世の中ではソビエト型社会主義の崩壊と共に社会主義は滅んだと思われていて、資本主義の勝利ということが90年代にいわれた。
ところがそれが昨年のサブプライムローンに端を発する金融危機以降、資本主義の崩壊の態をなしてきている。さすがに資本主義の崩壊だとあからさまにいう人はいないが、80年代末がソ連型社会主義の崩壊なら、現在の状況は「ごうつくばり型」資本主義の崩壊であろう。
ものごとを自重してやっていれば、「資本主義」の崩壊もなかったであろうが、資本主義はいきつくところまで利潤を貪ろうとするところがその本性としてある。そこのところを人間の倫理で抑えないととんでもないことになる。
とはいうもののそういう道徳みたいなことをいっているとこれは科学にはなれないだろうから、どこかでそういう人間の本性まで織り込んで学問体系を立てるということにするのであろう。
それとは違った考え方かもしれないが、国家ではなくてその国家を構成する都市に重点をおいて社会を考えるというのが羽仁五郎の「都市の論理」である。
日本とかフランスとかは中央集権国家であって、どうも都市国家ではない。だが、都市を中心にした社会を考えるというのはやはり試みてみたい考えである。
裁判にしても経済にしても教育にしてもあまりに国を中心とした考え方が強すぎる。もちろん、外交では国としてのまとまりがいるだろうが、教育その他もろもろのことは各都市を中心にした方が、よさそうである。
ということになると法人化された国立大学等も各都市立または都市連合立の大学として再出発をするという話になる。財政的には苦しくなるが、このときの財政は国に国民が納める税金は基本は税金全体のごく一部になる。
いまの政治形態とは反対に都市と国との関係が都市が主で税金は都市に納めてそのごく一部を国に上納するという風にひっくり返る。いまは地方自治とかいいながら、結局は国が所得税をとり、そのごく一部を地方自治体にまわしている。
社会主義にする必要はなくて、そういう都市を中心とした政治にする。そういうことを考えてくれる経済学者や政治家はいないものだろうか。
どうも日本では国の施策に待つといった考えが強くていけない。大学の先生にもそういった決まりきった考え方しかできない人がほんとであり、失望せざるを得ない。