何十年も前にドイツに留学していたころ、住んでいたマインツの日本人の中に私の卒業した大学の先輩だった化学者がいた。
このTさんは私の住んでいる松山の出身でもあった。そういうことで親しくしていただいたのだが、この人の話にスープの食べ方というのがあった。
Tさんは彼を受け入れてくれたドイツ人の教授にあるとき聞いた。自分は猫舌で熱いスープを食べられない、ドイツ人はあの熱いスープをどのように食べているのか。
その教授はスープはスープ皿の縁のほうが相対的に早く冷えているから縁の方からスプーンですくって食べなさいと言ったという。そのうちに真ん中の方も次第に冷えて食べられるようになると。
これは話の面白かったTさんが作った話かもしれないが、多分実話であろう。なかなか合理的な話である。
もしかしてドイツの家庭でお父さんやお母さんにそのように教えられたのかもしれない。一般のドイツ人家庭ではこんな教えをしているのだろうか。
その話をしてくれたTさんが亡くなってもう久しいが、昔の話を昨夜急に思い出した。Tさんは私より2歳ぐらい年上だから今生きているとすれば、まだ73歳くらいである。京都大学原子炉実験所に在職中に亡くなった。
Tさんは原子炉を使って研究している、いわゆる核化学者であったから、原子炉から出てくる中性子のせいでガンになったのかもしれない。
私がドイツで知り合いになった友人には化学者が多い。エジプト出身の核化学者シャバーナ氏だとか、イタリア人の有機化学者ロラー氏等である。
ところで、外国ではスープは食べるというが、日本ではスープは飲むというのが普通である。スプーンを使うときはいつでも食べると言うのだと聞いた。
フライブルクのゲーテ・インステュートでは皿がなぜ立っている(der Teller steht)というのかという質問が出たことがあった。これは南米のペルーから来た哲学志望の学生からの質問だったかと思う。
困ったWagensonner先生は皿の下に小さな円形の足があるので、立っているのだという説明を黒板に絵を描いてされた。しかし、誰もがその説明にはあまり納得しなかった。
皿は一般にテーブルに横たわっているから、横たわっている(liegt)という方が正しいではないかというのが質問した学生の言い分である。
ところが「新聞に何か新しい記事があるか」というようなときに、stehtという語を使う。Steht etwas neues in der Zeitung ?とか聞く。この場合にstehenはもちろん「立っている」という意味ではなく「ある」という意味だろう。