物理学とか数学とかの大学の講義を聞いてすぐわかるかといえばすぐにわかるとは言えないだろう。
だが、毎授業時間の最後にアンケートをとるとわかならないという感想を書く人が多い。多分自分が一度考えたことがあれば、わかるだろうがそうでなければ授業を聞いてすぐにわかることはないにちがいない。
それでも言葉どおりにとって真剣に「これでもかこれでもか」と説明を繰り返している。だが、本当のところは私の独り相撲であろう。
だから先回の授業のときに自分が「本当に分かろうと思わなければわかるようにはならない」と言っておいた。この言葉をどれほど真剣に取ってくれた人がいるだろうか。
京都大学の数学の先生だった森毅さんはほとんどの人が「授業をわからないだろう」とどこかでエッセイに書いていた。
それに比べれば私の前回のアンケートに答える時間ではもっと身近に感じてもらっているだろうとは思うが、同じ質問が出るという状況は今年も変わっていない。
先週か先々週に質問に答えた同じ質問が今週のアンケートに書かれていた。例年5回くらい同じ質問が出る。それに4回までは答えることにしているが、5回目には答えない。
質問が出ることはいいことだが、誰か他人が質問をしたときにはよく聞いていなかったという事態が5回も続くという状況はどうかしている。授業自体の存在意義が疑われる。
これはもちろん授業をしている私の問題もあるだろうが、同じ質問が5回も出るということはいくら学生にひいきに考えても教える方の問題だとは考え難い。
それも難しい概念なら何回質問が出ても仕方がないが、そうではなくて比例するという記号だとか恒等的に等しいという記号を「式の定義の意味に使う」という用法について何回も繰り返して同じ質問が出るということは単なる授業の聞き方がだらだらであるということの証明であろう。