トラ三杯くらいの積み下ろしで、節々に痛みが残るんざぁーしょうがねぇにぃ~』と地元の衆に言われてしまう。“首も廻らず手も挙がらず”手が挙がらないのお手上げ状態の身体では ジャダレ にもならない始末!!これを解消するにはやはり外仕事が好いと外にでて、昨日使ったままになっていたチェンソーの掃除をはじめたが、掌が動かない、と云うよりもドライバーを強く握れないのだ。右手の中指・薬指・小指で握り締めると上までが痺れてくる。ダメダ!!即、チェンソーを片付けて安息日と決め込んだ。
  東に見える浅間山は朝から噴煙(蒸気)が昇り北風が強いのが見えるように南斜面の裾では上昇気流が起こり雪煙が舞い上がっている。
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林檎の樹と格闘した一日だった

2007年01月04日 | 野良仕事
1月4日(木)晴れ 後 雲が多くなる
  今日は五輪久保Yリンゴ園の更新する林檎の樹を薪材として貰うことになっている。切らしてもらう林檎の樹は、ジョナゴールドの樹で温暖化のためか病気がちで赤色の発色も悪いために、将来に向けて別の品種の苗木に変えるので伐採することにしたそうだ。現場に着くとすっかり切り倒されていて根も抜かれている状態だった。本心ありがたい。当初は年明けに伐採をしてから運び出した後に伐根する予定だった。たぶん三十年以上の樹齢の樹を切り倒すには、技術が未熟なものでは無理とYさんが判断して切てくれたのだと思う。感謝!!
  現場について直ぐにチェンソーのエンジンをかけて太い樹から切り始めた。ストーブの薪の長さは40~45cmが理想的だ。幹の太さは一抱えもあるので、チェンソーの歯が短く一気には切れない。幹を何回か廻しながらやっと切ることができた。まだまだ沢山切らなくてはならないのに、これでは手間が掛かってしょうがない。一回目の積み込み込みが終わったのは11時を過ぎていた。切り出す樹の量はまだまだあるので何回自宅まで運べば終わりになるのだろうか・・・・・・
  家に着くまでは荷台に山盛りに積み込んだ樹が重く、ハンドルが妙に軽く感じる。上り坂で連続するカーブを走り抜けるときには、怖い感じがするくらいに後ろに加重されているのがわかる。安全運転で我が家に着き、薪の長さに切られている物はガレージの中に、薪の長さの3~4倍のものは外へ積み上げた。昼には少し早いが食事の用意をしてもらった。相変わらずの外飯メニューなのだ!!
  食事の後はチェンソーの歯が切れないのでヤスリで研いだ、また、チェーンオイルの出が悪いので吹き出し口の調整をしてみたが、午後からの切れ味はいかがなものだろうか??
  今日の薪材運びは三往復することになって4時半に家に戻ってきた。ガレージの前には山済みになった薪材があり一安心と云うところだが、明日以降は薪の長さに切り分け更に、薪割りをしなくてはならない。
  ありがたいことだが 林檎の樹と格闘した一日だった
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今日は気温が暖かいのか、早くも朧月夜のようだ

2007年01月03日 | 日記
1月3日(水)曇り 暖かい 風がない 午後 青空が広がった
  昨日のブログで「山裾に春が来ているのだ」と書いたためか暖かな朝を迎えている。起き抜けに外へ出てみると霜柱は見えないし、昨日まで在った日陰部分の雪も大分溶けている。集落の家の屋根瓦の北側には縦に白く瓦の凹んでいる部分に雪が残っているのが綺麗だ。

  家の周りを見回しても草花の根元には確実に春の兆しが見えて、今から新芽を出したら二月の極寒のときに凍ってしまうのではと心配する。様子を見て余りにも急激に新芽が出るようでは、一月末ころに稲藁を刻んだもので防寒をしてやろう。当に暖冬の影響がこの山裾に確実に忍び寄っている証拠なのだろう。このような異常気象が激しくなると自然界の全てが狂ってきて、人の食べものを人工的に作らざるを得なくなってくる。
  
  此の町内の林檎農家でも温暖化によることが原因と思われる、果実の病気が増えていると聞くが、現在は新品種に植え替えることで対応するらしい。年間平均二度気温が上がると今までの果樹は出来ないそうだ。ましてや、病気になりやすい品種は農薬によってセーブされ製品として出荷されるようになるのだろう。また、畑で取れる野菜にしても、昔ながらの代々伝えられてきた葉物野菜が育ちにくいといわれている。嘗ては虫に食われることは少なかったものが、今では其の虫が変化を見せて食害を起こしているそうだ。小さな畑であっても有機肥料やその場で採取できる緑肥を使い、根菜類、葉菜、実物など自分で食べるものを自らの手で育てたものを収穫して口に運ぶことが一番よいことと実践していこう。

  夕方まで掛かって、暮れにニセアカシアが切り倒したままにしてあったのを整理して、チェンソーも使ったままにしてあったものを分解清掃してきれいにした。

  五時頃に浅間山の肩から満月が昇り始めている。十二月にも同じような満月だったが、今日は気温が暖かいのか、早くも朧月夜のようだ。web.で一月の月を調べてみると、一年で一番小さく見える満月だそうだ、ちなみに、7月が一番大きいとのことだ。
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山裾には春が来ているのだ

2007年01月02日 | 日記
1月2日(火)薄い雲が高く広がっている 暖かな朝だ
  今朝は目覚めが悪い、昨晩遅くまでTVをウオッチングしてしまった。再放送なのだが今まで見ていなかったので“日本縦断鉄道の旅”NHKの深夜から始まった番組で景色や現地の生活ぶりなどが楽しく見ていたら午前二時を過ぎていた。朝の目覚めはぼ~っとして頭の中を風呂敷で包まれたようにぼんやりとしている。歯磨きの後に水道の蛇口から出る冷たい水を口に含んだ途端に右下奥歯にグッと痛みが染みる、顎の目が覚めた、次に更に水を両掌で受け一気に顔を洗う、一回二回、三回続けて洗うと額の上まで目が覚めてきた。タオルで濡れた顔を拭うと脳みそを包んだ風呂敷の結び目が徐々にほどけて目覚めてきた。歯を磨いているときには東の窓から見える浅間山もぼんやりしていたが、今では冠雪した白と雲の境が見えるようになっている。
  朝食のパンは焼きたてのキャラウエ・シードが入ったお気に入りのパンだ!!
なんとなくイタリアンの香りがするパンは葡萄入りと共に、我が家の定番になっている。電気式の二十年前のパン焼機とは思えないほど良く焼けるのだ。使い始めの頃は売っているパンと比べると味が悪く日が経つにつれ風味が落ち、直ぐに使わなくお蔵入りとなっていたがが、近頃は小麦粉の製粉が良くなったのか食感が気に入っている。朝食はパンに決まっているので一回焼くと三日分ある。今では電気炊飯器と同様に我が家の大切なアイテムになっている。
  昼飯のあとに外に出ると暖かい、暮れに山裾で蕗の薹を見つけ友人に差し上げて大変喜ばれたので、更に別のところに出ているか探してみた。緩やかな南斜面で陽だまり、更に枯れ草のなかに蕗のちじれ葉が纏っている所を掻き分けてみると在った。外側は霜と雪の冷たさで紫色に変色しているが中は綺麗な淡い緑色が春の景色を作り出している。周りには溶け出した雪が当たり一面を湿った土にして蕗の新鮮さを保っているのだろう。
  三分の二を残して収穫し、自然志向満点のA夫妻の別荘へお届けした。帰りには「到来物だから」と云いながら野沢菜の漬物を沢山戴いてしまった。
  山裾には春が着ているのだ
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