広重徹の「科学と歴史」(みすず書房)の中の「科学史の方法」のところを読んでいる。
この中で広重徹は武谷三段階論を科学の研究の歴史に基づいたものではなく自然の論理としても科学の歴史としても間違っているといっている。
間違っているという言い方はちょっと言い過ぎかもしれないが、武谷三段階論はどうも歴史に即したものではなく、また三つの段階の間の移行の契機がはっきりしないというようなことらしい。
これはまだ印象の段階なのだが、もっときちんと広重の言っていることをつかむようにしなければならないだろう。
昔、広重の武谷批判を読んだときにそれなりに納得した気になったものだったが、だが広重は新しいアイディアを出してはいないと思った。
広重の言うことは個々には間違いがないのかもしれないが、夢とかロマンがないという不満である。少なくとも人をひきつける要素に欠けている。科学史の研究は夢とかロマンとかドグマを与えるものではないといわれればその通りかもしれないが。
その後、武谷の広重に対する反批判も読んだ。一部は「もっとも」と思うところもあったが、全部が「もっとも」と言えないのではないかと思った。この二人の議論から何を得るのか。これは自分の立場をはっきりさせることになるのだろうか。
そういえば、大学院の頃、O先生は広重が個別科学としての物理学の研究をしていないために「研究のあや」がわからないというような批判をしていたように思う。
科学史をやっていない普通の物理学者には伏見さんにしても南部さんにしても武谷三段階論を方法論というか世界観としてはそれなりに評価していると思う。それは考え方であって、かならずしも科学史の成果とは捉えていないと思う。
このごろ、科学史の研究者として一般に評価されている、山本義隆氏の本などには武谷の名前などは全く出てこない。これは科学史研究としては広重風の意味では武谷三段階論はあまり評価できるものではないということを示しているのだろうか。
もっとも山本義隆氏が科学史研究者の中で評価されているのかどうかはわからない。すくなくとも山本氏は広重とは違って武谷三段階論のような考えに囚われなかったということだろう。